第二十三話
「ふざけないで!!」
恵理の部屋の前まで来た時、部屋の中から声が聞こえた。大きい、というほどでもないが、何か鬼気迫る声、恵理のものだ。
取り込み中なのか、はっきりとは聞こえないが話し声はしている。滅多に声を張り上げないはずの恵理が何故。言葉の内容から推測するに穏やかなようではないのだろう。
俺は帰りたい思いに駆られたが、部屋に入ることにした。
左右を本に囲まれた部屋を進むと、恵理ではない別の人物の姿が見えた。
長身痩躯の青年、整った顔立ちにニヒルな笑みを浮かべている。役所副代表の高津清陽だ。彼もまた恵理や伊織と同じく、元の世界で名の知れた人物であった。と言っても本当に名の知れていたのは彼の父親で内閣総理大臣であった高津清司である。
高津家は代々政治の世界に身を置いている家系で、清陽は父親の秘書をしていながら次世代の首相候補として名が上がっていた。その能力はネフェティアでも発揮され、博人さんと同じくネフェティアの指導者的位置の一人として称えられているほどだ。
清陽は机を挟んで恵理の反対側で腰に手を当て、悠然と立っていた。それに対し恵理は立ち上がり執務机に手をつき、眉間に皺を寄せ清陽を見ていた。苛立っているのが良く分かった。
恵理が俺に気付き、目を向けた。それに続いて清陽も俺を見る。
「失礼してます」
出来る限り低姿勢で挨拶した。火の粉が俺に飛んで来ないようにだ。
「あぁ、麻斗君か」
微笑みながらの返事。清陽はどちらかといえば温厚な性格をしており、あまり声を荒げたりした姿を見たことが無い。いつも静かに物事を観察している知将のイメージがある。
だからこそ、先ほどの声は何だったのかと疑問に思った。
「いつからそこに?」
「ついさっきですが。恵理が大きな声を出した辺りですかね。何かあったんですか?」
俺の声にいち早く反応したのは清陽ではなく恵理だった。俺にまで聞こえる程の大きさの舌打ちをする。同時に清陽が目を丸くした後苦笑いを浮かべる。威嚇すんなよ。
どうやら恵理の怒りが頂点に達しようとしているようだ。
状況的に清陽が恵理に無理な要求をしていた、といったところか。それも俺に知られてはいけないような。
「残念ね。私そろそろ帰らなければいけないみたい。麻斗、お迎えご苦労様」
恵理の言葉。誰が聞いても分かる棒読みで、かなりの皮肉を感じた。わざとらし過ぎる。
「それじゃあお先に失礼するわ」
「それではまた今度」
含むような笑みを見せる清陽に対し、鼻を鳴らし恵理は大げさに立ち上がると、風を切るように部屋を出て行ってしまう。その露骨過ぎる態度に、俺は思わず見送ってしまう。しばらくして、自分が置かれた状況を理解した。
「お、おいちょっと!すみません、失礼します!」
俺は清陽に素早く挨拶を済ませると、直ぐに恵理を追った。
恵理の歩く速度は予想より速く、もう階段のところにいた。走ってやっとのことで2階部分で恵理に追いついた。
「おいおい、いくらなんでもあれは失礼じゃないのか?」
「失礼だと死ぬっていうんならいくらでも猫被るわ」
「そういう事を言ってるんじゃない」
階段をカツカツと急ぎ早に下りる恵理にペースを合わせる。恵理は明らかに頭にきている。言葉の端々に怒気が篭っているのが良く分かる。理由はおそらく清陽との話の内容。
俺にはその内容までは分からない、というか恵理が教えたがらないのでなんとも言えないが、多分そうだろう。あーもうマジあの人何やってんだよ。
「清陽に何言われたか知らないが、それで冷静さを失うなんてお前らしくないぞ」
「あらそう、残念ね。私は簡単に冷静さを失う女よ。あなたの認識違いだわ。あぁ残念ね」
火に油をぶちまけたかもしれない。
俺の言葉に対して嫌味を思いつく冷静さを持って、冷静さを失っている。思考回路が別方向に全力を尽くしているのではないのか。これどうすれば良いんだよ。てか正解なんてあるのかよ。処世術は心得ているつもりだが、もはやどうしようもない気がする。
いや、手遅れじゃないのかこれ。恵理は俺の問いかけには答えるが、もうそれは皮肉しか含まれていない状態だ。俺が何を言ったとしても状況が良くなると言う事は無いだろう。
なら黙っているのが正解か。
「あいつに言われたこと……だったわね。教えてあげる」
階段を降り終えたところで急に恵理が立ち止まった。
「え……な、なんでしょう?」
黙ろうと思った矢先だったので敬語になった。つくづく間が悪い。
「このネフェティアで私たちがしなければいけない事。つまり、そう言う事よ」
それだけ言うと恵理はまた足早に歩き始めた。揺れた長い黒髪が蛍光灯の光を反射して輝いて見えた。俺たちがネフェティアでしなければいけない事。
「どういう……意味だ?」
俺はしばし恵理の後姿を見つめたまま立ち尽くした。教えるといっても、俺には理解できない内容だった。




