41.会議とイタズラ
「……フン。いい気なものね」
大聖堂の屋根の端に腰かけていたフェリンは、苛立ちを隠そうともせずに口を歪めた。
ウィクマムの件から手を引いてどんな顔をしているかと来てみれば、見知らぬ子供と楽しそうに買い物をしているとは思わなかった。兄は未だにお前のことを気にかけているというのに。
脚を乱暴に組み替えて、ひじを突いて手のひらで頬を支える。鋭く目を細めても遥か先で歩いている相手には届かなかった。
「うーん、唇を読むのはちょっと難しいですね……おっと、死角から二人を視ているヤツが居ます。黒い短髪の男です。わかりますか?」
サディアに言われてその姿を探す。使い魔を通じて届けられる映像を三つ切り替えたところで、その姿を捉えた。周囲と同化するように立っている男はじっとしたまま動かない。変わった色の衣服を着ているなと思いよく観察してみると、背景に合わせるように服の色も変化していた。恐らくは迷彩魔術の一種だろう。
「えーと、コイツは"第七勇者"のネイキスですね」
「興味ないわ」
こんな雑魚なんてどうでもいい。狙いはただ一点、兄を惑わせるあの女だけだ。そう断じて映像を切り替えようとしたところでサディアが「あれー?」と変な声を上げた。
「ネイキスに誰かが接近しましたねー……あれ? あれって例の鬼じゃないですか?」
間違いない。金の髪と闇色の瞳、いつも浮かべている薄ら笑いまでサキから読み取った映像と同一だ。名前は確かカミルだったか。
思わぬところで現れた鬼がネイキスへと歩み寄る。いくつか言葉を交わしたかと思うと、その視線がこちらを向いた。
「ッ!」
……気のせい、だろうと思う。小さく跳ねた心臓を宥めながら息をのむ。やがてカミルとネイキスは視界から外れてどこかへと消えていった。
「逃げちゃいましたね」
「興味ないと言っているでしょう? それよりもあの女よ」
「本当にやるんですかー? レオン様に絶対怒られちゃいますよー」
「当然よ。このまま放置するなんてそれこそありえない」
背後のサディアが返答するまでに少しの間が空いたが「それじゃ準備にかかりますから、戻るまで少々お待ちくださいね」と敬礼のようなポーズを決めて、そのまま地面に沈むように消えていった。
目の端でそれを見送って、足元に広がる風景へと意識を戻す。どこに目をやっても人間たちが歩いている。どいつもこいつも緊張感のない顔をしていて、軽く撫でただけでも死んでしまいそうだった。
これだけの大勢の前で実行するのはさすがに無理がある。忌々しい話だが、人間界など他世界への過剰な干渉は禁止されているのだ。天界の顔色を気にするつもりは無いけれど、母親の機嫌を損ねるような事があれば兄にまで迷惑をかけてしまうだろう。
だから、誰もいない場所で始末してしまおう。
あの女は兄にとっての死神だ。生かしておけば必ず近いうちに取り返しのつかない不幸をもたらす……そんな気がしてならないから。
間抜けなことに、アイツは最大の武器を失っている。今なら負けることはありえない。国の外へ出るときが楽しみだ。仮に転移魔術を使ったとしても自分ならば捕まえることができる。絶対に逃がしはしない。
あの女がいなくなれば、兄はきっと目を覚ましてくれる。
「終わったら私たちの世界に帰りましょう、お兄様」
こみ上げてくる感情を抑えきれずに声が漏れる。フェリンは風に揺れるリボンをもてあそびながら、風下に潜む獣のような笑みを浮かべた。
* * *
リアがセントアレグリーへと向かってから既に三日が経っていた。新たな勇者がやってくるような気配もなく、ウィクマムの国内は平穏を取り戻しつつあった。
しかしミズホの顔色は優れない。リアから未だに何の連絡もないからだ。ちょっと予定が狂っただけなのかもしれないが、早くも我慢できなくなった女王は全員を集めて会議を開いた。
「レオンの番、なの」
目の前の悪魔が意地悪な笑みを浮かべて俺にカードを突き出してくる。右か左。当たりもハズレも二分の一だ。単純だからこそ、考えるほどに深みにはまってしまう。
右のカードに手を動かすとサキはほんの僅かに笑みを浮かべ、左のカードに移ると無表情になるのだ。
これの意味するところは何なのか。
単純に考えれば右を引けばアウトだ。しかし、ギャンブルにめっぽう強いコイツならそれが罠という事も十分あり得る。いやいや、そう考えさせてあえて正直な反応をしているのかもしれん。
「ちょっとー、早くしてよ。 ボク待ちくたびれてるんだけど」
「優柔不断な魔王ですね」
うるさい外野からの野次は無視だ。お前ら自分がさっさと終わったからって無責任なこと言ってるんじゃねーよ。
「ふふふ、なの」
右のカードへと手を動かしたまま固まっている俺の苦悩を見透かしたようにサキが笑う。意を決して掴もうとした直前に、見せつけるように左右のカードを入れ替えた。
――いや、今のは入れ替えたように見せかけていただけだ。僅かに、ほんの僅かに右のカードにある傷がそれを証明している。
「ふ、墓穴を掘ったな。そんなフェイクに騙されたりはしない。これで負けはお前のものだ」
右のカードを取ろうとしていた直前に、カードの左右を入れ替えたように見せかけた。正解を引かれそうになったからそんなコトをしたのだろう。
ということは、正解は右だ。
確信を持ってカードをぐっと掴んで引き抜く。かっと眼を見開いてひっくり返す。
「げ」
死神が手の中で笑っていた。
「はい決定! というわけでお願いね、レオン」
「計画どおりですね」
「うるっさい! まだ終わっちゃいないだろ。ほらサキ、今度はお前が罠にはまる番だ」
サキは俺が持つ二枚のカードを一瞥して、迷いなく左を選んだ。
「レオンの負け、なの」
「速すぎるだろ!? ちょっとは迷えよ!」
即断するなんてどんだけ男らしい性格してるんだよ。俺の演技で散々迷わせてやろうと思っていたのに。
「カードの傷に気づいておいて、今更何を言っているのさ」
アホの子に馬鹿にされて泣きたくなった。
どうやらカードの傷は全員が知っていたらしい。というわけで、音沙汰がないリアの様子を確かめてくるという役は俺のものになってしまった。
* * *
「レオン」
解散した後、自分部屋の前まできたところでサキに呼び止められた。昨日あたりからすっかりメイドさんとして動いていたので、今日もほうき片手に掃除でもするのかなと思っていたのだけれど。
「どうしたんだ。ひょっとしてフェリンに何かされたのか?」
思い当たるのはそれくらいだ。恐る恐る確認すると「耳に息を吹きかけてきたから鞘で殴っちゃった、なの」と教えてくれた。あの刀の鞘ならそうとう痛かっただろうな。
「……そういうことを言いに来たわけじゃない、なの」
真剣な眼差しを崩さないサキが身を乗り出してくる。いつになく緊張した雰囲気だったので、部屋の中で話を聞くことにした。
サキが淹れてくれた紅茶を挟んで椅子に腰かける。珍しく恐る恐るといった感じで俺と目を合わせたサキは、リアについて話がある、と切り出してきた。
「リアっちのことを信じてあげて欲しい、なの」
まるで縋るような目だった。あまりに思いつめた様子だったので面食らってしまう。どうして突然そんなことを言い出したのかと聞いてみたところ、どうやらフェリンに色々と吹き込まれたらしい。俺がリアのことを疑っている、とか。
「レオンはリアっちのことをどう思ってる、なの? レオンの敵、なの?」
「そんなことは思っていないけどさ」
ただ、リアが何を考えて行動しているのかがいまいち分からないから何だかモヤモヤしている。友達と会う為だからって、どうして一人でセントアレグリーへ行ったんだろう。理由を教えてくれなかったのは、俺がアイツに信用されていないからなのだろうか。
「むしろアイツに聞きたいな。リアにとって俺は敵なのか? って」
「そんなことは絶対にないの。きっとレオンを信頼してる、なの」
「……だといいんだけどな」
爽やかな香りの紅茶を一口飲む。ホッとするような味なのにどうも落ち着かない。
サキの視線が沈むように机へと移った。向こうのカップの中身は少しも減っていない。息を止めているかのように微動だにしないで琥珀色の液体を見つめていた。
何だか間が持たなくなって、手にしたカップをさらに傾ける。ほとんど飲み終えそうになった頃、意を決したような表情をしたサキが俺の手を取って立つように促してきた。そしていきなり抱きしめられた、というかしがみ付かれた。
「あの、サキさん? どうしたの?」
「お願いなの。二人にはずっと仲良くしていて欲しい、なの」
「だから、どうしてこんな事してるのかなーって聞いているんですけど?」
「フェリンが、レオンにお願い事をしたいならこうしろって言った、なの」
その後は流れに任せていれば良いから、とか吹き込まれたらしい。あのバカ妹に。
力が抜けた腕で引き剥がそうとして、意外にもしっかり抱きついて離れないサキと目が合った。俺の胸あたりにある顔を高潮させながら上目づかいに見つめてくる。小さな口を結んでしがみ付いてくる姿を見て、不覚にも可愛いと思ってしまった。俺が人間相手にそんな感情を持っても虚しいだけなのに。
微かに香る花のような匂いは綺麗な髪のものだろうか。軽く梳くように指を動かしてもサキはされるがまま動かない。指の間を通る感触が心地よくて何度も動かすと、くすぐったかったのか小さく頭をふるわせて、額を俺の胸に押し付けるようにしてきた。
「おーい、わかったから離してくれよ。動けないだろ?」
そう訴えるのに、俺の言葉が信じられないのか全然離してくれない。どうしたものかとしばらく考えたところで、あることを思い出した。
そういえば、サキは右耳が弱いんだっけ。
妹からの情報が頭の片隅に浮かんだ途端イタズラ心が湧き上がってくる。サラサラした長い赤髪を手に取って筆のようにして、ほんのり赤い右耳をそっと撫でてみた。
「にゃっ!?」
てっきり怒って離れてくれると思ったのに、サキは震える体を自分で押さえつけるように腕に力を込めてきた。何度か繰り返したけれど、全身が小さく震えるものの離れてくれない。なので今度は耳の穴を撫でるようにくすぐってみた。
声は上げなかったけれど、サキはビクッと首を竦ませた。小さな手にぎゅうっと力がこもるのがわかる。相当くすぐったいらしく右耳を隠すように体に押し付けてきたので、今度は左耳にイタズラしてみた。
「や、あ……っ」
胸にかかる吐息に僅かに色が含まれているような気がする。首筋まで真っ赤になったサキの潤んだ瞳を見たとたん、何だかとっても悪いことをしているような気がしてきた。
あれ、俺どうしてこんなコトしてるんだっけ――
がちゃり。
「もしもーし、レオンいるー? お客さんが来てる、ん、だ、け、ど」
しつれいしましたー、と背を向けて帰ろうとするミズホに事情を説明するのは本当に苦労した。




