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エルニド地誌概覧



王立地誌院編纂


『エルニド地誌概覧』


王都グラン・エルニス蔵書院公開写本


───────────────────────



■ エルニド概説


エルニドは、海と大陸、山脈と森林、豊かな魔力の流れによって形づくられた星である。


古き地誌において、エルニドは「水脈の星」と記される。これは単に海が多いという意味ではない。河川、湖沼、地下水脈、地中を流れる魔力の筋道、そして各地に息づく精霊信仰まで含めて、この星の文明は常に「流れ」とともに発展してきた。


エルニドの地表は広大な海洋と複数の大陸によって構成される。人々が暮らす主要な文明圏は、中央大陸アステリアを中心に、北方大陸ノルグラント、西方群島メルディア、南方大陸ヴァルカ、東方大陸セフィロアへと広がっている。


夜空には衛星ルーネが巡る。ルーネの満ち欠けは潮汐、農耕、航海、魔術儀式の周期に深く関わるため、各地の暦はルーネの運行を基準として作られている。王都では一年を十二の月期に分け、春暁、若葉、長雨、盛夏、白穂、収穫、紅葉、霜降、深冬、星静、雪解、巡春の名で呼ぶ。


エルニドの一年は三百八十四日である。中央大陸では四季が明瞭だが、北方では冬が長く、南方では雨季と乾季が生活を支配する。西方群島では季節風が交易を左右し、東方大陸では山岳と高原が雲の流れを遮るため、土地ごとの気候差が大きい。


エルニドの人々は、星を一つの巨大な生命として見る古い感覚を今もどこかに残している。山は骨、森は肺、海は血、地脈は神経であるという言い回しは、農民の諺にも、学院の講義にも、吟遊詩人の歌にも現れる。もちろん、王立学院の自然哲学者たちはこれを詩的表現として扱うが、魔力の流れと地形、都市、遺跡の配置に一定の関係があることは広く認められている。




■ 中央大陸アステリア


アステリアは、現在のエルニドにおいてもっとも人口が多く、政治、商業、学術、冒険者活動の中心となる大陸である。


大陸中央には肥沃なアステリア平原が広がり、その中央を三つの大河が流れる。北から下る白河、東方の湖沼地帯を源とする青河、南西丘陵より流れ出る金河である。三河は王都近郊で合流し、ルクシア内海へ注ぐ。


王都グラン・エルニスは、この三河の合流点に築かれた大都市である。白灰石の城壁、青銅の尖塔、大運河、学院区、職人区、港湾区、旧市街を備え、古来より「エルニドの心臓」と呼ばれてきた。


王都の繁栄は、河川交通と内海交易によるところが大きい。北方からは鉱石と毛皮、南方からは香料と薬草、西方からは真珠と珊瑚、東方からは絹布と古木材が運ばれる。これらは王都の市場で取引され、職人たちの手で武具、衣服、薬品、魔導具へと加工される。


アステリアには古代遺跡が多い。古い神殿、地下水路、王墓、忘れられた城塞、封印された祠などが各地に点在している。王都周辺の遺跡は冒険者組合によって等級分けされ、危険度に応じて探索許可が出される。低級遺跡では害獣や小型魔物の駆除、崩落区画の調査、薬草採取が主な仕事となる。高級遺跡では、未知の魔物、古代呪具、封印区画の暴走などが確認されるため、熟練冒険者でなければ立ち入りは許されない。


アステリア西部には、深緑の古代樹海エルムヴァルトがある。巨大樹が天を覆い、昼でも薄暗いこの森には、長耳族の隠れ里、古い精霊泉、石の円環遺跡が残る。森の奥では道が迷いやすく、同じ場所を何度も歩いてしまうという報告が多い。地誌院はこれを地形の類似と濃霧による錯覚と記録している。


東部には湖沼地帯ミラ湖群が広がる。大小の湖が銀の鎖のように連なり、漁村、水鳥の繁殖地、水上神殿が点在する。湖底には古い街道が沈んでいるとされ、乾季の終わりには水面下に石畳が見えることがある。


南部丘陵は葡萄、麦、羊毛の産地である。王都の酒場で出される赤葡萄酒の多くは、この地方で作られる。丘陵地帯には小領主の城館が多く、騎士文化が色濃く残る。




■ 王都グラン・エルニス


グラン・エルニスは、王国エルニディアの首都であり、現王家アルバレイン家の居城を擁する。


都市は五つの区画に分かれる。


王城区は、王城、貴族院、騎士団本部、王立礼拝堂を含む。高台に築かれ、白い城壁と水堀に守られている。


学院区には、王立学院、王立地誌院、天文院、薬術院、図書塔が並ぶ。若い学徒、魔術師、写本師、研究者が多く行き交い、昼夜を問わず灯りが消えない。


職人区では、鍛冶、革細工、織物、薬品、魔導具、楽器などが作られる。北方ドワーフの工房、南方の香料商、西方の船具職人なども店を構える。


港湾区は、ルクシア内海へ向かう運河沿いに発展した区画である。倉庫、造船所、魚市場、旅籠、船乗り酒場が密集している。


旧市街は、もっとも古い街並みが残る区画である。細い路地、石造の古い家屋、小神殿、地下倉庫が多く、迷路のような構造を持つ。かつての王都はこの旧市街を中心にしていたとされる。


王都では冒険者組合が大きな力を持つ。組合は王国の正式軍ではないが、遺跡探索、魔物討伐、護衛、辺境調査、災害救援などを担い、実質的に王国の手が届かない領域を補っている。


冒険者は銅章、鉄章、銀章、金章、黒章に分類される。銅章は初心者、鉄章は地方任務を任される者、銀章は遺跡探索資格を持つ者、金章は危険地域への遠征を許される者、黒章は王命級任務に関わる者である。


王都の若者にとって、冒険者は憧れの職業である。だが実際には、華やかな英雄譚よりも、地味な護衛、採取、見張り、獣害対策、遺跡の瓦礫運びといった仕事が多い。熟練者ほど無謀な探索を嫌い、生きて戻ることを第一とする。




■ 北方大陸ノルグラント


ノルグラントは、氷雪と鉱山の大陸である。


大陸中央にはヘルムガルド山脈がそびえ、その峰々は一年を通じて雪を戴く。北部は凍土と氷河の世界であり、南部には針葉樹林、湖、鉱山都市が広がる。


この地ではドワーフ氏族が大きな勢力を持つ。彼らは山の内部に都市を築き、石と金属を扱う技術に優れる。最大の地下都市ガルド・ミナスは、山腹から地下深くまで広がる巨大工房都市であり、鍛冶炉、溶鉱路、居住区、神殿、酒場、地下水路が複雑に入り組んでいる。


ノルグラント産の星鉄は、魔力の通りが良く、剣、鎧、結界杭、魔導機関の素材として重宝される。王都騎士団の儀礼剣にも、ガルド・ミナスで鍛えられた星鉄が使われている。


北方には雪原の獣人部族も多い。狼族、熊族、白鹿族などが知られ、彼らは狩猟、毛皮交易、氷原案内を生業とする。部族ごとに異なる精霊信仰を持ち、冬の夜には火を囲んで祖霊の歌を歌う。


ノルグラントには「眠る炉」と呼ばれる古代遺跡がいくつか存在する。雪と氷に覆われた地下深くにあり、周囲の氷を溶かすほどの熱を今も帯びている。内部には円筒形の広間、巨大な管、黒い壁材、意味不明の文字列が確認される。鉱山都市では、これらを古代の熱源施設と見なし、無断侵入を禁じている。


山岳部では、まれに「音のない雪崩」が発生する。雪崩の痕跡があるにもかかわらず、周辺の村人が誰も音を聞いていない現象である。地誌院は地形条件による音の反響不全と説明しているが、北方民の間では、古い山が夢を見ているのだと言われる。




■ 西方群島メルディア


メルディアは、海と島々の文明圏である。


大小数千の島が西方海域に散らばり、珊瑚礁、火山島、熱帯林、岩礁、霧の海峡が複雑な航路を作っている。島ごとに王、長老会、巫女、商会、海賊団、灯台守の結社などが存在し、統一国家はない。


メルディアの民は航海術に優れる。彼らは星、潮、風、雲、魚群、海鳥、魔力の匂いを読む。王都の地図職人が描いた海図より、老船頭の記憶の方が頼りになる海域も多い。


最大の港はリオ・メルディアである。白い桟橋、色鮮やかな帆、香辛料市場、真珠商館、船乗りの宿が並び、各地の言葉が飛び交う。王都から来た商人は、ここで海の民の気質に驚く。彼らは契約に厳しいが、海で助けを求める者を見捨てることを最も恥とする。


メルディアには、霧の多い海域がある。特に西南のネーヴェ海では、羅針盤が狂い、潮流が変わり、同じ航路を進んでも異なる入り江に着くことがある。船乗りたちはこれを「海の気まぐれ」と呼ぶ。


この海域には古い灯台が多い。すでに無人となった灯台、火を入れていないのに夜だけ光る灯台、地図にはない岩礁の上に立つ灯台などである。灯台守の結社は、これらを古代航路の名残として保護している。


群島の奥には、禁足島エル・クレイドルがある。島全体が濃い森に覆われ、外部者の上陸は原則として禁じられる。島の巫女たちは、そこを「星の眠りを守る場所」と呼ぶ。王立地誌院は何度か調査を申し入れたが、いずれも丁重に断られている。




■ 南方大陸ヴァルカ


ヴァルカは、赤土、強い日差し、香料、鉱石、火山の大陸である。


北部には広い草原と大河があり、遊牧民と河川都市が栄える。中央部には乾いた高原と岩山が広がり、南部には黒い火山列と硫黄の谷がある。


ヴァルカの人々は、季節を雨、乾き、炎、灰の四期に分ける。雨期には大地が緑に覆われ、乾季には草が金色に枯れ、炎の期には熱風が吹き、灰の期には火山から細かな灰が降る。


大河沿いの都市サラハンは、穀物、布、香油、薬草の交易地である。赤い日干し煉瓦の建物が並び、市場では南方の楽器、染布、果実酒、香辛料が売られる。


火山麓の都市カル・ドゥームは鍛冶と黒玻璃細工で知られる。黒玻璃とは、火山の魔力を含んだガラス質の鉱石であり、儀式具、鏡、装飾品、魔術触媒として用いられる。


ヴァルカでは竜種の伝承が多い。現在、大型竜はほとんど確認されていないが、火山地帯には竜骨と呼ばれる巨大な化石が残る。竜骨は非常に硬く、粉末は高級薬材として扱われるが、採取には部族の許可が必要である。


南方の黒火山列には、古代の塔が点在する。最も有名なのは黒玻璃の塔である。昼には空を映し、夜には星を映すこの塔は、内部がほとんど調査されていない。地元の祭司たちは、塔を死者と星を結ぶ場所として畏れている。




■ 東方大陸セフィロア


セフィロアは、古い森、高原、山脈、湖、白い砂漠を持つ東方の大陸である。


長らく東方航路が不安定であったため、中央大陸の人々にとってセフィロアは半ば伝説の地であった。近年、航路が整備されつつあるが、それでも内陸部の詳細は不明な点が多い。


セフィロアには長耳族の森都、竜人族の山岳院、石霊と契約する遊牧民、湖畔の修道都市などが点在する。人口は多くないが、古い文化と独自の魔術体系が残る。


中央部には円環山脈アルカ・セプトがある。上空から見れば環のように連なる山脈とされるが、実際にその全貌を見た者はほとんどいない。山脈内部には常に雲がかかり、遠征隊の多くは外縁部で引き返す。


セフィロアの民は、古いものを壊すことを嫌う。倒れた石柱、読めない碑文、苔むした神殿、枯れた泉でさえ、そこに意味が残っていると考える。王都の研究者から見れば非効率に見えるが、この慎重さゆえに、セフィロアには他大陸より多くの古代遺構が良好な状態で残っている。


東方からもたらされる品には、絹布、薬草、古木材、石墨、精霊紙、記憶香がある。記憶香は焚くと昔の出来事を鮮明に思い出すとされ、王都の貴族や学者の間で高値で取引される。




■ 種族と暮らし


エルニドには、多くの種族が暮らしている。


人間族は最も広範囲に分布し、王国、都市、村落、商会、騎士団、冒険者組合を形成している。寿命は比較的短いが、適応力と組織力に優れる。


長耳族は森と湖を好み、精霊術、弓術、薬草学、記憶詩に優れる。彼らは歴史を石碑だけでなく歌として残す。


ドワーフは山と地下都市に暮らし、鍛冶、採掘、建築、機構術に長ける。彼らにとって優れた道具は、単なる物ではなく職人の名誉そのものである。


獣人族は草原、森林、雪原、島嶼に広く分布する。部族ごとの違いが大きく、王都では獣人族と一括りにされることを嫌う者も多い。


竜人族は数が少なく、主に東方山岳地帯に住む。長命で、古い言語と儀式を守る種族として知られる。


精霊種は肉体を持たない、あるいは不安定な肉体を持つ存在である。森、泉、火山、風、石、古い建物などに宿るとされる。人と契約する精霊もいるが、その思考は人間と大きく異なる。


種族間には古い争いも存在する。鉱脈を巡る衝突、森の伐採、神殿の所有、交易権、信仰の違いなどが原因である。しかし近代以降、王都を中心とする交易と冒険者制度により、異種族間の往来は増えている。




■ 魔力と魔術


エルニドにおける魔力とは、生命、地形、天候、元素変化に関わる基礎的な力である。


魔力は人の体内にも宿るが、その量と性質には個人差がある。魔術師は体内魔力を練り、外界の魔力と同調させることで術を行使する。一般に魔術は火、水、風、土、光、闇、無属性に分類されるが、これは便宜上の分類であり、実際の術式はもっと複雑である。


地中を流れる魔力の筋道を地脈という。地脈が豊かな土地では作物がよく育ち、精霊が活発になり、魔術も安定する。逆に地脈が乱れた土地では、魔物の発生、病、幻覚、天候不順が起こりやすい。


魔物とは、魔力の影響を受けて変異した獣、植物、精霊、あるいは遺跡に住み着いた危険生物の総称である。すべてが邪悪というわけではないが、人里に被害を及ぼすものは討伐対象となる。


近年、王都周辺では魔物の発生件数が増加している。特に古代遺跡近辺では、通常の生態系では説明しにくい魔物が見つかることがある。半透明の獣、金属質の殻を持つ虫、同じ場所に何度も現れる影などである。学院はこれを地脈異常による変異と見ている。




■ 古代遺跡


エルニド各地には、現代よりはるか昔に築かれた遺跡が残る。


それらは神殿、地下道、塔、墓所、水路、城塞、観測台など多様である。建築年代や用途は不明なものが多く、現代の王国史以前から存在していたと考えられる。


学術上、これらは総称して旧エルニド遺構と呼ばれる。


旧エルニド遺構には、いくつかの共通点がある。第一に、黒色または灰白色の硬質な建材が使われていること。第二に、円形または螺旋状の構造が多いこと。第三に、星、波、門、目、樹を象った紋様が刻まれていること。第四に、内部の魔力濃度が周囲と異なること。


遺跡の多くは崩落し、魔物の巣となり、盗掘の被害を受けている。しかし一部には、今なお動作する扉、光を放つ石板、水の流れていない水路、音のしない鐘などが残る。


王立地誌院は、旧エルニド遺構の保護と調査を重要任務としている。しかし、広大な地域に散在する遺跡すべてを管理することは不可能であり、多くは冒険者組合や地方領主の管理に委ねられている。


遺跡には危険が多い。崩落、毒気、魔物、呪具、迷路構造、古い罠、魔力中毒などである。そのため、無許可の侵入は禁じられている。


それでも、遺跡へ向かう者は後を絶たない。古代の武具、宝石、魔導具、薬草、未知の書物は高値で取引される。冒険者にとって、遺跡は危険であると同時に名声と富を得る場所でもある。




■ 冒険者と遺跡探索


冒険者は、エルニド各地の危険を引き受ける者たちである。


彼らの仕事は幅広い。魔物討伐、護衛、薬草採取、行方不明者捜索、遺跡調査、盗賊退治、災害救援、街道警備、精霊鎮め、古文書運搬などがある。


冒険者組合は、依頼の難度に応じて任務を分類する。遺跡探索任務は特に危険度が高く、初心者だけで受けることはできない。遺跡では剣の腕だけでなく、罠の知識、古代文字の読解、魔力感知、治療術、冷静な判断が必要となるからである。


王都周辺の若い冒険者たちは、しばしば旧エルニド遺構の調査を目標とする。古代の宝、未知の魔導具、失われた英雄の武器。酒場ではそのような噂が語られる。


しかし熟練者ほど、遺跡を軽んじない。遺跡には奇妙な現象が起こる場所がある。方角が狂う。足音が遅れて聞こえる。昨日見た壁画が翌日には違う絵になっている。仲間の声が別の通路から聞こえる。何もない場所で誰かに見られているように感じる。


組合はこれらを、魔力濃度、閉所恐怖、反響、疲労、幻覚毒によるものとしている。多くの場合、それで説明はつく。


多くの場合は。




■ 近年の異変


王国暦九百年代に入って以降、エルニド各地で小規模な異変が報告されている。


アステリア西部では、廃村のはずの場所に灯りを見たという隊商の記録がある。調査隊が向かった時には、そこには古井戸と崩れた石壁しかなかった。


メルディアでは、霧の海を抜けた船が、予定より十日早く目的地へ到着した。船員たちは航海中に異常はなかったと証言したが、船倉の果物はなぜか一か月分腐っていた。


ノルグラントでは、鉱山夫が閉鎖済みの坑道から歌声を聞いた。救助隊が向かうと、坑道の奥には誰もおらず、壁に新しい掘削痕だけが残っていた。


ヴァルカでは、火山地帯の巡礼者が、一晩で老人のように髪を白くした。本人は長い夢を見たと語ったが、その内容を記録した紙は翌朝には白紙になっていた。


王都では、旧市街の時計塔が一晩だけ十三回鐘を鳴らした。故障と見られ、鐘職人が調べたが、機構に異常はなかった。


これらの異変は、現時点では個別事例として扱われている。王立地誌院は原因を調査中であり、民衆の不安を避けるため、未確認情報の流布を禁じている。


ただし、冒険者組合では近年、遺跡関連任務の危険度を一段階引き上げる通達が出ている。理由は、魔物の活性化、地脈の乱れ、崩落事故の増加である。




■ 宗教と信仰


エルニドの信仰は地域によって大きく異なる。


中央大陸では、創世神エルナと星の精霊たちを祀る星環教会が広く信仰される。星環教会は、世界は円環の秩序によって保たれていると説く。誕生、成長、死、記憶、再生は一つの環であり、人はその輪の中で役割を果たすという教えである。


北方では、山と炉の神が信仰される。ドワーフは鍛冶炉を聖なる場所と見なし、良い武具を作ることを祈りに等しい行為と考える。


西方群島では、海精霊と灯台守の信仰が根強い。船出の前には海へ酒を捧げ、帰港時には灯台に感謝を述べる。


南方では、太陽、火山、祖霊への信仰が混じり合う。死者は灰となって大地へ戻り、やがて草木と獣を通じて再び部族を支えると考えられる。


東方では、森、石、湖、風そのものを尊ぶ信仰が多い。神を一柱の人格としてではなく、土地に宿る記憶として捉える傾向がある。


これらの信仰はしばしば対立したが、エルニド全体に共通する感覚もある。それは、世界の秩序は人が勝手に壊してよいものではない、という考えである。


古いものには理由がある。

封じられた場所には意味がある。

沈黙した扉は、開かれないために沈黙している。


この考えは、各地の遺跡に対する畏れにもつながっている。




■ 古代文字と未解読碑文


旧エルニド遺構には、現代語とは異なる文字が刻まれている。


王立学院ではこれを旧エルニド文字と呼ぶ。解読は進んでいるが、完全ではない。旧文字は音だけでなく、方角、季節、星の位置、魔力の流れを含む複雑な記号体系を持つため、一つの語が複数の意味を持つ。


よく解読される語には、星、門、水、眠り、記録、観測、帰還、封鎖などがある。


ただし、「門」という語が実際に扉を意味するのか、儀式場を意味するのか、境界を意味するのかは文脈によって異なる。「眠り」も同様で、休止、封印、保存、死、待機を意味することがある。


この曖昧さが、遺跡研究を困難にしている。


古代碑文には警告文らしきものも多い。代表的なものに、アステリア西部の石門に刻まれた次の文がある。


「閉じたものを呼ぶな。

沈めたものを起こすな。

帰る道を持たぬ者は、門を越えるな。」


この文は旅人への一般的な警告とも、神殿内の禁忌とも、古代儀式に関する注意とも解釈できる。王立学院は慎重な調査を続けている。




■ エルニドの現在


現代のエルニドは、一見すれば安定している。


王都は繁栄し、交易路は広がり、冒険者組合は各地の危険を抑え、学院は知識を蓄え、諸大陸の往来は増えつつある。


しかし同時に、辺境では魔物の活動が活発化し、遺跡の異常報告が増え、行方不明者の数も少しずつ増加している。これらが単なる時代の揺らぎなのか、それとも大きな変化の前触れなのかは、まだ誰にも分からない。


王立地誌院は、旅人、冒険者、地方官、神官、船乗り、商人からの報告を引き続き収集している。特に旧エルニド遺構周辺での異常、地脈の乱れ、原因不明の記憶混濁、地図との不一致、行方不明者の発生については、詳細な記録が求められる。


ただし、未確認の噂を広めることは推奨されない。恐怖はしばしば事実より早く広がり、混乱は魔物以上に人を傷つけるからである。


エルニドは美しい星である。

海は青く、森は深く、山は白く、街には鐘が鳴る。

人々は今日も働き、笑い、祈り、旅に出る。


そして古い遺跡は、変わらず沈黙している。


その沈黙が何を守っているのか、何を隠しているのか。

それを知る者は、まだ多くない。


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