5-7「『萌え』のトレンドを煮詰めた様な」
どうにも不慣れで落ち着かないオープンテラスの喫茶店の軒先で、とし子は今日の待ち合わせ相手から2通目の「あと10分程遅れますメール」を受け取り、眉間をピクつかせながら溜息をついた。心底申し訳なさそうな文面から決して悪気はないであろう事と、しかしそれ以上に時間の管理が下手で常日頃から周りの人間をイラ付かせているのであろう事が伺えた。
相変わらず動作の重いスマホのメールボックスを開くと、今日の待ち合わせ相手からのメールの一段下の、昨晩赤波真麻の事務所から送られて来たメールが目に入った。昨晩既に目を通しはしたが、特に意味もなくもう一度開いてみる。
【題名:魔法少女キューティ☆フレイルメモリアルイベントの件】
【お疲れ様です。ご無沙汰しております。永らくお目にかかれておりませんが、ご健勝でいらっしゃいますでしょうか。
表題の件ですが、現在赤波真麻は舞台を中心とした俳優活動に軸足を移しており、アニメ・ゲーム等の活動に関しては新規・継続を問わず原則お引き受けしておりません。
過去を振り返る事なく、より高みへと昇りたいという赤波の意向による対応となります。何卒、ご理解を賜りたく存じます。
また、以上の理由から今後取材やメディア掲載に於いて、赤波の話題を扱う際に肩書きとして「声優」という言葉を用いぬ様、重ね重ねお伝え致します。今後とも女優・赤波真麻のお引き立てを、何卒宜しくお願い致します。】
物腰こそ柔らかいが、それでいて明確な敵意と攻撃性が伝わってくる文章だった。メール全体から声優という仕事や声優扱いされる事への拒否感や嫌悪感が漂って来る。再交渉の余地は微塵もなさそうだ。
ちなみにその下の段には25年ぶりに浅川奈央の携帯にメールを送った直後に着信した、英文のエラーメールが入っている。やはりあの時の浅川のアドレスは無効になっていた。仕方なく赤波の事務所に送ったメールを所々改変し、浅川の所属事務所・クロスナインプロモーションのメールフォームに送った。
取り敢えずこれで主要キャスト4人の揃い踏みの希望は潰え、イベント自体のレアリティが大きく落ちてしまったばかりか、実現への動線がより見えなくなった。
イベント開催のノウハウを全く持っていないとし子は4人の中で今もっとも芸能界に近い立ち位置で仕事をしている赤波が持つコネや知識をそれなりにあてにしていたのだが、こうもキッパリと突っぱねられたのでは仕方がない。使えない駒にいつまでも未練を持っていたとて仕方ない。
今日の待ち合わせの相手は「魔法少女キューティー☆フレイル」でとし子が演じたフレイルと同じ魔法少女・エペ役を演じた【阿松幸子】である。
とし子の送ったメールに一番早くリアクションを返してきたのが阿松だった。帰って来たメールは参加の可否ではなく「久し振りに会おうよ!そこでゆっくり話を聞かせて!」という誘いだった。
正直、直接会っての会談は酷く億劫であった。出来る事なら簡便に参加可否だけを知らせて貰って、以降のやりとりも全てビジネスライクに進めたかった。ハッキリ言って、とし子の側には親睦を深める気などこれっぽっちもない。
これでとし子が押しも押されぬ売れっ子だったなら喜び勇んで出て行ってマウントを取ってやるところだが、阿松との交流が途切れてからの25年の間、とし子の方には特段嬉しかった事やめでたい事などない。
年をとって旧友に会い辛くなるというのは、他人に誇れる人生を送っていない中年の常なのだ。
◆ ◆ ◆
25年前、「キューティ☆フレイル」の主要キャラの3人の魔法少女の中で、一番人気があったのが阿松が演じるエペだった。頭脳明晰でお淑やか、そのくせ少し天然でグラマー……と、当時の『萌え』のトレンドを煮詰めた様なキャラクターであった。
あるアニメ雑誌のキャラクター人気投票企画では2位の票数を集めたものの、結果発表のタイミングが達川の逮捕と重なってしまい編集部判断で順位の操作が行われ、最終的には21位に収まった。編集部には順位の不当性を批判する投書が殺到し、彼女を悲劇のヒロインの様に祭り上げる「エペ教」なる運動も勃発したが、そのエペ教徒達も半年後にはまた別のアニメヒロインに鞍替えしていた。
エペの人気の原動力となったのが、当時デビュー2年目の阿松幸子の飾り気のない真っ直ぐな演技であった。高学歴ながら引っ込み思案、そのくせ普段ボンヤリしている隠れ巨乳……という阿松の人となりとアビリティはエペの生き写しの様でもあり、声優本人にアニメキャラのイメージを投影して熱を上げるタチの悪いタイプのファンが沢山付いた。劣情を隠す事なく興奮し嬌声を上げるオタク共に、阿松もやや戸惑いながら頑張って応じた。
そしてキューティ☆フレイルの放送終了から2年後、阿松はアッサリと業界を引退した。人気声優の電撃引退というこの大ニュースは何故か複数のアニメ雑誌や声優専門誌のニュースページでこじんまりと報じられたのみで、本人のコメントなども一切発表されなかった。
何せSNSも匿名掲示板もない時代の事ゆえ、突如推しを失ったオタク達は「引退にあたって色々事務所と揉めたのでは」と勝手に邪推し、事務所に抗議文や殺害予告を送り付けて困らせた。
とし子はてっきり何処ぞのスケベプロデューサーから枕営業でも要求されたのだとばかり思っていたが、どうやら元々声優の仕事は期間限定の思い出作りのつもりだったらしく、引退して中学生の頃から付き合っていたパートナーと結婚したのだという。その変わり身の速さと信頼出来るパートナーが居るという境遇に、とし子は驚きと羨ましさが入り混じる複雑な感情を覚えた。
◆ ◆ ◆
そして、あれから25年経った。
ここでとし子は事前に阿松の近況を軽くでも探っておかなかった事を後悔した。
果たしてアイツは勝ち組になったのか、負け組になったのか。それはこのあと現れる阿松の身なりやまとうオーラからハッキリするだろう。上流階級……とまででなくとも、今のとし子には家庭を築き、子を産み、育て……という標準的な中流階級のヤツらさえ眩しく羨ましく疎ましいのだ。もしアイツの旦那が金持ちだったり出世していたりして、今日の待ち合わせにキラキラした幸せオーラと一見して上流階級と分かる服装で現れたら……。
願わくば、貧乏であってくれ。不幸せであってくれ。
「ごめんなさい、お待たせ!」
視界の外から、覚えのある声が聞こえた。
「パートの上がりが遅れちゃって。ほんと、ゴメンね。」
反射的に声のした方に向き直ると、一人の女がこちらに手を振りながら歩いて来るのが見えた。とし子は懐かしい声色で自分に声をかけた女を、頭のてっぺんからつま先までゼロコンマ5秒で大雑把に観察した。
そして、硬直し、戦慄した。
確かにあの頃の阿松幸子がそこにいた。
………声だけは。
そう、声だけは。
白髪が多く混じる潤いのない髪。小さく落ち窪んだ目。主に目の周りと首回りに刻まれた深い皺とほうれい線と汚いシミ。明らかに手入れが行き届いていないと分かる、吹き出物の跡が多く残る肌。明らかに年齢相応ではない、下手な化粧。
とし子が驚かされたのは女の人相だけではない。
着ているスウェットには目立つシミが幾つもあり、明らかにスーパーかディスカウントショップで買ったと分かる布地の擦り切れたスカートにはこれまた幾つもの毛玉とほつれがあった。アクセサリーの類は見当たらない。肩にかけている布製のカバンは全体的にまだら状の薄黄土色だ。どうやら元々は純白かオフホワイトだったらしい。足元は明るい色合いの水色のスニーカーで、側面に見た事のないブランドのロゴが印刷されている。比較的新しいらしく、それ故により安物っぽさが際立つ。
あれから25年経ったのだ。とし子とて相応に老けもした。
が、今目の前にいる阿松らしき女は自分と同じだけの時間を経たとは思えない程に、老いよりももっと深く暗い、腐食の渦に惨たらしく飲み込まれていた。
とし子はこの25年の間、阿松の身に何が起きたのかを知るのがすっかり怖くなった。さっきまで貧乏であってくれ、不幸せであってくれ……などと祈っていたのに。
それでいて声だけは若々しいのが、声優の常と言えばそれ迄だが如何とも珍奇であった。
数人の通行人に奇異の目を向けられながら都会の往来ではしゃぐみすぼらしい風体のアニメ声中年女を、果たしてこのまま迎え入れたものか他人のフリをしてやり過ごしたものか。とし子は数秒呻吟したのち立ち上がり、無言のまま控えめかつ少しガサツな手招きで中年女を呼びつけた。




