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消された天下人〜歴史から消えた男と、消えかけた男〜  作者: チャプタさん


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第23話:三人衆の意地

第23話:三人衆の意地


 永禄四年十二月中旬の飯盛城は、年末の煤払い(すすはらい)と、忍び寄る合戦の不気味な気配が交錯する、異様な緊迫感に包まれていた。

 城内の各曲輪では、竹箒を手にした足軽たちが屋根瓦や鴨居の埃を打ち払う「サッサッ」という乾いた音を響かせ、空には煤と灰の混ざった黒い煙が寒風に乗って舞い上がっていた。

 しかし、本丸の大広間・千畳敷(せんじょうじき)の空気は、煤払いの賑わいとはかけ離れた、凍りつくような殺気に満ちていた。

 南近江の雄・六角右衛門督義賢が数万の大軍を率い、京の近江国境へと進出し始めたという報せが届いたのだ。

さきに急死した十河一存の不在を突き、反三好勢力が本格的な軍事行動を起こしたのである。


千畳敷の広間の中央には、炭火が赤々とおこされた大きな火鉢が置かれ、その周囲に三人の武将が腕組みをして座していた。

後に「三好三人衆」として歴史にその名を刻むことになる、三好政権の最高幹部たちであった。

一人は、二の丸の行政を司る理論派・岩成主税助友通(いわなりちからのあるすけともみち)。

一人は、三好一族の長老格であり、寺社交渉や国衆の調整を担う筆頭格・三好日向守長逸(みよしひゅうがのかみながやす)。

そしてもう一人は、頭に黒い手拭いを巻き、顎一面に濃い髭を生やした、武断派の猛将・三好下野守政康(みよししもつけのかみまさやす)であった。

広間の端には、右筆補佐として書類の控えを抱えた悠真が、息を殺して控えていた。


「岩成! 日向(長逸)! 何をごちゃごちゃと帳面を捏ねくり回しておるのだ!」

武断派の政康が、太い膝をドスンと叩き、雷のような怒声を上げた。

政康のギラギラと光る目が、友通と長逸を交互に睨みつけた。

「六角が二万の軍勢で京へ向かっておるのだぞ! ぐずぐずしておれば、京の都は六角の手に落ちる! 今すぐ河内と摂津の領内から年貢米を繰り上げて徴収し、堺の商人どもから銭を力任せに借り集めて兵糧と弾薬を揃えるべきだ! 民や商人の不満など、合戦に負けて国を失うことに比べれば蚊の刺したようなものだ!」


政康の過激な主張に対し、長老格の三好長逸が静かに首を横に振った。

六十代半ばの長逸は、白い髭をたくわえ、しわの刻まれた顔に深い苦悶の色を浮かべていた。

「下野(政康)殿、そう焦るな。……無体な繰り上げ徴収などを行えば、さきに天野殿の件で騒ぎになりかけたように、民や商人の心は一瞬で三好家から離れる。……我が筑前様(長慶)が命を削って作り上げられた『お裁きによる天下の平定』という大義が、根本から腐ってしまうのだよ」

友通もまた、文机の上の帳面を指差して冷徹に反論した。

「その通りだ、下野殿。強引に銭を奪えば、堺の会合衆は兵糧の買い付け手形を拒絶する。そうなれば、合戦の陣陣へ米を運ぶ舟が止まり、兵は戦う前に飢え死にするぞ。……合戦の勝敗を決するのは、勢いではなく帳簿の裏付けなのだ」


「ぬうう……! ではどうするのだ!」

政康が溢れんばかりの血感を顔にのぼらせ、激しく畳を叩いた。

「帳簿の裏付けだと!? 六角の槍ぶすまが押し寄せてきたとき、その紙切れ一枚で敵が退くか! 米が足りねば兵は動かせん! 銭が足りねば鉄砲は撃てん! お前たち文官は、綺麗な言葉ばかり並べて現場の兵を殺す気か!」

政康の激しい怒声が、千畳敷の天井を揺らした。

友通も長逸も、唇を噛み締めて黙り込むしかなかった。

両者の言い分は、どちらも正しかったのだ。

武力で国を守らねばならない政康の焦りと、政権の法的・経済的信用を守らねばならない友通・長逸の苦悩。

評定は完全に平行線をたどり、重苦しい沈黙が広間を支配した。


その時であった。

部屋の端に控えていた悠真が、膝を正し、静かに手を挙げた。

さきに自らの浅はかな改革案で二の丸を大混乱に陥れ、友通から「正論だけでは人は動かない。泥の中の人間を見ろ」と教えを受けた悠真の胸の中に、ひとつの「答え」が組み上がっていたのだ。

「……お言葉ですが、三好の幹部の皆様。僕にひとつ、案がございます」

悠真の声は小さかったが、静まり返った広間にハッキリと届いた。

政康が鬱陶しそうに悠真を睨みつけた。

「ああん? 二の丸の奇妙な右筆か! 文官の青臭い説教なら聞きとうないぞ!」

だが、友通が政康を制した。

「待たれよ、下野殿。天野殿は、さきの大混乱を経て、現場の痛みを誰より知る男だ。……聴いてみようではないか」


悠真は前に進み出で、三人衆の前に膝をついた。

抱えていた和紙の調書を広げ、落ち着いた声音で語り始めた。

「政康様の『今すぐ軍費と兵糧を確保せよ』というお考え、誠に正論でございます。そして友通様、長逸様の『民と商人の信用を守るべし』というお考えも、絶対に譲ってはならない三好家の命脈でございます。……双方の面目を保ち、誰一人泣かせずに軍費を揃える方法がございます」

「何だと……?」

政康が眉をひそめた。


悠真は和紙の上に、アラビア数字と和紙の図面を素早く描き出した。

「まず、農民からの年貢の繰り上げ徴収は行いません。その代わり、二の丸の兵糧蔵に備蓄されている『非常用留置米』のうち、三割を一時的に合戦用に放出いたします。……そして、足りない銭については、堺の大豪商だけに頼るのではなく、堺の会合衆全体に対して『請負通宝手形(短期借入証書)』を発行いたします」

長逸が身を乗り出した。

「請負通宝手形だと?」

「はい。三好家が『来年の春の作徳米から、一割の利息を上乗せして優先的に返済する』という約束手形を堺の商人たちに売り出すのです。……これを行えば、商人たちは『確実な利息が得られる投資』として喜んで銭を差し出します。強奪ではなく、正式な取引として資金が集まるのです」

悠真はさらに、政康に向かって言葉を重ねた。

「そして政康様。集めた銭で堺から兵糧を購入する際、輸送を担当する阿波や和泉の国衆・小武士たちに対し、一時的に『関銭の通行料』を三好家が立て替えて支払います。……これを行えば、小武士たちは『三好家は我らの利権を守ってくれた』と感謝し、命がけで兵糧を六角との陣前まで運んでくれるはずです」


広間の中に、静寂が訪れた。

友通と長逸が、悠真の書いた図面と数字を食い入るように見つめた。

長逸が感嘆の溜息を漏らした。

「……見事だ。これならば、民から無理に米を奪うこともなく、堺の商人にも損をさせず、現場の小武士たちの面目も保てる。……そして何より、三日以内に数千貫の銭と米が手に入る!」

友通も深く頷いた。

「完璧な調達案だ。前回の失敗を糧にし、現場の人間たちの利害と面目を完璧に計算に入れておる……」


武断派の政康が、じっと悠真の顔を見つめていた。

やがて、政康の髭に覆われた口元が、豪快に横へと裂けた。

バン!!

政康が自らの太腿を力任せに叩き、腹の底から大声を上げて笑い出した。

「ハハハハハハ! 面白い! 面白いぞ、天野!」

政康は身を乗り出し、悠真の肩をガシリと力強く掴んだ。

「お前はただのひょろひょろした文弱の鼻垂れかと思っていたが、肚(はら)の据わった男だな! 武士の面目も、現場の兵の胃袋も、帳面の計算で見事に救ってみせた! 見事だ!」

政康の太い手の圧力が、悠真の肩に心地よく響いた。

長逸も温かい笑みを浮かべ、悠真に向かって頷いた。

「天野殿。そなたのおかげで、三好の家は仲間同士で傷つけ合うことなく、六角との決戦に挑むことができる。……感謝するぞ」


悠真の胸の中に、温かい熱が広がっていった。

歴史の教科書では、三好三人衆といえば「長慶の死後に主家を崩壊させた裏切り者」「浅はかな悪役」として描かれることが多い。

だが、目の前にいる彼らの実像は違っていた。

武力を司る政康も、内政を司る友通も、外交を司る長逸も、全員が三好長慶という主君を敬い、己の与えられた場所で「三好家という国を守るため」に必死で意地を張り合っていた、圧倒的な仕事人たちだったのだ。

彼らは決して悪人などではない。ただ、過酷な戦国の現実の中で、己の責任を果たそうと必死に戦っていた大人たちなのだ。

(この人たちを……この三好家という素晴らしい組織を、僕は守りたい)

悠真の中に、単なる観察者を超えた、深い「組織への愛着」と強い責任感が芽生えていた。


三人衆は悠真の案をそのまま採用し、即座に決戦のための軍費調達手形にそれぞれの花押を押した。

評定がまとまり、千畳敷を退出する際、政康が悠真の背中をポンと叩いた。

「天野! 来年の合戦、お前の集めてくれた米と銭で、わしらが六角の鼻柱を叩き折ってやるからな! 二の丸で楽しみに待っておれ!」

「はっ……! ご武運をお祈りしております!」

悠真は深く深く頭を下げた。

窓の外では、煤払いの終わった飯盛山城に、静かな夜の闇が降りてきていた。

来たるべき永禄五年という、三好家にとって最大の試練の年へ向けて。

三好三人衆と悠真、そして長慶を支える仕事人たちの心が、ひとつに固く結ばれた瞬間であった。

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