第十話:子々孫々まで笑う門には福来る。龍野藩主・赤松家の未来
「うおーっ! 懐かしい! 帰ってきたぞ、播磨龍野へーっ!」
慶長六年(1601年)春。
満開の桜が舞い散る中、広秀は龍野城の本丸から眼下に広がる城下町と揖保川の流れを見下ろし、感無量で叫んでいた。
羽柴秀吉の播磨征伐によってこの地を追われ、但馬竹田へと転封されてから数年。
史実では鳥取城下の焼討ちという理不尽な濡れ衣を着せられて腹を切り、二度と踏むことが叶わなかった故郷の土である。
だが、今の広秀はただの帰還者ではない。徳川家康から但馬・因幡平定の功を絶賛され、2万2千石から一気に跳ね上がった「10万石の大名」としての堂々たる凱旋であった。
「殿、城下の民も『赤松様が10万石で戻ってこられた!』と大騒ぎで祝宴を開いておりますぞ!」
小野木が破顔一笑しながら報告してくる。
「そうだろう、そうだろう! なんといってもワシは戦で建物を壊さず、民を傷つけない『平和的奇策の大家』だからな! 人徳というやつよ!」
広秀は大威張りで胸を張った。
そこへ、侍女に導かれて一人の淑女が大広間へと姿を現した。
関ヶ原の直前、西軍の呪いを回避するために涙をのんで(超高速で)円満離縁した元妻――宇喜多直家の娘である。
「広秀様……お懐かしゅうございます」
「おぉ! 無事であったか!」
宇喜多秀家ら宇喜多一族は関ヶ原の敗北により改易され、流罪などの過酷な運命を辿った。しかし、広秀が「関ヶ原のずっと前」に山ほどの手切れ金を持たせて円満離縁していたおかげで、彼女は「西軍首謀者の親族」という連座の難を逃れ、備前で無事に生き延びていたのだった。
「広秀様が離縁してくださったおかげで、私は咎を受けることもなく生き永らえることができました。あのお心遣い……感謝に耐えませぬ」
「はっはっは! なに、当然のことだ! お前を巻き込む訳にはいかんかったからな! これからは龍野で優雅に暮らすが良い。手厚く養おう!」
元妻も「まあ、相変わらずおかしなお方」とクスリと笑った。史実の悲惨な影はどこにもない。
広秀の「生存フラグ爆立て爆走劇」は、自分だけでなく周囲の人間すべての運命をハッピーエンドへと書き換えていたのだ。
その後。
広秀の率いる龍野藩・赤松家は、驚異的な安定感を誇った。
「火気厳禁」と「家康公へのドヤ顔定期報告」を家訓とした赤松家は、徳川幕府から「最も安全で頼りになる西国の大名」として絶大な信頼を寄せられた。
史実で広秀をハメようとした亀井茲矩は、その後も広秀を見るたびに「あの男には裏の裏まで見抜かれている……」と恐怖し、生涯頭が上がらないまま良好な(?)関係を保ち続けたという。
広秀はその後も持ち前の悪知恵とコミカルな人柄で幕府の難題を次々と奇策で乗り越え、80歳を超える長寿を全うした。
そして時代は流れ――。
徳川幕府が終焉を迎える幕末まで、赤松家は一度の改易も断絶もなく、代々「龍野藩主」として見事に存続し続けたのである。
「殿! 幕府が倒れ、明治という新しい時代が来るそうでございます!」
幕末の赤松家当主は、ご先祖様・広秀から伝わる遺訓の掛軸を見上げた。そこには広秀の直筆で、こう書かれていた。
『一、絶対に火を点けるな。一、ハッタリと嘘八百も極めれば平和の宝となる。一、生き残った奴が一番偉い。』
「ふっ……ご先祖様のおかげで、我が赤松家は今日も平和だ」
龍野の空を見上げれば、かつて切腹の運命を爆笑と奇策で跳ね返した男・赤松広秀の満足げなドヤ顔が、雲の隙間から浮かんでいるようであった。
二度目の人生、文句なしの大・完・勝である!
( 完)




