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「実は……私、最近奇妙な夢を見るのです」
「夢、ですか」
クリスの片眉が上がる。それが?とでも言いたげな表情だ。
目の前の女性がいなかったら即座に嗜めるところだが、客人の前では不用意な事は出来ない。精一杯非難がましい目で見るアレクだったが、クリスはその視線を綺麗に無視していた。
「いえ、初めはただの奇妙な夢を見るだけだったのです。ドレスを着た少女が曲に合わせて踊っているだけの……」
「曲?」
今まで無関心を通り越して迷惑だという態度だったクリスが、一転して興味深げに尋ねる。デルアは急に積極的になったクリスに当惑している様だった。
「え……えぇ。何という曲だったかしら。聴いた事はありますけれど、忘れてしまいましたわ。ほら……」
彼女はしばらくの間視線を虚空に彷徨わせ、小さな声で旋律を口ずさみ始めた。
古典的だが美しい、どこか切ない曲である。
アレクも聴いた事がある曲だったが、曲名までは思い出せない。
すると彼女が口ずさんでいる旋律を聞いたクリスの瞳が生き生きと輝きだした。
嫌な予感がする。彼がこの様な表情をする時は決まって後でろくでもない事が起こるのだ。今まで何度後悔してきたことか、数えるのも馬鹿馬鹿しい。
コンラートの紹介で客人が訪れるのは初めてではない。初めは迷惑そうなクリスではあるが、興が乗ると急に積極的になるのだ。しかも困った事に、クリスと付き合いの長いコンラートは主人をよく理解していて(クリスに言うと、猛烈に反論するだろうが)クリスが興味を持ちそうな点を的確に突いてくる。
アレクは目の前にいる女性を複雑な面持ちで改めて観察する。
茶褐色の髪に同色の瞳は特別珍しいものではないものの、彼女の顔がどこか華やかな造りであるため自然と目が惹きつけられる。今は憔悴して表情が曇っているが、普段はさぞ明朗な美女であろう。
(この人も……心に大きな闇を抱えてるんだろうな)
クリスには悪癖とも言える趣味がある。
彼は相手がひた隠しにしている、あるいは本人さえも気付いていない秘密に異様な程好奇心を刺激されるらしい。
質が悪いのはクリスが他人の心を読むのに長けていて、尚且つ相手の表層からは想像が出来ない様な闇に、より惹かれるらしいことだ。
――普通に見える人間こそ、心に大きな闇があるもんなんだよ。人間とはなんて醜い生き物なんだろうね。でもだからこそ興味深い。
これは以前クリスの悪癖を詰ったアレクに対して彼が言った言葉だ。
この時、彼の瞳は普段見たことがない程、好奇心に輝いていた。彼の異常な好奇心に恐怖を覚えた反面、不覚にもその瞳を綺麗だと感じてしまったのを思い出す。
本人が気付いているのかいないのか、他人を煩わしいと思う一方で、人の心の闇に惹かれるという性質は彼の中で違和感なく同居しているらしい。
「そう、それで?」
「はい、初めに私の異常に気付いたのは母でした。母は身体が丈夫ではなく、長年軽い不眠症を患っていまして人より眠りが浅く、少しの物音で目を覚ましてしまうのです。その夜、母は小さな足音を耳にして目を覚ましたそうです。その足音が中庭に向かうため追いかけてみると私がその曲を歌いながら踊っていたと……。私は母に声を掛けられて初めて、自分が庭にいることに気付いたのです」
「つまり寝たままの状態で、歩いていただけでなく歌いながら踊っていた、と?」
「はい、私は庭に降りていたことさえ覚えていないのですから。私はその時あまりの恐怖に目の前が真っ暗になりました。怯える私を見かねて、両親と婚約者がお医者様に診ていただくよう、勧めてくれました。しかしそれで万が一病持ちの娘がいる事が知られれば、家名だけでなく婚約者の名まで貶めることになりかねません。それだけは避けたいのです」
デリアは必死に言い募った。
確かに病持ちは歓迎されない。
特にこの時代において彼女が患っていると思われる夢遊病や精神病の類は露骨に忌避された。
ひと昔前の様に悪魔付きと呼ばれ家の中に閉じ込め最悪殺すといったことはないものの、その家が病持ちの血筋だと言われたり、あるいは周りに問題があるのではないかと避難される場合も少なくなかった。 そのため彼女の必死な状態も納得出来る。
クリスは一見、真剣な面持ちで相打ちを打っているが、デリアの逼迫した状況を歯牙にもかけていないだろうことは容易に想像出来る。
「悩んでいたところに婚約者の知人であるコンラート卿が、そういったことならここに来ればいいとおっしゃって……」
コンラートも何という事をしてくれたのだ、と言いたくなる。
デリアは内密に解決したいと言っているのだ。
クリスに限って内密は無理だろう、と思うアレクである。一度好奇心に支配された彼は自身が納得するまで誰にも止められない。それによって迷惑を被るのはアレクを筆頭に周囲の人間なのだから、割に合わない。
それなのにクリスを紹介するとは愚の骨頂である。(しかし、彼の場合は確信犯であろう。コンラートもこの主に負けず劣らず悪趣味なのだ)
アレクの危惧の通り、クリスは初めの不本意そうな態度はどこに行ったのか、はっきりと頷いた。
「分かりました。貴女の依頼をお受けしましょう」
にっこりと微笑む。
それはクリスが今日初めて見せた、心底満足気な表情だ。
その表情を見て安堵するデリアとは反対に、その笑顔が悪魔の微笑みにしか見えないアレクは危機感を募らせる。
そしておそらく強制的に巻き込まれるであろうアレクは諦観のため息をついたのだった。
館の入口までデリアを見送ったアレクは、ふと聞こえてきた旋律に耳をすませた。
見事な存在感を漂わせる――おそらくかなりの一級品なのだろう――クラヴィーアのある部屋にアレクは足を向けた。
予想通り、クラヴィーアに向かい合ったクリスが曲を弾いている。
「その曲……」
「そう、お嬢さんが歌っていた曲だ。ヴァランタン=レマ作曲、《逝ける王女に捧げる舞踏曲》」
技巧的な曲ではないが滑らかに動くクリスの指によって生み出される旋律は、あまりに美しく、そして切なかった。
性格には大きな難があるクリスではあるが、クラヴィーアの腕前だけはアレクも尊敬している。
技巧をひけらかす事をあまりしないため、滅多に難曲と呼ばれる曲を弾きはしない。それでも彼の表現力は神がかりといっても過言ではない、と断言出来るアレクだ。
一度、奏者泣かせの難曲を弾いていたクリスを見たことがあるが、あの時はさすがのアレクしばらくの間口を開くことが出来なかった。
「綺麗な曲だろう?でもね、美しすぎて、狂気を孕んでいるように聞こえるのはどうしてだろうね?」
クリスの言葉にぞっと寒気がした。先程まではただ美しくて切ない曲だとしか感じなかったが、あたかも美しい景色の中に底知れない暗闇を見つけてしまったかの様な心地がする。
「アレク、彼女をどう思った?」
「……美しい人だと、思いました」
「美しい……うん、確かにね。でも表面の美しいものは思いもよらぬ歪みを抱えているものだよ。いや……歪みこそが美しく見せるのかもしれないね」
「それは、デリアさんのことですか?」
それとも貴方の?とはアレクは尋ねなかった。
クリスはアレクが飲み込んだ言葉に気付いているのかいないのか、何を考えているのか読めない微笑を貼り付けた。
「いや、私が今まで生きてきて気付いた真理だよ。でも……彼女は興味深い人だな」
「どこがですか?」
「夢はね、人の深層心理を表すそうだ。そう考えると、夢の中の少女がこの曲を踊っていたのは実に意味深だとは思わないかい?」
この曲名は葬送歌ではなく、死んでしまった王女が踊っていた曲、という意味らしいよ。
そう言うクリスの言葉の意味がアレクにはほとんど分からなかった。しかしこの言葉に言いようのない恐怖を感じたのを今でも覚えている。
それは自分がこれから起こる惨劇をどこかで予期していたからかもしれない。
何故なら、この時クリスがどこまで分かっていたのかアレクは知る由もないが、この言葉が事件の本質を表していたと言っても過言ではなかったからだ――。




