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すーっと意識が浮上する、慣れた感覚。
目をしばしばさせながらカーテンを開けると、大きな雨粒が窓を叩きつけていた。
「雨、か。今日は水曜か」
天気は曜日で管理されており、一週間の中で雨は水曜だけだ。
あくびを噛み殺しながらリビングへ向かうと、いつも通り暖かい朝食が準備されていた。
特に意識せず、料理を口へと運ぶ。
「んぁ!? なんだこれ!」
塩と胡椒が多いというか、もはや何で味付たのか分からないくらい刺激的な味に、舌が痺れた。これは食べ物ではない。
「こらサクヤ! ご飯を食べる時は、いただきます、でしょ!」
台所から幼馴染であるミツキが顔を出した。彼女のトレードマークである綺麗な金の長い髪はポニーテールになっており、エプロンを身に付けている。
つまり、この料理は、そういう事だ。
「お、俺の朝食は?」
「私が美味しくいただきました。サクヤの朝食はそれよ」
視線を落とし、見た目だけは綺麗に並べられている料理を見る。
ぱっと見は何も感じなかったが、今は不思議と恐ろしい物を見ている気分になった。
「俺に死ねと?」
「そ、そこまでまずくないでしょ!」
「いや、お前、これ味見したのか?」
「してないけど。そんな不味いわけない……ぐは!」
自分の料理を一口食べただけで自滅したミツキに、ため息を吐く。
「で、何? お偉い様がわざわざ来るなんて用事あっての事だろ?」
ミツキは様々な試験で高得点を叩き出している上に、頭の回転も早く、今やこの国に無くてはならない人材として重宝されていた。
この国、この世界は、管理する側とされる側に分かれている。全人口五万人のうちの、一割にも満たない、管理する側にミツキは立っているのだ。
「あー、うん。まぁ、そうなんだけど。個人的用件と言いますか」
珍しく歯切れの悪い彼女の物言いに、顔を顰める。
「なんだよ、新しい機人でも作ったのか?」
機人とは人の役割を成す機械の事で、端的に表現するとロボットだ。
この世界は機人で完結している。全ての仕事を機人が行なっているのだ。
資源の発掘や、その加工、天候の管理に、事務処理まで。そればかりか、機人の修理も機人が行う完璧っぷり。
最も、機人に感情や思考といったものはなく、ただプロミングされた事を淡々とこなすだけなのだが。
機人に役割を与える役目を担っているのが、詰まるところ管理する側のミツキたちなのだ。
管理される側の俺たちは、ただただ生きていると言っても過言ではない。
もちろん、各々趣味を見つけては色々と暇を潰している。ゲームの開発や、物書き、アイドルや立体アニメなど。
俺は今のところ残念なことに、そういった趣味に恵まれていないが。
「そういう話でもないよ。本当に個人的な用件」
飛んでいた意識がミツキの声で戻される。
ミツキは今まで付き合ってきた人の中でも一番と言っていい程に、突拍子も無い事をしでかす人間だ。大抵はくだらない事だが。
「勿体ぶるなぁ……」
めんどくさそうに、朝食と呼ぶには余りにもお粗末な物を箸で突きながら言うと、ミツキは困ったような笑顔を浮かべながら言った。
「私、投薬やめたんだ」
箸が止まる。
「は?」
改めてミツキを見ると、吹っ切れたような清々しい顔をしながら、同じ言葉を放った。
「投薬、やめたんだ」
月に一度行われる投薬。
難しい事は分からないが、細胞分裂の回数上限を突破できるとか。
昔も今も変わらず、不老不死の研究はされている。だが、やはりその壁は高く、DNAに干渉する事には成功しているが完璧ではなかった。
それを完璧に近づけているのが投薬だ。
生まれてからすぐに投薬が始まり、徐々に体へと馴染ませる。馴染むまでの期間には個人差があるが、大体十代後半から二十代前半くらいには馴染み、その姿のまま生き続ける事ができる。
その投薬をやめると言う事は、即ち、死を意味する。
「な、なんでだよ! 俺たちまだ若いだろ? 投薬をやめる意味なんてないじゃないか!」
俺たちはまだ二百八十歳だ。既に死がないこの世界では、あまりにも若すぎる。
「サクヤはさ、晴れた日に外を見てどう感じる?」
「そんな話、今関係ないだろ!」
「ううん、重要な事だよ。それが理由だから」
ミツキの真剣な目に、口籠る。
「それが、理由?」
「そうだよ。雨の日に窓の外を見て、何を感じる? 雲が流れてるのを見て、何を感じる? 星空を見て、何を感じる?」
晴れてたって雲が出てたって、それは曜日を認識する為の物でしかないし、まじまじと星を眺める事もない。
そう考えはしたが、ミツキが求めている答えではないだろう。
ミツキは続ける。
「私の手料理はどう感じた? まぁ、今回はあんまり美味しいとは言えなかったけど。でも、機人がいつも同じ様に、同じクオリティで作る料理を美味しいと思って食べた事ある? ただ、必要だから食べるって感じでしょ?」
そう言われて、初めて味について考える。確かに、美味しいとか不味いとか、そんな事は考えもしなかった。
沈黙した俺に、ミツキは静かに微笑んで言った。
「命はね、有限だから、儚いから、美しいんだよ。有限だから、晴れてたら今日は何をしようかなってウキウキするし、雨が降ったら憂鬱になる。星空を楽しむ事もできるし、全てを慈しむ事ができる。だから私は投薬をやめたんだ」
「そんな話……」
馬鹿げてる、と口に出来なかった。ミツキがあまりにも眩しく微笑むから。
「サクヤ、私は近いうちに死ぬよ。私が死んだら、サクヤはどう思ってくれるかな? 悲しいと思ってくれるかな? そういう感情がサクヤにも生まれたら、私は嬉しいな。そんなサクヤを見れない事が残念だけど」
いつもの様に軽口で返すには、あまりにも重い内容だった。
ミツキが死ぬ。
二百八十歳になって初めて人の死を、それも一番身近な人の死を、俺は突きつけられたのだった。