四話︎︎ 想い合う力
「小雪さーんっ! お待たせしましたっ!」
ここは妖街道の伍番街道。この最奥にはかの有名な「葛の葉」が眠っているという墓所があり、どこか寒さすら覚えるうす暗い場所だ。
「まぁ陰陽亭の御二方……、よくぞいらして下さいました……」
そこで陰陽亭の二人の到着を待っていたのは、雪女である小雪であった。彼女の放つ妖気に当てられ、ただでさえ寒いこの場所の気温はさらに下がっていた。
「えぇと、確かご依頼は……落とした簪を探してほしい、でしたっけ?」
紅葉は少し身を縮こまらせながら依頼帳簿を確認する。見ればそこには、儚げな筆跡で「簪を探してほしい」と書かれていた。
「えぇそうなのです……私とした事が、あの方に頂いた大切な簪をここに落としてしまって……」
小雪は目を伏せ悲しそうな表情で静かに呟いた。彼女の感情が負に揺れ、辺りの気温がグッと下がったような気がした。
「え……、でもここって……底なし沼……!?」
しかし、その言葉を聞いて緋月は絶句した。何故なら小雪が佇んでいたのは、底がないことで有名な沼の前だったからだ。
「無理は承知なのですが…… どうしても諦めきれなくて……」
緋月が絶句したのを見て、小雪は殊更悲しそうな顔になる。
その表情をみて、小雪にとって如何にその簪が大切なものだったかはかり知った緋月は、キュッと拳を握ると高らかに宣言した。
「……よ、よーし! ここはあたしがはらをめくって……!」
緋月は何やら間違った言葉を口にしながらつけ袖をまくる。
「めくんな! くくれ! いやくくんなっ!!」
「ふぎゃっ!」
だが間一髪の所で、紅葉が言葉の訂正をしながら緋月の襟首を捕まえる。沼に入ろうとしていた緋月は、思い切り引っ張られてずっこけた。
「そんなご無理はなさらないで……! やはり無理ならもう諦めますので……!」
緋月の蛮勇を目の当たりにした小雪は慌てて駆け寄り、そんな無茶をするくらいなら諦めた方がと口にする。
「諦めちゃダメだよっ! あたしたちが絶対何とかするから、小雪さんはそこで待ってて!」
「いや、お前が無理しようとしたからだかんな!?」
そんな様子の小雪に、絶対何とかすると約束する緋月は、今度はおずおずと沼に近づいていく。
紅葉も文句を言いつつもそれに続いた。
「つっても底なし沼か……どうしたもんかなぁ?」
現状、策無し。紅葉は困り果てて頬をかいた。
「うーん、おにぃに虫取り網とか借りてくる?」
緋月は真剣な表情で、何の解決にもならなさそうな案を出す。
「いや流石に虫取り網じゃ無理だろ!? …………あ、そうだ、アイツなら……! 小雪さん、ちょっと離れててください」
紅葉は緋月にツッコミを入れつつも、いいことを思いついたというような顔になると、後ろで心配そうに見守る小雪に下がるようお願いした。
「火刈、ちょっといいか?」
紅葉は手の平を上に向けて何者かに呼びかける。
『……あら、私をお呼びかしら? えぇ勿論、紅葉様のお願いだったら、なんだって聞くわ!』
途端、紅葉の手の平にぽっと赤い火の玉が現れ、そこから凛とした女性の声が聞こえてきた。
「あ! 火刈ちゃんだ!」
彼女の名は火刈。紅葉が幼い頃から傍に仕えている式のうちの一人だ。
また彼女は紅葉の護身を目的として仕えているため、呼ばれることは滅多にないのである。
『あら、緋月ちゃんもいたのね? なら尚更いい所見せなくっちゃ! 何でも言って頂戴、紅葉様』
なお火刈の本体はこの火の玉では無いため、彼女には周囲の様子があまり伝わっていない。
そのため緋月の声を聞き取ると、嬉しそうな声色になって何でも言ってと二人に伝えた。
「あー、じゃあこの底なし沼を蒸発させたりは……?」
紅葉はそんな火刈に、申し訳なさそうに目の前の沼に火の玉を近づけた。
『………………アタシが? この沼を?』
視界が悪くとも伝わってくる沼の大きさに火刈は絶句する。
「そうっ! 火刈ちゃん、できる……?」
『……はぁ、他ならぬ二人からの頼みだし、一応やってみるわ。でもあまり期待はしないでね?』
断ろうと思えども、緋月と紅葉の両名からの期待を裏切ることは出来ず、火刈は仮の姿のままふよふよと沼の真上まで飛んでいった。
『――集え、業火よ』
火刈が静かに呟くと、激しい炎が彼女を取り巻き始める。ゆらゆらと陽炎が立ち上り、その瞬間の火刈はまるで芸術作品のように感じられた。
『――――っ、ごめんなさい、やっぱり無理みたい……』
しかし、沼が干上がる前にその炎も燃え尽き、火刈はふらふらと申し訳なさそうに紅葉の元へと戻ってきた。沼にそれ程の変化は見られない。
「いや、いいんだ。こっちこそごめん……、俺がもっと強ければ……」
紅葉は慌てて火刈を受け止めると、彼女の真の力を引き出せない自分の弱さを呪った。
『やめて紅葉様。貴女は悪くないわ、少しずつ強くなっていけばいいのよ』
火刈は自分を卑下する紅葉を止め、今のままでも大丈夫と優しい声音で主を諭した。
「……? どしたの? どっか痛い?」
一方、置いてけぼりの緋月は首を傾げた。どこかが悪いのか、と分からないなりにも心配をしているようだ。
「うわっ!? あーいや、なんでもない!」
思案中に声をかけられ驚いた紅葉は、慌てて首を振るとニコリといつもの笑顔を浮かべた。
『……それじゃあアタシは失礼するわね。またね、紅葉様と緋月ちゃん』
「ん、ありがとな」
「ありがとー! ばいばーい!」
火刈は申し訳なさそうにそう告げ、二人の礼を聞くとゆらりと揺らめいて消えた。本体の元へと帰ったようだ。
「さて、振り出しに戻った訳だが……」
紅葉の宛が外れ、再び二人は策無しに戻ってしまう。
「やっぱり虫取り網しかないんじゃないかな?」
「いやそれはない」
どうやら緋月は本気で虫取り網の使用を考えている様だったが、紅葉は即座にそれを却下した。
「うーん……にしても困ったな、この沼の濁り様だと水紋の水鏡も使えないだろうし……」
水紋というのは、紅葉のもう一人の式だ。ちなみに先程の火刈とは姉妹なのである。
彼女は紅葉の身の回りの安全確保のために仕えているが故、水を用いた透視などが得意なのだが、この沼の濁り様だとそれも不可能だろう。
「…………」
「……な、なんだよ? 虫取り網は使わないからな?」
紅葉はそうして思案していると緋月の視線を感じ、虫取り網について言い始める前に釘を刺しておいた。
「んぇ!? いや、そうじゃなくって! 今の紅葉、なんかすっごく陰陽師みたいだったなーって!」
自分が考えていたことと違うことを言われた緋月は慌ててそれを否定すると、紅葉を尊敬の感情を持って見つめていたことを正直に言った。
「あー……、まぁ確実にお前よりは陰陽術に詳しい自信はあるわ……」
紅葉はその言葉を苦笑しながら受け取り、緋月の勉強嫌いを暗に指摘した。
「う、だって本読んでたら眠くなっちゃうし……」
そう言いながら緋月は目を泳がせ、自身の人差し指と人差し指を触れ合わせる。
「はは、流石緋月というかなんというか……」
紅葉はそう言って笑うと、やれやれと首を振るった。
「……あのもし、……少しよろしいでしょうか……」
と、炎の気配が収まった所へ、おずおずと小雪が声をかけてくる。
「あ、小雪さん……! ご、ごめんなさい、まだいい解決方法が思い浮かばなくて……!」
それを遠回しの催促だと捉えた緋月は慌てて謝ると、すぐにでも解決しますからと意気込んだ。
「いいえ、それは大丈夫ですよ……それであの……、もしかしたらこれも役に立つのではと思いまして……」
だがしかし小雪が声をかけてきたのは別の理由で、そっと差し出された左手には小さな鈴が握られていた。
「……? これは……鈴、ですか?」
「はい、こちらは私が簪を頂いた時に彼に渡したものです……彼は人間でしたので、彼が亡くなる前に私が預かりました……」
小雪は静かに微笑みながら過去を懐かしむ。彼女の手の中で転がる鈴は、微かな月明かりを浴びてキラキラと輝いていた。
「わぁ……! 二人とも、お互いがすっごく大切だったんだね! この鈴からもそう言う気持ちが伝わってくる……!」
緋月は鈴と同じ様に目を輝かせながら、小雪の手の中で光るそれを見つめた。
「鈴から……? ……! そうだ!」
紅葉は今度こそ何か思い当たることがあったようで、ハッとしたように顔を上げた。
「小雪さん、この鈴ありがたくお借りします!」
紅葉はそう言うとそっと小雪の手の平から鈴をつまみあげ、まるで祈るような体勢で沼の前に鎮座した。
それから柏手を一つ。パンと澄み切った美しい音が辺りに響いた。
「掛けまくも畏き八百万の神々よ、我が願いを聞し食せと畏み畏み白す! 此く鈴の想いに導かれ、今其の姿を現し給え!」
紅葉は大きく息を吸うと、一息に神への奏上を申し上げた。
彼女が行使したのは、鈴と簪に残った強い想いを引き合わせるような術だ。
「……!」
緋月は息を飲んだ。辺りに金行の神聖な力が満ちている。これが“陰陽術”なのだ、と緋月は直感で悟っていた。
「頼む……っ! 戻ってこいっ!!」
紅葉は半ば叫ぶように祈った。緋月もごくりと唾を飲み込んでそれを見守る。
「――――っ!!」
「…………あっ!」
しかしその祈りも虚しく、何かが起こる前にその神聖な力は霧散してしまった。
緋月もそれを感じとり悲しそうに声を上げた。
「くっ、やっぱ無理か……」
まるで意気消沈と言ったように肩を落とし、紅葉は今まで見守っていた緋月と小雪の元へ帰ってくる。
鈴を見つめながら行けると思ったんだけどな、と呟く紅葉を見た緋月は、心の中にふ、と熱い想いが滾ってくるのを感じた。
(……あたしならできる……やりたい、やってみたい……っ!)
「……紅葉、貸して! あたしがやる!」
その衝動をハッキリと感じた緋月は、何がいけなかったのかと悩む紅葉から鈴を強奪し沼の前まで駆け寄った。
「あっ! おい、緋月っ!? お前は手順知らないだろっ!?」
呆気なく鈴を持っていかれた紅葉は、目を丸くして緋月の後を追おうとする。
――パァン!
しかし、自分の時とは比べ物にならないほど大きな柏手にハッとして足を止めた。
「――掛けまくも畏き八百万の神々よ、我が願いを聞し召せと畏み畏み白す! お願い、簪さん! 小雪さんのとこに戻ってきて!」
緋月は勉強が苦手だ。それ故に神へと捧げる奏上など全く覚えていない。
だがしかし、今の瞬間は何故か流れるように言葉が溢れていく。
まるで普段から術を行使している者の様に、一度も間違えることも無くスラスラと奏上を申し上げた。
「なっ!? おま……っ!?」
その姿に紅葉は目を見張った。これが才能の差か、それとも緋月は本当に陰陽師だったのか――。
その答えを考える間もなく、辺りにグンと神聖な力が満ち始める。
「……!?」
瞬間、沼の真上に五芒星の陣が浮かび上がり、その中心からキラリと光る泥の塊が飛び出してきた。
「……っ! あれは……、私の……っ!」
小雪は光った泥の塊を見て確信した。見紛うことは無い、あれこそ大切な人に貰った唯一無二の簪である、と。
「も、戻ってきた……!?」
そう言うと紅葉は、慌てて緋月の傍まで駆け寄った。
「わぁやったぁっ! 成功だよ紅葉ぁ!」
緋月はそっと泥にまみれた簪を持ち上げると、嬉しそうな表情で紅葉を見上げた。
「お前……一体どうやったんだ? 俺がやろうとしてた“残留思念”を用いた術なんか、どれも高難度のもんばっかなんだぞ……」
興奮したようにこちらを見上げる緋月に対し、紅葉は心底驚いたような表情で緋月の肩に両手を置いた。
「んぇ? 紅葉のやろうとしてたことがわかったから、あたしも同じように強く念じただけだけど……」
今朝のようにぐらぐらと揺さぶられる緋月は、先程の瞬間をぽやぽやと思い出しながら答えた。
「いやそうじゃなくて……お前、絶対神への奏上なんか覚えてなかったろ!? 阿呆のお前が俺が言うのを一発で覚えられるはずもないし、なんであんなスラスラ言えたんだよ!?」
紅葉はさりげなく緋月を馬鹿にしつつ、語気を荒らげて問い詰める。
「あ、阿呆!? うぅ……ひどいよぉ…………ええと、あれはなんか……術を使おうって思った瞬間に、自然に頭の中に思い浮かんだというかなんというか……?」
緋月は馬鹿にされたことを嘆きつつも、わやわやと曖昧なままで紅葉の問いに答えた。
「し、自然に……」
――やはり緋月は本物の陰陽師なのか。
そう感じ、何故か悲しくなって呟いて下を向いた瞬間、紅葉の視界に泥にまみれた簪が映りこんだ。
「……ほら、簪貸せよ。――流るる水よ、清め給え。急急如律令」
紅葉はそっとため息をつくと、緋月から泥だらけの簪を受け取った。
そして口の中で小さく術を唱えれば、簪の上に五芒星が現れ、そこから清らかな水が流れ始めた。
「わぁ……! 紅葉って色んな術使えるだね……!」
その一連の流れを見守っていた緋月は、パァっと表情を明るくして紅葉を褒めたたえた。
「いや……、多分これくらいならすぐにお前も使えるようになるんじゃないかな……」
紅葉はその言葉を苦笑しつつも受け取り、その上できっと緋月もできると返した。
「小雪さん、お待たせしました! これ……、無事取り戻せましたよ!」
そして紅葉は近付いてきていた小雪に向き直ると、優しい笑顔でそっと簪を手渡した。
「あぁ……! …………っ、本当にありがとうございます……! 感謝をしてもしきれません……!」
小雪は心底嬉しそうな表情で礼を告げる。その瞳は涙で濡れていて、彼女が瞬くとともに雫がこぼれ落ちた。
「んーん! 小雪さんの大切な簪が取り戻せて本当に良かった! これからも何かあったら、陰陽亭を頼ってね!」
その嬉し涙を流す小雪の姿に、緋月は良かったと満面の笑みを浮かべた。
「はい……、本当にありがとうございます……! この御恩は一生忘れません……!」
出会った当初とは打って変わり、明るい笑顔を浮かべる小雪に、緋月と紅葉はそっと胸を撫で下ろした。
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「にしても紅葉、よく残された想いを使おうって思いついたね! あたし、何回考えても虫取り網以外の方法思いつかなかったよ!」
小雪と別れて、帰りの道中。
緋月はのんびりと歩きながら、再び紅葉を褒めたたえていた。
「ん? まーな。なんかの書物に、互いが想い合う力は何よりも強いって書いてあったし」
誰よりも努力家で読書家な紅葉は、常々色んな書物を読み漁り、それを自分の知識として身につけている。そのため、今回の術も容易に思い浮かんだのだろう。
「そっかぁ、互いを想い合う力かぁ……なんかそれって、今のあたしたちと晴明様みたいだね!」
緋月は紅葉の返答を聞いて、柔らかな笑顔を浮かべて楽しそうに笑った。
「はは、そうだなー。お互いを想い合いすぎてすれ違っちまってるぐらいだし…………あん?」
緋月に笑いながら賛同した紅葉は、自分の言葉にハッとした。慌てて緋月を見れば、緋月も同様の表情をしている。
「お互いを……!」
「想い合う力……!?」
考えていたことは同じのようで、二人は阿吽の呼吸で言葉を繋げた。
「……こ、これだーっ!! これだ、これ使えるぞ緋月っ!!」
興奮気味に緋月を指さす紅葉は上手く言葉が出てこない様で、何度も「これ」と繰り返しながら叫んでいた。
「う、うんっ!! さっきの……あの術を使えば、妖街道を晴明様のいる所に近付けられるよねっ!?」
緋月はその自らに指された紅葉の指を掴むと、同じ様に興奮気味に頷いた。
「おうっ! できる、できるはずだっ! ……っ、こうしちゃいらんねぇ、早く夜兄さんのとこ戻るぞっ!」
「う、うんっ! わかったっ!!」
こうして興奮冷めやらぬままの二人は、慌てて兄の待つ陰陽亭へと帰還するのであった。




