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第六章 その五

 暗闇の裂け目から突き出された柄を、後嶋は手にした。姿を現した両手剣を、静かに正眼に構える。

「ここならば、何をしようと外界に影響を与える事はありません。もちろん退くと仰るならば、留めはしませんが」

静かな後嶋の佇まいが癪に障る。大山は高笑いした。

「はははは、武器を手にしたら、もう勝ったつもりと見える!それにこの空間は魔術に弱いのだ、この様にな!」

ウォーハンマーを肩に掛け、腕時計に右手をやる。

「ライトニング!」

言うや、中空に雷電が走り、三人の陰影を刻む。全周囲攻撃の稲妻は大山周辺の空気を震わせ、イオン臭を漂わせた。しかし、真っ白な空間には何の変化も起こらない。大山が驚愕の表情を浮かべた。

「な、なぜだ!?ランドジェリーフィッシュの『巣』なぞ、攻撃魔術一発で!」

「普通なら、そうなのでしょうね。今は私の相棒の力を借りて、強化してありますから。並大抵の魔術では解除出来ませんよ。それより」

後嶋の表情が、呆れに変わる。

「もし、この空間が解除された場合、どうするつもりだったのですか?誰か、部外者が居るかも知れないのに」

大山は言葉に詰まった。つい感情にまかせ行動しただけだったのだ。

「…何も問題はない!」

声量で押し切ろうとする。後嶋は冷ややかな視線を送るのみ。大山が更にヒートアップした。

「貴様は、私の襲来を想定済みだった、という事か!?」

「貴方以外にもいらっしゃる事も、一応考慮してはいました。例えば、あの幡谷さん、ですか。貴方に従順だそうですね?ただ、安藤さんの話では、その可能性は低い、という事でしたが」

後嶋に代わり、安藤が口を開いた。

「呼び出されずに済む方法を知るかも知れない人物を敵に回すのは、みんな望まない筈。けれど、そういう人物の存在は、大山さん、貴方の計画を破壊しかねない。危険な橋を渡らなくても、特区設置は気長に構えれば良い、と考える者達が出て来かねないから」

大山のこめかみがひくつく。正しく、そういう流れになっているのだから。しかし、ここは無理にでも余裕を見せなければ。さもなければ、呑まれてしまう。

「…ふぅ、確かに、私一人だ。しかし!私はそう容易くは行かない!」

得物の柄を握り、構える。二人は暫し、睨み合った。が、ふと。後嶋は表情を緩め、剣の鋒を下げた。

「…実際のところ、貴方とは争う理由がないのですよ。私が呼び出しを拒否する方法は、通常では現実困難ですから。ねぇ、安藤さん?」

数メートル下がった所に佇む安藤へと、首を巡らす。安藤は大きく頷いた。

「後嶋さんの説明通りなら、私達では無理」

「召喚魔術に関してはトップシークレットで『五賢家』の専売特許ですから。情報があれば、より簡便な方法を開発可能かも知れませんが。現状では、相棒の力を借り力業で魔術に干渉するよりないのです」

「そう、だったのか…」

内心、大山は安堵した。後嶋の説明通りなら、確かに自分達には無理そうだった。そもそも相棒を持つ”闘士”自体が少数派と言えた。大抵は自力のみか、あるいは拘束具により魔獣を使役するものなのだ。相棒は通常一体のみ、しかも拘束具による魔獣の使役と併用は禁止されていた。

「そういう事ですので、ここは引いて、お仲間に説明してあげて下さい。その上で計画とやらを続行するのならばご自由に」

安藤に、横顔で頷いてみせる。彼女はゴンに低く囁いた。と、大山の足元にダイニングの床が現れ始めた。それを見て取るや、大山は跳躍した。一気に後嶋の間合いへと飛び込む。ウォーハンマーを振り上げ。

「まだだ!」

素早く振り上げた両手剣が迎撃する。両者の打ち合う音が、空間内に響いた。

「なぜです?闘うメリットが?」

鎬を削りつつ、後嶋は相も変わらず静かに問うた。

「貴様が、我々を動揺させた!もはや元通りには行かない!安藤さんは戻ってこない、そうだろう!?」

「それは私のせいでは」

「後嶋さんは関係ない!」

一旦距離を取り、聞く耳も持たず大山は再び打ち掛かった。

「うるさい!貴様を倒せば、残りの同志の結束は固まる!」

もはや論理的かどうかも怪しい大山の言い分。二人は幾度となく打ち合った。大山が肩で息をする様になっても、後嶋は呼吸一つ乱さない。両者とも得物は重量級なのに。力で押し込まれ、組み討ちから大山は飛び退いた。一呼吸で飛び込まれないよう、たっぷり四十メートル以上は後退し、格闘戦から魔術戦へと切り替える。そちらの方が、まだ有利かも知れなかった。

「まだ、やりますか?」

少々辟易した様に、後嶋が問う。憐憫をさえ帯びた双眸に、大山はいきり立った。

「まだだ、まだ!」

ウォーハンマーを肩に掛け、腕時計に右手を持ってゆく。それとほぼ同時に、後嶋も左手を指輪に持ってゆく。

「ファイアボール!」

「完全防御、起動、実行」

口にしたのは、ほぼ同時だった。見る間に大山の周囲に幾多の火球が出現、次の瞬間には後嶋目掛け殺到する。一方の後嶋といえば、特に変化はない。が、火球が彼の半径一メートル余りに接近した途端、水のカーテンが出現した。それに阻止され、火球は悉く消失した。間もなくカーテンは姿を消した。

「くそっ!サンダーボルト!」

一本の稲妻が後嶋へと向かう。今度は土の壁だった。稲妻は完全に吸収された。壁も消滅する。

「無駄です。全属性、物理攻撃に対処可能ですから」

それは、後嶋が非常に魔力運用に秀でている、あるいは魔力量が飛び抜けて優れている、という事を意味していた。

「フッ、魔力自慢か!?カンに障る!」

「そんなつもりはないのですが…」

少々呆れた様に、後嶋は首を振った。いい加減、だだっ子の様なこの男性に付き合うのに嫌気が差して来ていた。

「良いだろう!ならば、相棒を出してみろ!」

頬が引き攣れる様な笑みを浮かべつつ大山は叫んだ。それを耳にし、逆に後嶋の面は険しさを刻んだ。

「私の相棒を、ここに呼び出せ、と?その必要性は感じませんが。そもそも、私の相棒は手軽に呼び出して良い存在では、ありませんから」

言いつつ何度も首を振る。

「はっ、もったいを付けて、本当はお粗末なので見せられないだけだろう!?」

「…そう、思うのでしたら、御勝手に」

後嶋は怒りを呑み込んだ。声も震えそうになるのを、辛うじて平静を保ててはいる。

「そうさせて貰うさ!」

腕時計に触れる。一呼吸置き、叫んだ。

「召集、四号、七号、十二号!」

途端、白の空間に歪みが発生した、と見るや、まるでその歪みから滲み出してくるかの様に、大山の前に三頭の魔獣が出現していた。一頭はゴリラ、一頭はグリズリー、そして残る一頭はホワイトタイガーの様だが、腕や足、爪や牙等が異様に発達している。特にゴリラの額などは張り出し、見るからに硬そうで、ホワイトタイガーの下顎からは、食事の邪魔になりそうな、湾曲した牙が伸びている。三頭とも、頭部にはマスク状の魔道具を被せられていた。これが拘束具であり、魔力運用を強制的に制御し、また精神支配により通常は召集主の命令通りに行動させられる。ただし、相棒の様な双方向的影響はない。小隈とパピーの様に感覚を共有する、といった事は通常不可能だった。拘束具により故意に阻害されているものと思われた。

「ふふふ、はははは!どうだ、大したものだろう!?」

獣らしい仕草はしながらも、大人しく待機している魔獣達の背後で、大山は哄笑した。

「なるほど。確かに、自信を持つ筈ですね。これで終り、という訳でもないのでしょう?」

「もちろん!戦闘向きでないものもあるが、とっておきも残っている!」

「そうですか…どうあっても、闘いを続行すると?」

「ふっ、ここまで来て、何を今更!」

大山は余裕で答えた。自分の召集した魔獣達に内心恐れをなしているものと考えた。しかし、一つ溜息をつくと、後嶋は頷いた。

「良いでしょう。それ程、私の相棒を見たい、と仰るのであれば」

両手剣を、目の前で水平に構える。黒曜石に左手で触れ。

「召喚、レクレール。制限術式全解除、実行!」

かつて山神の前でして見せた時には部分解除だったが、全解除となると、中空に巨大な裂け目が発生する。直径は、優に四十メートルはあるだろう。かつては爪か角が姿を現したが、今度は…。

「な、何!?」

大山の驚愕もむべなるかな、だった。巨大なドラゴン、ファンタジーものでお馴染みの、翼を持つ爬虫類が、鷹揚に翼を羽ばたかせながら降下してくるのだ。全長は頭頂から尻尾の先端まで優に三十メートルを超え、両翼端の幅も三十メートル余りはあるだろう。大半は硬そうな赤黒い鱗に覆われている。長い首の半ばから背中一帯にかけては、鱗に角状の突起があった。鱗に覆われていない下半分も、ゴツゴツと分厚そうな皮膚が見え、剣などでは到底刃が立たないだろう。太く短かめに見える後肢に比べて、前肢は細いが長めで、人の手の様な四本の指に、長い爪を生やしている。山神が見たのは、この爪だったのだ。

「ご紹介しましょう。私の相棒、レクレールです」

後嶋の傍らに着地したドラゴンの、その後肢に右手で軽く触れる。ドラゴンは大山へと首を真っ直ぐ伸ばし、威嚇する様に咆哮を上げた。それに呼応し後嶋も両手剣の鋒を突き付ける。

「さぁ、どうしますか?私の相棒と、闘ってみますか?」

大山の魔獣達は、明らかに恐れをなしていた。本能的にドラゴンを恐れるのは致し方ない事だろう。

「くっ。ええい、突進だ!あの人間を潰せ!」

腰の引けていた魔獣達が、その命令によって一変する。拘束具による精神支配の為せる業だった。闘争心と共に後嶋目掛け、一斉に突進を開始した。

「はぁ、不憫な」

後嶋はドラゴンの下に潜り込んだ。間もなく、ドラゴンの間合いに入る。甲高い咆哮、そして、目も眩むばかりの雷電がドラゴンの姿を翳ませた。鱗の突起が一斉に放電したのだ。それは良導体、つまり魔獣達に収斂してゆく。ドラゴンの下で、後嶋は闘いとも言えない闘いを見守っていた。単なる電撃だけでは、あれだけの魔獣達を殺すには到らない。しかし電撃が止んだ後には、もはや体を痙攣させるだけで、戦闘不能状態となっていた。

「終りですか?」

相棒の下から、後嶋が出てくる。その後方、大分距離を取って佇む安藤は、呆然とその一部始終を見守っていた。「大丈夫、なんだ…」

あれほどの電撃が炸裂しても『巣』は揺るぎもしない。目の前のドラゴンから魔力供給を受けていればこそだろうが、これを使えば、あるいは。安藤の中に、一つのアイデアが浮かぶ。しかし、それを実行に移すには壁があった。さて、大山に視線を移せば、彼は顔面蒼白となっていた。最も戦闘力の高い魔獣達を召集したのだが、何かする前に倒されてしまったのだ。しかし、まだ手駒はある、と切り替える。

「まだだ、まだ!」

まだ切り札がある。この化け物相手にどこまで通用するかは判らないが、あれを召集すれば、あるいは。

「そうですか」

倒れてひくついている魔獣達。後嶋はゆっくりゴリラに近付いてゆくと、そのマスクと頭部の間に両手剣の鋒を突き込んだ。力任せに切り上げると、見事に両断される。次々にそれを繰り返してゆく。魔力循環を強制的に制御していたマスクが失われ一気に暴走状態となった魔力は、その肉体を破壊し始めた。燐光を放ちつつ、灰と化してゆく。

「くそっ!」

「こうなっては、魔獣も憐れですね。こうなるのは、あちら側にとっての安全装置でしょうが」

無表情で、形を失ってゆく魔獣達を見遣っている後嶋に、大山は言いしれぬ恐怖を感じた。今ならまだ撤退可能だろう。頭の中で、何者かが囁く。重要な戦力を一気に失ったが、今ここで退けば、まだ傷は浅い筈だ。このドラゴンを攻略する目算も立たないのに留まるなど自殺行為、撤退の意志を示せば、目立たない場所で解放してくれるのではないか?客観的に見れば、その囁きは正論だったろうが。

「ええい!私には、まだ、切り札があるのだ!」

再び腕時計に触れる。

「召集十三号」

その言葉と共に、新たな魔獣が姿を現した。彼にとって最後にして最強、最凶の切り札が。

「うん?」

後嶋は最初、大山も相棒と同様のドラゴンを所有しているのか、と思ったが、違う事に直ぐ気付いた。全長十数メートル、全幅十メートル余りと、大きさは相棒の一回り以上小さい。子供だろうと思われた。ただ、普通の状態ではない。頭部にマスク、はそれまでと同様だが、そこから伸びた同素材のバンドが、ボンテージファッションの様に体中に巻き付いている。その隙間から覗く皮膚は艶もなく、何より不気味なのは、その双眸だった。黒く濁った液体が眼窩を満たし、不規則に波打っていたのだ。後嶋はその正体を熟知していた。

魔流体マギナリキッド…」

呟きが漏れる、と同時に、後嶋の表情が鬼気迫るものへと変貌してゆく。普段の彼からは想像もつかない程の形相だった。大山もそれに一瞬気圧され、慌てて取り繕う。

「ふん、知っている様だな!確かに、これはドラゴン幼体のミイラだ!体液が魔鉱石マギナイト化し、ゾンビ状態だがな!」

魔鉱石とは通常骨や歯等がなるものだが、氷の中で腐敗を免れるなど、特殊な状況下で稀に体液が同様の物となる事がある。これを魔流体マギナリキッド等と呼んだ。その中でも中枢神経系に残留した体液など、更に稀に意識を持ち死骸を操る事もあり、そこまで行くとたとえ体外に流出してもスライムの様に形を成して行動し、他の動物の体内へ侵入する様になるのだった。そうして宿主となった肉体を浸食し、自分の制御下に置こうとするのだ。

「…それで、私と闘う、と?」

無理矢理押し殺した様な、後嶋の声。彼の最大級の地雷を踏んでしまった事に、大山は気付かなかった。

「そうとも!ミイラでもドラゴン、生半可な電撃などものともしない!」

「…そうですか、そうですね…では、別の手段に訴えますか」

背後へと一跳び。相棒の後肢に再び寄り添う。相棒との意思疎通はなった。一声高く、咆哮を上げる。

「それをこれ以上目にしていたくはないので、消去させて貰いますか。巻き添えが嫌なら、離れていた方が良いでしょう」

「させるか!あの人間へドラゴンブレスだ!」

大山の命令に従い、咆哮一つ上げるとミイラドラゴンは後嶋目掛け火を噴いた。後嶋は何もせず立ち尽している。完全防御魔術でも防ぎきれないだろうそれは、普通ならば彼に火傷を負わせていたかも知れないが。相棒が黙って見ている筈もなく、翼の一羽ばたきで散らされてしまう。

「くぅ!」

歯ぎしりせんばかりに唸り声を上げる大山に対し。

「終りなら、行きますよ」

後嶋の相棒は再び咆哮し、ミイラドラゴンへと向け口を開いた。と、その牙や歯が雷電を放ち始める。と、口の奥からやがて、眩いゴルフボール大程の光球が発生した。それは間もなく、長い口を銃身の様にして亜音速まで加速、射出された。

「な、何だ、こんな魔獣、知らないぞ!?」

大山の驚愕をよそに、それはミイラドラゴンの胸に命中する。まるで紙が何かの様に丈夫な筈の皮膚を貫き、溶解した穴を穿った。と、一拍おき、ミイラドラゴンは爆発した。もちろん拘束具は四散し、その機能を失った。言い様もない悪臭と共に飛散した肉片は、燐光を放ちつつ崩れていった。その一片が顔面に命中しそうになり、大山はすんでの所でウォーハンマーではたき落とした。

「…数千度のプラズマ球で、体液が急激に膨張しましたか。お判りですか、これが我が相棒の吐息ですよ」

「こ、こんな…」

もはや立っている気力も保てず、その場にへたり込む。彼は主な戦闘力を、この一戦で一挙に失ったのだ。切り札のミイラドラゴンさえ、鎧袖一触の有様。自分は、敵に回してはいけない相手に喧嘩を売ったのだと、この時初めて痛感した。

「…魔流体も綺麗さっぱり消滅した様で何よりです。どうしますか?」

首を曲げ近付いて来た相棒の頭を労る様に撫でつつ、後嶋は訊ねた。しかし、どうしようもない。今の、否、端から大山に打つ手などなかったのだ。なるほど、これ程の魔獣をおいそれと表に出せる筈がない。

「何で、何で…」

「はい、何です?」

囁く様な大山の声に、後嶋は訊き返した。一変、今度は怒鳴る。

「何で、こんな酷い事をする!私にはやるべき事があるのだ!」

この言い草に、後嶋は残念な子を見る様な表情となる。頭を右手で撫でつけ。

「確か、仕掛けて来たのはそちらですが?」

「私が、どれ程苦労して捕獲したと思っている!?それが全てパーだ!」

「まさか、貴方お一人の力ではないでしょう?特にあのドラゴンなどは」

「だから何だ!?一番働いたのは私だ!私が行使権を持って何が悪い!?」

「この話はもうよしましょう。どうでも良い事ですから。それより、どうしますか?まだ闘うつもりですか?」

大山は、力なく首を振った。

「もう、打つ手がない。計画も、見直す必要が出てくるだろう…少なくとも、延期は避けられない。ああ、同志にどう説明すればいい!」

「魔獣なぞに頼らずとも、充分な事は出来ると思いますが?」

少々憐れに感じたのか、後嶋が助け船を出すが。大山は激しく首を振った。

「何も知らない者達に、突き付けてやらねばならないのだ!目に見える形で!お前達の知らない世界があるという事を!」

「まさか、魔獣を衆目に晒すと?逆効果だと思いますが?それこそ、徒に危機感を煽るだけで」

「そうでもしなければ判らんのだ、世間は!あるいは、特区への隔離という発想に傾かないとも限らない!」

「特区ですか。ところで、貴方はなぜ、そこまで特区に拘るのですか?」

「そんな事も判らないのか!?所詮は一度きり、呼ばれただけで自分は拒否出来る良いご身分だな!」

精一杯の皮肉にも、後嶋は眉根一つ動かさない。

「それなのですが。貴方達は、その話を聞きましたね?私にとっては不本意でしたが。ともかく、呼び出されずに済む方法があると知った。なぜ、それを訊ねに来ないのです?貴方は最初から戦闘モードだった」

「貴様の言葉など信じられるか!どうせ、その場凌ぎの出任せだ!」

自分が言い出した訳でなければ、その場凌ぎなぞ口にする必要性もなかった筈だが、と後嶋は胸中で呟いた。

「…まぁ、良いでしょう。では、他のお仲間は?みな、同意見なのですか?」

「そうだとも!」

「違うでしょう?」

安藤が異議を唱えた。

「何が違うんだ!?」

「さっきも言った通り、後嶋さんの話を聞きたがらない筈がない。貴方が留めているだけでしょう?」

「君は、聞いたんだったな?」

小さく頷く安藤。その表情は冴えない。

「そう。私達では無理だと判った。だから、まだ計画を実行する意義はある筈」

「ともかく、貴方は一刻も早く特区の設置を実現したいのですね?なぜでしょうか?新設される交換所で、手持ちの硬貨を現金化したいからですか?」

「それは、特区運営上での、副次的なものだ!最重要事項は、我々”闘士”の拠点を確立する事なのだ!不可抗力のせいで、駄目な人間と見なされてきた我々が、その立場を尊重され尊厳を持って生きてゆける場所こそ、必要なのだ!」

もっともらしく力説する大山を、しかし後嶋は冷ややかに見下ろしていた。

「そうでしょうか?確かに、”闘士”という存在が公的な認知と支援を必要としている点に異議はありません。ただ、それが特区なしに実現し得ない、という主張に対しては、違和感があります」

「それでは、どうすれば良いのだ?何かアイデアでもあるのか!?」

「そうですね…公的な認知、という点で言えば。例えば、政府に”闘士”の認定登録制度の様なものを新設して貰い、登録された者が”闘士”としての事情で会社に損害を与えた場合等の補償を行なって貰う、とか。支援、という点に関しても、従来の”長老会”を公的機関として再編し、職業斡旋や福利厚生、貨幣交換等の機能を拡充するだけで、十分対応可能だと考えます。まぁ、いずれにせよ政府に我々の存在、窮状を認めさせる必要はあるでしょうが」

「…そうやって、我々を政府に管理させるつもりか?」

「特区設置にしても大差はないと思いますが?いずれ居住者の把握は為されるのでしょうし」

「…ならば!特区設置を望んでも良いではないか!?これ以上”長老会”なぞに頼らず生きてゆけるのだ!」

尚も食い下がる大山。もはや子供の口喧嘩レベル、と言えた。

「大半の”闘士”にとっては、確かに特区と”長老会”は同等レベルの物になるでしょうね、私の提案通りゆけば。ただ。貴方にとっては、そうではないのでは?」

大山の眉がピクリ、震えた。

「…どういう、意味だ?」

「”長老会”の再編、とはいえその主導者層は現在と大差ないでしょう。私は山神さんしか存じ上げませんが、彼の印象から推測するに、”闘士”達全体にとって最大限の利益をもたらすよう、努力して頂けるものと思います。しかし新規の特区では、どうでしょうか?新しい貨幣交換システム、新しいルール、それらに、その設置に貢献した者達の意向が多大な影響を及ぼすだろう事は、想像に難くありません。特に大山さん、そのリーダー格たる貴方のそれは、顕著なものとなるでしょう。つまり、新しい場所では貴方が主導者となれる訳です」

「だから何だ!?私にその能力がないと言うのか!?」

後嶋はじっと、大山の顔を見詰めた。

「…現状、あちらの貨幣は、こちらでは使い途がありません。交換所が設置されたとして、持ち込まれたそれらは積み上がってゆくばかりです。あちらと交易でも行なわれるなら、話は別でしょうが現状、市場による価格形成は為されません。交渉によって”長老会”なり政府なりから捻出されるだろう円資金の総額で、交換レートは決定されてゆくでしょう。その時、最も利益を得るのは?より多くの硬貨を蓄え、円資金の金額にも容喙しうる人物」

「何だ、それが私だと言うのか!?」

「私が考えるところ、貴方は二つの理由によってここに来ました。一つは、私の存在が計画に悪影響を与えようとしているため。もう一つは、交換所の有力なプレイヤーが増えるのを回避するため。交換レートをコントロール出来なくなる事を嫌ったのでしょう?たとえ私を倒せなかったとしても、私に特区への関与を断念させられれば、それで充分でしょう?円資金がいつまで思い通りになるかは判りません。交換所の開設早々から手持ちの硬貨をより多く、より高く交換する為には、自分が抜きん出ているのが望ましい、という事です」

「しかし!私は貴様の蓄財など知らないぞ!」

「不測の要素は除いておきたい、という事ではありませんか?」

もはや言葉が出ない大山だった。しかし何か反論しなければ、という意識だけが空回りする。沈黙は敗北なのだ。

「…だから、何だと言うのだ!私の思惑がどうであれ、私のやろうとしている事は”闘士”の為になる筈だ!」

しかし、後嶋はもはやその話に付き合うつもりはなかった。

「どうでも良いのですよ、この話はもう。私にとって最大の関心事は、貴方が私を襲撃し、もはや決着が付いた、という事で」

「だから何だ?」

開き直る様な態度にも、後嶋は憐れみの表情を浮かべた。

「貴方はこの落とし前を着けなければならないのですよ。どうするつもりですか?」

随分と凄味のある言葉に、大山の背筋に冷たいものが走る。

「お、落とし前?私は、主要な戦力を失ったのだぞ…これ以上何を」

「こちらの関知するところではありませんね。あくまで加害者は貴方で、被害者は私達、という事をお忘れなく」

冷たい視線で見下ろしてくる後嶋に、大山は震え上がった。面を伏せてしまう。彼の相棒は、吐息一つで自分を木っ端微塵に出来るのだ。

「…ど、どうしろと言うんだ…」

殆ど蚊の鳴く様な声を絞り出す。

「なに、大した事は求めませんよ。貴方が計画を進めるというなら、どうぞご自由に。もし計画が成功裏に完了した場合、是非、私に協力をさせて欲しいのですよ。貴方達にとっても、益のある話でしょう?」

皮肉混じりの笑顔と共に、後嶋は言った。彼のスタンスは基本的に変わらない。これで特区に対する協力が可能となるだろう。大山に一人勝ちさせない事で、充分な利益の獲得と、更には報復も可能なのだ。

「…」

俯いたまま、大山は固まっていた。と、ピクリ、震えたと思うと、驚愕の表情と共に面を上げた。

「うわぁ、嫌だ嫌だ!私にはやるべき事が」

絶叫に近い声で叫ぶ大山の姿が、丁度魔獣の召集を逆回転させた様に消えてゆく。一分と掛からないうちに、彼の姿は完全に消えた。

「…呼ばれましたか、このタイミングで」

「この中でも、呼べるのですね」

安藤の呟き。

「まぁ、魔獣を呼び出せるのですからね。さて、計画は一ヶ月以上、延期ですか」

「立ち消えになるかも知れませんけれど。とりあえず、後で連絡しておきます」

「アパートに戻るのですか?」

「直ぐには。田ノ中さん達の結論待ち、ですね。恐らく、中止でしょうけれど」

「そうですか。それでは、まずはここを出ましょうか。相棒、済まないが」

相棒の方へ首を巡らせれば、ドラゴンはのびのびと文字通り羽を伸ばしていた。思わず、後嶋は柔らかな笑みをこぼしたのだった。


 室内に誰の姿もない事を確認後、下山達は一旦外に出た。

「何かの見間違いじゃないんですか?」

玄関ドアに施錠し、不機嫌そうに大家は言った。洲堂に責める様な視線を向ける。

「はぁ、済みません…」

洲堂は頭を下げるよりない。一つ欠伸をし、「もう良いですよね?」と大家は返答も聞かず階段へと歩み去って行く。

「どういう事なんだ?確かに、誰かが侵入した筈なんだが…」

頭を掻きながら、下山は首を捻っていた。確かに後嶋達は部屋に居た筈で、部屋を出たところを確認されてはいなかった。侵入者の痕跡も確認されたのだ。いったい後嶋達と侵入者はどこへ行ったのか?

「私達が目を離した隙に、ベランダから外へ出た、とか…」

下山は刑事の振りをして玄関側に回り、周囲に気を配りつつ室内に呼び掛けていた。洲堂も大家を連れて来る為に二十分近くアパートを離れている。誰か二人のバックアップに入らなかったのは職務怠慢の誹りを免れないだろうが、後嶋達が侵入者の隙を見て脱出し、侵入者がそれを追跡したと考えれば辻褄が合う様に思えた。問題は、部屋が三階という事だが、きっと上手くやったのだろう。この仕事に従事する上で、疑問点をいちいち深く詮索していてはきりがない、という事を、短期間のうちに彼女は学んでいた。

「それもあり得るか…」

顎を撫でつつ下山が呟く。と、階段の方から足音が響いてくる。二人の視線が、そちらへ向けられた。階段を上がり、姿を現したのは。

「おや、河島さん。どうしたのですか?」

ネルシャツにスラックス姿の後嶋が、ゆっくりと近付いてくる。

「あ、後嶋さん。夜分すいません」

洲堂が頭を下げる。

「いや、それは良いのですが」

つと、下山に視線を移し。

「こちらの方は?」

「あ、こちら、私の上司で」

「ああ、夜分失礼します。今藤いまふじと言います」

下山は咄嗟に偽名を口にし、会釈をした。

「そうですか。ところで、この夜中にどんなご用ですか?…そもそも、住所を教えましたか?」

不思議そうな表情で訊ねてくるのに、洲堂は引きつり気味の笑顔で答えた。

「えーと、マスターから大体のところはお聞きして。後は、住民の方と偶然お会いして」

「そうですか?ところで、ご用件は?」

特に疑っている風もない後嶋のこの問いには、下山が応じた。

「いえ、河島君から良いバーを教えて貰いましてね。そこで貴方にお会いした、と言うので。まぁ、何と言いますか、河島君とは親代わりの様な関係でしてね、時間も弁えず、ちょっとご挨拶を、と。まぁ、酔っていたんですな、本当に、ご迷惑をお掛けしまして」

言いつつ洲堂の肩を叩き、頭を下げる。よくもまぁ、一瞬でここまで口から出任せが出るものだと、洲堂は胸中で半ば感心し、半ば呆れていた。

「そうですか。上がってゆかれますか?」

やはり疑う様子もない後嶋。

「いえいえ、お顔を拝見出来ただけで充分ですよ!」

右手を振ってみせる。

「ところで、後嶋さんはこんな時間にどちらへ?」

何気なさに最大限の注意を払いながら、洲堂は訊ねた。こうして話している限り、余りに平然としており侵入者から逃れた様には見えない。しかし自分の見聞きしたものを信じる限り、異常事態が発生したのは間違いがないのだ。平静を取り繕っているのだとすれば、この問いで多少なりと動揺を誘えるのではないか?がしかし。

「ああ、ちょっと買い物に。喉が渇いたもので」

朗らかな笑顔で言いつつ、右手を掲げてみせる。コンビニ袋の中には、スポーツドリンクのペットボトルが見えた。

「ああ、そうでしたか」

笑顔で返す。内心何かを隠しているな、と考えながら。もっとも、何かを隠しているのはお互い様なのだが。

「では、そろそろお暇しようか?」

「そうですね。では、また」

下山に促され、二人は頭を下げるとその場を後にしたのだった。その背中を見送った後。

「…貴女方には、何も判りはしませんよ」

小さく呟き、ポケットから鍵を取り出した。解錠すると玄関ドアの向こうに姿を消す。その前に少しだけ開けておき通路を数瞬、確認すると、やがて完全に閉じた。


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