40.お買い物風景
クリスはリアに連れられて甘味処へと移動していた。
厄介ごとに巻き込んでしまったと頭を下げるリアに対し、とんでもないと恐縮するクリスが頭を上げてもらおうとあたふたする。そんなやりとりを店内の端で終えてから、二人は折角なのでとメニューをめくりはじめた。
「ところでリアさんは、どうして選ばれたのですか?」
単純な疑問として出した言葉に、柔らかかったリアの表情がやや固くなる。数秒ほど経ってからクリスの方に視線を戻した彼女は、なぜか口をパクパクと動かして、直後に恥ずかしそうに苦笑いをした。
「……ごめんなさい。その質問には答えられません」
おそらく機密に触れてしまうのだろう。そう判断して質問を変えることにした。
「確認ですけれど、これから僕たちはウィクマムに向かうのですよね?」
ウィクマムという国へ向かい、そこに居座る魔王を倒せ、というのが言い渡された内容だ。改めて口にしてもまるで現実感がない話なので、クリスはなんだか場違いなことを言ってしまったような気がして頬をかいた。
「リアさんは"魔王"について何かご存知なのですか?」
「はい」
しかしそんなクリスの心の内とは違い、目の前に座る女の人はハッキリと魔王の存在を肯定してみせた。
「ど、どんなヤツなんですか? 僕たちが戦って何とかなるような相手なんでしょうか?」
「そうですね。端的に言うなら、優しい人だと思います」
面倒なことが嫌いで、珍しいものを食べることが好きで、ちょっといじわるなところもありますけど。メニューをめくりながらそう答える彼女の様は、なんだか親しい人を語るようだった。
「魔王なのに優しいんですか? 僕にはまるで想像ができないです……って、聞きたいことはそういうコトじゃなくてですね、」
戦ったらどうなりそうですか? という質問を改めてぶつける。彼女はしばらくクリスの目を見つめてから「大丈夫ですよ」と答えた。
「わたしが相手をしますから、クリス君は戦わなくてもいいです」
「そ、そんな訳にはいきません。頼りないかもしれませんが、僕だって男ですから」
明るい茶色の頭髪を激しく揺らしてアピールする。そんなクリスに「ありがとうございます。でも、無茶はしないで下さいね」と答えて、彼女は手を上げてお店の人間を呼んだ。
* * *
「ご注文は、南国フルーツはちみつ漬けとカラフルアイスクリームの二十点セットと特製特注スペシャルパフェと生クリームシフォンケーキ……で御座いますね?」
ウエイトレスが顔を引きつらせながらも完璧に復唱してみせる。呆然とその後姿を見送ったクリスは、テーブルに大量の注文品が運ばれてくる間もポカンと口を開けてしまっていた。あまりの光景に、これは何かの魔術的儀式なのかと疑ったほどだ。
「り、リアさん? ひょっとして僕の他にも仲間の人が来るのですか?」
ようやく現実的な理由を思いついて尋ねてみたが、リアは迷いなく否定してクリスを再び混乱の海へと叩き落す。そして明確な答えを披露してみせた。
「……」
目の前でこれ以上ないほど幸せそうにデザートを食べてゆくのだ。その様は非常に上品で、まるで良家のお嬢様のようだった。その量を除けば、だが。
「ん~~~~! さすがはセントアレグリー随一を誇るお店ですね。いくらでも入っちゃいます」
見ているだけで胸焼けがしそうだったので、クリスは小さなアイスクリームを一つだけ注文して静かに口へと運んだ。
彼女いわく、甘味は精神力の回復に最適なのだという。魔術を操る際には魔力と並んで必要なものだが、ただ寝れば回復するというものではない。精神力は自分の心理状態に大きく左右されるので、その回復方法は人それぞれなのだ。
でも"甘いものを大量に食べる"なんて方法を見るのは初めてだった。ちなみにクリスはわりと一般的な瞑想派だ。
「いろいろ疲れちゃった時は、無性に甘い物が食べたくなっちゃうんです」
という事らしいが、いくらなんでも限度ってモノがあるんじゃないだろうか。呆気に取られたクリスは、思わずぽろりと疑問を口にしてしまった。
「そんなに量を食べたら太りませんか?」
「くりすくん」
白い頬がリアの綺麗な両手に挟まれる。突然のことに真っ赤になってしまったクリスに向けて優雅な微笑みを浮かべた彼女から、強烈な頭突きが飛んできた。
* * *
潤んだ瞳でおでこをさすっているクリスは、綺麗に完食してみせたリアと共に武器を扱う店へと向かっていた。
見習であるクリスはまだ実戦に向く武器を所有していない。それでは万が一の時に困りますよね、ということで言われるままに大きな店へとやってきた……のだけれど。
「ようこそいらっしゃいました」と支配人らしき男が恭しく頭を垂れる。貴族を相手にするようなその所作に足が思わず後ずさるが、リアの小さな手に捕まってしまいズルズルと引きずられていく。
「リアさんってどこにそんな力隠してるんですか」
「クリス君は得意な武器とかあるんですか?」
見事に無視されてしまった。
抵抗空しく高級そうな構えの店に自然と入っていった彼女から「好きな武器を選んでくださいね」と言われて戸惑ってしまう。お金の心配は要らないと言われても、ここに並んでいるものは一般人には相当の時間をかけないと買えないような金額だ。特に高そうものなど値段が書かれていない。ひょっとしたら一生かかっても買えないレベルなのかもしれない。
「あ、あのっ。僕にはちょっと高級すぎますよ」
ぱっと見ただけでも高純度魔宝石を埋め込んだ杖や本物の龍麟を使った武具など、熟練の人物が愛用するような品物が並んでいるのだ。勇者見習いごときが扱うにはあまりにも大それていた。
「遠慮なんてしなくていいですってば……コレなんてどうです?」
彼女が指したのは、魔術強化された銀を多く含んでいるという一対の短剣だった。見るからに高級そうなそれの値段を恐る恐る確かめて、思わず悲鳴を発してしまった。
「きっ、金貨一万枚!?」
ちなみに、この国の一般的な成人が得る平均年収はおよそ金貨百枚程度だ。
ガタガタと震えだしたクリスに構わず、彼女は短剣を手にとり柄を差し出してくる。なだめすかされて恐る恐る握ってみると、その手に微弱な雷が流れたように感じた。
「雷の魔法石が柄に埋め込まれています。刀身は極限まで雷に親和する銀を多く使用しており、雷の魔術効果を増幅させられます。よって、雷の使い手にとっては至高の一品です。鍔が大きめに作られていますが、この部分は非常に強固ですので魔術を含むあらゆる攻撃を受け流すことが可能です」
どちらかというとリアに向かって説明した店員の言葉に、どことなく納得する。これは雷そのものと言ってしまっても良いのかもしれない。吸い付くように手になじむ感覚に魅了されて、一度だけ軽く振ってみた。
「すごい……」
まるで重さを感じない。手にした時には感じていたそれが幻だったかのように消えてしまうのだ。大きな鍔も邪魔になると思っていたが、むしろ手を守ってくれる安心感の方が大きかった。
改めて刀身を見ると、角度を変えるごとに細かに掘り込まれている呪術紋様が次々と浮かび上がってくることに気付く。超がつく一流工匠でないとこんな細工はできないのではないだろうか。ただ希少金属を使っているだけではなく、素晴らしい細工も施されているこの短剣の価値を考えると、金貨一万枚という値も決して法外なものではないように思えた……けれど、高いものは高い。
「うん、いい感じですね。じゃあコレください」
「えっ!?」
サラサラと契約を進めてゆくリアはものの数十秒で支払いを済ませると「きっとクリス君を守ってくれますよ」と言い残してすたすたと歩いていってしまった。
「お客様、こちらが専用の鞘でございます」
これまた凝った意匠を施されたそれを恐る恐る受け取る。クリスは丁寧に刃をしまうと慌ててリアの後を追った。
「リアさんは買わなくて大丈夫なんですか? 防具だけでも新調したほうが良いと思うのですけれど」
リアが纏うのは美しい光沢を放つローブだが、この国ならばもっと高性能のものが手に入るだろう。目が飛び出るほどの金額をぽんと払えるのなら是非そうした方が良い、と主張したクリスに対し、彼女は首を横に振った。
「あの人の攻撃をまともに受けてしまえば、防具をつけていてもいなくても結果は変わらないと思いますし」
でも君にはちゃんと用意した方が良いかな、と言われてクリスは慌てて否定した。ここで頷いたらどんな高級品を用意されるかわからない。緊張してしまい、かえって動きが鈍くなってしまいそうだ。
幸い今度は話を聞いてもらえたが「できる限り安全な場所にいてくださいね」と念を押すように言われてしまう。クリスはその言葉に頷くことしかできなかった。
これでも勇者候補生なのだ。魔術使いが普段から身に纏っているような微力な魔力でも感じ取ることくらいできる。しかしリアの周りを静かにたゆたうそれはあまりに透明で、最初はまるで見えなかった。頬を手で触れられたあの時にやっと感じられたのだ。
恐ろしく静かで、それでいて力強い。それを理解した時に、絶対にこの人には敵わないと思い知らされてしまった。
「完全に足手まとい、だよなぁ……」
単純な比較はできないけれど、恐らく彼女の実力はこの国の勇者にも匹敵しうる。クリスは自分がここにいる理由を全く見つけられなかった。