【EP.4】人形館へ
ルーヴァを気が済むまで撃ったあと、私は再度部屋を物色してフィカシオの手帳を見つけ出し、中身を確認した。
けれど、不思議なことに「講義」を受けるという予定は一切入っていない。
そのため、姉さまやルーヴァと別れて太陽が頂点に辿り着くまでの間、私は部屋にあったメイド服に着替えて学園のあちらこちらへと一人で探索していた。
文字通りのフィカシオが残した遺産、――彼女の財布に入っていた貨幣は当分の生活には過不足がない金額のようだ。
その貨幣で新しい包帯を購買部で購入したり、購買部の隣に存在する食料品店で昼食のバケットと果実のジャムを購入した。
そして、学園の中央にある食堂にて、温かい紅茶とともに柑橘系のジャムを塗ったパンを頬張る。もちろん、食事にありつく前に自分の右腕に清潔な包帯を巻き直してから、紅茶が冷めぬうちに頂くのだ。
ふと学園の景色を思い返すと、どのフロアも白亜の石材をふんだんに使用した、高級感溢れる内装になっていた。
また、キャタピラで移動するゴーレムが巡回と建物の修復を行っており、私が魔法の存在する世界へと転生したのだと再度突きつけたのだ。
そんな感じにきままに食堂でフィカシオの手帳を読みながら昼を過ごしていたところに、憎たらしい悪魔が私に向かって鼻歌混じりに歩いてくる。
……全て、フィカシオが予想した通りの展開。私がこうして回復して歩いていることがとある人物に伝われば、向こうから接触してくるだろうと手帳に書いてあったからだ。
「とある教授から貴殿をお呼びするように承りました。彼女の名前は『リゼリエット』と言うのですが……」
「……そうだね、私は聞かなかったことにするよ。それでいいでしょう?」
ルーヴァがケラケラと笑う。その様子は私に苛立ちを覚えさせるけれど、紅茶を口にすることで落ち着かせた。
「――残念ながら、貴殿に拒否権はございませんので。恨むなら、自らがレンデドール侯爵家令嬢である事実を憎むことです」
……『リゼリエット』。ゲーム内では一度も本人の姿を見る機会はないが、自身の「作品」を介して主人公たちを支援する役割を持っていた。
リゼリエット自身が登場しない理由はゲーム内ではわからないけれど、こうしてフィカシオの日記を読んだあとは少し状況が変化する。
フィカシオが書き記した彼女のフルネームは、『リゼリエット・ルーデスメルナ』。やんごとなきお方の末子の少女で、生まれつき病弱な人物だ。
「面倒だね、ルーヴァ。それが彼女の号令ならば、私は逆らえないわけだ」
「ご理解早くて助かりますとも。ええ、彼女の方が貴殿より『上』であるが故に」
残っていた紅茶を飲み干し、ルーヴァから儀礼用の短剣を受け取る。
「服装は?」
「そのままで構いませんよ。彼女もそこまでの礼節は求めていないようですから」
――むしろ。そうルーヴァはため息混じりに続ける。
「貴殿が着ているそのメイド服は侯爵家特製の物で、戦闘の妨げになりません。下手に死にたくなければ、『無礼』を恐れずにそのままで向かうべきです」
「これが戦闘用であるのは彼女も知っていると思うのだけど、戦う前提で対話しにいくのはどうだろうと思うよ?」
彼は小さな魔法を起動する。
空中に天球儀が現れ、筒の形に丸めた羊皮紙が天球儀の表面から突き出るように現れる。
それをルーヴァは天球儀から引き抜き、テーブルに広げて私に見せる。
羊皮紙に描かれていたのは、三つの紋章。
三日月を瞳に宿した眼を模した装飾を埋め込んだ、盾の紋章。これはゲーム内では出てこなかった、私の知らない紋章だ。
でも、三本の剣を竜のシルエットの上で交差させた紋章と、広げた手のひらの中心に太陽が輝く紋章は知っている。
王家の剣――レンデドール侯爵家。
そして、太陽すら掌握するとまで称される権力を持つ存在で、国の頂点に座す王家――ルーデスメルナ王家。
「『月』は貴殿やウィントレス様に好意的ですがね」
ルーヴァが手で盾の紋章を撫でると、インクは霧散してどこかへと飛んでいった。
「生憎、『太陽』とは良くも悪くも影響を与え合い、剣を帯刀し向かい合う関係でございます。理由も聞きたいですか?」
私は首を左右に振る。
「ゲームでも『王族』の首を直接ねじ切れるのは将軍だけだ、みたいなセリフはあったね。どの世界でも権力と力のバランスは難しいのかもしれない」
羊皮紙の上で、太陽から放射状にインクがツルのように伸び、剣の切っ先から溢れ出すインクの波に向かって激突しては紙面にその黒を撒き散らす。
本当に、面倒だ。もう少しフィカシオの両親が王に従順だったら状況は違ったのかもしれないけど、作品内では二人は結構上にもはっきりと物申す性格だった。
だから、こじれているのだろう。少なくとも、「王族の末席」と対話するのに無礼を気にせず身を守れと言われるくらいには。
「でも、そこまで嫌われてはないみたいだね」
ただ、王族の前で戦闘用の装いをしても許されるくらいには信用されているのもまた事実だ。
「ですが、慎重に振る舞うように。我らが面白い駒を失うような稚拙な真似はするな、と言っておきましょう」
「わかった。……じゃあ、案内して?」
――「いいえ、その役目は私ではないのですよ」。そう口にして、ルーヴァは自分の背後から飛んでくるミミズクを自分の肩に止まらせる。
ルーヴァが漆黒の羽毛を持つフクロウであるように、同じような艶をまとった黒い羽毛のミミズクだ。
「こちらは『ミシアス・リシェルト』。我らが同胞でございます」
発光すらしていると勘違いしそうな光輝を放つリシェルトの青い瞳が、私を正確に捉える。
瞳の妖麗な輝きに魅せられ、私は彼女に左腕を差し出した。
「初めまして、リシェルト。私のことはどこまでわかっているのかな?」
「ええ、初めまして『フィカシオ』。レンデドール家が連ねてきた『歴史』のことも、貴女の『真実』も、侯爵家筆頭使い魔の私はどちらもよく知っている。そう言っておきましょう」
すべてを知っていると、鈴が鳴ったように甘美な少女の声は告げた。過去のフィカシオも、いまの私がまとう嘘も知っていると、彼女は遠回しに伝えているのだ。
なら、あまり遠慮や配慮はしなくていいのだろうか。
私の左腕に飛び移った彼女を観察しながらしばしそう熟慮していると、彼女は腕を伝って肩へと移動した。
そして、耳元でこう囁くのだ。
「……振る舞いと、真実を口にすることにはお気をつけくださいませ。悪魔より悪辣なる者はそうそう居ませんが、悪魔に唆された人間より醜悪で滑稽で冷酷な存在もなかなか居ませんので」
「――それは、『他の転生者』に気をつけろということ?」
リシェルトが耳から少し距離を取る。
「ええ、それで構いません。使い魔として仕える主人の一人として、ゲームの駒の一つとして、貴女には二つの意味で死んでほしくないだけですので」
彼女が地面へと降り立つと、羽毛がなにもない地面から浮かび上がって彼女を覆い隠し、人型の形へと羽毛は凝縮されていく。
塊が幼い少女の形に定まると、まとまっていた羽毛が離散して内側から黒い頭巾を被った人物が現れる。
黒いゴシックドレスに身を包んだ彼女とこうして相対すると、周りで見ていた人からしたら主従関係がよくわからないことになっていると容易に予想できた。
威厳はあれど小さな彼女が、私に向かって右手を手のひらを上にしたまま差し出してくる。
「では、ご案内致します。フィカシオお嬢様」
私はその手のひらに、自らの包帯だらけの右手を乗せた。
彼女は礼をしつつ私の手の甲に口づけをする寸前まで顔を近づけ、そこで瞑目してそのまま手の甲に自身の額をくっつける。
「……深き鉄の香り、私めも嫌いではありません。けれど、それが自らが信ずる象徴から漂うものであれば、得られる物は『愉悦』ではなく『不快』へと転ずるのです」
「そう、わかった。できる限りは気をつけるよ」
しばし、私たちは沈黙を甘受した。私も、彼女も、その言葉を重ねることはない。
フクロウ頭の男がわざとらしく咳払いをするまで、世界が時間を刻むことを忘れていた。
「我が同胞よ。時間は有限だとも」
「無粋ですよ、アン・ルーヴァ。時間は確かに限りあれど、生命の一挙一動から生まれる輝きを見逃さぬように」
反論されたルーヴァは、一瞬だけ苦虫を噛むように悔しげな表情を浮かべていた。けれど、すぐに見慣れた無愛想な顔に戻った。
彼は周囲に羽を渦のように撒き散らしながらフクロウの姿に変身した。そして、抗議するように一鳴きして地面から飛び立って、食堂出入り口のアーチを潜ってどこかへと姿を消す。
私はリシェルトの後ろに付いて、彼と同じように食堂をあとにした。
――学園の学舎から出て、学園の敷地内に建てられた煙突が無数に生えた建物――工房棟の横を通り過ぎ、生徒が実習をしている最中の薬草園の温室と露地の畑を横目に目的の建物へと足を進める。
「今晩は弱った体に『薬草の粥』などはどうしょう? 我らが使い魔が手塩をかけて素晴らしい一品に仕上げると、この場で約束いたしますよ」
そうだね、とても魅力的な提案だ。けれど、一つだけ言うならば。
「お気遣い染み渡るよ。ところで、味は?」
彼女は歩く速度も体の向きも変えず、静寂を返答としてこちらへ投げ返す。よって、再度問いかける。
「味は大丈夫なの?」
彼女はくすりと短く小さく笑い、緊張感の薄れた声で問いに答える。
「薬効は保証しますが、味はまあ……【良薬は口に苦し】というではありませんか。食べられる物にはなると誓いましょう」
食べられるが、美味しいとは言っていない。利点だけはしっかりすれど不安要素自体はなにも拭えていないことに対して、少し大げさにため息をつくことで抵抗の意思を示す。
それでも、彼女の声は楽しげに笑うだけ。だから、気になったのかもしれない。
私は歩調を早め、彼女の隣へと並んだ。
私が本物のフィカシオではないと知っていながら、まるで旧友と過ごすかのように彼女は微笑んでいた。
どこまでも不気味で、……どこまでも無垢な笑顔で。だからこそ、この質問はとても意地悪なものになるはずなんだ。
「君は自分の主人が、本当のフィカシオが死んで悲しくないの?」
鳩が豆鉄砲を食らったかのように、ミミズクの少女は私を疑問符を顔面に張り付かせながら見つめる。
そうだね、私も答えを知っている。彼女の共犯者として、私は彼女の言葉をこの目で読んでいるんだから。
「分かっているでしょうけども、それは愚問ですよ。我らが主は現世での再会を約束してくださいましたから」
彼女が立ち止まり、その場で背伸びしながら右手の人差し指で私の額を軽く押した。
「そして、同時に貴女も我らが主人なのです。薄々は気付いているのでしょう?」
彼女の指が羽毛として散らばり、私の光を黒い羽が遮る。
真実は、真紅の中に。私の記憶に混じって、見知らぬ記憶がフラッシュバックする。
けれど、謎の記憶を掘り起こされたことへの不快感は一切なくて、その代わりに懐かしさと幸福感を覚えたのだ。
彼女は私の深奥を抉り取るように、その口から鋭く声を紡ぐ。
「貴女のことは下調べしましたけど、確かに誰かを演じる事ができる特異性がある。けれど、一方で演じるためのきっかけを持っていなければ、――『お前はそもそも演じることを選択しない』」
「そう、よく知ってるね。なら、これまでの感情はすべて刷り込み――」
彼女の指が私の唇に触れると、続く私の声が鳥のさえずりへと変換されて世界へ放たれる。
「誤解なさらぬように。貴女が持っていたフィカシオというキャラに対する執着も、彼女が死してなお貴女に残した傷跡も、貴女がウィントレス様に感じた共感や憐憫や狂信も」
彼女の指が私から離れ、彼女は目的地の方角へと向き直る。
「全てが、紛れもない『真実』。そこに嘘も偽りもないのです」
なら、信じていいのかもね。この身に溢れる感情も、屁理屈で塗り固めた自分の美学も。
――薬草園の先に歩いていくと、「ゲーム内では存在しなかった」質素な館が建っていた。その外見のシンプルさに反して建物自体は巨大であり、館の外では複数の「人形」が様々な作業を行っている。
「さあ、油断はなさらぬように。『人形館』の主は手厳しいですよ?」
「そう。じゃあ、お手並み拝見と行こうよ」
私は館の扉に付けられた「太陽」を模した形の叩き金で、静かに四回ノックをした。




