1.男爵庶子 ユレシア・イルベルト
「この、バカ息子がっ!」
ガラガシャーンッ!!
頬にかなりの衝撃と痛みを受け、ユレシアの体は壁まで吹っ飛んだ。
さすが、元騎士の親父様は、力がお強い。
「歓楽街にはあれほど行くなと言っただろう! 何故守れないんだ!?」
ユレシアはゴホゴホと咳き込んだ。
口の中を切ったようで、血液混じりの唾液が出てくる。
「親父様の遺伝で、性欲が強すぎまして……」
「アホかーッ!!」
ユレシアの父親である、ガレシアは、大声で叫ぶと、机上の書類をぶわさっとユレシアにぶつけた。
ここは、ガレシア・イルベルト男爵の屋敷。
ガレシアの息子であるユレシア・イルベルトの部屋である。
ガレシアは騎士として30年前の戦争で功績をあげ、男爵位を賜り、小さな領地を治めている、いわゆる成り上がり貴族である。
ユレシアはガレシアの3番目の息子で、ガレシアがうっかり手を出してしまったメイドの子だ。
本来なら、すでに後継ぎがいるこのイルベルト家に、庶子であるユレシアの居場所などないのだが、ユレシアは幼少期から兄たちより勉学に優れていたため、領地経営の観点から、部屋を与えられ、父親であるガレシアの手伝いをしているのだ。
ちなみにユレシアの母親は、生活をイルベルト家から保証され、田舎でのんびりカフェを経営している。
ユレシアは、ガレシアの人を大切にするところを、結構尊敬している。
そんなガレシアが、殴るほどの事というのは……
「領主のイルベルト家の息子が歓楽街で遊び呆けてるいると、噂になっているんだよ!」
「変装したんですが……」
「行く事自体が問題なんだ!」
ガレシアは、バァンと机を叩く。
ユレシアは、「それでしたら」と立ち上がった。
「男の召使いではなく、メイドをつけてください」
「手を出すだろう!?」
「はい。同意があれば」
「アホかーッ!」
ガレシアは机をドォンと倒す。
相変わらずの、馬鹿力である。
机に置いてあった、インク壺が倒れ、絨毯に黒い染みが広がっていく。
同室にいたユレシアの召使いであるカラムが、ゆったりした動作でインク壺を片付ける。
カラムは60歳になる年配の召使いで、ユレシアの仕事も手伝う優秀な男だ。
「お前がそんな風だから、もう23歳なのに、誰もお前の嫁に来たがらないんだよ……」
ガレシアは頭を抱えている。
ユレシアは、それは違う、という言葉を飲み込んだ。
ユレシアが真面目に過ごしていたとしても、成り上がり男爵家の、さらに庶子であるユレシアの妻になど、誰もなりたくないのだ。
ユレシアに嫁がされることは、貴族令嬢にとっては、もはや処刑なのである。
それではあまりにも、その令嬢が可哀想だ。
「親父様、前にも言いましたが、私は結婚する気はありません。領地経営の仕事はお手伝いしますので、そこはお願いしたいのですが……」
「お前の言いたい事は分かっている。私も結婚を無理やりしろとは思っていない。結婚をしたら女遊びがなくなるかと思っているだけだ」
ガレシアは、倒した机を元に戻しながら言う。
ちゃんと戻すところが、ガレシアの良いところである。
「ああ、そういうことですか……」
ユレシアは、それは本末転倒だ、と息を吐いた。
結婚をしないために、女遊びをしているのだ。
まあ、もちろん、趣味も大いに入っているが……。
「ユレシア、その、奴隷の女性は、どうだ?」
ガレシアは、とても言いにくそうに、腕を組みながら言う。
「珍しいですね。親父様が奴隷の話をするなんて……」
この国は、奴隷制度がある。
この国の貴族にとっては、奴隷を買うことは普通のことなのだ。
もちろん、奴隷の人権を守る法律もあるのだが、貴族の家で何をしているかなんて、結局は誰にも分からない。
ガレシアは元平民ということもあり、この奴隷制度に難色を示す珍しい貴族の1人である。
「……奴隷制度は気に食わないのだが、ユレシアが歓楽街に行かないのであれば、まあ……」
「……そんなにダメでしたか。歓楽街へ行くのは……」
「今、殴られたのをもう忘れたのか? そんなにダメなんだよ。ホント、やめて」
どうやら、かなり外聞が悪いらしい。
ユレシアからすると、歓楽街はダメで奴隷はいい、というのも納得出来ないが、秘匿性の問題だろうか。
「分かりました。歓楽街通いはやめます。でも、奴隷は要りません」
ユレシアは、キッパリと言い放った。
ガレシアは頷くと、ユレシアに封筒を渡した。
ユレシアは封筒を受け取り、中を確認する。
封筒の中身は、金貨だ。
「……? 何故、金貨を?」
「その金貨で、まあ、買うといい……好みの女性を……」
ユレシアは愕然とした。
奴隷は要らないとハッキリ言ったのだ。
「あの、信用されていないということでしょうか?」
「ああ。悪いが、全然、全く、信用していない」
ガレシアは、ユレシアよりもキッパリと言い放った。
こうして、ユレシア・イルベルトは、奴隷を買うことになったのだった。




