第105話 帰り道──俺たちだけじゃなかった
# 帰り道──俺たちだけじゃなかった
帰りのバス。窓の外が夕焼けに染まっている。
七人と先生。八人がバスの後方に固まっている。他の乗客が少し迷惑そうにしているが、壮介の声量の前では注意する勇気が出ないらしい。
「すげえ! 文芸部ってあんなに種類があるんだ!」
壮介が窓際に座って叫んでいる。声百二十パーセント。フェスの興奮がまだ残っている。
「Tシャツの文芸部! プレゼンの文芸部! 四人だけの静かな文芸部! 全部違う! 全部文芸部!」
「壮介、声落とせ。バスの中だ」
「落とせない!! 興奮が止まらない!!」
いや、今のは忘れろ。俺。
楓が壮介の隣で溜息をついた。
壮介の筆箱から消しゴムが三個出てきた。全部、名前が「壮介」と書いてある。自分の名前だけは間違えない。
楓の声は静かだ、でも目が光っている、今、火がついている。
「北嶺にラノベ書いてる人がいた! LINE交換した! 今度読み合いする約束した!」
全員がそれぞれの場所で書いている。音だけが重なる。
「他校の作品を読んで、勉強になりました。特に構成の面で。私も足りない部分がたくさん」
詩織さんが取材ノートをめくっている。今日一日の記録が何ページにもわたっている。万年筆のインクが減っている。詩織さんの取材量は今日が過去最高だろう。外の世界は取材対象の宝庫だった。
壮介が窓の外を見た。夕日が沈みかけている。
「すげえな」
声が小さい。壮介の小さい声。
「文芸部って、俺たちだけじゃなかったんだ」
「当たり前だろ。地区にいくつも高校があるんだから」
「いや、知ってたよ。知ってたけど」
壮介が言葉を探している。でも大事なことを言おうとする時、壮介は必ず言葉を探す。見つかるまで探す。
「実感がなかった。今日初めて"いる"って思った。他にも書いてる人たちが。他にも笑ったり泣いたりしながら部誌作ってる人たちが。他にもちゃぶ台囲んだりTシャツ着たりしながら文芸やってる人たちが」
壮介の目が少しだけ赤い。
「俺たちだけだと思ってた。この六畳間だけが文芸部だと思ってた。でも違った。外にもあった。俺たちと同じように書いてる人たちが、こんなに近くにいた」
壮介の声が小さい。でも全員に聞こえている。本気の声は、小さくても届く。
ちゃぶ台を挟んで、全員の手が動いている。
先生がポケットに手を突っ込んだまま。バスの中でもポケットに手を入れたまま。先生が一口飲んで、小さく呟いた。
「弁当がうまかった」
「先生!!」
全員が呆れた。
「冗談だ」
先生がコーヒーを置いた。真面目な目をしている。
「お前たちの成長を見られた。それだけで十分だ」
先生が褒めた。コーヒー越しではなく。
*
「全員、フェスで得たものを一言で言え」
凛先輩が言った。バスの座席に座ったまま。全員を見渡して、一年目の。
「好きなものを言え」
と同じフォーマットだ。凛先輩は大事な瞬間に全員に言葉を求める。
壮介から。
「MCの楽しさ。声で場を動かせるってわかった」
壮介の目が光っている。MCが壮介の天職かもしれない。
俺。
「構成の弱さ。白石に指摘されて、課題が見つかった」
白石の「構成が甘い」が胸に残っている。拳を握った、正しい、持ち帰る。ちゃぶ台の上で磨く。
詩織さん。
「刺激です。他校の作品を読んで、もっと書きたくなりました」
詩織さんの目が光っている。取材モードを超えた光。「もっと書きたい」。詩織さんの創作欲が外の刺激で加速している。
楓。
「同類。外に短歌詠みがいたこと。嬉しくて、少し悔しい」
楓の声が静かだ。嬉しさと悔しさが半々。
ひなた。
「仲間です。ラノベを書いている人と話せたこと。一人じゃないんだって」
ひなたの声が少し震えている。嬉しさの震え、一人で書いていた。スマホの画面に向かって一人で。外に同志がいた。佐々木という同志が。ひなたの世界が広がった。
先生。
「弁当が」
「弁当以外で!!」
「お前たちの顔が朝と変わった。朝は緊張していた。今は興奮している。いい顔だ。教師として、それが一番嬉しい」
先生が二回目の真面目を出した。
「霧島先生。先生はフェスで何を得ましたか」
楓が聞いた。先生を「先生」と呼ぶ楓。
「俺か。俺は何も得ていない。お前たちが得ればそれでいい」
「嘘です。先生も何か得たはずです」
「鋭いな、萩原」
「短歌詠みは観察が仕事です」
先生の机の引き出しにカップ麺が三つ並んでいた。
先生がポケットに手を突っ込んだ。三秒。考えている。先生が考える時はコーヒーを飲む。赤ペンをくるくる回しながら。
「壮介のMCを見て思った。声がでかい人間は、外でも通用する。あいつの声は部室サイズじゃない。ホールサイズだ。いや、もっと大きい場所でも通用する。壮介には部室より大きな場所が似合う」
「先生が壮介先輩を褒めている」
「褒めてない。分析だ」
「凛先輩と同じことを言いますね」
先生のスタイル論は相変わらず意味不明だ。でも先生が壮介を。
「外でも通用する」
と認めたのは大きい。
「通用する」
なら、壮介はもっと大きな場所で立てる。
でも凛先輩は止まらない。
「全部やる」
なら、俺たちも全部やる。凛先輩と一緒に走れる間に。
*
夕方、旧校舎、部室。帰ってきた。
引き戸を開けた。カラカラ。
畳の匂い。ちゃぶ台。大きな世界を見て、小さな部室に戻る。
でもこの部室が狭いとは思わない。むしろ、この狭さがいい。大きな世界を見たからこそ、この六畳間の温もりが分かる。ここが俺たちの場所だ。外がどれだけ広くても、帰る場所はここだ。
テーブルが二台、ソファが一つ。ホワイトボードが一つ。本棚に部誌が四冊。全部がここにある。
壮介が畳に大の字で寝転がった。
「畳!! 畳の匂い!! 文化センターには畳がなかった!!」
「文化センターに畳はないだろ」
「畳がないと落ち着かない!! 俺は畳の人間だ!!」
黙った。返す言葉がない。
「そこに繋げるのか」
壮介が畳の上で笑っている。全力の笑い。
楓が壮介の横に正座した。
「先輩。畳の上で寝転がらないでください」
楓が壮介のノートを覗いた。三秒で閉じた。
「疲れたなら静かにしてください」
楓が静かに壮介の隣に座った。壮介の声が二割下がった。
「知っています」
楓の。
「知っています」
壮介が静かにできないことを楓は知っている。止まらないことを知った上で止める。
「57」の横。「地区フェス参加」の横。新しく書く。
「夏の地区コンクールで朝凪代表として入賞する。団体戦」
「団体戦!」
「個人コンクールもある。だがそれだけじゃない。今年から団体戦にも出る。七人のチームとして」
「チームとして」
「朝倉」
「はい」
「お前が部長になる時のために。チームで戦う経験を、今年のうちに積め」
俺が部長になる時。凛先輩はもう来年のことを考えている。自分がいなくなった後のことを。俺に引き継ぐことを、胸がざわつく。でもざわつきの中に、光がある。凛先輩が俺を信じている光。俺に託そうとしている光。
「チームで戦います」
「いい返事だ」
凛先輩がマーカーのキャップを閉めた。カチ。小さな音。ホワイトボードに新しい目標が刻まれた。「57」「地区フェス参加」「団体戦」。数字と目標が増えていく。ホワイトボードが文芸部の歴史年表になっている。
誰も喋らない。でも静かではない。
楓がノートを開いた。短歌を詠み始めた。フェスの余韻を三十一文字に変換している。楓は経験を短歌にする。今日の全部を三十一文字の連作にするだろう。
ひなたがスマホを開いた。佐々木とのLINEを見ている。同志との繋がり。外の世界で得たもの。ひなたの世界が一回り大きくなった。
詩織さんが万年筆を走らせている。カリ、カリ、いつもの音、部室に帰ってきた音。この音を聞くと安心する。外の世界がどれだけ広くても、詩織さんの万年筆の音は変わらない。
先生が眼鏡を押し上げた。ぷしゅ。今日何本目だろう。部室に帰ってきた証拠の音。
凛先輩がソファに座った。文庫本を開いた。ソファの凹みに座って。
全員が部室にいる。七人と先生。外に出て、殴り合って、笑って、泣きそうになって、帰ってきた八人。
壮介が言った。
「俺たちだけじゃなかった」
その通りだ。外にも文芸部があった。外にも書く人間がいた。俺たちだけじゃなかった。
外に出ても変わらない。帰れば同じ。六畳間で書く。
テストもある、六月の期末テスト、古典版。
今日はフェスの余韻に浸る。部室の畳の上で、七人で、掟を見ながら。
書け、読め、笑え。泣くな。
今日、外で全部やった。書いた。外でも。
「俺たちだけじゃなかった」
外にも文芸部があった。全部が正しかった。
外に出ても変わらない。帰れば同じ。ここが俺たちの場所だ。
窓の外の夕日が沈んでいく。今は充実している。
輩が定位置に座っている。先生がコーヒーを開ける。
全部がここにある。全部が変わらない。外の世界がどれだけ広くても。
俺たちだけじゃなかった。




