3.刑事部屋チャット
警視庁の特別捜査官と仕事できると張りきった中野だったが、意外にも氷室はそれ以上捜査に関わろうとはしなかった。
「私自身に容疑がかかった事を不思議に感じましたが、基本的に、県警の方を信頼しておりますので」
中野は、一緒に捜査をしたいと言ったが、氷室は、管轄が違う事と、今は休暇中で、まだ用事が残っていることを説明して丁重に辞退した。
「もし必要であれば、微力ながら、いつでもご協力させていただきます」
そう言われ、中野は憮然として署に戻った。
「なんだ、もう帰って来たのか?」
直井は自分のデスクで、火のついていない煙草を片手に、捜査会議用の資料をまとめていた。
「邪魔だとでも言われたか」
「冗談はやめてくださいよ。何で容疑者になったか知りたかっただけみたいです。それより、他にホシは浮上しましたか」
直井は「ふん」と鼻をならした。
「ホシは浮いてくるようなもんじゃねえよ。ホシは落とすもんだ……」
中野は直井に嬉しそうな目を向けた。
「あれえ、直井さん、今、うまいこと言ったと思ったでしょ」
「うるせえ」
中野は、「ねえ! 聞いてくださいよ! いま、直井さんがですねぇ!」と、デカ部屋中に聞こえるように声を張り上げた。
捜査官たちが「なんだ?」と顔を向ける。
直井が「うるせえつってんだろ!」と椅子から飛び立つと、中野は「おおっと」と距離をとった。
それをデスクから眺める小槙は、携帯の通話履歴をチラリと見て、「巫山戯てないで、一日でも早く、ホシを割ってくれェ」と願った。
その後しばらく、捜査は停滞していた。
被疑者たちを、ある程度絞り込めていたが、誰による、どのような犯行かはっきりしなかった。
動機があると疑われる人物には確固としたアリバイがある。
アリバイがない人物には動機が見つからない。
無論、誰も自分がやったと認めない。
「やっぱり、ガイシャ二人で争って共倒れになったんじゃないですかね」
捜査会議の後、所轄の連中だけで刑事部屋に集まっていた。
「ほら、凶器には二人の指紋だけ残ってて、密室だったんですから、もうそれでいいんじゃありません?」
「検視だと、遺体に残された血液から見て、まず百瀬が刺され、それから佐伯が刺された、それは確実だろ。百瀬の胸部には深い刺創がいくつかあった、腕などに防御創がなかったから不意打ちだ。百瀬に反撃して武器を奪い、佐伯を刺し殺す力が残されていたとは考えられないな」
「最後の気力を振り絞ったのかもしれませんよ。武器だって百瀬の手に握られていたんだし」
「胸に致命傷を負った女に、抵抗する人間を殺すのは不可能だぜ」
「佐伯を殺した人間が別にいるんだら」
「自殺の線は?」
「短剣の刺入する角度から、自分で刺したんじゃねえな。防御創もあった」
「そもそも佐伯が百瀬を殺したとも言えんだろ、二人とも別人に殺されたかもしれん」
「しかし、凶器には二人の他に指紋はなかった、佐伯の手や服には百瀬の血が大量に付いていた。それに、鍵がかかった密室……、鍵の一つは百瀬が所持していて、もう一つは事務所の予備の鍵がしまってあるキーボックスの中。事務局長が開けるまで、鍵はその中に入っていた。そして誰も、それを使えなかった」
「現場の部屋は、壁も天井も床もしっかりしている。抜け穴はねえ」
「サムターンに血液が飛び散っていたが、触れた跡がねえからな、外からサムターン廻しをしたんじゃねえだろ」
「キーボックスを開ける鍵は一つだけ。それは清田が四六時中身に着けていた。休暇や出張などで本部を離れるとき以外手放す事はなかったが、ひと月以上、本部を離れてないし、ボックスを開けてはいない」
「ピッキングできる人間がいたりして」
「ピッキングに熟練していても、あのシリンダーだと開けるのにかなり時間がかかるんじゃねえか」
「閉めるのに、だら」
「被疑者の中に、錠前やセキュリティ関係の職歴をもつ人間はいねえな。鍵の講習などを受けた経験があるとかの情報も、今の所、ねえ」
「あったとしても、素人にゃ無理だぜ」
「もしかして、あの氷室さん、昔、有名なマジシャンだったんですよね。脱出ならお手の物なんじゃないですかね」
中野が言うと、皆「たしかに」と思った。
「『ひむろ』と血文字を残したのは、佐伯だ。指紋が一致している。血液は百瀬のだ。佐伯が百瀬を刺してから書いたんだろ。『人を剣で刺した』って書き残されてた紙切れにゃ、氷室捜査官の指紋が付いていた」
「筆跡も同一だと確認されたな」
「なんで置いてあったんだ?」
「氷室さんは、午前の見学会で書いたって言ってますけど」
「だが、それは燃やされた」
「とすると、それとは別に書き直したものか……」
書き直す理由も、それを犯行現場に残す理由も不明だ。
「志村誠人が言った霊媒トリックなら、燃えてなくても不思議じゃないがな」
「だが、あの場にいた全員の証言は、紙は燃えた、で一致しているぞ」
「どう考えても、トリックだら」
「俺もそう思う」
「だが証人には地元の有力者もいるからな、けっこう面倒だぞ」
「裁判まで行ったとき、陪審員もどう判断するか微妙ですよね」
「たとえ霊能力がトリックだったとしても違法でも何でもねえし」
いずれにせよ、あの老人は怪しい。
しかし動機もないし、返り血などの物的証拠がまったくない。本部長命令もある。下手に嫌疑をかけられない。
皆、どうしたものか、と腕を組んで唸った。
「直井さん、感触として、どうです? 氷室さん、ですかね」
「わからねえ、取り調べ中も、飄々として緊張の欠片もねえ、何でも答えるし、話す事すべて真実に聞こえやがるが、マジシャンてのは虚実錯覚させるプロなんだろ」
「殺して、密室にして、自分の指紋付きの書置きを残すなんて、意味が分からんな」
「だが、部屋にもドアにも、凶器にも指紋はねえ。疑って欲しいのか欲しくないのか、はっきりしろってんだ」
「同業者だからなア、俺は無罪だと思う」
「俺もだ」と何人かが同意する。
「限りなく透明に近いグレー、ってとこですかね」
「その例えは意味わからん」
「他の被疑者たちは?」
「宗教を狂信する人間は嫌なもんだな。特に、幹部の黒原、こいつは真っ黒だ。国家権力をなんとも思ってないときやがるし、余計なことはまったく話さねえ、が、アリバイは完璧だ、殺害時刻は大勢の前で講演……」
「奴さん、殺害現場を解放したら、即座に業者に頼んで念入りにクリーニングしたって話だぜ」
「教団の金を私的に使っている疑いが濃厚……」
「脱会した元信者の話だと、何人もの若い女性信者を手籠めにしていたらしいな」
小槙は携帯を握り、「爆発して死ね」と密かに呟く。
「他にも全員怪しく見える、が……」
「証拠が不足してるわな」
「時間をかけて、全員片っ端から搾り上げりゃ何かゲロすっだろ」
「悠長な、犯人をまだ逮捕できないのかと、世間でどれだけ騒がれてるか分かってるだろ。連日報道されて、こっちゃ上から、かなりせっつかれてるんだぞ」
「今年も、うちの県、検挙率ランキングに入りましたからね」
「ワーストのな」
「焦ってんだら」
「他人事ちゃない!」
「とりあえず、誰かしょっ引けば」
「誤認は絶対に勘弁してくれよぉ」
「あのう……、ところで氷室さん、どうするんですか、もうすぐ東京に帰る予定だって聞いてますけど」
「……ないと思うが、もし犯人だった場合それは困る……、抱っこ……、できるか?」
「引き留めるつっても、どうすんだよ」
刑事たちはしばらく腕を組んで頭をひねった。
休暇が終われば帰ってしまう。
であれば……、もし、ここで仕事があれば、滞在する理由ができるのではないか……。
上層部を通し、警視庁に正式に捜査協力を依頼するのはどうか。
その上で、氷室捜査官を指名する。
お互いの面子も保てるし、被疑者を手元に置いておくことが出来る。
万が一犯人だったとしても、逮捕するのは警視庁ではなく県警で行える。
犯人じゃなければ、真犯人を割り出してくれるかもしれないし、警視庁にパイプが出来る。
あれ? 万々歳か?
中野が「氷室さん、いつでも協力しますって言ってましたよ」と後押しすると、小槙は、「良し! そうするか」と、すぐに課長に話を通すことに決めた。




