第107話 チームとして出る、ということ
# チームとして出る、ということ
七月。テストが終わった。梅雨が明けかけている。部室の窓から入る風が温かい。夏の匂いがする。去年の夏はかもめ荘だった。五人で海に行った。今年の夏は山だ。三校で。規模が全然違う。
凛先輩がホワイトボードの前に立った。赤マーカーを持って。凛先輩がホワイトボードの前に立つのは大事な話がある時だ。フェスの告知の時もそうだった。役割分担の時もそうだった。凛先輩のブリーフィングは常にホワイトボードから始まる。
「夏は二つのコンクールに出る」
赤マーカーで書いた。「①個人コンクール(去年と同じ)」「②地区団体コンクール(新規)」。
「個人コンは去年と同じだ。各自が作品を出す。もう一つが地区の団体コンクール。合同誌の出来栄えとステージ発表の総合点で争う。チーム戦だ」
「チーム戦って、全員で何かするの?」
壮介が聞いた。壮介は知らないことを堂々と聞ける人間だ。
「全員に役割がある。七人いるなら七人分の仕事がある」
凛先輩がマーカーを持ち替えた。青に。
「一人でも欠けたら成り立たない。それがチームだ」
部室が静まった。一人でも欠けたら。七人全員が必要。凛先輩の声が低い。大事なことほど凛先輩は声を低くする。
「去年は個人の集まりだった。フェスでも、各自がバラバラに動いた。壮介はMCで叫び、楓は短歌を詠み、千歳は朗読した。全員が自分の持ち場でやった。悪くなかった」
「悪くなかったんですよね?」
「悪くなかった。だが"チーム"ではなかった。個人が並んだだけだ。チームはそれと違う。個人の力を掛け合わせる。一プラス一が三になる。それがチームだ」
「一プラス一が三!!」
「壮介、叫ぶな。計算は合ってないが概念は合っている」
*
「うちの強みは何だ」
凛先輩が全員を見渡した。
「声!」
壮介が即答した。
「短歌」
楓が答えた。
「ラノベ!」
ひなたが答えた。
「違う。個人の強みじゃない。チームの強みだ」
全員が考えた。三秒。五秒。沈黙。
「多様性?」
俺が答えた。凛先輩が頷いた。
「そうだ。純文学の千歳。ミステリの俺。身体感覚の朝倉。声の壮介。短歌の楓。ラノベのひなた。裏方の霧島。七人七色。桜庭は全員がプレゼン型で統一されている。北嶺は氷室の個人技に頼っている。朝凪はバラバラだ」
「バラバラって弱みじゃないんですか」
ひなたが聞いた。正直な疑問だ。バラバラは弱みに見える。統一感がない。方向がバラバラ。
「弱みでもある。だが武器にもなる。七つの異なるジャンルが一つの舞台に乗った時、それは"個性"になる。桜庭にも北嶺にもできないことだ。七人七色。うちにしかないカラーパレットだ」
「七人七色!! いい言葉だ!!」
「壮介が叫ぶと名言が台無しです」
楓が止めた。壮介が「台無しにしてない!!」と叫んだ。楓が溜息をついた。いつものリズムだ。
凛先輩が具体的な役割を割り振った。ホワイトボードに七人の名前と担当を書いていく。
「壮介。MC兼編集長」
「編集長!?」
「去年から自称していたろ。今年から公式だ」
「公式!! 俺が編集長!!」
「声がでかいから原稿の催促を断る部員がいない。適材適所だ」
「声量で原稿を取り立てるのか!!」
「取り立てろ。締切を守らせろ」
壮介が編集長になった。MC兼編集長。声がでかい男に与えられた二つの肩書。どちらも「声」が武器になる仕事だ。凛先輩の人選は的確だ。
「楓。合同誌のデザインとレイアウト」
「承知しました」
「お前の短歌の構成力はレイアウトに向いている。三十一文字の配置感覚で誌面を構成しろ」
「先輩の比喩は遠いですが、理解しました」
「遠いか」
「遠いです。でも意図は分かります」
楓が合同誌のデザインを担当する。短歌詠みのレイアウト感覚。三十一文字で世界を切り取る人間は、紙面の「余白」を知っている。余白の使い方が上手い。楓に向いている仕事だ。
「ひなた。ステージ台本のエンタメパート」
「エンタメパート!?」
「お前のラノベのテンポ感を台本に活かせ。客を飽きさせない構成を」
「私がステージの台本を!?」
「お前のフリック入力で書いた短編のテンポは、舞台向きだ。凛のミステリは密度が高すぎて舞台には向かない。お前のラノベの軽さが必要だ」
「軽さが必要!!」
ひなたが嬉しそうだ。ラノベの「軽さ」が必要だと言われた。ラノベは「軽い」と言われがちだ。でも凛先輩は「軽さ」を武器として認めている。重いだけでは舞台は持たない。軽さがあるから観客がついてくる。ひなたの軽さは朝凪のステージに必要なパーツだ。
「朝倉。全体統括。全員の作品を読んで、全体のバランスを見ろ」
「全体統括」
「お前のツッコミ能力は"全体を見る力"だ。壮介にツッコむ時、お前は壮介だけじゃなく場全体を見ている。その目を使え」
「ツッコミが統括能力だったのか」
「そうだ。サッカーで言えばボランチだ。中盤で全体を見る。攻撃にも守備にも顔を出す」
凛先輩がサッカーの喩えを使った。俺に合わせた言葉。ボランチ。中盤の舵取り。攻撃にも守備にも参加する。文芸部のボランチ。俺の役割はそれだ。
「千歳。主力短編。チームの看板作品を書け」
「はい。書きます」
「お前の短編がチームの"顔"だ。去年の佳作で証明した。お前の文章が朝凪の品質を示す」
詩織さんが頷いた。チームの看板。詩織さんの短編が朝凪の品質保証だ。佳作の実績。万年筆の密度。詩織さんの文章がある限り、朝凪の「文章力」は証明される。
「俺は全体の演出と戦略。去年の凛の仕事を俺がやる。ステージ構成、合評会対策、全部」
「先輩がやるんですか」
「やる。部長の仕事だ」
凛先輩が自分の役割を最後に言った。部長。全体の演出。戦略。凛先輩が一番重い仕事を持っている。部長は常に一番重い。一年目からそうだ。
「先生は?」
「俺は引率と審査員対応。あと弁当の手配」
「弁当」
「弁当は重要だ。空腹のチームは戦えない」
「先生の役割が弁当で括られるの何とかなりませんか」
「弁当係は名誉職だ」
先生が缶コーヒーで乾杯するように飲んだ。先生の役割は弁当と缶コーヒーと見守り。でもそれが先生だ。先生は裏方の裏方。見えないところで全部を支える。弁当の手配も先生の愛情の形だ。
ホワイトボードに七人の名前と役割が並んだ。壮介=MC兼編集長。楓=デザイン・レイアウト。ひなた=ステージ台本エンタメ。朝倉=全体統括。千歳=主力短編。凛=演出・戦略。霧島=引率・弁当。
「全員の役割が決まった。これがチーム朝凪だ」
凛先輩がマーカーのキャップを閉めた。カチ。小さな音。ホワイトボードに七人分の仕事が刻まれた。一人一役。全員が「何かをする」。誰も見ているだけの人はいない。全員が動く。全員でチームになる。
「凛先輩。一つ確認してもいいですか」
詩織さんが手を挙げた。
「チーム戦で、私の短編が看板作品になるということは、私の作品がチーム全体の評価に影響するということですか」
「そうだ。お前の短編がチームの"顔"だ。プレッシャーか」
「プレッシャーです。でも、嬉しくもあります」
「嬉しい?」
「去年までは自分の作品は自分だけのものでした。今年は、七人の作品です。私の短編に、七人分の期待が乗っている。怖いけど、書く理由が増えました」
「いい答えだ」
凛先輩が詩織さんを認めた。詩織さんの覚悟。チームの看板を背負う覚悟。詩織さんの万年筆は、今年の夏、七人分の重さを乗せて走る。
*
「一つ聞いていいですか」
楓が手を挙げた。
「なぜ朝倉先輩が"全体統括"なんですか。それは本来、部長の仕事では」
鋭い質問だ。楓は鋭い。全体統括は部長の仕事だ。凛先輩が「全体の演出と戦略」を担当しながら、俺に「全体統括」を振っている。二重に全体を見る構造。なぜだ。
凛先輩がソファに座り直した。少し間があった。
「朝倉が来年、部長になるからだ」
部室が静まった。
「来年、俺は卒業する。三年の三月で引退だ。その後、文芸部を引っ張るのは朝倉だ。今年のうちに"全体を見る"経験を積ませる。それが俺の最後の仕事だ」
凛先輩の声が静かだった。大事なことほど静かに言う。凛先輩の声が静かな時は、嘘がない。
「先輩」
「気にするな。来年の話だ。今は今年の夏に集中しろ」
「気にしますよ」
「生意気だな」
凛先輩が少しだけ笑った。「生意気」は凛先輩の褒め言葉だ。入部した時も言われた。楓にも言った。凛先輩は生意気な後輩が好きだ。
壮介が黙っていた。壮介が黙るのは大事なことを考えている時だ。凛先輩が卒業する。来年。その事実を壮介は受け止めようとしている。
楓も黙っていた。楓は入部して三ヶ月だ。凛先輩と過ごせる時間は壮介や俺より短い。でも楓にとって凛先輩は特別な存在だ。「わからん。だから教えてくれ」と言った人。楓の五千首に「読者」を与えた人。凛先輩がいなくなったら、楓の短歌は誰に読まれるのか。俺たちに読まれる。でも凛先輩の赤ペンは、もうない。
ひなたが俯いていた。ひなたは入部してまだ浅い。でも凛先輩に「ラノベでいい」と言われたことを覚えている。凛先輩の一言でひなたはラノベに自信を持てた。その凛先輩がいなくなる。
詩織さんの万年筆が止まっていた。詩織さんの万年筆が止まるのは珍しい。凛先輩の卒業。詩織さんにとって凛先輩は最初の読者だ。一年目の入部時から全部読んでくれた人。
先生が缶コーヒーを置いた。先生も凛先輩の卒業を見据えている。顧問として。先生と凛先輩の間には、言葉にしない信頼がある。教師と生徒を超えた、書き手同士の信頼が。
「壮介」
凛先輩が壮介を見た。
「はい」
「お前は来年も叫べ。朝倉が部長になっても。楓がツッコんでも。お前は叫べ。それが朝凪の音だ」
「叫ぶ!! 来年も!! 再来年も!!」
壮介が復活した。声量百二十パーセント。凛先輩の一言で復活した。凛先輩は壮介の扱いを知り尽くしている。壮介が沈んだ時に何を言えば浮かぶか。二年間で学んだ。壮介の取扱説明書は凛先輩の頭の中にある。
楓が壮介を見ていた。壮介が凛先輩に「叫べ」と言われて復活する姿を。楓の目に何かが浮かんでいた。安堵か。感謝か。壮介が壮介でいてくれることへの安堵かもしれない。
先生が缶コーヒーを開けた。
「お前たち。団体戦は個人戦より難しい。自分だけの責任じゃない。全員の結果が全員に影響する。覚悟しろ」
「先生がまともなこと言ってる」
「たまにはまともなことも言う」
「先生、缶コーヒー何本目ですか」
「四本目だ」
「四本。先生のストレス度が高い」
「ストレスではない。夏の暑さでカフェインが必要なだけだ」
先生のカフェイン摂取量は重要度に比例する。四本は「かなり重要」のサインだ。先生もチーム戦に本気だ。
*
帰り道。壮介と歩いている。七月の夕暮れ。暑い。蝉がまだ鳴いていない。梅雨明け直前。
「壮介。編集長の仕事、やれそうか」
「やれる!! 声で原稿を取り立てる!!」
「それは脅迫だろ」
「脅迫じゃない!! 熱い催促だ!!」
「熱すぎて逆効果になるぞ」
「ならない!! 壮介パワー!!」
壮介の編集長。声量で原稿を催促する編集長。文芸史上最も声がでかい編集長かもしれない。でも壮介が催促すると、断れない。壮介の声には「断らせない力」がある。壮介の声は壁を壊す。原稿の壁も壊す。
「陽翔」
「ん」
「凛先輩が卒業するって言った」
「言った」
「分かってたけど。言われると。重いな」
「重い」
「でもさ。凛先輩が"叫べ"って言ってくれた。来年も。再来年も。凛先輩がいなくなっても、叫べって」
「叫べ。凛先輩がそう言ったんだから」
「叫ぶ。叫ぶよ。凛先輩がいなくなっても」
壮介の声が少し震えた。泣きそうだ。壮介は泣きやすい。でも今は泣かなかった。掟の四番目。泣くな。泣いてもいいけど拭いてから書け。壮介は泣かなかった。代わりに叫んだ。
「夏だ!! チーム戦だ!! 七人七色で行く!!」
声が通学路に響いた。通行人が振り返った。犬が吠えた。壮介の声は夏の空に吸い込まれていった。
来週は個人コンクール用の作品を最終確認する。各自の作品を持ち寄って、全員で読み合う。壮介の作品は何文字になっているだろう。フェスの後に書き始めた「なぜ俺は文芸部にいるのか」。千五百文字から始まった新作。今は何文字か。壮介の文字数の成長は、壮介の成長そのものだ。
凛先輩が言った。七人七色。バラバラが武器。一人でも欠けたら成り立たない。俺は全体統括。サッカーのボランチ。中盤で全体を見る。今年の夏、俺はチームを見る目を養う。凛先輩がいる間に。凛先輩の目を盗む。凛先輩がどうやって七人を見ているのか。どうやってチームを動かしているのか。全部見て、全部覚える。
来年、俺が部長になる。凛先輩がいなくなった後の朝凪を、俺が引っ張る。そのためには、今年の夏が重要だ。凛先輩の隣で「全体を見る」経験を積む。凛先輩が設計した最後の夏に、俺は凛先輩のやり方を学ぶ。
でも凛先輩のコピーにはならない。凛先輩がそう言った。「俺のやり方を真似するな。お前のやり方を見つけろ」。一年目にも言われた。コンクールの時に。「俺の書き方を真似するな。お前の書き方で書け」。凛先輩は常に「お前のやり方」を求める。コピーを嫌う。凛先輩のやり方は凛先輩だけのものだ。俺のやり方は俺だけのものだ。
壮介が叫んだ。「七人七色で行く!!」。壮介の色は声だ。楓の色は五七五だ。詩織さんの色は万年筆だ。ひなたの色はフリック入力だ。凛先輩の色はミステリだ。先生の色は缶コーヒーだ。
俺の色は何だ。身体感覚か。走ることと書くことの接続か。白石に「構成が甘い」と言われた男の色。まだ見つかっていない。でも今年の夏に見つける。七人の中で。チームの中で。
個人コンクールの作品も書かなければならない。チーム戦の準備もしなければならない。全部やる。凛先輩がそう言った。全部やる。一人でも欠けたら成り立たない。だから全員で全部やる。
七人七色のチームで夏を走る。凛先輩が設計した最後の夏を。
ホワイトボードに刻まれた目標。「57」「地区フェス参加」「団体戦」。三つの目標が並んでいる。来年の三月、凛先輩が卒業する時、このホワイトボードに何が書かれているだろう。凛先輩が書いた目標が、凛先輩がいなくなった後も残る。掟と同じだ。書け。読め。笑え。泣くな。凛先輩の言葉は、凛先輩がいなくなっても残る。
七月の風が窓から入っている。夏の匂いがする。蝉が鳴き始めている。今年の夏は、去年より暑くなりそうだ。七人分の熱が加わるから。
壮介が隣で「カレーうどン食べたい」と叫んだ。凛先輩のチーム論の余韻が一瞬で消えた。壮介は壮介だ。重い話の後にカレーうどンで着地する。それが壮介の色だ。
「カレーうどンは戦略会議と関係ないだろ」
「関係ある!! 戦略会議の後はカレーうどンで英気を養う!! これがチーム壮介の提案だ!!」
「チーム壮介って何だよ」
「チーム朝凪の中のチーム壮介!! 一人チーム!!」
「一人はチームじゃない」
壮介が笑った。声量百パーセント。夏が来る。チームの夏が。




