2.勧誘
「私は引退した身でございますから」
ダークスーツに身を包んだ老人は、困ったように言った。髪も口髭も豊かなロマンスグレー。その優雅な身のこなしは貴族のようであり、その慎ましやかな話し方は執事のようであった。
駅から少し離れたビル街に、ひっそりと佇む小さなマジックショップ「ピーク・ブックス」。
所狭しと、さまざまな手品道具が並べられていた。トランプ、ロープ、色鮮やかなハンカチーフ、シルクハット、ステッキ、さまざまな大きさのコイン、不思議な飾りのついた箱や、ゲージのかずかず。店の奥の書棚には、たくさんの書籍が並べられており、それらの多くはフランス語か英語だった。
大きなウィンドウから外を見ると桜並木だった。
雲一つない晴天。歩道には、若者たちが楽しそうに歩いていた。
「そこを何とかお願いします。貴方と働けると思って、帰国してきたのです」
グレースーツの女は、おしとやかに頭をさげた。
「そう、おっしゃられても……」
カウンターの上には名刺が置かれていた。彼女が先日渡したものだった。
警視庁 刑事部捜査第一課 特命捜査対策室 不可能犯罪係
係長 警部
早乙女弥生
彼女は、何日も店に通い、顧問になってもらうべく彼を勧誘していた。
老人は、それを断わってきた。しかし、何度も追い返すのを申し訳なく思ったのか、ついに、ゆっくり話を聞こうと、カウンター横にあるスツールに腰を掛けるようにすすめた。
彼女の顔に期待の色が現われる。老人は、やさしく言った。
「早乙女様。私は、いじわるで、お断りしているのではございません。東京の警察で働きたくない訳でもございません。4万人を超える優秀な警察官がいらっしゃる中、私にお声をかけて下さいましたのは、大変光栄に存じます。ただ、早乙女様も、良くご承知のことと存じますが、犯罪に関わり合うことは、あまり心地良いものではございません。老い先長いとは言えない我が身。私は好きなことをして生きとう存じます。そこで、で、ございますが、早乙女様。貴方様が、一緒に働きたいと思える方かどうか、私は、知りとう存じます。もし宜しければ、今までにご担当された、思い出深い事件の話を、お聞かせ下さりませんか。ご依頼をお引き受けするしないは、それをお聞きして判断したいと存じます」
それを聞き、彼女は思案した。
しばらく選びあぐねているようだったが、「それでは……」と、静かに語りはじめた。
「あれは12年前、2007年、マサチューセッツ州、イーストサンプトンで起きた殺人事件でした。コネティカット川沿いの、緑豊かな田舎の住宅地です。その日は、4月1日。午後17時45分。ある民家で爆発が起きました。事件当時、私はFBIのCID(刑事捜査課)に配属されていましたが、ちょうど、その時期は、連続爆破事件が起きていたので、犯罪科学研究所、爆発物課のフィリップスと一緒に、事件現場に駆けつけることになりました。本来のパートナーは怪我で入院中だったので、以前CIDで捜査官をしていた彼と、臨時で組まされていました……」
早乙女は話しながら、ふと目の前、アンティークのサイドテーブルを見ると、いつの間にか、幾何学模様の上に、美しい磁器のカップが置かれていた。
彼女はコーヒーから湯気が立っているのを見て驚いた。
老人は一瞬も席を離れてはいない。彼は微笑み、「どうぞ宜しければ」と、それを勧めた。




