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あるピアニストのための楽曲  作者: 今日子
第一幕 《逝ける王女に捧げる舞踏曲》
5/34

drei

 クリスはアレクの目の前でむっつりと黙りこんでいた。

 これはかなり機嫌が悪いな、とため息をつく。

 デリア=コルネリウスの依頼を受けてから十日ほど経っていた。

 内密に、と言ったデリアの要望を検討した結果、コルネリウス邸で開かられる彼女の20歳を祝うパーティーで夫の友人――正確には夫の友人の知人だが――として紹介してもらおうという話に落ち着いた。

 コルネリウス家は爵位は持たないものの、そこそこ名の知れた商会であるため一人娘の誕生パーティーは豪勢だ。

 コルネリウス家当主には彼女しか子供がいない。そのため当主と古くから親交のある子爵家の次男がデリアと結婚予定だ。その男は当主の下で商売を学んでいる最中で、ゆくゆくは商会を継ぐ予定らしい。

 これは先日勝手にクリスの館に乗り込んできたコンラートが、頼んでもないのに話していった情報である。

 クリスは至極迷惑そうにしていたが、アレクは現在コンラートがもたらした情報に非常に助かったと思っていた。

 依頼を受けた以上、相手の事を何も知らなかったで済ませる訳にはいかない。しかし半隠遁生活を満喫しているクリスに仕えているアレクは、自然世間の噂には疎くなる。

 対してクリスは並外れた記憶力を持っているのに加えて、どういった手段を駆使しているのか定かではないが、驚く程国内の情報に精通していた。もしや各所に間者を飼っているのではないかと疑っていても誰も責めはしないだろう。

「……鬱陶しい」

 クリスは小さく吐き捨てた。

 いくら豪勢なパーティーとはいえ、招待されているのはコルネリウス家と関わりのある人間達ばかり。見たことがない人間が紛れ込んでいるだけでも目立つというのに、クリスはこの外見だ。目立たぬ訳が無い。

(まぁ、この人は良くも悪くも何していても目立つ人だからな……)

 しかし現在の状況をそうやって納得しているアレクは、自身も目立っていることには気付いていない。

 今日はクリスは勿論のことながら、アレクも夜会用に正装していた。

 もとの育ちがいいクリスはさすがというのか、正装姿も様になっている。意外なことにいつもはお仕着せ姿のアレクもなかなか似合っていた。

 しかしその姿が余計に人々の興味を煽っている。

 同じ年齢の少年より華奢な骨格をしているアレクが夜会用の正装――腰のあたりを絞った細身の衣装――を着ると、特に胴から腰までの細さが強調されている。

 本当は15歳であるアレクが正装して夜会に参加しているのはおかしなことではないが、実年齢より幼く見えるこの小姓は、10を少し越したばかりに見える。

 アレクは主と9歳離れているが、第三者からすると15は離れている様に見えるのだ。

 血の繋がりがあるようには思えない歳の離れたこの二人連れは、アレクがただの小姓だと知らない周囲からするとさぞ奇異に思えるだろう。

 本来ならただの小姓であるアレクが夜会に参加出来るはずがないのだ。(実際にアレクは何度も反対した)

 しかし人嫌いのクリスが一人でパーティーに参加することを拒否したのでしようがない。

(だけど……この服、なんでこんなにぴったりなんだろう?いや考えない、考えない。何か恐い想像しそうだから)

 アレクもパーティーに参加すると聞いて、無言でこの衣装を出してきた有能な執事に密かに恐怖したのはここだけの話だ。

「クリス様」

「これはお嬢さん(フロイライン)。この度はおめでとうございます」

「ありがとうございます」

 この夜会の主役であるデリアだ。

 彼女はシンプルな赤いドレスを着ていた。シンプルなだけに女性的なプロポーションが強調されていて、目に眩しいほどの色香を纏っている。

 アレクは彼女の豊満な胸元に引き寄せられる目を無理やり引き離した。すると目を逸らした先に、アレクの考えは全てお見通しであるクリスがにやりと質の悪い笑を浮かべているのを見てしまった。

 なんだか面白くない。

 ただ馬鹿にされているならまだしも、憐れむような、子供の成長を微笑ましく見守る生暖かい視線も含まれているのが余計に嫌なのだ。

(そのあからさまな上から目線が、腹立つ!!)

 いろいろと人間として大切な物が欠如しているクリスだが、決して人の気持ちが分からない訳ではない。分かっていて、考慮の内にいれるのを放棄しているのだ。

 彼にとっては好奇心が全てにおいて優先される。その好奇心を満足させる行為の先にある障害も、自身の行為によって起こる弊害も、取るに足らない物なのだ。

 わずか10日前にクリスの下を訪れたデリアが、一見朗らかに会話をしながらも明らかに以前よりやつれていても、彼が全く心配していない様に見えるのが良い例である。

 とことん、自分の興味のある事以外はどうでもいい男なのだ。

 しかしそれが彼が鬼才と呼ばれる所以なのだろう。

「あの……デリアさん、大丈夫ですか?」

 本来なら主人たちの会話に許しもなく口を挟むのは無礼にあたる。いくらクリスがそういった事に無頓着だとしても、アレクは屋敷の人間以外の前では極めて優秀な小姓として振舞っていた。自分達の行動が主人の名誉に関わると理解していたからである。

 しかし今のデリアはあえて無礼を働いても見過ごせないほど窶れていたのだ。

 クリスは片眉を上げるだけで特に咎めるでもなく、デリアは一瞬わずかに目を見開き、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。

「えぇ、ありがとう。頑張ってお化粧したのだけれど……そんなにみっともないかしら?」

「え!?いいえ!!デリアさんは今もとってもお綺麗です!だけれど、以前いらした時よりも随分お疲れのご様子なので……」

「気をつかってくれて、ありがとう。主役がこれじゃあ、だめね」

 やはり彼女も自分の顔色の悪さが気になっていたらしい。

 デリアと面識が殆ど無いアレクでさえ気付いたのだから、彼女の家族も当然気付いているだろう。それでもこの夜会を行うあたりに彼らの苦労が伺える。

 そもそも貴族や商人の様な人間達にとって、人付き合いは命綱と言っても過言ではない。両者の“人付き合い”に含まれる意味合いには大きな隔てりがあるだろうけれど。

 特権階級にいる人間の多くがアレクの様な立場の人間を見下した態度を多少なりともとる。しかしさすが商会の一人娘といったところか、デリアはアレクが言葉を発した直後一瞬驚いた表情をしたものの、すぐに感じの良い笑顔を浮かべた。それはクリスを含めた招待客達に向けていた艶然としたものではなく、柔らかな表情であった。相手に応じた態度をとり、尚且つそれによって相手に好印象を与えていることに、彼女の才気を感じた。

 彼女にも実年齢よりも下に見られているんだろうな、と少々落ち込みはしたが。

(大人だ……)

 これが大人の対応と言うのだろう。

 クリスの周りにいるのはクリスも含め良くも悪くも変わった大人達ばかりなので、彼女の態度を見て妙に感心してしまう。クリスに至っては、大人と呼んでしかるべき年齢であるにも関わらず、素直にそう評するのに若干の抵抗があるほどだ。

「クリス様、婚約者を紹介いたしますわね」

 デリアはそう言うと、クリスの背後に小さく手を振った。

 アレクが彼女の視線を追うと彼女の婚約者らしき人物が彼女の動作に気付き、会話をしていた人間に会釈をしてからこちらに近づいて来るところだった。

 その男性は男性の平均身長をやや上回るクリスと同じくらいの身長に見えた。しかし人に痩身である印象を与えるクリスに比べ、美丈夫だと言えるだろう。

 貴族の次男坊と聞いていたが、それにしては鍛えているな、とアレクは思った。貴族というものは労働階級の人間達と違い、身体を使うと言っても趣味に留まる範囲内で行う。クリスも、アレクが知る貴族の一人であるコンラートも、決して鍛えている様には見えない。

 褐色の髪に切れ長の淡い緑の瞳が一見酷薄な印象を与えるが、その瞳の中にある知性の輝きが、印象を和らげていた。

「クリス様、こちらがエドヴァルト・フォン=オッポルツァー、私の婚約者です。エド、コンラート卿が仰っていた、クリス様よ」

「初めまして、コンラートから話は伺っています。わざわざご足労を頂いて、すみません」

「あの男から……何を話しているのやら」

 エドヴァルトはにこやかに言って手を差し出した。クリスも握手を交わして一応は挨拶をしているが、出てきたコンラートの名に目を細めた。しかし口元は完璧な弧を描いているので、それを見てしまったアレクの背中に冷たい物が流れ落ちた。


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