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あるピアニストのための楽曲  作者: 今日子
第一幕 《逝ける王女に捧げる舞踏曲》
3/34

eins

「クリス様――!!」

 元気な声が館中に響き渡る。よく通る声質であるのに加えて、声量が半端ではない。エコーがかかった様にわんわんと反響し、破壊力は抜群だ。

 思わず青年――クリス――は両手で耳を塞ぐ。

「……煩い」

 繊細な眉が顰められ、造作が整っているだけに迫力がある。肩にかかるかかからないかという長さの黒髪は素直な直毛で、肩口で揺れていた。それをぞんざいに、しかしどこかしら品を感じさせる所作でかき上げ、顕になったのは灰色がかったアイスブルーの瞳だ。

 繊細で硬質な造作と相まって、青年を氷出来た人形の様に見せてしまう。

「やっと見つけましたよ!!」

 今のところ使用予定の無い部屋で昼寝を楽しんでいたクリスであったが、どうやら片っ端から部屋を確かめてきたのだろう、この声の持ち主――走り回ったせいか怒りのためか、肩で激しく息をしている――は、彼が寝転んでいる床の方まで歩いて来る。

 クリスは床の上でくるりと向きを変え、侵入者に背中を向けた。

 この動作によってさらに怒りを煽られたのだろう、少年は薄桃色に上気した顔をさらに赤くした。

「クリス様、貴方って人は!!」

「あーあーもー、煩いよ。普通に喋ってさえ耳に響くのに、わざわざ声を張り上げる必要は無いだろう」

 激高した少年に対して、クリスは冷たく返すのみだ。

 少年は地団駄を踏み、その動きに合わせて短い白金色の髪が跳ねる。感情が高ぶると空の様な青色の瞳が輝き、それを周囲――主にクリス――が面白がってこの少年の気を逆なでする言動を繰り返している事に、本人だけが気付いていない。

「もう、知りません!」

 少年はついにクリスに背を向け、憤然と歩き出す、かの様に見えた。

 しかし何のためにクリスを探していたのか当初の目的を思い出し、はたと動きを止める。

「ねぇ、アレク。お前は何のために来たの」

 背中で聞く彼の口調には明らかに揶揄う調子が含まれている。案の定振り向いたアレクが見たのは、床に片膝をついて、してやったりと――見る者によっては冷笑と受け取りかねない――表情をしていたクリスだった。

 しかしクリスとの付き合いが短くはないアレクは、その表情が嘲笑の類ではない事を知っている。勿論、間違っても微笑んでいる訳でもなかったが。

 アレクは諦めのため息をついて、当初の目的を達成すべく、目の前の主に告げる。

「フェルディナントさんが、すぐに来るようにと」

「フェルディナントが?」

 クリスは片眉を上げた。面倒な事になったという顔だ。

 フェルディナント=ブラウンシュヴァイクはクリスに仕える執事だ。

 この館は部屋数さえ定かではない程広大で、そのため多くの使用人が働いている。彼はその使用人達を束ねる立場にあるのだが、人嫌いの気があるクリスがアレクとフェルディナント以外が近づくのを嫌がるため、彼の仕事は自然と膨大な量になる。アレクも懸命に働いてはいるのだが、フェルディナントには及ばないのが現状だ。

 フェルディナントがいつ眠っているのか、もしかしたら人間ではないのではないかと半ば思っているのは、アレクだけではないだろう。

 そんな彼は無口で有能な執事で、クリスの言動に対しては非常に寛大だ。どうやら人道に外れなければ何をやってもいいと思っている節があって、主の行動に干渉する事はほとんどない。

 そのため、この館の執事が呼んでいるとなれば用事は絞られる。最もありえるのは、この館には滅多にない客人が来たということだろう。しかもクリスはこういった突発的な客人には心当たりがあるだけに、苦々しい顔をせざるを得ない。

「………私はいない」

「無理ですよ。フェルディナントさんが呼んでいるとういことはつまり、拒否権無し、ということなんですから」

「この館の主は私なんだけど」

「分かっていますよ。だからこそ主である貴方が対応しなくてはならないんでしょう」

 クリスは自身の言葉尻をとられて、黙り込む。

 アレクは彼の気持ちが分かるだけに、自然声の調子が柔らかくなった。

 そしてなおも気乗りしない様子の主の服装を手早く整え、彼を促したのだった。






「………で、どういった用件でいらっしゃったのですか、 お嬢さん(フロイライン)

 クリスは長椅子に脚を組んで座っていた。

 丁寧な口調で接してはいるが、うんざりとした表情が隠しきれていない。しかし幸か不幸か自身のことで手一杯の女性は彼の態度に気付いていなかった。

 女性とクリスの前に茶器を置いたアレクは、さりげなく彼に目配せをし、窘めた。

 クリスは仕方ないな、とばかりに肩を竦める。

 どう話を切り出そうか迷い、自分の手元に視線を落としていた女性は、歯切れ悪い口調で声を発した。

「あの……私、デリア=コルネリウスと申します。ここに来れば私の悩みを解決してくれるだろうと……あの、コンラート卿が」

 クリスは彼女の口から出た名前に、彼女には聞こえない大きさで舌打ちをした。

「やっぱり、奴か……また勝手に迷惑な事を」

「あの……?」

「いえ、お気遣いなさらずに。しかし私が言うのもどうかと思いますが、あんな胡散臭い男の口車に乗って、見ず知らずの他人を訪ねるのは無用心だと思いますよ。最近は何かと物騒ですから」

 クリスが胡散臭い男、と苦々しげに言うのは、コンラート・シルヴェスター・フォン=グートシュタインのことだ。名門グートシュタイン侯爵家の三男で身軽な立場であるため、作曲家や指揮者として有名らしい。

 らしい、というのは、コンラートはクリスのことを気に入っているがクリスが彼を毛嫌いしているため、この館では彼の名前を極力出さないようにしているからだ。そのためこれらの話も押しかけてきたコンラート本人によるため正確な事は不明だ。

 しかし苦笑を禁じ得ないのは、今まで憔悴しきっていたデリアがコンラートの名前を口にしてうっすらと頬を染めている事である。おそらく彼の姿や言動を思い出しているのだろうな、とアレクは思った。

 コンラートを頭の中で思い描いたアレクは、しかしその反応も無理がないと納得する。

 彼は造作で言えば、完璧に整ったクリスには及ばない。しかし近寄りがたい雰囲気を出しているクリスに対して、コンラートは女性の性を刺激する色香を垂れ流しにしている。

 少し目尻の垂れた妖しい紫水晶の瞳で凄絶な流し目を寄こされると、思わず身を投げ出してしまう、と身悶えしている女性達が数多くいるとかいないとか。(これも本人談なので、詳細は不明。また、それをアレクに得々と語っていたのをクリスに発見され、アレクにいらない事を教えるなと怒鳴られたのはまた別の話である)

「コンラート卿のお知り合いなのでしょう?えぇ……と」

「クリス、と呼んで下さい」

 クリスは完璧に微笑んで、しかしそれ以上の質問を拒絶するどこか冷たい笑みを浮かべた。

 確かに名門グートシュタイン侯爵家三男の紹介と言えど、相手の本名――つまり、どういった生まれの人間か知りたいところだろう。クリスなどは生まれがいいからと言って信頼できる人間とは限らない、と鼻で笑いながら言うかもしれないが、少なからず身分によって人を判断してしまうのはこの時代では当然と言えた。

 デリアは笑顔で押し切ってしまったクリスに困惑はしながらも、コンラートの紹介ということで己を納得させることにしたらしい。

 その様子を見て、クリスが不満顔になったのをアレクは見てしまった。

(この顔は……これで彼女が気分を害して帰ってくれたらよかったのに、とか思っているな)

 ただの推測だが、かなりの確率で正解である自信があるアレクである。

(だけどこんな館に住んでいて、コンラートさんと知り合いでって、貴族だと思われない方がおかしいんだよね)

 いくら首都ローゼブルクのウィットフォーゲル城から離れた郊外にあるとはいえ、ただの人間にこんな大きい館――もはや城と言っても過言ではない――に住むことは不可能だ。

 どこか一般常識に欠けているクリスはそういったことを失念していたらしい。

 城から離れた身分のしがらみのない地で過ごしたいと唐突に決めたクリスは、本邸からこの館に移り住んできた訳だが、ここが別邸だと言われて開いた口が塞がらなかった。しかし未だにその事を指摘出来ないアレクであった。

 とつらつらアレクが考えている間にデリアは決心を固めたらしい。先程までよりは幾分はっきりとした声で話しはじめた。

「実は……私、最近奇妙な夢を見るのです」



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