15.名探偵
「お聞きしたいのですが、身代金の十六億八千二百万円、こちらの金額はどのような意味がございますか?」
氷室が尋ねると、大槻は肩の力を抜いて答えた。
「ああ、これはですね、被害者の賠償金を、一人当たり二億八千万として計算したんです」
「事件の被害者は、計四人では?」
「あと、佐々木さんの奥様と、流産した赤ちゃんです」
「そうすると、二百万円は?」
大槻は「これは、佐々木さんの……お葬式代です」と答えた。
「……それは……、然るべき分配、分かりませんでした。私の完敗でございます」
氷室は深々と頭を下げる。
大槻は「ヒントも何もないレッドへリングですから……。当然です」と言って肩をすくめた。
透明な青空の下、喪服を着た人々が、真新しい小さな墓から離れつつある。納骨式が終わったようだ。
涼やかな風が吹き、深紅の彼岸花が揺れ、青い落ち葉が宙に舞った。
それを目で追った亀井は、木陰に早乙女と氷室が佇むのを見つけた。
「刑事さん」亀井は手を振って歩み寄った。
「ご無沙汰しております」
氷室が会釈すると、亀井の後ろから、ひょっこりと桃井が笑顔を見せた。
菊の花束を手に持つ早乙女は、亀井に話しかけた。
「記事、拝見しました。すばらしい力作でした」
早乙女が白薔薇のように微笑むと、亀井は思わず顔を赤らめた。
「いやあ、お恥ずかしい」
談英社は、その後、事件の顛末を発表するとともに、佐々木佐央里に対し、正式に謝罪した。
それを推し進めたのは、まるで人が変わった亀井と、桃井であった。
初めは消極的だった経営陣は、亀井に「言論の自由を脅かす暴挙に対して、断固たる態度で臨む」と、事件の詳細をすべて『週刊文秋』に渡すと脅され、すったもんだの挙句、「取引」に応じる形となった。
鼻の下を伸ばす亀井は、桃井に肘鉄を食らって、呻き声をあげた。
「今日は大勢の人に来てもらって、大槻さんも幸せですね」桃井が言う。
「武田元夫妻が起訴されました。もっと早く、大槻さんにお伝えしたかったです」
眉を寄せる早乙女を見て、亀井は、西施の美しさの秘密を理解した気がした。
「大丈夫ですよ」桃井は元気よく言った。
「大槻さん、全然心配してなかったと思います。入院中、ずっと穏やかで、すべて成し遂げたって顔でしたもの。思い残す事は何もなかったと思います。刑事さんたちを信頼してたんだと思います」
早乙女の顔色は晴れない。
元はと言えば、警察の過失と怠慢が原因である。県警の数名が処分されたが、関係者の多くは既に退職していた。
早乙女が警察に入るはるか昔の事件とは言え、同じ警察官として責任を感じていた。
桃井は、少し言いにくそうだったが、思い切って話しはじめた。
「実は……、私、両親が姉を想って苦しむのを見続けて、もう誰でもいいから、早く刑を執行して欲しいと望んだ時期もあったんです……。でも、早乙女さんのおかげで、私、間違っていたとに、気が付きました……。誰でも良くないです。ちゃんと調べて、ちゃんと真実を知る必要があったんですね……。真犯人が捕まって、私たち家族、たぶん他の遺族も、明るい光が見えてきました。未来に進むことができます。本当に、ありがとうございます」
桃井は頭を下げる。
「いえ、皆の力です。一人では難しい事件も、仲間がいたから解決出来たんです。あの方もいなかったら、今回の証拠は十分に集まりませんでした」
早乙女が目を向けた先には、初老の刑事が煙草をふかしていた。
亀井と桃井が会釈をすると、彼は煙草を挟んだ手を挙げた。
氷室が、線香の煙の立ち上る墓石に目を向けた。花束が山のように供えられている。
氷室は木陰から日なたに出ると、舞台俳優のように佇み、透き通る声で言った。
「その中でも、真の立役者は大槻様でございます。事件を解決に導き、悲劇を希望に変えられた、あの方こそ、まさに……」
「「「名探偵でございます」」」
亀井、桃井、氷室の声がハモる。
皆、思わず、目を剥き、吹き出して笑ってしまった。
付近の僧侶や、涙を拭っていた人が、何事かと視線を向ける。
彼らは、気まずくなって押し黙った。
どこからか赤とんぼが飛んできて、墓石の上にとまった。
それは風が吹くと、青空高く舞い上がっていった。
第十話 了




