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第109話 山の研修施設に、三校分の荷物

# 山の研修施設に、三校分の荷物


 七月下旬。夏休み。バスの窓の外に山が見える。


 去年は海だった、かもめ荘、規模が全然違う。


「山だ! 去年は海だったのに!」


「去年の海 今年の山と 変わりゆく」


「五七五で季節を詠むな!」


「季節ではなく場所を詠んでいます」


「場所でも詠むな!」


「レベルアップの音が聞こえます」


 ラノベの読みすぎだ。


 ひなたが窓に張り付いている。


「山! ファンタジーの舞台みたい!」


 ラノベ脳だ。山を見るとファンタジーの舞台に見える。ひなたの世界は常にフィクションに接続されている。


 詩織さんが取材ノートを開いている。


「山の空気は文章に良い影響を与えるそうです。標高が上がると酸素が薄くなって脳の状態が変わる」


「取材はどこでも取材だな」


 ひなたが。


「主人公補正かかってます!」


 と親指を立てた。


 


 先生がポケットに手を突っ込んだまま。バスの中でもポケットに手を入れたまま。先生の缶コーヒー。


    *


 研修施設に到着した、山の中腹の古い建物、山の匂い。


 ロビーに三校分の荷物が積み上げられている。朝凪七人。かもめ荘の四倍だ。


 桜庭が部活Tシャツで到着した。合宿でもTシャツ。文芸部で合宿Tシャツ。


「合宿でもTシャツ!」


「合宿用です! 背中に"合宿"って書いてあるでしょ!」


「書いてある!! 文芸部合宿Tシャツ!!」


「壮介先輩。朝凪にはないんですか?」


「ない!! でも欲しい!! 凛先輩!」


「却下だ」


 凛先輩が即却下した。朝凪のユニフォームは畳の匂いだ。Tシャツではない。


 白石が制服ではなく私服で来ていた。穏やかな笑顔。


「よろしくね。三日間」


「よろしく! 白石くん!」


 壮介が白石の手を握った。握手。壮介の握手は力強い。白石が「手が痛い」と笑った。壮介の握手力はフェスの時から変わらない。


 氷室が到着した、北嶺の四人、静かだ。全員がノートを持っている。


「また会いましたね」


 氷室が詩織さんに声をかけた。


「氷室さん。三日間よろしくお願いします」


「千歳さんの朗読、また聴けるんですか」


「朗読の予定はありませんけど、合評会はあります」


「楽しみにしています」


 氷室が詩織さんに微笑んだ。微笑み。楓のほうが観察している。


 凛先輩が全員を見渡した。二十人、三校、一つ屋根の下。


「全員揃ったか。始めるぞ」


    *


 部屋割りが発表された。


 男子部屋。陽翔、壮介、白石、氷室、桜庭の田辺。部室と同じ畳だ。


「畳!! 畳があるぞ!!」


 壮介が畳に飛び込んだ。大の字になった。畳の上で転がっている。文化センターには畳がなかった。研修施設には畳がある。壮介にとって畳は母国の大地だ。


「壮介。行儀が悪い」


「畳がある!! 安心する!!」


 白石が荷物を丁寧に並べている。同じ文芸部員なのに生活力の差がひどい。


「氷室くんと同室!」


 壮介が氷室に近づいた。氷室が半歩下がった。壮介との距離感を測っている。壮介は距離が近い。


「大和くん。声を落としてもらえますか。同室なので」


「落とす!! たぶん!!」


「たぶん、ではなく確実にお願いします」


 


「たぶんが消えていません」


 壮介と氷室の同室。声最大の男と静寂を愛する男。相性最悪の組み合わせだ。凛先輩が意図的にこの組み合わせにしたのかもしれない。


「壮介のいびきが問題だ」


「いびきかかない!」


「去年の合宿で録音した。証拠がある」


 


 白石が興味を示した。


「録音聴かせてもらっていい?」


 三秒聴いて白石の表情が変わった。


「これは壮介くんの声ですか?」


「いびきだ」


「いびきがこの音量ですか」


「壮介のいびきは壮介。壮介の叫びと同じだ。百五十パーセント」


「耳栓を持ってきました。正解でした」


 白石が鞄から耳栓を取り出した。準備がいい。白石は壮介のいびきを予測していたのか。フェスの時に壮介。壮介のテンションを知って、いびきの音量を推定したのかもしれない。分析屋の予測力は日常生活にも発揮される。


「大和くんの壮介の熱量に耐えられるか不安です」


 氷室の不安は正しい。氷室の安眠が危うい。


 女子部屋。詩織さん、楓、ひなた、桜庭の女子部員二名。


 ひなたが。


「女子だけの部屋!」


 と嬉しそうにしている。楓が正座で荷物を整理している。詩織さんが万年筆を枕元に置いている。


 壁越しに楓の声が聞こえた。


「同室の 顔ぶれ多彩 眠れぬ夜」


 壮介と楓のリズムは壁を超える。


    *


 夕食、食堂。長テーブルが並んでいる。二十人分の席、壮介が。


「朝凪はこっち!」


 と叫んで席を確保した。声で席を取る。壮介の席取り術は声に依存している。


 氷室が食堂の端で一人で座ろうとした。壮介がそれを許さなかった。


「氷室くん! こっち来い!」


 壮介が氷室の椅子ごと引きずった。物理的に。


「力で解決しないでください」


 


「先輩の コミュ力は 暴力型」


 楓が短歌で斬った。「友情!!」氷室が諦めた顔で朝凪テーブルに座った。


 壮介の声に引き寄せられて、三校が混ざっていった。いつの間にか朝凪テーブルに桜庭の田辺と北嶺の佐々木が座っている。「事実です」。


 壮介の「場を作る力」が他校にも波及している。部室の中だけではない。壮介自身はまだ気づいていないだろうが。


 食堂が騒がしい、朝凪の壮介、桜庭の体育会系。北嶺の静かな分析。三つの色が一つの食堂で交わっている。でも温かい。人が多い分だけ温度が上がる。


 ひなたが佐々木の隣に座った。北嶺のラノベ書き。フェスでLINEを交換した同志だ。二人がすぐに話し始めた。ラノベの話だ、声が弾んでいる。ひなたの目が輝いている。外に同志がいることの安心感。一人で書いていた時にはなかった安心感。


「佐々木くん、新作書きましたか?」


「書きました。千歳さんの構成を参考にして、ラノベに純文学の深さを入れてみたんです」


「私も同じこと試してます!」


「本当ですか!? 読み合いしましょう!」


 ひなたと佐々木が原稿を交換している。食堂で。夕食を食べながら。ラノベ書き同士の読み合い。フェスで出会って、合宿で再会して、原稿を交換する。外の世界が繋がっていく。


 楓が桜庭の園田を見つけた。短歌を詠む桜庭の部員。


「勝負したい」


 相手だ。


「園田さん」


「萩原さん。また会えましたね」


「新しい連作を持ってきました。五首です」


「私も。読み合いませんか?」


「喜んで」


 楓と園田が静かに原稿を交換している。短歌詠み同士の読み合い。声を出さない。ノートを渡して、読んで、目を合わせて頷く。壮介とひなたのラノベトークとは対照的な静かさ。同じ「読み合い」なのに温度が違う。


 凛先輩が食堂の端から全体を見ていた。二十人が混ざり合っている。外の世界と繋がる文芸部。


 先生が三校の顧問で固まっている。桜庭の顧問と北嶺の顧問。先生のコーヒー文化は他校には広まっていない。


「霧島先生。毎年合宿されてるんですか」


「去年が初めてだ。五人で海に行った」


「五人で海。いいですね」


「いい合宿だった。今年は二十人で山だ。規模が四倍になった」


「文芸部で二十人の合宿は珍しいですよ」


「珍しい。うちの壮介が他校を巻き込んだ結果だ」


「壮介くんですか」


「あいつの声は人を集める。便利な部員だ」


 先生が壮介を「便利な部員」と評した。便利。


    *


 消灯後。男子部屋。体力を全部声に使って、夜には空っぽになる。


 白石が耳栓を装着した。準備万端だ。田辺はすでに寝ている。桜庭の体育会系は寝るのも体育会系だ。三十秒で意識がなくなった。


 俺と氷室が起きていた。暗闇の中。天井を見ている。


「去年も合宿した?」


 氷室が聞いた。暗闇の中だと氷室の声が柔らかい。昼間のクールさが消えている。


「海の民宿。五人で」


「どうだった」


「最高だった。でも今年は違う。他校がいると自分の文章を客観的に見れる。身内補正が外れる」


「分かります。書く場所が変わると、書く内容も変わる。環境は文章に影響する」


「山の空気で何か変わるか?」


「変わると思います。海と山では空気が違う。空気が違えば呼吸が変わる。呼吸が変わればリズムが変わる。リズムが変われば文体が変わる」


「氷室って、そういう風に考えるんだな」


「分析屋ですから。桐谷先輩と同じです。構造を見るのが癖です」


 氷室が凛先輩を引き合いに出した。分析屋。精密な文章を書く。


「千歳さんの文章は、場所に左右されないと思います」


「そうか?」


「千歳さんの文章は"内側"から来ている。環境ではなく感情から。だから海でも山でも変わらない。あの密度は——環境では作れない」


 氷室が詩織さんの文章を語っている。夜の暗闘の中で。


「大和くんの声がしますね」


 壮介のいびきが始まった。地鳴りのような低音。起きている時も寝ている時も壮介は壮介だ。


「半分くらいはそう」


「残り半分は?」


「焼肉」


「食べ物しかないですね」


「そうだ。でもそれでいい。壮介は食べ物で世界を表現する。飯の熱さで友情を語り、飯の光で感動を語る。壮介にしかできない表現だ」


 氷室が少し黙った。考えている。


「大和くんの二千文字、合同誌で読みました。"ビカビカ"はなかったけど、温かかった。論理では説明できない温かさ。あれは——技術では作れない」


「壮介に言ってやれよ。喜ぶぞ」


「本人に言うのは恥ずかしいので」


「氷室って、そういうとこあるよな」


「どういうところですか」


「褒めたいのに褒められないとこ。詩織さんにもそうだろ」


 氷室が黙った、三秒。暗闇で氷室の顔は見えない。でも空気が変わった。


「千歳さんには——ファンだと言いました」


「言ったのか」


「フェスの時に。ライバルでもありますけどって」


「氷室って正直だな」


「嘘が下手なだけです」


 嘘が下手。詩織さんの万年筆も嘘がない。


 壮介のいびきが加速した。寝言が聞こえた。


「明日は合同合評会だ」


「三校の作品を読み合う。楽しみです」


「楽しみか」


「はい。他校の作品を読むのは刺激になる。千歳さんの部の——壮介くんの作品を、もう一度読みたい」


「壮介の作品を?」


「あの温かさがどこから来るのか知りたい。分析したい」


 氷室が壮介の文章を分析したがっている。分析屋が壮介の温かさを分析する。


 山の研修施設の一日目。三校二十人が一つ屋根の下に入った。かもめ荘の四倍の人数。でもかもめ荘と同じ温かさがある。人が集まれば温かくなる。文芸部員が集まればもっと温かくなる。全員が「書く人間」だから。


 壮介のいびきさえなければ完璧な夜だったのに。


 ひなたは佐々木と読み合う。楓は園田と読み合う。壮介の人生にプライベートの概念はない。


 山の夜は静かだ。壮介のいびき以外は。

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