第三話:”彼”と僕との距離。
「…ッ!?!?」
なにがなにやら分からず困惑する僕の目と鼻の先で、更に困惑というか、明らかに動揺してしまっている彼_春千夜くん。
もはや言語にすらなっていないような、謎の声を上げている。
いつも凛としている、言葉を選ばずに言うのなら“いつもどこか機嫌が悪く、誰に対しても不愛想”な彼が、こんなにも己の感情に、今の状況に揺らさぶられ、狼狽している。
そんな彼の姿、少なくとも僕は初めて見た。
いやまぁ、そもそも彼と接点を持つようになってから、そんなに月日は経っていないし、関係性も特段変わった訳ではないから、当然といえば当然なのだが。
そもそもとして彼は、授業中以外は読書を嗜んでいるか、机に突っ伏しているか、不在か、の三択だし。
こんなに感情を露わにしている姿ってだけで、珍しいような気さえしてくる。
…自然と小さく、笑みが零れてしまった。
「…なに、笑ってんだよ。クソが…」
僕の表情へと浮かべた笑みに反応してか、そんな言葉がふいに聞こえてきた。
その声のした方へと視線を少し動かしてみると、彼が先程までぐるぐると揺らしていた瞳を、キッ、と鋭く細め、つり上げていたのが見えた。
…僕のことを、睨みつけているようだ。
なにやら、悪態をつきながら。
“クソ”だの“最悪”だの、やや口の悪い言葉が次々並べられてゆく。
ぶわわ、と毛の逆立てている大きな尻尾をぴん、と天に向かって立てて。
よく見ると、彼の頭上へ立つ耳も、へたりと微かにだが前方へ倒れてしまっている、…ような気がする。
僕自身、そこまで動物に精通している訳ではないから、読み取ることこそ出来ないけれど、感情が全て表に出てしまっているというこの状況が、なんだか愛らしくも思えてきた。
同い年の、しかも同じ“男の子”に対して、愛らしいなんて感情を浮かべるときがくるだなんて、思ってもみなかったなぁ…、とそう、思う。
…無意識にもまた、彼の頭上へと己の手のひらを伸ばしてしまいながら。
「っな゛…。お、おい、急になんだよ…。撫でんな…ッ…!」
彼のそんな言葉は、僕の耳を右から左へと通り過ぎていってしまい、届くことはなかった。
ので、構わず彼の頭を撫で続ける。
変わらず、そのさらさらの柔らかい髪を梳くように、優しく。
すると彼の耳が、今度は外側へへにゃりと深く伏せられているのが、僕の視界の端へちらりと一瞬、映り込んで見えた。
背に生えるその大きな尻尾も、ぶんぶんと大きく激しく揺らされている。
これは、流石の僕にだってわかる。
確か、“嬉しいとき”とか“喜んでいるとき”とかにする仕草だったはず。
ということは…、撫でられるのが好きなのかな。春千夜くん。
眠っていたときも、僕の手に擦り寄ってきたもんね。
まるで、僕に甘えてくれていたみたいに。
そんなことをぼう、っと一人、考えていた。
「ってめ…、やめろっつってんだろ…!!」
ぎゃん、と彼の吠えるような大きな声は、またもや僕の耳元には届いてこなかった。
聞かないようにしているだけなんじゃないか、って言われたら、否定をすることはちょっと難しいけれど。
だってほら、見る限り“本気でやめて欲しそう”には見えなかったし。
…まぁ、それは一旦いいか。
それよりも…。
今も尚撫で続けている僕の手のひらにまるで連動しているかのように、ぴるぴると小さく揺れる、彼のふわふわの耳。
それが今は、どうしようもなく気になってしまう。
一緒に動いているってことは、やっぱり本物の耳と尻尾…、なのだろう。
一体これが、どういう構造で生えているのか、全くもって検討もついていないけれど。
…知りたい。
触れて…、みたい。
胸の中へと浮かびあがるこの小さな好奇心に、僕はまるで打ち勝つことが出来なかった。
「っっん゛ん…。みみ、さわんな…ッ…」
今度はちゃんと、彼の言葉を聞き取ることが出来た。
…が、あえてスルーした。
つい、彼のそれに触れることに、夢中になってしまう。
毛並みがふわふわしていて、柔らかくて、温かい。
とくとくと流れる鼓動と、人間を人間たらしめるその温もりが、僕の冷たい指の先へと直接、伝わってくる。
彼も彼で、発している言葉とは裏腹に、まるで“もっと撫でろ”と言わんばかりに、更にぺたんと耳を伏せてみせる。
尾も変わらずに、ぶんぶんと大きく揺れていた。
…ぁは。やっぱり、可愛らしい。
彼の素直な気持ちが、こんなにも分かりやすく表れてしまっている。
おそらく、無意識にしているんだろうな。
まるで、子犬を見守っているかのような心地だ。
そう考えていた、刹那。
「人の話を聞けっつってんだろクソが!!!」
「ッッ…」
キーン…、と甲高く不快な音が、僕の耳の最奥へと鳴り響いた。
◇◇ ◇
「へぇ、人狼の末裔…。本当にいるんだ、人狼って。びっくり…」
「あぁ、まぁもうほとんど残ってねぇけど」
「絶滅危惧種ってやつ?それはちょっと、寂しいね」
「別に、そういうんじゃねぇけど…」
「あれ、そうなんだ」
彼からの衝撃的な告白に、驚きを通り越して妙に納得でき、むしろ落ち着いてきてしまった、僕。
曰く、どうやら彼は“人間に化け、村人を襲う”とはるか昔に言い伝えられていたらしい存在_人狼の末裔なのだそう。
普段ならば、にわかには信じられないような言葉だ。
だが、もしそれが本当なのであれば、彼の頭上へと生えている耳や、背で揺れ続けている大きな尻尾にも説明がつく。
それはきっと、狼のものなんだろうな、と。
…しかし、人狼か。
本当に、この世に存在していたんだ。
ボードゲームの中だけの、フィクション上の存在だと思っていた。
「…おい」
「ん?」
突如、彼のあの低音でそう、声を掛けられる。
なんだろう?なんて小さく首を傾げつつも、彼の方へと視線を向ける。
口元から素っ頓狂な声が、ふいに小さく零れ落ちた。
まぁそもそも、ベンチに向き合い座っているのだから、動かす間もなく彼の表情は僕の視界の先へ捉えられているのだけれど。
いつもよりずっと、機嫌の悪そうな顔をしている。
あれ、もしかして僕、彼になにかしてしまったのだろうか?
心当たりが全く思い浮かばず、不思議に思っていた。
そう色々と考えている中、春千夜くんが再び小さく口を開く。
「…一体、いつまでそうしてるつもりだ。お前」
「そう…、って?」
僕が彼の言葉そのままに聞き返すと、春千夜くんは“ちぃ…ッ…”と更に低く、小さく舌を打った。
…どうやら僕は、彼の機嫌を完全に損ねてしまったようだ。
いけない、またなにか…。
「っ…、だから…!!いつまで、俺の頭を撫でてんだ、って聞いてんだよ…!!いい加減にしろ、俺はガキか!!!!」
彼はぶわわ、と毛を逆立てさせ、普段よりも幾分か大きな声を上げそう僕に言ってきた。
…いや、言葉をぶつけてきた、の方が正しいか。
彼の目線は僕の…、というより、僕の手の方へと向けられている。
いまだに彼の頭の上へと伸びたままの、僕の手に。
…あぁ、これ、本当に嫌だったのかな。
そう思い、ぱっ、とようやく僕は、彼から手を離した。
「ごめんごめん。つい、癖で」
「あ?癖?…お前、弟でもいんの?」
…お。
彼からの言葉にぴくり、と小さく反応をしてしまう。
それも、そのはず。
だって、さっきも言った通り、今までは“僕から声を掛けていることがほとんど”だったのだから。
だからこそ、ちょっとだけ驚いてしまった。
彼からの問いになにも答えようとしていない僕に、春千夜くんがどこか不思議そうな表情、やや困ったような声色で“…兎田?”と名前を呼んだ。
…ぁ、僕の名前、知っててくれたんだ。
呼んでくれたのも、今日が初めてな気がする。
彼と一気に距離が近くなったように感じられて、どこか嬉しくも思えてきた。
…って、違う違う。
そんなことよりも今は貴重な、春千夜くんからの話題の方が大切。
ほら、彼がなんだか不安そうにこちらをずっと、見ているよ。
心なしか、耳や尾もだらん、と垂れ下がってしまっているようにも見えるし…。
早く答えてあげなきゃ、だよね。
「弟はいないよ。僕、一人っ子だし」
「ふぅん。まぁ…、なんでもいいけど」
「うん。…そういう春千夜くんは?」
「…俺は、兄貴だけ」
「お兄さん?」
「あぁ」
へぇ、お兄さん…。
彼とはどのくらい、似ているのだろうか。
お兄さんもまた、彼のように大人っぽくて、クールで、少々口下手なタイプなのだろうか。
なんて、無意識にもふと考えてしまった。
人間関係が趣味というか、もはや癖のようになってしまっている僕の、悪い所だと自覚はしている。
今の今まで直せた試しはないし、そもそも直そうと思ったことも特には無いのだけれど。
だって、別にこれが原因で困ったこと、ないし。
…まぁ、こうやって一人考えについ没頭してしいまうと、話し相手をほんの少しだけ困らせてしまうことがあるけれど。
…考えるよりも聞いてみた方がいいかな。
「いいな、兄弟。楽しそう。仲はいい?」
「あー…、特別仲がいいって訳じゃあねぇと思う。クソ程過保護だけど」
「ふふ、そうなんだ。いいお兄さんだね」
「…まぁ」
そう僕の言葉に対し、ぶっきらぼうに返事をする春千夜くんの背で再び、ぱたぱたと小さく尾が揺れているのが見えた。
僕が彼のお兄さんのことを褒めたのが、嬉しかったのかな。
春千夜くんも、お兄さんのことが大好きなんだ。
やっぱり、ちょっと可愛らしいかもなんて、改めて思ってしまう。
だって、表情には全くもって出ていないはずなのに、あんなに感情が分かりやすい。
しかも豊かで、ギャップさえも感じてしまう。
そんなの、可愛らしいと思っても仕方がないと思う。
…なるほど。
これが最近流行りの“ギャップ萌え”だとか、“めろい”…?だとかいうやつ、か。
一人でそう、年相応とは思えぬ納得の仕方をする。
流行りからかけ離れた生活をしていたから、あまりよく分からないのだ。
仕方がない。
「…お前、は」
「…?」
僕がそんな割とどうでもいいようなことを考えているさなか、春千夜くんがぽつりと何やら小さく呟いていたのが、聞こえてきたような気がした。
けれど、“なにか言った?”と僕が聞いても、“…なんも”と相も変わらずのそっけない言葉しか返ってこなかった。
僕も、それ以上は特になにも聞かなかった。聞けなかった。
突然、僕らの言葉を遮るかのように、けたたましいアラームの大きな音が、じりりと鳴り響いたから。
「…もう時間か。おら、行くぞ。“兎田”」
「行くって、どこに?」
アラームの正体は春千夜くんの携帯だったようで、ズボンのポケットから取り出しては、すいすいと操作しながらそう僕へと声を掛けてくれた。
その言葉の意図が僕にはよく分からずに聞き返すと、彼はどこか呆れてしまっているかのような表情を浮かべたうえ、はぁ、と小さく溜息をついた。
「どこ、って…。教室に、に決まってんだろ。そろそろ午後の授業、始まるっての」
どんな仕組みで、どんな構造をしているのか本当に検討すらもつかないその狼の耳や尻尾の無くなった“普段通り”の春千夜くんが、ゆっくりとその場から腰を上げつつそう教えてくれた。
変わらぬ、僕に呆れている表情のままで。
…あぁ、午後の授業か。
もうそんなに時間が経っていたんだ。
なんだか今日は、時の流れがやけに速いように感じる。
…お昼ご飯、途中までしか食べられなかったや。
まぁ、別にいいけれど。
そう思いながらも、膝上へと置いていたお弁当箱をさっさと片付け、僕もすくりと素早く立ち上がった。
そんな僕を待ってくれていたらしい春千夜くんの隣へ並んで、校舎のある方へと一緒に歩みを進める。
…優しい、ね。本当に。
というより、
「春千夜くんって、見かけによらず真面目だよね」
「あ゛?そいつは一体どういう意味だよ。…あ、そういえば上着、どーもな。お前んだろ、これ」
「言葉の通りだよ。…あぁほら、そういう所」
「はぁ…?」
ガラが悪く、不愛想で、無口で。
だけど思っていたよりも分かりやすくて、真面目で、優しい君。
また一つ、彼のことを知ることが出来たような気がして、どこか少しだけ嬉しく思えた一日だった。
◇◇ ◇
『…お前、は』
_お前は、俺のことが、怖くねぇのか。
なんで今更、そんなことを思ってしまったのだろう。
人と…、他人となれ合うことなんて、とうの昔に諦めてしまったはず、だったのに。
「…あほらし」
俺は先程よりもやや早足に、教室へと向かうのだった。
かわいい…、かわいいよ春千夜くん…。
(親バカ一号)




