第17話 見つかる
おかしい。これは明らかにおかしい。
僕が集落の外で白狼の人たちと関わるようになってから10と数日頃。
その日はウォンたちが乱戦の稽古をするということで、その場所に潜り込んでいた。情報源は一族の長であるばあちゃんだ。
その情報の通りにやってきて戦いを始めた同年代たちに混じり、僕も適当な相手に目をつけて動き出した。
すでに僕の存在は周知されているらしく、僕を見てもそれほど派手に戸惑う人はいなくなったはずなのだが、この日はなぜか違っていた。
今日の相手はウォンではなく、そのいくつか年上の少年だ。ここにいるのは皆、ウォンと同レベルの実力を持つ者ばかり。油断なくその動きを観察していたのだが――どこか彼の動きがたどたどしい。まるで僕に触れることを戸惑うような様子だ。
さらに決定的だったのが――
「な、なあ! お前、きれいだな!」
なんで僕、戦いの最中に男に口説かれてんの!?
え、もしかしてこの人そっちのケ?
身の危険を察知して割と本気で距離をとった。
するとその人はもはや戦闘態勢すら解いてなにやら言い始める。
「分かってるんだ、お前は女としてより戦士として生きたいんだと! でも、俺はお前のその毛並みを戦いに汚したくはな――」
「ちょっと待ったぁぁああああ!」
今、何か聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど!
「ごめん、もう一回言って」
「だ、だから俺はお前に女として生き――」
「はい、そこ! そこから間違えてる!」
まさか女だと思われていたという。
強面ではなくとも、僕はそこまで女顔ではないと思うんだけどなぁ!? どこでそうなった!?
「僕は男! 断じて女じゃない!」
「えっ、えええ!? だって、いや、なんで!?」
「こっちが聞きたいわ!」
そしてここで僕は誤算に気づく。
予想では早いタイミングでウォンが僕のことを同門たちに明かすと思っていたのだ。
今僕が求めているのは他者との交流である。
謎の強者(誇張あり)が現れた。その正体は人前に出ることのなかったあの混血種だと明かされる。戦いに飢えた白狼たちは僕に興味を持ち、戦闘を通じて交流を深めていく――。
そんなシナリオの予定だった。
しかし、彼らの間で僕の存在は広まっていても、正体までは知られていないときた。
まさかウォンは良かれと思って僕のことを黙ってくれたのか――いや、そんな気を利かせられるやつじゃなかった。多分話す友達がいないんだろう。
目の前の少年はありえないといった感じで八つ当たりしてきた。
「い、いや、男でその毛並みだと!? どんだけ丁寧に手入れしてるんだよ!」
「そりゃあどうも! うちの母さんがやってくれてるんだよ!」
年頃の子供としてはそろそろ遠慮したいんだけど、頑として許してくれないのだ。しかも毛を梳くのがうますぎて、こちらとしても断り切れない。
まあ毛並みについては、その質の方も大いに関係しているのだろうが。妖精種の血の影響か、僕の毛はごわごわとしておらず柔らかい手触りなのである。色の方もただの白色ではなく……って、そんなことはどうでもいい。
「とにかく! 知らないなら教えるけど僕はフィージルといって、れっきとした男だから!」
「ちくしょおぉぉぉ! 勘違いさせやがってぇぇえ!」
「そっちが勝手にしただけだろぉぉぉお!」
まさに血の涙を流しているようである。どんだけ期待してたんだ。
そしてあまりの衝撃に興奮しすぎていた。こんな大声で言い争えばどうなるかなんて分かりきったことなのに。
「……いったい何をやっておる、ジョニー」
「あ……師匠」
「今は鍛錬の時である。この時間を無為にした分だけお前は他と差をつけられるのだ。それに戦いに雑念は不要と教えたはずだが」
「すみません……」
気配を消して現れたのは、いかにも武人といった気風を漂わせる壮年の白狼。ジョニーと呼ばれた少年は、先ほどまでと一転して落ち込んだ様子で項垂れていた。
「……そこの。逃げられると思っておるのか?」
ぎくり。密かに忍び足で退散を試みていた僕は視線だけで射竦められた。
「で、ですよねー……ははは」
「話を聞かせてもらおう。こっちへ来い」
「……はい」
選択肢はなかった。
この厳格そうな雰囲気から、始めに話を通そうとしても拒否される可能性が高いと思い、乱入という形をとっていたのだが、どうやらそれもここまでのようだ。
事の発端となった勘違い君と一緒に、僕はとぼとぼと後を追うのだった。
「ジョニー、罰として水汲みを命じる。桶2つを満杯にして10往復だ」
「湖からここまで10往復も!? それはさすがに……」
「やれ。日中に間に合わねばさらに雑用を言い渡す。やる気がないのであれば破門だ」
「やります! 喜んで!」
ひきつった笑みを浮かべた勘違い君は空の桶を両手に下げて元気よく走り去っていった。
水を一杯にした桶をもって長距離を歩くってかなりキツいだろうな……。そんなことを毎日やっていたら、そりゃあ筋肉ムキムキにもなるというものだ。
「さて、弟子の修業を随分と荒らしまわってくれたそうだが……」
「申し訳ございませんでした」
お咎めがこちらを向いた瞬間、重圧に押し潰されるように頭を下げていた。
この人は駄目だ。<演技>スキルで道理を知らない子供を演じてみても、この人には通用しない。
このとき僕は、初めて戦士と呼ばれる人種とまともに相対した。
人攫いの純人種たちは、強さと抜け目のなさはあっても戦い自体に拘ってはいなかった。
親バカの父さんは、教師として僕に戦い方を教えるのに終始していた。
ウォンを含む見習い戦士たちは、まだ意識的な面で拙さがあり、戦いを楽しんでいるようでもあった。
だけど、この人は違う。戦うべくして戦う。ゆえに戦士。
相手が子供であろうと自分が戦士であるという前提が崩れることはない。直接的なものはもちろんのこと、精神的にも付け入る隙がないのだ。
脅すでもなんでもなく、ただ居住まいを正すだけでちっぽけな僕を敗北させた。
「名を聞こう」
「フィージル=バラメントです」
「バラメント……ディエンテの倅か」
師匠さんは父さんのことを知っているようだった。
「奴とはしのぎを削り合った仲だが、もう十年も口を利いていない。妖精種の娘を嫁にもらい、子もいると聞いているが、お前がそうか」
「はい」
「……見たところ同胞のようだが」
おそらくその言葉の後には「血は繋がっていないのか」と続いていたことだろう。
混血はありえないという事実、そして今の姿から僕が妖精種の血を引いていないと思ったのだろう。
ここはまだ集落の外。そしてこの人なら大丈夫だと判断して、僕はスキルを解除した。
体の体毛は引っ込み、顔形は平坦になって頭の横には新しく一対の耳が生える。
「スキルか。よもや真実であるとは」
「はい、これが僕の本当の姿です」
言葉ほど驚いているようには感じないが、たしかに僕が父さんと母さんの子供だと分かってもらえたらしい。
表面的には忌避感が見られなかったことで安心するも、次の瞬間にはまた厳しい言葉がのしかかってきた。
「で、集落の端で慎ましやかに過ごしてきた子供が何をしに来た。言うまでもなく稽古に不用意に入り込むことはご法度だ。何より、危険である。友人欲しさでごっこ遊びに来たなどというのであれば、こちらにも相応の考えがある」
師匠さんは静かに怒っていた。
当たり前だ。真面目に鍛えていた人たちの邪魔をしに来た形になるのだから、この人でなくても怒る。そこに危険があったとなれば、大人としてもなおさら。
迷惑だということは分かっていた。分かったうえで、ただ不特定多数の誰かと交流するという目的で、こんな行いに出たのだ。
偏に、称号を変えるために。
そして、母さんの心労を取り除き、父さんとまた家族で暮らすために。
世間知らずなぼっちであっても、そこだけはこちらも真面目である。
「称号を変えるためです。10年ほど前、集落で子供たちが一斉に泣きだした事件を知っていますか?」
「……ああ、私の子供もその中にいた」
「それは僕の称号のせいみたいなんです。そのせいで僕はずっと集落に入ることができませんでした」
排斥の原因になるからということで、僕の称号のことは集落の人たちに知らされていない。とはいってもあの事件と結び付けて不気味がられるのには十分であったが。
「誰かと関わりたかったんです。話して、戦って、分かり合いたかったんです。集落の中に入れない以上、外で機会を見つけるしかありませんでした。そのせいでご迷惑をおかけしたことは本当に申し訳ないと思っています」
おそらく普通の人ならこれで納得し、またもしかすれば同情して手伝うと言ってくれるかもしれない。自分で言うのもなんだが、僕の境遇はなかなかに厳しいものだと思う。
前世の記憶がなければ不貞腐れるか、優しい両親に依存しきっていた。
もちろん目の前の人は情に訴えても通用しない。
だけど関係なかった。初めから、僕は胸の内をすべて語るつもりでいたのだから。
「重ねて申し訳ないのですが、交流したいというのは半分以上が称号のためです。というのも、できるだけ早く称号の効果をなくさなければならない事情があるんです」
さすがにその内容までは明かせないけど。
母さんがエルフィス王国の王族だということも秘密だからだ。
それにあまり人を騙すようなことばかりしたくなかった。『命名神』様が見ているとか以前に、<演技>をし続けるのも精神的に疲れて気が滅入る。
「お願いします。僕の身勝手な理由のために、もうしばらく僕のことを見逃してください。その代わりにできることがあれば何でもします」
理由を話したうえで、取引を持ち掛けた。もちろんあちらにメリットはほとんどないから、深く頭を下げて頼み込む形だ。
体力はある方だと自認しているし、<家事>スキルも持っている。たいていの雑用ならこなせるはずだ。
そうしてまででも、この数少ない人と関われる場所を失いたくなかった。
――上から見下ろされる視線の圧力の揺るぎなさに、たとえ希望を見出せないとしても。