42.来訪者
「レオンはやっぱりいじわる、なの」
「ごめんなさい調子に乗りすぎました」
未だ赤みが抜けきらないサキに露骨に目を逸らされてしまった。反応を見ているうちに段々楽しくなってきてあんな事をやっちゃったんだけど、やっぱり調子に乗りすぎてしまったらしい。フェリンにさんざん注意しておいて何やってんだろう俺。
「……あのー、お取り込み中の所申し訳ないんだけど、ボクの話を進めていい?」
「あ、ああ。俺に客だって?」
妙な沈黙が続いて居心地が悪くなったので、ミズホがいてくれて助かった。こっちもかなり呆れた顔をしていたけれど。
「そーだよ。どこから侵入ってきたのか知らないけど、いきなり玉座の間のど真ん中にポンッて生えてきたんだよね」
「生えてきた?」
こっちだよ、と手を引かれて部屋から出る。廊下を渡りながら事情を説明してくれたミズホによれば、その変な物体の目当ては間違いなく俺らしい。
「パッと見た感じはでっかい繭みたいなんだけど、つついてみたら中から『レオン、いる?』って声がしたんだよね」
「なんだそれ……」
嫌な予感しかしなかった。
* * *
「ああ、いらっしゃいましたか」
現場に着いてみると、それは困惑しているロベリアの隣に生えていた。真っ白な繭、だろうか。赤い絨毯の上を占拠している物体に数歩残して近づいてみると、表面に細かな繊維のようなものが無数に絡み付いているのが見えた。触ってみるとほんのり暖かくて、トクトクと鼓動のようなものが聞こえてくるのだ。
「ね? 何だろこれ」
ミズホが首を傾げ、ロベリアが同調する。サキはいつものように冷静に見つめている。
「叩いたら怒るし、くすぐってみたら笑うんだよ。なんだか面白いよね」
お前は得体の知れないものに対する危機感を持った方が良いと思うんだ。
な? と同意を求めるようにお目付け役の方を見てみる。注意するべきロベリアは「素晴らしい手触りですね」とか言いながらベタベタと触っていた。
「レオンはこれ何だと思う、なの?」
「わからない。けど例によって嫌な予感がするんだよな」
さっき変なことをしてしまった負い目があるので何となく目を合わせづらい。そんな俺を不思議そうに見ていたサキは「悪い感じはしないから多分大丈夫なの」と繭に歩み寄って、二人と同じようにポフっと抱きついた。
「う~、何だかすっごく幸せな気分だよ。ボクのベッドもこんななら――」
ミズホが頬をこすり付けた途端、ガタッと繭が振動した。
抱きついていた三人から悲鳴が飛ぶ。こっちへ逃げてきたミズホの頭が俺の鳩尾にめり込んで、おまけに額につけていたツノが思いっきり刺さりやがった。
「動いた!」
動いたな。喋るらしいんだから今更そんなことで驚くなよ。
「『わっ!』って威嚇されたんです」
聞こえなかったけどそんな声がしたのか。
「ビックリした、なの」
クールな表情で言われても困るんだけど。
そんな風に心中で答えていたことがお気に召さなかったらしく、アホの子が目を吊り上げた。
「レオンったらどうして黙ってるのさ! 何とか言ってよ!」
「お前の一撃が痛すぎて苦しんでたんだよ!!」
危うく胃液が飛び出るところだったんだぞバカタレ。
「だから正体不明の相手にはもう少し警戒しろっての。もしも悪意があるやつだったらどうするんだよ」
「レオンが守ってくれるから大丈夫だよ」
こんな時だけ俺を持ち上げるんじゃねーよ。
「……しかし困りましたねミズホ様。こんな所に居座られては放置するわけにもいきませんし」
「だよね。というわけでさレオン、このヒト? の直々のご指名だし頼むよ。ね?」
ミズホがしなを作って片目を瞑る。全く心が動かされないけど、無視したら久しぶりに頭痛攻撃をしてくるかもしれない。アレは腹に穴が空くよりも痛いので、不本意ながら繭に近づいてみた。
繭までの距離をゆっくりと歩く。手で触れるくらいに近づいた俺は、小さく声をかけてみた。
「……何も喋らないぞ」
全く反応を示さない。意を決してノックするように軽く叩くが、それでも何も変わらない。変だなと思いながらちょっと強めに叩いてみると、突然繭が光を放った。
「にょわ!!」
ミズホが変な声と共に俺の陰に隠れる。その間にも光はどんどん強くなって、まぶたを閉じていても目が痛くなる。たまらず腕で目を庇おうとして――繭の中から何かが飛びだしてきた。
「痛って!? おいこら止めろ!」
小さな誰かが飛び出してきて思い切りしがみ付かれた。ピカピカとやたら眩しい装束が視界いっぱいに広がって、硬い突起のあるボタンのようなものが頬に突き刺さる。引き剥がそうとしたら、不審人物がジタバタ暴れて「きゃッ」と気色悪いソプラノ声を出しやがった。
「……まさか」
暴力的な光が徐々に収まってゆく。小さな体から出てくるその声を聞いて、うすうす感じていた嫌な予感が確信に変わってしまった。
* * *
へばりつく相手を引き剥がして床に立たせると、そいつは小さな人差し指と中指をピンと立てて俺へと突きつけてきた。白金色の髪の上に浮かぶ光の輪がふよふよと揺れている。間違いない、大昔に見たままの顔が目の前にあった。
「どもども。久しぶりなのだ」
「……久しぶり。ゼウスリーナ」
「誰?」
背後に隠れていたミズホが顔だけを出してくる。それに気付いたゼウスリーナは突然真顔になって、はっきりとした口調で答えた。
「レオンの恋人なのだ」
「違うわ!!」
「レオンってこんな小さな女のコにまで手を出していたの? サキちゃんでもギリギリアウトっぽいのにさ」
「周りの女性にやたら冷たいのはそういう理由でしたか」
俺の発言を聞けよお前ら。
「本気で言ってるんだったら俺泣くからな」
「……じゃあ誰、なの?」
「かみさまなのだ」
つまらない冗談を聞いてしまった時みたいな沈黙が生まれる。気持ちは良くわかるけれど、残念ながらこれは本当だった。
* * *
「か、神様? カミサマってあの?」
「そーなのだ。新しい魔王に挨拶をしておこうと思って、リーちゃんはわざわざ来てやったのだ」
チビッコは体を偉そうに反らして両手を腰に当てて、悪戯に成功した子供みたいな笑みを向けてくる。わかりやすく驚いているミズホたちに向けて宥めるように両手を上げて「落ち着いて欲しいのだ」と偉そうにのたまった。
「悪いけどサインはお断りなのだ」
誰もそんなの頼んでねーよ。
「……わざわざそっちから来てくれるなんて予想しなかったよ」
ゼウスリーナの身長は俺の半分くらいしかない。絵に描いたような生意気なチビッコみたいだが、残念ながら本当にコレが"神"と呼ばれる天界の主なのだ。こんな外見でも俺よりもずっと年上らしい。自分のことを"リーちゃん"なんて言っちゃうようなヤツだけど。
「残念ながら今は忙しいんだ。挨拶は改めてこっちから行くからさっさと帰れ」
「えー、冷たいのだ。リーちゃんの体にあるホクロの数まで知ってるくせに、その態度はあんまりなのだ」
お前にホクロなんて無いだろ、と反論した途端に周囲の空気が一気に凍りついた。
「犯罪だよそれ。レオンがボクの国の人間なら今頃死刑だよ」
この国にはそんな物騒な刑法があるらしい。ちゃんと釈明したいのに、チビッコが噛み付いてきてそんな暇すら作れなかった。
「忙しいって、セントアレグリーとのイザコザでしょ? わかってるのだ」
ふふん、と笑うゼウスリーナはどうやら事情を知っているらしい。ふわりと浮かんで俺と目の高さを合わせたチビッコは、口をへの字にして「レオンのことは何でもお見通しなのだ」と金色の瞳で俺を睨んできた。
「人間界への過度な干渉は協定に反することをお忘れなく。破られることがあれば相応の罰を受けていただかなければなりません。ご立派なお父上と同じく賢明な判断を下されることを期待しております。なのだ」
まるで用意した作文を読むような口調だった。わざわざこんな所まで来たのは、それを言う為だったらしい。
「あー、はいはい」
小さな指が伸びてきて、俺の目玉にぷすっと突き刺さった。
「痛い!? ふざけんなお前! ケンカ売ってんのか!」
「ふざけてるのはどっちなのだ!! レオンの返事がテキトーすぎるからいけないのだ!」
だいたい今までのレオンの行動もかなり問題視されてるんだから、とゼウスリーナの眉の角度がさらに厳しくなる。
「レオンの性格からしてこういうイザコザには絶対に関わらないと思っていたから、周りにうるさく言われて調べてみてビックリしたのだ。幸いまだ誤魔化せるけど、一線を越えちゃったらリーちゃんも無視できないのだ」
「……んなコト言われてもさ」
だったらお前が何とかしてくれよと言いたいけれど、どうせダメだ。人間界には一切関与しないという立場を崩すとは思えない。下手に手を出しても余計な混乱を生むだけだ、という言い訳を聞かされて終わるだろうな。
勝手なことを言われて面白くないので、浮いているチビッコの頬を思い切り抓ってやった。「うなっ?!」と変な抗議の声を上げるが許してやらない、これは俺の目玉の痛みなのだ。
「いらい! いらいいいいいいい」
何を言っているのか解らない。たぶん喜んでるんだろうと勝手に解釈してさらにモチのように引っ張ってやる。手の長さが決定的に違うから、向こうが伸ばした手は届かずにジタバタすることしかできないのだ。
俺は勝利を確信する。その額にヤツの頭上で光っていた輪がぶつかって、ゴツっと重たい音がした。
「それ鈍器かよ!? アホになったらどうしてくれるんだ!」
「殴って欲しそうな顔をしていたから殴ってやったのだ! あとレオンはもうアホだから頭の心配なんてしても無駄なのだ!」
「どんな顔だよ言ってみろコノヤロー! つーかアホって言うんじゃねーよ傷つくだろ!」
「うるさいのだ! 本当のことを言って何が悪いのだ!!」
「これが魔界と天界のトップの姿ですか……」
そんな低レベルな争いは、ゼウスリーナが「レオンのばかー!」という教科書どおりの捨て台詞を吐いて帰っていくまで続いた。
* * *
「疲れた……やっと帰ったよアイツ」
大きな繭が溶けるように消えていったのを確認して、大きく息を吐く。正直に言ってパージを相手にした時よりも疲れてしまった。いつの間にかお茶を用意してくれたサキからコップを受け取って一口飲む。ちょっと苦味があるけれど、とても美味しかった。
「なんかゴメンね。やっぱりレオンがボクたちに協力するのって色々問題があるんだね」
ミズホが珍しく神妙な顔をしていると思ったら、そんなことを言ってきた。普段はおちゃらけているくせに変なところで真面目になるんだよな。
「今更そんなの気にするなよ」
もう色々手遅れなんだから。
「うん……それにしても、なんか嵐みたいな子だったよね。あのちっちゃい女の子が神様なんだ」
「言っておくけど、アイツ男だからな」
その場にいた三人が同じように目を丸くして絶句する。やっぱり気付いていなかったらしい。あの外見じゃ女にしか見えないし、アイツもそれを助長するみたいに振る舞うところがあるから女だと思うのも当然なんだけど。
でも、これで俺が幼女を偏愛する男じゃないと理解してくれただろう。よかったよかった。
「だからロベリアのおっぱいにも反応しなかったんだ」
どういう意味だ、こら。