2.ひむろ
事件当日、午後十四時から、その日二回目の見学会が予定されていたが、いつになっても佐伯琴子は現れなかった。巫女の百瀬望も同様である。
会館一階の教主専用控室で休憩しているはずが見当たらず、見学会の開始前から、布教部長の黒原は執務室から指示を出し、手の空いている信者が手分けして彼女たちを捜索していた。
遠方からの来客を断るわけにもいかず、見学会は教主抜きに行われた。黒原が教団の説明を多めにして時間を引っ張り、十五時半には閉会した。
その後も捜索は継続された。
佐伯と百瀬が発見されたのは、会館の西手から屋根付きの渡り廊下を経て北側に隣接するコテージ。
コテージは一部の幹部用に使われており、部外者は立ち入れない。二階は、教主の私室があり休憩などに使われている。
しかし、現在は改装工事のため、入り口は開け放たれており、壁や床のあちこちに養生シートやビニールが張られ、多くの工具、資材が置かれていた。
布教部の伊東香が、教主を探しに、何度目だったか、コテージを訪れると、一階の一室から携帯の呼び出し音が聞こえるのに気づいた。
普段から立ち入り禁止になっている部屋で、扉の前にはペンキ缶が置かれており、扉には鍵が掛かっていた。
いくら呼んでも応答しない。不審に思った伊東は、部長の黒原に連絡すると、彼とともに、事務局長の清田が管理する合鍵を借りて中に入った。
六畳部屋。佐伯は白い着物、百瀬は巫女装束で血だらけで死んでいた。
中野刑事が捜査資料をめくって氷室に見せた。
「ガイシャの佐伯琴子は四十八歳、十五年前に二代目になって以来、教団を率いていました。未婚で子供はいません。もう一人は百瀬望、二十八歳、九年前に入信し、巫女として活動していました。こちらも未婚です。二人とも本部内の住居に住んでいたようですね。現場には争ったあとが見られました。凶器は落ちていた短剣で間違いないです」
「それで、私が疑われた理由というのは?」
「はい、まずですね、黒い礼服を着た老人が近くを歩いていたと証言がありまして……」
氷室は、昨日、見学会の後、案内の女性と志村の三人で、施設内を歩いたのを思い出した。
モスクのような本堂を見学し、その後、東の滝へと行った。
滝行をしている修行者たちを見て戻る途中、連れの志村が小銭入れを落としたことに気づいて滝まで取りに戻った。案内の女性が心配して彼について行き、氷室はひとり鳥や緑、庭園の紫陽花を見ながら会館へと歩いた。
北へ行けば本堂、南に行けば会館である十字路を真っ直ぐ進み、生垣に囲まれた工事中のコテージを横目に歩くと、会館とコテージをつなぐ屋根付きの渡り廊下とカフェテリアのテラスが見えてきた。
見学会が行われた和室の前につながっており、そこから会館に入った。
途中、白い行者着の人とすれ違ったが、帰宅する少し前だったので、二時半前くらいだろうか。
中野は続ける。
「それから、カーテンの裏の窓ガラスに、ダイイング・メッセージがありました。血文字です」
「文字? とは」
「はい、ひらがなで、『ひむろ』と読めました。さらに、『人を剣で刺した』と書かれた紙切れが床に落ちてたんです」
氷室の眉がピクリと動いた。
「当日の見学会の名簿と、参加者の証言から、すぐに氷室さんじゃないかって見当がつきましたよ。すぐに滞在先の旅館と、志村民芸品店に捜査員が送られた訳です」
氷室は何とも言えない複雑な表情をする。
「ただですね、問題がありまして、ええと、現場の部屋だけは鍵がかかっていました。コテージは工事中で、玄関など入り口も他のどの部屋も鍵がかかっていません。現場の部屋の鍵は二つあって、一つは百瀬の袖口の中、もう一つは事務所のキーボックスに保管されていたんですが、そのボックスを開ける鍵を持っていたのが事務局長の清田。その日は一回もボックスを開けてないそうです。事務所の防犯カメラでも確認しました。部屋の窓はロック付きのクレセント錠です」
中野は「つまり、密室、ですかね」と氷室に視線を向けた。
「扉はどのような鍵でございましょう」
「ふつうの、えーと、たしかロータリーディスクタンブラー錠ですか。中からはサムターンで簡単に開閉可能ですが、安価な割に、プロでもピッキングには手古摺るやつです」
シリンダー内にダミーのロッキングバーが複数あるため、正しいバーを探り当てるには相当時間がかかる鍵である。
「ちなみに、サムターンには飛び散った血が綺麗に付着してまして、弄った形跡はありません」
氷室は「ふむ」と髭を摘まんだ。
中野は現場の写真を見せる。
窓ガラスの血文字は上下逆さで、かなり乱れて書かれていた。
足跡などは、床に零れた血を塗り広げるようにして消されており、扉の外にはまったく血痕はない。佐伯は床にうつ伏せに、百瀬は短剣を力なく握り、壁にもたれかかるように死んでいる。
「よくよく考えれば、密室に死体が二つですから、心中とか、あるいは痴情のもつれで殺してから後悔して自殺、など考えられますけど、ダイイング・メッセージが残されていましたし、見学会で、人を刺したっていう証言がありましたから、氷室さんにお話を聞きに行った、という訳です」
中野は、すまなそうに自分の頭を撫でた。
「死亡推定時刻ははっきりしてまして、ええと、十四時十五分から四十五分までの三十分の間に殺されたと考えられます。その時間に、あの辺りに近づいた人物は……、今の所、ええと、佐伯たちを捜索していた、布教部の伊東香、企画課の安室美奈絵、それから、滝行していた一般信者の加藤、仲本、高木、この三人は、いずれもコテージには立ち寄ってないと主張してますが、それから氷室さん……」
名前を読み上げたが、氷室と同じ名の人間はいない。
中野は首をひねった。
「不思議ですね。なんで、『ひむろ』って書いたんですかね?」




