2.全員出動
「みみみ、見たっす! 俺、会ったっす!」
半袖のワイシャツを汗で濡らした猫屋敷は刑事部屋に入るなり、興奮した様子で声を上げた。デスクに向かって報告書をまとめていた早乙女や餅柿、剣崎が、なんだ?と顔をあげた。
「どうしたの?」と早乙女が聞く。
「あ、あれっす。カメレオンズっす。氷室さんのお店にいたっす。あ、あと帰り際、ペギー五郎にもあったっす」
剣崎が、誰だと言った表情で目をやると、猫屋敷は無駄に手を動かして説明した。
「先輩、知らないんすか、ほら二人組のおもしろいオジちゃんで、頭に筒をかぶせて、首をぐるぐると回転させたり、縦じまのハンカチを横じまに変えたりする手品の……」
剣崎は興味ないと鼻をならした。
「へえ、すごいですねぇ、有名人じゃないですか」
餅柿は優しい目を向けると、猫屋敷は嬉しそうに、
「でしょ! でしょ! 俺、握手して貰ったっす。俺、もう一生、手、洗わないっす!」
と両手を前に見せる。
剣崎はため息をついて首をふった。
「係長、俺と握手します? そしたらカンセツ握手っすよ。どおっす? どおすか!」
「外から戻ったら手を洗いましょうね」
早乙女が言うと、猫屋敷は「ええー、そんなあぁ」と身をくねらせた。
「トイレは行きましたか?」と餅柿。
「行ったっす!」
剣崎が「すぐ洗ってこい!」と怒鳴りつける。
猫屋敷がしゅんとして部屋を出ようとした時、事務の天海がポニーテールを揺らして飛び込んできた。ぶつかりそうになり、彼は「おっとっと」と両手を挙げてよけた。
天海がそれに構わず叫ぶ。
「聞いてください!」
皆の注目を集め、彼女は怒ったように、また困ったようにまくし立てた。
「うちの経費、今月、落ちません!」
猫屋敷は「ええーっ」と悲鳴をあげた。剣崎の眉間にしわが寄る。
「担当に聞いても、知らないって言って全然教えてくれないんで、私、秋ちゃんに聞いてみたんです、あ、会計課の友達の、そしたら、領収書に不審な点があるって、監察にまわされたって、全員! 全員分ですよ!」
「一体どうしたんでしょうね」と餅柿は首をひねる。
剣崎は「ちっ」と舌を打ち、たばこを取り出した。
日々の捜査費をポケットマネーで賄っている中、雀の涙ほどの捜査報償費すら支払ってもらえない。
猫屋敷は「俺、もう財布すっからかんすよぉ」と頭を抱えた。
「てか! 不審な点てなんすか! 誰も不正なんてするわけないじゃないすか! ねえ!」
「僕、領収書はいちおう全部目を通しているつもりですけど……、なんですかねぇ」
「うまい棒ね」
突然の早乙女の言葉に、皆、彼女に目をやった。
「小耳にはさんだんだけど、うまい棒百本のレシートが入っていたんですって。監察にまわされたとは、まだ聞いてなかったけど」
「うまい棒……? 見た記憶がないですね」
猫屋敷の顔色が青く変わった。それを見て剣崎の目つきが鋭くなる。
「おい、お前か、新人」
「え? 俺? あ、ええと、そう言われると、そんな気がするような? しないような?……」
「餅柿さんは見てないって言ってるよな、おい、説明しろ」
剣崎の迫力に、猫屋敷はしどろもどろになる。
「え、ええと、その、出すの忘れてて、締め日に天海ちゃんが持ってくって言った時、その、あわてて、みんな忙しそうだったし、俺も捜査に出るとこだったし、氷室さんに教わった手品をつかって、領収書の束にもぐりこませて……」
「なぜ、うまい棒を落とそうとするんだよ」
「だだ、だって、もう、お金ないすもん! 子供から情報もらったり、協力してもらうことあるじゃないすか、だから、駄菓子でお礼にと……、先輩だって、毎回タレコミ屋に何千円も渡してるじゃないすか、俺の方が安くすむから、お買い得って言うか、あれっ? 俺のほうが……、賢い?」
剣崎が椅子から立ち上がると、猫屋敷は一歩後ろに下がった。早乙女が口をはさむ。
「猫君、今度からひと言、言いましょうね。それから、これは猫君のせいじゃないわ」
剣崎は怪訝な顔をする。
「会計課長の持田さんに、警務部長の田所さん、どちらも安藤警視監の派閥かしら」
「……そうですね……」と餅柿が小さく頷いた。「……うちの係設立に反対で、今までも似たようなことがありましたし、うまい棒のレシートがなくても、もしかしたら、何かしら理由をつけて妨害する可能性もあります、か?」
天海は「なに、その、せこい嫌がらせ」と、あきれた顔をした。
「部下の誰かが忖度してやってるかもしれないな」と剣崎。
猫屋敷はほっと胸をなでおろす。
「上に抗議しておくわ。みんなごめんなさい。もうしばらく辛抱してね。必要なら私が立て替えるから」
頭を下げる早乙女に、皆は、係長は悪くないと慌てた。
猫屋敷は何気なく言った。
「それより警視総監に直接言っちゃったらどうすか? そっちの方が手っ取り早いんじゃ……」
剣崎や天海は「おい馬鹿」「猫ちゃん!」と囁く。
早乙女は申し訳なさそうに眉を顰めると、餅柿が口を開いた。
「直訴はしません。報告は正しいルートで正しく行いましょう。僕がしておきます。いいですね、係長」
早乙女は歯切れ悪く「ええ」と答えた。
その時、早乙女の内線が鳴った。
早乙女は電話に出ると途端に真剣な顔つきになり、受話器を置くと、皆を見まわした。
「みんな、今やってる仕事はひとまず中断。全員で出動するわよ」
「なんすか」
「誘拐よ。詳細は捜査本部でね。ほら急いで支度」
早乙女が手を叩くと、皆、きびきびと動き始める。
猫屋敷は生き生きとした顔つきになった。
「久しぶりに、ってか、やっと、うちっぽい事件が来ましたね。あ、そうだ、氷室さん送って来ちゃったけど……」
「申し訳ないけど、また迎えに行ってくれる?」
「合点承知の助っす!」
猫屋敷は嬉しそうに敬礼する。
剣崎は横目で「手洗い忘れるなよ」と念をおした。
「お疲れさまーっす」
談英社の大会議室に入るなり、目を輝かせた猫屋敷は「これ逆探知の機械っすか?」と電話に駆け寄った。
「失礼、この部屋は立ち入り禁止だが」
大木刑事が立ちはだかり退出をうながすと、猫屋敷はドヤ顔でチョコレート色の警察手帳を広げてみせた。
初老の刑事はバッジと所属を確認すると、「つまみ出せ」と顎をしゃくり、猫屋敷は二人の刑事に両腕をつかまれてドアの外に連れていかれた。
目を白黒させる猫屋敷を閉め出すと、すぐにドアをノックする音が聞こえたので、大木刑事は乱暴にドアを開けると、そこに立っていたのは、気品ある背広を着こなしたロマンスグレーの老人である。
「申し訳ございません。こちらで先に捜査を進めているように頼まれまして」
氷室がにっこりとほほ笑むと、大木刑事は「あ、あなたは……」と青酸カリ事件の取り調べを思い出した。




