5-2「つくづくウチの事務所の連中は使えない。」
まず、この目の前の紙屑だ。
イベント云々の前に、まずこんなモンを臆面もなくのうのうと持って来やがったバカさ加減を指摘しなければ。
「そもそも、何で紙なんですか?こういう企画書とか提案書みたいな一次資料ってフツー、まずデータで作るんですよ。多くの人に迅速に周知できる様に。じゃないと、何か変更があった時にすぐに共有出来ないじゃないですか。」
「データって?」
「…文書作成ソフトとかでPDF作って貰って、それをデータ共有サービスとかクラウドサービスとかで共有するんです。」
「あ、私パソコンやんないからさ。アナログ人間なんで。そういうのはみんなでやって貰ってさ。」
(やらないって何だ。出来ないんだろうが。)
「……みんなで、ってどういう事ですか?」
「草案は私がこうやって書くから、それを整理してこう……アレして貰って。」
「………誰が?」
「事務所の誰かがよ。」
とし子はしれっと言った。
柳瀬は聞こえるか聞こえないか程の音量の小さな溜息をついた。とし子は気付かない。
「…………二度手間ですよ。大体これくらいの事なら今どきスマホでも出来るじゃないですか。」
「私そういうのやんないんだよねえ。」
(だから「やらない」んじゃなく「出来ない」んだろうが。)
「……………んじゃこのイベント、雛沢さん達の名前で具体的にどれくらいの集客が見込めそうか試算はしてますか?そのエビデンスも併せてこの資料の中に書いてあるんですよね?」
「エビデンスって何?」
柳瀬はここで小さく舌打ちをした。
とし子は少し驚いた様に身を震わせた。柳瀬の口調から激烈なスピードで優しさと柔らかさが掻き消えていき、2人を取り巻く空気の体感温度が二度ほど下がる。
「証拠とか根拠とか、そういう事ですよ。出演者のSNSのフォロワー数とか過去のイベントの集客実績とか生配信での同接数とかで、どれくらいお客さんを呼べそうかとか、どの位の大きさの会場を借りればいいかとかを試算して……。」
「そこらへんは事務所の方でやってよー。」
「そんなヒマありませんよ!」
柳瀬の声のトーンが少し上がったのでとし子はたじろいだ。飼い犬に手を噛まれかけた怒りをどうにか抑え込む。
「いやま、その辺は追い追い……ね?取り敢えず今はやれる事からやって貰ってさ。例えば関係各所の根回し位なら今の内から出来るでしょ。こういうのは早くから動かないとさ……」
「それこそさっきも言った様な数字の部分、集客の見込み数とか、そこから想定される実収の数字だとか……提案材料を揃えない事には動けませんてば。幾つかの会社や個人を巻き込んで『やろうと思います』って声をかけといて『結局出来ませんでした』って事になっちゃったら沢山の人に迷惑が掛かるし、事務所のメンツにも傷が付くでしょう。」
旗色が悪いと察したか、とし子は沈黙した。
負けを認めるのは癪なので何か反論を探すも見つからず、取り敢えず不平がある事だけを態度で示している。
「どういう下準備が必要で、どれ位の人員が必要で、掛かるお金と入ってくるであろうお金がどんくらいか事前に把握して、成功のラインを見極めないと。主催者ならそん位まず事前に計算するもんでしょう。例えば、版権料の金額。勿論調べてますよね?」
「まぁそこは…お友達割引とか私の顔に免じてタダとか……交渉してもらえればどうにかなるんじゃない?私、主演声優だよ?」
「なりませんよ!大体交渉って誰がやるんですか?そもそも何処が窓口になってるのか把握してます?」
「じゃあそこもそっちで調べといてよ。」
………話にならない。
もう、これくらいでいいだろう。
これ以上コイツにイベントの実現の為のアドバイスをくれてやる為に時間を割くのは、余りにも不毛で無意味だ。テメェのやってる事が如何に身勝手で無遠慮で低次元で常識はずれで無茶で恥知らずかをハッキリ突き付けて叩き出そう。
「あのですねぇ………」
◆ ◆ ◆
きっかり10分後、とし子は憤懣やる方ない表情で事務所が入っているマンションを後にしていた。
柳瀬は最後まで資料を1ページもめくる事なく「ウチからの協力はできません。おやりになるなら、ご自身でおやり下さい。その際も、ウチから人員を貸し出したりする事はできませんのでそのつもりで。」とキッパリほざいた。
「じゃあ、この件はついてはこちらで独自にやるからね!」
とし子も頭に血がのぼり、思わず語気が荒くなってしまった。柳瀬は「はい、どうぞご自由に」と目も合わせず答えた。その横っつらには「出来るもんならな、ボケが」とはっきり書いてあった。
つくづくウチの事務所の連中は使えない。
事務所の奴らを手足として使えないとなると、自分で全ての段取りを整えて行かなければならない。
何とも面倒な事になった。
ったく、どいつもこいつも。




