観測と消失条件
放課後。
教室にはもうほとんど人がいない。
俺は自分の席に座ったまま、クラウドを開いていた。
昼休みに記録したデータ。
まだ残っている。
だが、昨日のことがある以上、安心はできない。
「……遅いな」
小さく呟く。
消えるならもっと早いと思っていた。
それとも、条件が違うのか。
「優くん、まだ残ってる?」
佐倉がカバンを持ったまま近づいてくる。
「今のところはな」
「なんか普通じゃん」
「それが逆に気になる」
俺は視線をデータに固定したまま答える。
「昨日と何が違う」
それを考えないと意味がない。
「昨日と今日……」
佐倉も少しだけ考える。
「人数?」
「人数?」
「昨日は優くん一人でしょ?今日は私もいる」
あり得る。
同じ内容でも、記録者が複数いれば影響が変わる可能性。
「……ありだな」
俺はすぐに次の可能性を考える。
「他にもある」
「何?」
「タイミングだ」
「タイミング?」
「記録してる最中に何か起きたかどうか」
あの時の違和感。
一瞬のノイズ。
「……あれか」
思い出す。
確かに、あの瞬間だけ妙な感覚があった。
「佐倉」
「なに?」
「お前、さっきの会話中に何か変な感じしたか」
佐倉は少しだけ首を傾げる。
「んー……別に?」
やっぱりか。
「俺だけか」
「え、何それ怖い」
「まだ分からない」
だが、仮説は立つ。
「観測者の差か」
小さく呟く。
「観測者?」
「記録してる側と、されてる側」
俺は立ち上がる。
「もう一回やる」
「え、また?」
「今度は条件を変える」
佐倉は露骨に嫌そうな顔をする。
「帰りたいんだけど」
「あと少しだけだ」
「絶対少しじゃないやつ」
図星だが無視する。
俺は教室の後ろを見る。
神崎はまだいる。
窓の外を見ている。
まるで帰る気がないみたいに。
「神崎」
声をかける。
ゆっくりと振り向く。
「何」
「もう一回だけ付き合え」
神崎は少しだけ間を置く。
「……いいよ」
やっぱり断らない。
「今度は、俺だけ記録する」
俺は続ける。
「佐倉は記録しない」
佐倉がすぐに反応する。
「え、私やらなくていいの?」
「見てるだけでいい」
「それならまぁいいけど」
納得したらしい。
「それで?」
神崎が静かに聞く。
「さっきと同じことをするだけだ」
俺はクラウドを開く。
記録準備。
「開始する」
小さく呟く。
「今、神崎白羽と会話している」
意識的に言葉にする。
「神崎」
「何」
「昨日の件」
そこまで言った瞬間。
——来た。
一瞬だけ、あの違和感。
ノイズ。
頭の奥がわずかに引っかかる感覚。
「……やっぱり」
思わず漏れる。
「どうしたの」
神崎が静かに聞く。
「今、何かしたか」
俺はそのまま聞く。
「してないよ」
即答。
だが信用はできない。
「もう一回だ」
俺は続ける。
「神崎」
「何」
同じやり取り。
同じタイミング。
そして——
また来る。
違和感。
「……一致してる」
小さく呟く。
「優くん?」
佐倉が不安そうに見る。
「今の、何も感じなかったか」
「うん、全然」
やっぱり俺だけだ。
「観測者限定か」
ほぼ確定だ。
「それ、どういうこと?」
佐倉が聞く。
「簡単だ」
俺はクラウドを閉じる。
「記録しながら神崎と話すと、俺だけに異常が出る」
佐倉の表情が固まる。
「……それ、結構やばくない?」
「やばいな」
即答する。
だが、それで終わりじゃない。
俺はすぐにクラウドを開く。
今の記録。
——ある。
まだ消えていない。
「……残ってる」
つまり条件はもう一つある。
「神崎」
俺は視線を向ける。
「消える条件、知ってるだろ」
神崎は少しだけ目を細める。
否定しない。
「……どう思う?」
またそれだ。
だが今回は違う。
「観測してるときじゃない」
俺は言う。
「“後”だ」
神崎の視線がわずかに変わる。
初めて、反応らしい反応。
「……なるほど」
小さく呟く。
肯定に近い。
「やっぱりか」
俺は息を吐く。
「記録中じゃない」
「記録した後、一定の条件で消える」
そこまで言って、ふと気づく。
「……タイミングじゃないな」
時間でもない。
人数でもない。
もっと別の——
「優くん」
神崎が静かに言う。
「そこまでにしといた方がいいよ」
その言い方。
止めているのか、警告なのか分からない。
「なんでだよ」
「……消えるだけじゃ済まなくなるかもしれない」
初めての言葉だ。
少しだけ重い。
「それ、どういう意味だ」
神崎は答えない。
ただ、少しだけ視線を逸らす。
「帰るね」
それだけ言って歩き出す。
「おい——」
呼び止めるが、止まらない。
そのまま教室を出ていく。
「……なんだよそれ」
俺は小さく呟く。
「優くん」
佐倉が不安そうに言う。
「やめた方がいいんじゃない?」
「無理だな」
俺は即答する。
「ここまで来て止まれるわけないだろ」
クラウドを開く。
記録はまだ残っている。
だが——
今はそれよりも。
「……次は“何が消えるか”だな」
小さく呟く。
記録だけじゃない可能性。
神崎の言葉。
“消えるだけじゃ済まない”
「……面白くなってきた」
そう言いながらも、少しだけ分かっている。
これはもう、ただの違和感じゃない。
一線を越え始めている。




