第12話 誰よりも負けず嫌い
初めて戦い(?)で勝利を収めた僕だったが、内心では心臓がバクバクだった。
相手が子供とはいえ、いきなり殴りかかってきたのだ。よく初激を躱してこの形にもってくることができたものだと思う。
父さんとの毎日の特訓もといじゃれ合いも、少しは役に立ったのだろうか。
それはそれとして、表面上は涼しい顔のまま僕は組み伏せた白狼の子から体を離した。同時に元の混血の姿に戻る。
どうやら放心しているようなので、もう襲ってはこないと踏んだのだ。
仮にまた殴りかかってきたとしても、警戒さえしていれば対応できる。唯一戦闘に使える<見切り>スキル様様だ。
「えっと、僕が言うのもなんだけど、大丈夫?」
起き上がってこない少年に様子をうかがう。怪我はしていないはずだ。
むしろお腹に衝撃を喰らった僕の方が重傷だろう。まだ少しずきずきする。
返事を待つことしばし。少年の体がぴくりと動いた。
「おっ」
「お?」
「覚えていやがれぇぇぇええええ!」
「あ、ちょっと……」
悪役のような捨て台詞を残して少年は脱兎のごとく丘を駆け下っていってしまった。
若干声が涙ぐんでいた気もするし、これじゃあ僕の方が悪者だ。
「どうせここに来たのだって、また度胸試しみたいなものだろうし」
集落の子供たちの間で僕たちの家が幽霊屋敷のような扱いになっているのは知っていた。たまにお調子者が石を投げてくることもあったくらいだ。
族長であるナリスばあちゃんが対応してくれたおかげで、最近はそんなこともめっきり減っていたけど、気温が上がったことで外で遊ぶ機会でも増えたのだろう。ご丁寧に子分を連れてやってきたに違いない。
期せず撃退することになったけど、さてこれからどうなることやら……。
とりあえず速足で近づいてくる気配に向かって謝る準備はしておこう。
「フィー君、せっかくお友達になってくれるかもしれなかったのに、泣かせちゃったらダメでしょ?」
騒ぎを聞きつけてやってきたのは母さんだった。事情を話し、<治癒魔法>をかけてもらってから軽いお叱りを受ける。
といっても本気で怒っているわけではなく、少し困った表情を浮かべているだけだ。今回のことで僕自身に非がないことは分かってくれている。
そのうえで、称号の効果を受け付けない貴重な同年代の子と、できるだけ仲良くしてもらいたいというのが本音なのだろう。
というか、我が家に怖いもの見たさ目的でやってきて、話も聞いてもらえず襲い掛かってきた相手と友達になれというのはどうなんだ。
そりゃあ僕だって友達は欲しいけど、誰でもいいというわけではない。選べるのであれば乱暴者はお断りだ。
ここが異世界で、僕の住む場所が優秀な戦士集団である白狼の集落だということを考えれば、あれが彼らの中では普通なのかもしれないけど。
どうしよう、普通にすれ違っただけで「おう、殴り合おうぜ」みたいになる民族性だったら……。一生友達にはなれそうにない。
「とりあえず、今度会ったらお話ししてみるのよ? 悪い子じゃないかもしれないし」
「仇だーなんて言ってたし、僕の方から何かしたんじゃないかって疑われているのかも」
「じゃあ誤解を解かないとね。お名前は聞いた?」
「ううん、話す暇もなかったから……」
本当に会話という会話を交わした記憶がない。
次に会ったとしても、まともに取り合ってくれるかどうか……。
「帰ったぞ」
そのとき、ばあちゃんの家に入っていた父さんが帰ってきた。
周りの目さえ気にしなければ父さんが集落に出入りするのを阻むものはないので、頻繁に訪問していた。いくら半隔離状態とはいえ、まったく交流なしではやっていけない。
「あなた、おかえりなさい」
「おかえり、父さん」
僕と母さんは揃って玄関に出迎えに行く。これは一家の恒例行事だ。
「聞いて、あなた。フィー君が集落のことけんかになっちゃったんだって」
「おお、なんとも珍しいことがあったものだ。で、フィージルは勝ったのか?」
最初に聞くことがそれって……。白狼の戦闘大好き説が濃厚になってきたぞ。
「そんな本当に殴り合ったわけじゃないから。種族を変えて驚いたところを転がしただけだよ」
「ははっ、それでも息子が勝ったと聞けば嬉しいものなんだよ。それに、相手を気遣うところも、フィージルらしくていい」
「そうね、そのことは私も誇らしく思うわ」
ただの子供どうしの喧嘩なのに、両親からはべた褒めにされた。これはいつものことなので、嬉しそうにしつつも話半分にだけ聞いておいた。
「ああ、そうか」
「どうしたの?」
「いや、帰ってくる途中ですごい速さで走ってきた子供とすれ違ったんだよ。今思えば、フィージルに負けたことが悔しかったんだろうな」
ああ、そういうことか。父さんは集落から帰ってきたので、すれ違いもするだろう。
「しかしそうなると……フィージル、お前本当によくやったな」
「え?」
それは聞き慣れた親バカ補正の入った褒め方ではなく、驚きと共に本心からの称賛を表していた。
その珍しい様子に思わず耳を疑ってしまう。
「あの子の名前はウォン。集落の中じゃそこそこ有名だ」
「父さん、知ってるの?」
「ああ。ウォンはフィージル以外の同世代の中で一番早く称号を授かった子だからな」
「へえ、称号持ち」
これには少し驚く。
称号というものは誰しもが持つものだが、生まれてからしばらくはその赤ん坊を指し示すような特徴がなく、揃いの称号を持っている。
それは『染まらぬ者』。どんな可能性にも結び付く、この世のほぼすべての人間が最初にもつ称号だ。
子どもたちは成長と共に個性を獲得し、それが『命名神』様に認められれば新たな称号を授けられるのだ。それまでは皆一様にこの称号を持ち続けることになる。
僕のような、生まれからしていわくつきであればその限りではない。だけどそれは本当に珍しいことだから、基本的には除外していい。
生まれた直後、あるいはその前から神様に目をかけられるというのが、どれほど異常なことかは想像が容易いと思う。
「そうなの。それじゃあそのウォンって子は、集落の中でも強い方ってこと?」
「そうだね。実際にそういった話でもウォンの名前はよく聞くよ」
まだ自分の可能性を見いだせていない子と、どんなものであれ個性を確立した子。その違いは歴然だ。
多くの場合その称号は自分で望んで得たものだ。よりよい称号にしようと努力する方針にもなるし、称号スキルを獲得できればそれだけで差が広がる。
「そのウォンって子の称号は何なの?」
「たしか……『猛き者』だったかな? 年上相手でも臆せずに向かっていく姿勢が評価されたのだろうね」
うーん、シンプル。この称号にそこまでの仰々しさはないから、まだまだ第一段階、成長や変化の余地はあるということだろう。
僕たち一家の称号は仰々しさというか、物々しさの塊だからね。あっさりしすぎた称号に物足りなさを感じるのは、こういうのに毒されてしまったからか。
「俺も強さの点ではフィージルをウォンには敵わないと思っていたから、今日のことは本当に驚いたよ」
「うーん、それはいいんだけど。危ないことにならないかしら? フィー君が大きな怪我をするの嫌よ、私」
「大丈夫だよ。曲がりなりにも俺が鍛えているんだ。それにフィージルも男だからな。守ってやりたい気持ちはわかるけど、時には見守るのも大事だと、俺は思うんだ」
「あなた……そうね。フィー君のためなんだもの、時には我慢することも大事よね」
……なんだろう、話しているのは僕のことなのに、見つめ合って手を取り合っている二人は完全に自分たちの世界に入っているみたいだ。
夫婦仲がいいのは非常に素晴らしいことだけど、子供の前では少し遠慮してほしい。見ているこっちが気恥ずかしくなるから。
にしても、相変わらずちぐはぐだ。片や金髪の幼さの残る少女妖精、肩や白い毛並みを持つ屈強な狼獣人。
世間的に考えて似合わないと思いつつも、もはやこの組み合わせ以外に想像もできないのだから、慣れというものは侮れない。
そんな話をした翌日。
「昨日はやられたが、もう次はない! お前の手は見切った!」
そう猛々しく言い切るのは、僕より背の高い白狼の少年ウォン。
丘の上、決闘の場にはあまり似合わないほのぼのとした光景の中、僕たちは向かい合っていた。
いや、まあ、一度話ができたらとは思っていたよ? 僕の方から会いに行けない以上待つしかないんだから、あちらから会いに来てくれたのは都合がよかった。
でもさ。
――俺と戦え!
顔を見合わせて第一声がそれだった。
僕が何度昨日の件は誤解だと伝えようとしても、聞いちゃくれない。ウォン少年の頭の中は戦うことしかないのであった。
よっぽど昨日の敗北が悔しかったのか、リベンジだとか今度は負けないだとか、しつこいことしつこいこと。
僕はそんなバトルジャンキーじゃないのに、結局はこうして戦いの場に引きずり出されてしまった。
たぶんこうした物怖じしないところが、彼の称号にも現れているのだろう。
――しかも。
「フィー君、頑張って~」
「フィージル、昨日勝ったからといって油断はするなよ。父さんとの特訓をよく思い出せ」
両親の観戦というおまけつきで。
いや、授業参観じゃないんだから! たしかに昨日は見守るとか言ってたけど、こういう意味だったの!?
正直やりづらいったらないわ!
「ほら、かかってこないのか?」
ウォンは両親のことを完全に意識の外に放り出していた。聞こえないようにしているのか、あるいは本当に聞こえないほど集中しているのか。
この暑苦しさと、観戦席からのほのぼのしさの板挟みで、どうにも僕は乗り切れないでいた。
「来ないなら、こっちからいくぞ!」
でも、いつまでもそんなではいられない。
俊敏に動き回り、重い拳を打ち込んでくるウォンに対し、僕は<種族選択>で獣人種となり、<見切り>と<高速思考>を合わせて凌いでいく。
でも、凌ぐだけだ。僕のおざなりな攻撃は簡単に躱され、はじかれ、なかなか有効打にならない。
それは僕の中で子供を殴るという行為に足踏みしてしまうという理由もあった。
「うっ、ぐっ!?」
「まだまだいくぞぉ!」
次第に増えていくヒット数。いつしか僕は防戦一方になっていた。
それはそうだ。まともな攻撃手段を持たず、その意志すら欠如している僕が、どうして『猛き者』などという荒々しい称号を持つ相手とわたりあえるだろうか。
僕の称号はそんなものではない。自分の意志に関係なく、ただただ否定的な要素を形にしただけの重しだ。何の役にも立たない。
別に負けてもいいじゃないか。
だって、負けて当然なんだから。そもそもの出来が違う。
転生したからといって、僕が得られた有利はほんの少しだけだ。チートなんかない。むしろ枷すらはめられている。
「終わりだ!」
「フィー君!」
勝利を確信したウォンの喜びを含む声と、母さんの心配そうな声が聞こえた。
これは……顔面殴られるかな。痛いじゃ済まなさそうだ。
でも、もうすでに体中が痛い。
これで最後になるのなら、もうこんな痛い目に合わなくて済むのなら、それでいいのかもしれない。
<高速思考>で引き伸ばされた世界で、そんなことを考えた。
所詮、ちょっと過激な子供のお遊びだし。別に負けても何ら問題はない。
――そういう風に割り切れたら、よかったのになぁ。
スカッ
「――は?」
「隙ありぃぃぃぃ!」
ウォンの拳は、僕の頭上をかすめていった。
小さくなった僕の体は容易にウォンの懐に入り込み、がら空きな胴まで辿り着く。
そのまま、しがみついた。
「せぇ、のっ!」
「うわっ!?」
掛け声とともに強く地面を蹴り上げる。それと同時に妖精種から獣人種へと種族をチェンジ。
前世で陸上部だった頃の経験のおかげかは知らないが、力強い踏み込みはウォンの体を浮かび上がらせた。
まだ僕と同じくらいの年齢で、ずいぶんと引き締まった腹筋。自己を鍛えることに妥協はしてこなかったとわかる体つきだった。
でも、知るものか。
前世からの付き合いであるこの面倒臭い性格が、ここでの諦めを、妥協を許さないと叫んでいる。
ズシャっと地面にひっくり返るウォン。僕も一緒になって倒れるけど、マウントはとった。
狼の爪を、顔の前に突き付ける。
「僕の勝ち……でいいよね?」
疲れた笑みで問いかけると、ウォンは一瞬ハッとして、そして悔しそうに唇の端をゆがめた。
その泣きそうな表情に、悪いことをしてしまったなと思わないこともないけど、意地を貫き通したことに後悔はない。
僕が高本壮也だった頃。
まわりの期待に押し潰されそうになっても、影で愚痴を言うことがあっても、決して投げ出すことはしなかった。
それをすることで変わる周囲の目が怖かったから。そして何より、そのまま屈するのが悔しかったから。
だから弱音を隠して耐え抜いた。押す力が強ければ強いほど、同じくらいの反発心をもって押し返す。
そう、僕は生粋の負けず嫌いなのだ。