1.容疑者Hの関心
第六話 天城殺人事件(全10)
「第四話 伊豆の霊能者」の続きでございます。
「頼む! この通りだ!」
入信して数年だった佐伯琴子は、付き合っていた黒原礼二に、突然、頭を下げられた。
なぜ?
どうして私が教団を率いるの?
兄弟子は沢山いるのに?
意味が分からず断るも、泣きつかれ、疑問は心の奥底に仕舞い込み、言われるままに霊能力があると嘘をつき始めた。
必ず成功する。
あの人の言う事を聞いていれば、きっと幸せになれる。
そう信じて……。
清楚な容貌と、黒原の言うとおりに演じた霊能力、彼の巡らした裏工作により、兄弟子たちを差し置き、佐伯は教主となった。
それから十五年。
「進幸神教」は十倍、二十倍と信者を増やし、勢力を伸ばしていった。
十六時二十五分、天城山中。
進幸神教本部で二人の遺体が発見された。被害者は責任代表の佐伯琴子と、巫女の百瀬望。
二人は、二階建てのコテージの一階、鍵のかかった一室で倒れているのが発見された。二人とも鋭利な刃物による刺殺である。百瀬の手には、儀式用の短剣が握られていた。
警察は、証言およびダイイング・メッセージ、現場に残された証拠品から、ある人物の関与を疑い、その日の十八時半には早くも、重要参考人を確保した。
「いや、だからお店寄れなくなったのは、捜査本部が設置されるからだって。いない、他に女なんていないったら、真美ちゃんだけだよ。誓うから、え? 明日? いや、しばらく駄目だったら、殺人事件なんだからしょうがないだろ。あ、いや、ほんとは行きたいんだって、だから週末の約束は延期ってことで、え? 取り消す、そんなア、いやいや、ちょっと待ってよ、落ち着いたら行けるし、ね? あ、そうだ、今度何か買ってあげるから、うん、え? 何でも? いや、何でもは、ちょっと……、あ、待って、切らないで、あ、真美ちゃん!」
小槙は「ああ、くそっ」と、いらついた表情で携帯をしまうと、星空のきれいな屋上を後にし、階段を下りた。
廊下で彼の姿を見た若い刑事が、「あ、課長補佐」と呼びかけた。
「なんだよ!」
「い、いえ、すんません、あの被疑者、殺害現場を見たいって言ってますけど」
「じじい……寝言は寝て言え」
小槙は廊下の壁をガンッと蹴飛ばす。
「あと、コーヒーはございますか、って言ってますけど、出します?」
「便所の水でも飲ませとけ。それより吐いたのか」
二人は刑事課の部屋に入った。増援が送り込まれ、未だかつてないほど活況に満ちている。
「今のところ、今回の殺しは否定してますが……」
「が、なんだ」
「いくつかの証言によると、どうも過去にも殺しをしてるらしく、それも一人二人じゃない雰囲気で……」
小槙の口があんぐり開いた。
スナックに通い詰め、やっと真美ちゃんとのデートに漕ぎつけた矢先にこれだ。
これは絶対に長引くやつだ……。
早期解決が絶望的に遠のく。
「直井さん、過去の犯罪から切り崩そうとしてます」
小槙は泣きそうな顔で、心底、犯人を恨んだ。
「で、あんた、剣で人を刺したんだって?」
取調室、直井刑事は、豊かな口髭の老人に、がま蛙のような顔を向けていた。
「今は昔の話にございます」老人は涼やかに答える。
「なにが今は昔だ! この人でなし!」もう一人の若い刑事、中野が怒鳴った。
「で、誰なんだ?」
「誰? と申しますと?」
「刺した相手に決まってるだろ!」
老人は顎をつまみ、深く考える。
「数えきれないほど、いらっしゃいますが……」
「く、くそう、大量殺人鬼かよ……」
睨みをきかせていた若い刑事は怯み、目に恐怖の色を浮かべた。
「……初めて私の練習台になってくれたのは、兄弟子のベッカー・ミルボーンでございました」
老人が思い出にふけるように遠い目をすると、直井刑事は机を叩いて氷室を睨みつけた。
――外人かよ! 国際問題じゃねえか! 下手こくと、日本警察の威信に関わるぞ!
直井は、血相を変え、ひとまず上と相談しようと考える。
小槙は、設置されたばかりの捜査本部にいる課長への連絡を終え、刑事部屋に戻ると、再び報告を受けた。
「被疑者ですが……」
「なんだ」
「刺殺の他にも、首や胴体の切断、燃やしたり、水に沈めたり、銃で撃ったりと、ありとあらゆる殺害方法をおこなっているようです」
小槙はぶるぶるっと震えた。
猟奇殺人か!
老人は喪服を着ていた。死神に扮しているつもりだろうか?
頭の狂った人間ほど恐ろしいものはない。
それがこんな静岡の片田舎に現れるなんて……。
マスコミが押し寄せてくるぞ。世界中からだ。ちくしょう、もし取り調べ中に奴が逃げ出しでもしたら、どんな被害が起こるか、何人の首が飛ぶか……。
小槙は顔を青くする。
「しかし、本人は殺してないと主張していまして」
「首切って死なない人間がどこにいるんだよ」
「マジックで元に戻したと……」
「魔法なんてあるか! ああ! こんちくしょう! カルト宗教か、よりによって、何でまた、うちのショバで……、ああっ?」
小槙の声がうわずった。
「おい! あいつ! 何で廊下を歩いてるんだ! だ、誰か、ひっ捕らえろ! おい!」
老人が刑事課の前を歩いている。
すれ違う女性警官の前で、空中から出した真っ赤な花をプレゼントして、喜ばれていた。
小槙は、直立不動で受話器を持ち、額から大量の汗を流していた。
「くれぐれも、あの方のご機嫌を損ねないように、いいかね? 何か問題があれば、君たちの将来はないと思え」
会議中の課長に代わって取り次いだ県警本部長からの電話を切ると、小槙は一目散に老人を保護している(任意で幽閉している)取調室へと走った。
すれちがう署員たちが、何事かと振り返る。
小槙は、取調室に飛びこむと、勢いよく「こ、この度は、申し訳ありませんでした!」と老人に最敬礼した。
「小槙っさん、何してるんだ」直井刑事が不審な目を向けた。
「ば、ばか! お前ら勝手に、このお方を疑いやがって! あ、氷室様、こ奴等は、後でしっかりと叱りつけておきますので、申し訳ございません、今すぐ、応接室にご案内します」
小槙は揉み手をして「ささ、どうぞ、こちらに」と氷室を部屋の外へと促す。
「しかし」と止めようとする直井に、小槙は声を張り上げた。
「しかしも案山子もない! こ、この御方をどなたと心得る! 政財界にもファンが多い世紀の大マジシャンであり、また警視総監直轄の特別捜査官ですぞ! 頭が高い!」
「あの、恐れ入ります、私、そんな大層な人間ではございませんが……」
「あはははは、氷室様、ご謙遜を、今までの失礼をお詫びしたいので、はい、ひとまず、さ、こちらへ、おい、中野! なにボーとしてる、コーヒー淹れてこい、一番良い豆を使えよ」
「豆なんてないですよ」
「署長室からかっぱらってこい! それから『好楽』、いや『ビストロ・ド・大仁』のメニューも持ってこい、ほら、動け!」
若い刑事は「はい!」と言って駆けていく。
氷室は「お手間をとらせて申し訳ございません」と彼に声をかけた。
その昔、伊豆は佐渡に匹敵する金山として名をはせていた。
しかし昭和になると金は枯渇し、今では夏目漱石、川端康成など文豪たちの滞在地として、また、湯量が本州随一といわれる温泉地として知られる。
赤い欄干の橋がかかる桂川。岩場の間の水面は踊るように、じゃばじゃばと音を立てている。
川の中には独鈷の湯と呼ばれる人工島が佇む。
その昔、修善寺を訪れた空海(弘法大師)が、病気の父の身体を洗っている少年の孝行心に打たれ、独鈷杵で岩を打ち温泉を湧き出させたと伝えられる。
湯につかった父親の病気はたちまち癒え、温泉療法が広まったと謂う。
河岸には風情ある土産物店や温泉宿が建ち並び、シーズンには観光客でにぎわうが、連休明けの平日になると、その人通りはまばらだった。
昨晩は夜も更けていたので、氷室は滞在中の修善寺まで送り届けられ、次の日の午前、中野刑事は捜査資料を抱えて温泉旅館を訪れた。
氷室を犯人扱いしたり、乱暴な口のきき方をしたりで、平身低頭気味の中野だったが、氷室は「疑うことが刑事の仕事でございますから」と、彼を慰めた。
「でも、常々、推定無罪だって注意されてたのに、申し訳ないです……」
刑事になりたての中野は、根っからの短慮という訳でもなく、直井や先輩たちに「お前みたいなヒヨッコは、まだまだ威厳が足りねえ」と散々言われてきたため、常日頃、強気の言動を心掛け、「怖い刑事」を演じ過ぎてしまう気があったらしい。
「昨晩は、お帰りになれなかったようでございますね」
「はあ、事件がひと段落しないかぎり、しばらくは無理っぽいです。いつもより生き生きしてる先輩もいるけど、課長補佐なんて、かなりご機嫌斜めですよ」
「お忙しい中、ご迷惑おかけして……」
「何おっしゃるんですか。ご迷惑おかけしたのはこちらです。勝手に濡れ衣を着せてしまって……、それより僕、期待してるんですよ。警視庁の特別捜査官に出会えるなんて、どうぞ、よろしくお願いします」




