第18話 沙汰
18時に間に合わずすみません。
人里から離れて暮らしていれば、自然と聞こえる音は少なくなる。
それでもバラメント家に音が絶えることはなかった。人恋しさなど忘れるくらいに、ここは活気、そしてなにより愛情に満ち溢れていた。
けれど、と寝室に横たわるオレハは閉じていた目をあけた。
ここ数日はめっきりと静かになり、それが隙間風のようにその心を凍えさせている。
理由は明らかだ。夫であり一家の柱でもある男が家を出たのだ。
喧嘩が原因ではない。むしろ日々睦まじ合って暮らしてきたからこそ、長く顔を合わせられない毎日がひどく悲しく思える。
だがこれは何度も話し合って決めたことだ。好き勝手をした過去を清算するために必要だったこと。
王族としての責務を投げ出し、多くの期待を裏切り、人々とつないだ縁を捨てて、今彼女はここにいる。
本来なら自分が行かねばならなかった。しかし夫は、こういう時に筋を通すべきは男だと言って聞かなかった。
ましてや子供の面倒を誰が見るのか、まさか置いていくのかと言われればどうしようもない。
「フィー君……」
愛しの我が子の名前を呟く。元気の良い返事は聞こえない。
ここ数日、息子のフィージルは朝から昼を挟んで夕方まで、毎日どこかへ出かけて行っていた。
父がいなくなって以降、家の中で交わす言葉は少ない。親たちの都合で子供にいらぬ心労をかけている母と、その親に隠れて何やらやっている子。
互いが互いに遠慮と罪悪感を感じ、勝手に居心地の悪さを覚えているのだ。
そしてそれもまた、暖かかった家庭に隙間風を吹かせる要因となっていた。
愛想を尽かせたわけではないだろう。あの子は優しく、賢いから。
しっかりしなければならないときに、情けなくも体調を崩してしまった自分を見て、きっと何とかしようとしているに違いない。
そのことを申し訳なく思うと同時に、ああ、やっぱり自慢の我が子だと嬉しく思ってしまう自分もいる。
叶うならばその自慢のフィージルを祖国の親に紹介したかった。
王なれど、温厚な人だ。混血の子供を見ても忌むことはないだろう。
しかし、今や自分たちの間にはわだかまりがある、はずだ。
ディエンテと結ばれたいと言った時、父である王は許してくれなかった。
当然である。異なる種族では子を宿すことが不可能に近い。
世の惹かれ合った異種族の男女たちは、惜しみつつも互いの幸福のために離れていくのが常である。
一時の感情を優先して、後に子を授かれないことに悩み、よしんば生むことが叶ったとしても欠陥をもっていた――そんな不幸を生むくらいなら、最初から始めないというのは、もはや全種族共通の暗黙の了解である。
それを、民を率いるべき王族がやってしまった。親兄妹はもちろん、全国民から失望されているに違いない。
あのとき駈け落ちするという決断をして、妖精種の兵たちに何度も道を阻まれながら成功してしまったのは、本当に幸福だったのだろうか。
疑わしいほどに順調だったこれまでのツケを、今払わされようとしているのでは――
(だめ、そんなことを思っては。私だけは、フィー君が生まれたことを否定してはいけない)
自分達の犯した愚かな過去を後悔することは、その先に起きたすべての出来事を否定することと同義だ。
その中には当然フィージルも含まれている。常識外の存在は往々にして人々から忌み嫌われる。ましてや称号に不利まで抱えているのだ。生みの親だからこそ、どんなことがあっても味方でいなければならない。
そこまで考えて、あらためて自分の今の状態を考える。
――果たして、自分はこのまま寝そべっているだけでいいのか?
♢ ♢ ♢
「いや、今思えばなんで勘違いしたんだろうな」
「思い返せば普通に男だったのに」
「ジョニーが無駄に騒いでたから乗せられたんだな」
僕が師匠さんと話をしてからしばらく後、乱戦での稽古を終えた白狼たちが帰ってきた。
交渉がどうなったかというと、少々複雑なことになった。そのために僕はここに残らされている。正座で。
隣には湖まで往復10週を終えたジョニーが、息も絶え絶えな様子で同じように正座していた。
彼の汲んできた水は、帰ってきた白狼たちの汗を流すのに使われて、すでに地面に流れた後だった。儚い。
がやがやと騒ぐ白狼たちの目は、一様に僕たちに向けられていた。乱戦で相手をしてもらった人もおり、何人かは見知った顔だ。
どうでもいい話だが隣のジョニーの称号は『突貫する者』らしく、その称号の通りに勘違いで特攻してきた。得意技は突進。本当にどうでもいい。
まあ、たしかに勘違いをさせる要素は色々とあった。
まずはジョニーも言っていた毛並み。そして僕の体格は白狼の姿をしていても同年代の男と比べれば小さい方らしく、彼らからすれば筋肉も薄かった。
そのおかげで彼らの間には僕が大事に育てられたものの、本当は戦士になりたいと願う少女だという大変不名誉な誤解が広まっていたのだ。
「くく……」
そして、それが誤解だと知っていたのに正してくれなかったウォンは、僕を見て必死に笑いを堪えていた。
一体僕が何をしたというのか。目で不満を訴えるも、ますます笑みを深めるばかりだった。
「残念だったな、ウォン! 女の子じゃなくて」
「ぁあ!?」
「大丈夫大丈夫、出会いはまだどこかに転がってるから」
「それは違うって何度も言っただろ! その顔をやめろ!」
目の前で突然ウォンが揶揄われ始めた。僕以外の人といるウォンは見たことがなかったけど、いじられキャラだったんだなぁ。
「っ!? お前も笑ってんじゃねえよ!」
先輩との交流を温かく見守っているとウォンからお叱りの声が飛ぶ。残念ながら怖くも何もない。そんなに恥ずかしがらなくても分かっているから、と頷いているとウォンの体が毛逆立つ。
あれ、何で怒っているんだろう。おかしいなぁ。
「お前は反省する気があるのか」
「いでっ」
視線の応酬に火花を散らしていると、いつの間にか後ろにいた師匠さんに拳骨を落とされた。容赦ない。
それを見てウォンがまた馬鹿にするように笑う。くそ、主導権を握り返された。恨みがましく睨んでいると、再び頭上に拳骨が落ちる気配がして慌てて姿勢を正した。
「いだっ」
間に合わなかった。
「ウォン、お前もこちらに来るか」
「いえ、御勘弁を」
そして似合わない礼儀正しさで頭を下げたウォンは師匠さんの咎める視線を掻い潜る。しかし顔を上げて一瞬だけ得意げに笑ったのを僕は見逃さなかった。この。
「さて、この二人、まあジョニーの方は稽古に不真面目だったためしばらく雑用を命じることで手を打ったのだが、問題はこっちだ」
師匠さんが座ったままの僕の頭に手を乗せてガシガシと回す。頭がぐわんぐわんと揺らされて目が回りそうだ。
「知っているものも多いだろうが、この者が先日から稽古を荒していた不届き者だ。名をフィージルという」
「邪魔をしてすみませんでした」
紹介に合わせて謝罪をする。
謝罪会見みたいで、思ったよりも大変なことをしでかしてしまったのだと実感した。
言い訳にしかならないけど、少し焦りすぎていた。あまりに人と会わないでいたせいで、相手の都合を考えるということを疎かにしすぎだった。
「こんな見た目をしているが、この者は純血の白狼ではなく、妖精種との混血だ。今はスキルで偽っているがな。噂くらいは聞いたことがあるだろう」
そう語られると、白狼たちの僕を見る目が変わった。
あいつが。本当にいたのか。でも見た目は俺たちと同じだ。本当はどんな恐ろしい姿をしているのか。なんのためにあんなことを。何を企んでいる。
白狼は、獣人種は同族意識が強い。他種族が自分たちのテリトリーでこそこそ何かをやっていれば、こうして敵意をもたれる。
種族ごと見た目を変えられるというのも恐ろしい話だろう。そんなことはこの世界においてもそうそうあり得るものじゃない。
ウォンを除く彼らの目は、まんま親の仇を見るようであった。
そこに師匠さんの静かな声が響く。
「この者に我らを傷つけようという意図はない。まったく裏がないわけでもないが」
はっきりと僕が無害であると言ってくれたうえで、
「で、お前ら。半血の戦士紛いに引っ搔き傷さえ作れないとは、どういう了見だ、ええ!?」
誰もが身を震わせるような怒り声をあげた。
師匠さんは怒っていた。
混血というだけで僕を見る目をまるっきり変えたことに、なんかではない。
稽古中に相対していながら、総じて傷をつけられずそのままのうのうと僕を逃がしてしまった弟子たちの不甲斐なさを、だ。
「いいか、こやつはお前らと違って戦いに身を捧げる覚悟もない子供だ。聞けば血を吐くこともない甘い鍛錬しかしていないという。そんな相手に転がされて、危機感を持たずにいてどうするか!」
弟子たちがはっとした顔になる。皆、覚えがあるといった感じだ。
「勝てなかったならばなぜ悔しがらない! 次は一発を入れると、より鍛錬に身を燃やすのが常であろうが! それよりも先に、この者が混血だということが念頭に上がる時点で半人前ですらない!」
それはそうと、弟子たちに喝を入れる一方で盛大に僕のことをこき下ろしていることに、この人は気づいているだろうか。
まあ確かに戦士になるつもりなんて微塵もないけど。
「この者の存在に思うところがあるならば、口や態度ではなく拳で示せ。己はお前と違って誇り高き戦士であるのだと教えてやれ。そうでなく言葉によって排斥をするというのであれば、今すぐに出て行ってもらおう。そんな卑怯者は不要だ」
師匠さん、形だけとはいえ庇ってくれるのはうれしいんですけど、それ脳筋の考え方……
「これからしばらく、フィージルには稽古に一部加わってもらう。その間に全員、一対一の戦いで勝て。もしできなければ罰だ」
そう言われた瞬間、みんなの僕を見る目がぎらついた。先ほどまでの粘着質な敵意ではない、純粋な対抗心。
これが師匠さんにもらった返答だった。
しばらく鍛錬に参加し、弟子たちの競争心を高めるのに一役買うというものだ。
僕は他の人と交流できる時間が増えるということで是非もなかったのだが、どこか都合がよすぎるようにも感じる。
翌日以降、弟子たちに寄ってたかって戦いを挑まれて地獄を見ることになると、この時の僕はまだ知る由もなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回でストックが完全に切れました。
もう少し切りのいいところまで進めたいのですが、先月の活動報告に書いた理由からもし余裕ができたらという感じになると思います。
いずれにせよ、今月後半のどこかでまた更新を再開しますので、それまでお待ちいただければ幸いです。




