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第103話 白石透と、中学の読書サークル

# 白石透と、中学の読書サークル


 ステージが終わって昼休憩。ロビーのベンチで弁当を広げている。七人がいつもの並びで座っている。部室ではちゃぶ台だが、ここではベンチだ。並びは同じでも場所が違う。場所が違うと弁当の味も違う気がする。


 白石が歩いてきた。


「隣、いいですか」


 詩織さんの横に座った。自然に。中学時代から続く時間が壁を溶かしている。


「千歳さん、今日の朗読すごかった。佳作の作品だよね? コンクールの結果集で読んだよ」


「読んでくれたんですか。ありがとうございます」


「あの描写力は中学の時から変わらないな。いや、もっと上がってる」


「白石くんも相変わらずの分析力ですね。午後の合評会が楽しみです」


「手加減しないよ」


「私もです」


 ひなたが。


「これは伏線回収ですね」


 とメモした。現実をラノベで解釈するな。

 二人が穏やかに笑い合っている。一緒に本を読んで、感想を語り合った仲だ。文芸の話をする時の距離が近い。


 俺は三メートル離れたベンチで弁当を食べている。卵焼きの味がしない。母さんの卵焼きはいつも美味い。今日も美味いはずだ、でも味がしない。


「陽翔、卵焼き落ちそうだぞ」


 壮介が横にいた。


「落ちてない」


「落ちてる。箸が四十五度傾いてる」


 見ると箸が傾いていた。卵焼きが滑り落ちかけている。


「陽翔。嫉妬だろ」


「嫉妬じゃない。気になってるだけだ」


「それを嫉妬って言うんだよ」


「うるさい」


 壮介の目が俺の顔を見ている。からかっているのではない。心配している。


 楓が俺の横顔を観察していた。短歌詠みの観察眼。この場の空気を丸ごと読み取っている。楓が小声で壮介に言った。


「先輩の弁当の味が消えているようです」


「楓、分かるのか」


「箸の角度で分かります。集中力が弁当にないんです」


「箸の角度で人の心理を読むのか」


「短歌詠みは観察が仕事です」


 ひなたが楓に小声で言った。


「萩原さん、今何か詠んだでしょ」


「気のせいです」


 楓の目が一瞬緩んでいた。何かを詠んでいた。声には出さなかったが。


    *


 壮介が俺の背中を押した。物理的に。


「行ってこい。白石と話してこい」


「何で俺が」


「俺が見てたらうまく話せないかよ」


「別にうまく話す必要はないなんだよ」


「あるだろ。午後は合評会で一緒にやるんだから。相手を知らないと戦えない」


 壮介の論理が正しい、壮介は時々正しい。文章は下手でも論理は通る。合評会で対峙する相手を知ること。それは戦略として正しい。嫉妬とは関係ない、戦略だ。


 壮介に押されて白石のところに行った。詩織さんの横に座るわけにはいかない。白石の反対側に座った。白石が俺を見た。


「朝倉くん、だっけ。千歳さんの部のメンバー」


「ああ」


「今日のステージ、良かったよ。あのMCの人、壮介くん? あの声はすごい。うちにはいない」


「壮介は声だけだ」


「声だけでも武器だよ。千歳さんの朗読も。あの描写力は中学の読書サークルの時から頭一つ抜けてた」


「中学の読書サークル。どんなところだったんだ」


 聞いてしまった。詩織さんの過去を。俺が知らない詩織さんを。


「中学の図書室で、週に一回集まって本の感想を言い合う会だったよ。五人くらいの小さなサークルだった。千歳さんが一番読む量が多くて、一番鋭い感想を出した。万年筆はあの頃から使ってた」


「万年筆」


「うん。中学生で万年筆はかなり目立ってたよ。でも千歳さんにはそれが似合ってた。千歳さんの文章は手書きで読みたい。フォントじゃなくて。インクの色が見える文章なんだ」


 白石の言葉が的確だった。詩織さんの文章はインクの色が見える。俺が一年かけて気づいたことを、白石は中学から知っていた。


「白石は詩織さんのことが」


 言いかけて止まった。何を聞いている。何を確認しようとしている。


「ライバルだよ」


 白石が先に答えた。俺が聞く前に。


「読み手として。書き手として。千歳さんは俺が唯一勝てないと思った人だ。中学の読書サークルで、千歳さんの感想を聞いた時に思った。この人の前では嘘がつけないって」


「それだけか」


「それ以上でもそれ以下でもない」


 白石が眼鏡を押し上げて笑った。


「安心した?」


「何がだよ」


「いや、朝倉くんの顔がさっきからずっと曇ってたから。中学時代の男の知り合いが出てきて、気になったんでしょ」


「そんなこと」


「嘘が下手だね。千歳さんと一緒だ」


 見透かされた、白石に、どちらも正確だ。


「千歳さんとは中学で一度だけ合評をしたことがある。あの人の文章に敵わないと思った。それだけだ。恋愛? ないよ。俺の相手は文章だ」


 白石が断言した、恋愛感情はない、ライバル。純粋な文学仲間。俺が心配していたことは的外れだった。白石は詩織さんの。


「書き手としての力」


 に惹かれている。恋愛ではない。


 胸のざわつきが少し収まった。少しだけ。まだ。


「午後の合評会、楽しみにしてる」


「俺もだ」


「朝倉くんの短編、合同誌で読んだよ。身体感覚の描写が面白い。サッカーやってた?」


「昔。膝を壊してやめた」


「だから"走る"の描写がリアルなんだ。あの質感は経験者にしか書けない。でも構成はまだ甘い。中盤の転換が弱い」


「分かってる」


「分かってるなら伸びるよ。楽しみだ」


 白石が立ち上がった。去っていった。分かって肩の力が抜けた。


 安心したことの意味は、まだ分からない。


 詩織さんが白石と話し終えて、俺のほうに来た。


「朝倉くん。白石くんと話してましたね」


「ああ。午後の合評会のことを少し」


「白石くんは構成分析が得意です。中学の読書サークルの時から、物語の構造を図にして見せてくれました。私の文章の弱点をいつも的確に指摘してくれました」


「的確に」


「はい。白石くんに指摘されるたびに悔しくて、でもその悔しさが次の作品を良くしてくれました。白石くんは私にとって最初の読者であり、最初の批評家です」


 最初の読者。最初の批評家。俺が一年前にやっと出会った詩織さんの文章を、白石は中学から読んでいた。


「朝倉くん。顔が曇っています」


「曇ってない」


「曇っています。白石くんと話した後から」


「気のせいだ」


 詩織さんが俺を見た。真っすぐに。嘘がつけない人間は、他人の嘘も見抜く。


「白石くんは大切な友人です。でも」


「でも?」


「朝倉くんは、別の大切さです」


 詩織さんがそれだけ言って、取材ノートに戻った。万年筆が動き始めた。何が違う。


 聞けなかった。今は、それでいい。


    *


 別の場所。凛先輩と氷室が廊下で話していた。窓から午後の光が入っている。二人が壁にもたれて向かい合っている。ミステリ屋とライバル。


「桐谷先輩。今日のステージ、千歳さんの朗読は圧巻でした」


「お前が褒めるのか。珍しいな」


「事実です。ただし合評会では手加減しません。北嶺の作品も読んでもらいます」


「望むところだ」


「三年生ですよね。今年が最後ですか」


「最後かどうかはまだわからん。だが出し惜しみする気はない」


 凛先輩と氷室。二人とも表情が読みにくい。


 氷室がチームの代表として動いている。去年は個人だった。今年は四人の北嶺を背負っている。チームを背負うと、人は少し大きく見える。氷室の背中が去年より広い気がした。


 凛先輩がソファの代わりに壁にもたれている。いつもと違う場所にいる。ソファがなくても凛先輩は凛先輩だ。


    *


 壮介と楓が展示コーナーを見て回っていた。他校の合同誌を手に取っている。壮介が。


「すげえ、表紙がプロみたいだ」


 と声を上げている。楓が隣で黙って頁をめくっている。


「楓。陽翔の顔がずっと曇ってたんだけど、大丈夫かな」


「白石さんと詩織先輩の件ですね」


「よく見てるな」


「先輩の嫉妬は可愛いものです」


「可愛い?」


「自覚がないのが可愛いんです。嫉妬してることに気づいていない」


「楓って、人の感情よく見てるよな」


「三十一文字で感情を切り取るには、まず感情を見なければなりません」


 壮介が楓を見た。楓が展示物を見ている。全部を三十一文字に変換する準備をしている。


「壮介先輩」


「ん?」


「先輩は陽翔先輩の心配をしていますね」


「当然だろ。友達だから」


「友達の心配をする先輩は、いい先輩です」


「褒めてくれてるの!?」


「事実を述べています」


 


「壮介先輩。合同誌の壮介先輩のエッセイ、他校の人が読んでいましたよ」


「読んでた!? どんな反応だった!?」


「笑っていました」


「笑い!? いい笑い!? 悪い笑い!?」


「いい笑いです。"面白い"の笑いです」


「面白い!!」


「先輩の文章は人を笑わせます。それは才能です」


「才能!! 楓が才能って言った!!」


「うるさいです」


 楓が壮介の横を歩きながら、他校の合同誌を丁寧に見ている。短歌が載っている冊子を見つけた。目が動いている。


「園田さんの歌です。桜庭の短歌部員」


「園田? 知ってるのか?」


「さっきステージ裏で少し話しました。同い年の短歌詠みです」


「同い年!! 楓と同じ!!」


「はい。巧いです。嬉しいのと悔しいのが半分ずつです」


 楓の声が少しだけ震えていた。楓は火で成長する。


「壮介先輩」


「ん?」


「私、もっと詠みたくなりました」


「それは良いことだ!!」


「外に同類がいると、燃えます。負けたくないです」


「負けるな!! 楓は強い!! 五七五で勝て!!」


「先輩の応援は声だけは世界一です」

「褒めていません」


 楓の口元が微かに緩んだ。


    *


 午後が近づいている。合評会バトルの時間が来る。朝凪vs桜庭。言葉で殴り合う時間だ。


 白石がライバルだと言った。恋愛じゃないと、信じる、信じたい。でもあの男は詩織さんの中学時代を知っている。俺が知らない詩織さんを知っている。それが少しだけ拳を握った。


 分からないまま、午後が来る。合評会バトル。朝凪vs桜庭。言葉で殴り合う時間だ。


 凛先輩がソファではなくベンチに座っている。ソファがなくても凛先輩の姿勢はまっすぐだ。


「全員揃ったか」


「揃いました」


「行くぞ。殴り合いだ」


「比喩ですよね?」


「比喩だ」


 今日は「たぶん」がなかった。凛先輩の中で覚悟が固まっている。午前のステージで朝凪の色を見せた。午後は朝凪の「言葉の力」を見せる番だ。


 白石が合評会場の入り口にいた。眼鏡の奥が光っている。凛先輩と白石の視線が交差した。作品屋と分析屋。二人が笑った。


「よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 言葉の殴り合いが始まる。俺の短編が白石に斬られる。凛先輩が白石の作品を斬り返す。外の批評は身内の合評とは違う重さがある。


 感謝は心の中にしまっておく。壮介に言ったら調子に乗る。


 ひなたがメモを取っている。フリック入力で。午前のステージの全記録。壮介のMCの台詞、楓の短歌五首。詩織さんの朗読の反応。他校の発表内容、全部記録している。スマホで小説を書いてきた指の速さが、記録に活きている。


「ひなた、どのくらい記録した?」


「全部です! 壮介先輩のMCは一字一句!」


「一字一句は嘘だろ。壮介のアドリブを全部追えるわけない」


「追えました! フリック入力をなめないでください!」


 ひなたが胸を張った。フリック入力の速さに誇りを持っている。


 合評会場に入った、長机が並んでいる。朝凪と桜庭が向かい合う形だ。凛先輩が座った。向かいに白石が座った。


 始まる。言葉の殴り合いが。

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