落ちこぼれ子竜の奮闘3
「そ、そんなっ……」
誰何もないまま開いた扉の向こう。
軍司令官執務室前の廊下には、黒い軍服の一団がひしめいていた。
先頭に立つのは、オリーブの木の袂で密談を交わしていた、あの四人の軍人達だ。
終業時刻──突入の決行時刻まで、わずかながらまだ時間があるというのに、彼らはやってきてしまった。
しかも、大勢の郎党を引き連れて。
何より、私を愕然とさせたのは……
「いやいや、終業時刻を回ってからにしてくださいって言っといたはず……ああ、なんだ。ここの時計が遅れてたのか」
「しょ、少佐……どうし、て……?」
閣下は寝耳に水といった様子なのに、その腹心が平然としていたことだ。
少佐は、壁掛け時計と胸ポケットから取り出した懐中時計を見比べて肩を竦めただけだった。
飼い主がこの調子なのだから、ロイも軍人達に尻尾を振っている。
「みんな揃ってどうしたんだ? モリスも何か知っているのか?」
肝心の閣下も不思議そうな顔をするばかりで、警戒している様子は一切なかった。
対して、予定の時間通りに突入してきたらしい四人の軍人達は、一様に緊張の面持ちをしている。
彼らは頷き合うと、意を決したように軍司令官執務室に足を踏み入れた。
私はとっさに、その前に躍り出る。
「な、なな、何をしようというんですかっ!」
「パティ?」
閣下が戸惑う気配を背中に感じたが、振り返っている余裕なんてなかった。
だって、軍人が大挙して長官の執務室に押し掛けた上、問答無用で踏み込んでくるなんて……
(まさか、クーデターを起こそうとでも──!?)
私は、痛いくらいに唇を噛み締める。
(閣下の何が不満なの! シャルベリ辺境伯領のために、毎日一生懸命努めていらっしゃるのに!)
たった一月一緒にいただけの私でも、閣下がどれだけ故郷を愛し、ここに暮らす人々を大切にしているのかがわかったのだ。
私よりもずっと長く彼と過ごしてきた軍人達が──誰よりも側で仕える少佐が、それを知らないはずがない。
(それなのに──閣下を裏切れるの!?)
ふつふつと、腹の底から激しい怒りが沸き上がってくるのを感じた。
ドクッ、ドクッと大きく心臓が脈打つ。
このままではまた子竜に変身してしまうかもしれないし、その姿を閣下や少佐以外にも目撃されてしまうかもしれない。
そもそも、姉のような立派な竜の姿ならともかく、ちんちくりんの落ちこぼれ子竜に変身したところで、私に閣下が守れるだろうか。
それに、少佐と敵対するとしたら、彼の愛犬であるロイとも対峙しなくてはならないだろう。
翼を取り戻せた今だって、犬への恐怖心は少しも払拭できてはいない。
(こわい……こわい、けど! でもっ!!)
萎みそうになる勇気を、私は懸命に奮い立たせる。
さっき、軍人の一人も言っていたではないか。
(できるかできないか、じゃない──やるんだ!)
「私が、閣下を守るんだ!」
「パティ? どうし……」
私は、閣下を背にして目一杯両手を広げる。
ガチガチに強張った肩に、閣下の大きな手がそっと触れた。
四人の軍人達が、言葉を発しようと大きく息を吸い込む。
直後、彼らの口から飛び出したのは──
「「「「シャルロ様! ご婚約おめでとうございますっっ!!」」」」
閣下への不平不満や罵詈雑言、シャルベリ辺境伯家への宣戦布告──などでは、まったくなかった。
「……へ?」
軍隊の号令のごとく、ビリビリと空気を震わせた大きな声に、私はポカンとする。
頭の上では閣下が、おお、ありがとう! なんて声を弾ませた。
状況を呑み込めていない私をおいてけぼりにしたまま、四人の軍人達による何やらめでたい感じの歌の披露が始まる。
クーデターの賛同者かと思われた人々は……ただのコーラス隊だった。
歌が終わると、四人の軍人達は感極まった様子で涙ぐむ。
「一の姉君に言い負かされて、べそをかいていらっしゃった、あのシャルロ様が!」
「は? 何を……」
「二の姉君に着せ替え人形にされて、フリフリのドレスを着せられていらっしゃった、あのシャルロ様が!」
「おい、やめてくれ」
「三の姉君に生焼けのケーキを口に突っ込まれて、お腹を壊していらっしゃった、あのシャルロ様が!」
「ちょっと、パティの前で……」
「三人の姉君達に下僕のように扱われ、不遇を強いられていらっしゃった、あのシャルロ様が!」
「やめてぇー」
自分の黒歴史発表会に、閣下は私の耳を後ろから手で塞ごうとする。
それを見た四人の軍人達が、うんうんと満足げに頷いた。
「シャルロ様がよき伴侶と巡り合い、これを祝福するのは我らの悲願でございました」
「ぐすっ……わしはもう思い残すことはございません」
「いやいや! お子を抱っこさせていただくまで、まだこの軍服は脱げませんなあ!」
「そうですとも! シャルロ様のおかげで、我らじじいにはまた新たな目標ができましたぞ!」
もはや、認めざるを得ない。
クーデターなんていうのは、私の盛大な勘違いだったということは。
(でも、オリーブの木の下での、あの覚悟を決めたような物言いは何だったの……?)
そんな私の疑問に答えるように、四人の軍人達は和気藹々と話し始める。
「わし、大勢の前で歌うの初めてだからドキドキしちゃった」
「その割には、一番でっかい声が出てたじゃないか」
「次は、シャルロ様の披露宴で歌おうか」
「音楽隊の面々と懇親会を開いて結束を強めておこう」
なおコーラス隊は、軍司令官執務室には踏み込まず、廊下から観覧中である。
彼らにも律儀に礼を言った閣下は、澄ました顔をしている腹心に話を振った。
「モリス、お前は知ってたのか」
「不特定多数に見せられない書類を隠しておいてほしいと頼まれたんですよ。ついでに、一緒に歌おうぜって誘われたんですけど、練習とかダルいんで断りました」
「お前って子は……敬愛する上司の幸せを祝おうって気はないのか」
「いやいや、ありますとも。閣下のお守り仲間ができるのも大歓迎ですし」
ね? と、少佐がこちらに向かって片目を瞑ってみせる。
ついに緊張の糸が切れた私は、その場に崩れ落ちそうになった。
「はああ……」
「おっと? パティ、大丈夫かい?」
もちろん、閣下がしっかりと抱きとめてくれる。
ヘルム号がいたずらに厩舎を脱走したのではないと理解していたのと同様に、閣下は突然押し掛けてきた軍人達にも、それを事前に知っていた少佐にも、少しも不信感を抱く様子はなかった。
閣下と彼らの間には、長年培ってきた信頼があったのだ。
たった一月の付き合いでしかない私には、逆立ちしたって敵わないような信頼が。
それなのに、盛大に勘違いして大騒ぎしてしまったこと──そして、一時でも少佐を疑ってしまった自分が、たまらなく恥ずかしくなった。
「あ、穴があったら入りたい……」
「んんん? なぜ!? とりあえず、私も一緒にその穴に入ってもいいかい!? いいよね!?」
「いやー、閣下が一緒に入ったら狭いでしょー。パトリシア様、嫌なら嫌と、遠慮せずにおっしゃってくださいね」
そんな私達のやりとりに、四人の軍人達をはじめ、居合わせた人々がどっと笑う。
シャルベリ辺境伯領の人々にとって、私はまだまだ新参者だ。
けれども彼らの眼差しは温かく──私は、自分という存在が受け入れてもらえているのを、はっきりと感じることができたのだった。