13.取引
「大槻様は、佐々木清志様をご存じですね」氷室が尋ねる。
「ええ、知ってますよ。それが?」
横で聞いていた亀井は、数年前、告訴取り下げてもらった交渉を思い出した。
「佐々木様は、出間市幼児連続誘拐殺人事件で逮捕された、佐々木佐央里様のご主人でございます。大槻様は、八年前、癌センターに通院されていた時、佐々木様に出会われたとか」
「待合室でよく一緒になりましてね」
「そのうち奥様の冤罪調査に協力された。間違いございませんか?」
「ええ」
「大槻様は、新たな証拠や、警察が隠匿した証言を発見されました。それにより、2014年、佐々木佐央里様の死刑と拘置の執行停止となり、再審が始まりました。佐々木様も弁護士の方も、大槻様には大変感謝しておりました」
桃井や亀井は、そんな立派な人だったのかと、大槻に尊敬の眼差しを向けた。
「残念ながら、奥様は亡くなられてしまいましたが、大槻様、貴方は調査を続けられ、殺人事件に深くかかわる人物に辿り着いたのではありませんか。弁護士の方が、以前それについて相談されたとおっしゃってました。誰とまでは聞けなかったそうでございますが」
大槻は「さあ……、どうでしたか……」と首をひねった。
早乙女が補足する。
「警察は、当初、有罪の二本柱としていたのは、自供、および、被害者に付着していた毛髪のDNA型と佐々木佐央里さんのDNA型が一致した事です。当時用いられたMCT118鑑定法は、一致する確率が百六十人に一人という精度の低いものです。また、釈放後に佐々木さんのDNAを再鑑定した所、警察の鑑定とは異なる結果となりました。つまり、鑑定の過誤もあったのです」
亀井に怒りの感情が沸き上がった。
百六十人に一人なら、人口が十万人の町だったらDNAが一致する容疑者が六百人以上。
しかも鑑定が間違い?
佐々木さんは犯人に仕立て上げられた?
完全に被害者だ。
警察とマスコミの生贄ではないか。
亀井は、そんな被害者に謝罪する約束を守れなかった事を、やり切れなく思い、拳を握りしめた。
氷室が続ける。
「ですが、その後、警察は被害者に付着していた毛髪の再鑑定を拒否しました。現在では遥かに精度の高い鑑定法があるにも関わらず、でございます。佐々木様が自殺され、裁判が終了しても、事件の捜査を再開することはありませんでした。真犯人は野放しでございます。それに業を煮やした貴方は、今回の計画を立てたのではありませんか」
「真犯人とは何のことでしょう。僕は、いや私は、根拠を聞いたはずでしたが、今までのお話は、すべて推測ですね」
大槻が、やれやれといった感じで肩をすくめると、桃井が口を出した。
「そうですよ! 大槻さんは、誘拐とか指を切ったりとか、そんな酷い事する人じゃありません。真犯人が見つかったのなら警察に言えばいいじゃないですか」
「世論を動かす手だってありますよ! ていうか、それで何で武田さんを誘拐するんですか!」と亀井。
「大槻様、武田様が誘拐された夜、何をされてましたか?」
「ドライブですよ。どなたかには言いましたけど。趣味なんです」
「申し訳ありませんが、携帯の位置記録を調べさせていただきました。その夜はずっと家にいたようですが?」と早乙女。
「令状は、取ったんでしょうね」
早乙女が紙を広げて見せると、大槻は僅かに瞳を輝かせた。
「家にいたなら誘拐犯じゃないですよね!」桃井が声を荒げる。
「たしか、携帯は、たまたま忘れたんですよ」
「失礼ですが、ドライブルートの位置記録を残したくなかったのではありませんか」
「ははは」と大槻は頭を撫でた。
「勝手ながら、大槻さんの車を調べさせていただきました。座席から、武田さんの服の繊維が発見されました。会社のデスクの椅子に残っていた繊維と一致しましたが、何か申し開きはありますか?」
「勝手ですね。あなたは鬼仏事無断ですか」
「え? 何です?」
早乙女が聞き返す。
氷室は得意そうに、その人物は漫画の悪役であると教えた。
早乙女は頷きながら「流石、氷室さんです」と感心する。
氷室の説明が終わると、バツが悪そうにしていた大槻は話を続けた。
「……武田さんは、以前、車でご自宅に送った事があります。その時にでも付いたんでしょう」
「僕も、地下鉄が止まった時とか、大雨の時とか、何度か乗せてもらった事がありますよ」と亀井が言う。
早乙女は続けた。
「武田さん、事件の前日に服を購入されて、その日に下ろしたばかりだったんですが。この夏発売されたブランドの新作です。大槻さん、以前とはいつです? 武田さんを車に乗せたのは、誘拐のあった日、ですよね?」
「いいえ。他にも人を乗せますからね。たまたま同じ服の人がいたかもしれませんね。その日は独りでドライブでした」
「新しい冷感作用のある繊維で、まだあまり出回ってはいないものですが……、まあいいでしょう。大槻さんのグレーのスープラですが、その夜、埼玉県米納市で、武田さんの元奥様、山井里香さんの自宅近くで目撃されたと証言があります。彼女を車に乗せましたか?」
「いいえ、そっちの方はしばらく行ってませんね。ナンバーは同じですか? 彼女が車に乗ったという目撃はあるんですか?」
早乙女は表情を引き締めた。
「あいにく、目撃者はナンバーを覚えていません。彼女が乗っていたかも不明です」
「そう言えば、全自動ナンバー読み取り装置、Nシステムという物があるそうですね? どうでしたか? その近辺で、私の車のナンバーは記録されてたんですか?」
「いいえ」
亀井や桃井はホッと息をつく。
「ですが大槻さん、おかしなことがあるんです。あなたはその晩、ドライブをしていたとおっしゃいましたが、あなたの車のナンバーは、都内都外あらゆる所で記録されていなかったんです。どうしてでしょう?」
「さあ? それを調べるのは警察のお仕事でしょう」
「ドライブルートを教えていただけますか?」
大槻は申し訳なさそうに、「適当に走らせてたんで、覚えてません」と答えた。
「あなたの車のナンバープレートから、アクリル酸レジンが検出されました。両面テープなどに使われる粘着剤です。ナンバーを偽装、上から貼り付けてドライブしたのではありませんか?」
「さあ、知りませんね。接着剤は、どこかで撥ねて付いたのかもしれませんね」
大槻は肩をすくめた。
「では、槻さん、あなたは米納市の方には、しばらく行ってないとおっしゃいましたね」
「ええ」と大槻は頷く。
「ですが、山井里香さんの自宅近くで見つかったタイヤ痕が、大槻さんの車と一致しました。タイヤの傷や摩耗した部分を含めてです。この意味は、分かりますね」
大槻は、一瞬だけ、わずかに目を泳がせてから、頭を撫でた。
「そう……、ですね。時々、車のキーを抜き忘れる事がありますから、もしかして誰かが勝手に乗り回した可能性もありますね。鍵の管理をしっかりしなかった事は謝罪しておきます」
そう言って、大槻は軽く頭を下げた。
「それで、どうしますか? 私を逮捕しますか? ひょっとして、私が誘拐に関与してるって根拠は、これだけですか?」
桃井は急に立ち上がって、早乙女と氷室を睨みつけた。
「警察は、また冤罪事件にするつもりですか! 私、聞きました。誘拐の犯人がどこから電話をかけてきたか。最後の電話があった時、その前もですけど、大槻さんはここにいたんです。丸の内でも本郷でも川崎でもありません。本郷のビルが封鎖された時も、私、一緒にここの保安センターにいたんです。大槻さんが犯人のわけありません!」
「それは確認していますが、実行犯と連絡係が別人なら……」
大木刑事は言いかけたが、桃井に般若のように睨まれてたじろいだ。
早乙女が言う。
「犯人からの電話ですが、大槻さんでも不可能ではありません」
亀井は口を開けていたが、気を取り直した。
「いやいや、犯人は携帯を持って移動してたんですよね。大槻さんに出来るわけありませんよ。一体どうやってかけるって言うんです。テレポーテーションでもしたって言うんですか」
「トリックは単純です。携帯は一つじゃなかったんです」
「え?」
「クローン電話を使ったんです」
「な、何です? それ」
「全く同じ電話番号と識別情報を持つ、電話会社でも見分けのつかない電話機です。改造するには専門知識が必要ですが、それを工夫して用いれば、離れた場所から、あたかも移動しているように思わせながら、別の電話をかけられた。そうですね、大槻さん」
「ええと、それも証拠があるんですか?」
早乙女は紙袋の中から、透明の袋に入ったタッパをー取り出した。
タッパ―の中には二つの携帯端末とバッテリー。半分分解されて、複数のコードで繋がっている。
「小井ふ頭の工場跡から、そして同じものが、本郷市民センターからも発見されました。それぞれに犯人の電話番号が登録された端末が入っています。もう一つは別の端末。こちらで電源のオンオフや通信のコントロールをしていたんですね。記録を調べたところ、それぞれ犯人が電話をかけた時間と完全に一致しました。コントロール用の端末を調べた所、ここ、談英社の最寄りの基地局から接続されていました。お分かりですね。大槻さん、あなたのお持ちのスマホからです。先日、身代金の受け渡し時、時間指定しておきながら亀井さんに電話するのが遅れた時がありましたが、それは、ちょうどその時間、ここでトラブルがあり、すぐに電話をかけられなかったから、違いますか?」
大槻は、先ほどかかって来た電話は、彼らからだったのかと思い当たった。
今も持っているか確認したんだろう。
「丸の内、本郷、川崎、いずれも基地局のエリア範囲内に、東帝都綜合警備の委託会社がありました。大槻さん、現在、若手の教育のために警備受託先を回っているようですね。その時ですね、装置を隠したのは。川崎、丸の内でも装置が発見されました。小井ふ頭に設置したのは、ついでに、電話を手に入れた際に取引した犯罪組織を捜査させるためではありませんか?」
大槻は「うんうん」と首肯した。
「刑事さん、すごいですね。この短い間で、そこまで調べましたか」
「き、貴様」
軽く拍手する大槻に、大木が掴みかろうとしたが、初老の刑事がその肩を抑えた。
氷室が穏やかに言う。
「大槻様、武田様の居場所、お聞かせくださいますか?」
「言うと思いますか?」
大槻はニヤリと不敵に笑った。
「しょっ引いてゲロさせてやる! いてっ!」
手錠を取り出した大木の頭に、山本の拳骨が落ちた。
「それでは、大槻様、取引いたしませんか?」氷室が微笑む。
亀井と桃井は、大槻が本当に犯人なのだろうかと衝撃を受けていたが、「取引?」と首を傾げた。




