4.捜査1
草むらから出て来た猫屋敷の顔色は、いくぶん戻っていた。
猫屋敷は「すんません」と頭を下げた。
「誰でも初めはそうだ。気にするな」剣崎は手袋を外す。
「でも、あれっすね。ほら、何でしたっけ、換気の悪い部屋で、三人が集まって、近くにいたっていうことは、三密っすよね」
「だから?」
「え? ただ、そう思っただけっす」
剣崎は首を振り、ため息をつく。
「あの、ちょっと、宜しいですか」龍心が言った。
「なんでしょう」
「はい、実は、三密とは仏教の言葉なんですが……、これは人間の三つの行い、つまり三業の事を言います。身口意を表し、正しい行い、正しい言葉、正しい心、それが大切なのです。また、密教では、人身に印を結び、口に真言を唱え、意に本尊を観ずる、これが人間の三業であり、仏の三密そのものである、と言われています」
猫屋敷はそれを聞いて、「へー、そうなんすか。勉強になりますねー」と感心した。
剣崎は「御高説、ありがたく頂戴いたします」と龍心に会釈をし、「次、行くぞ」と猫屋敷に声をかけた。
二人は龍心と別れ、兼子酒造を訪れた。
部屋で発見された日本刀の持ち主である。正確に言えば、父親の愛刀を、息子が勝手に沼袋紅一に売ってしまったのだ。その息子、兼子健が第二の被疑者だった。
狭苦しい事務所に、兼子親子と四人で対面していた。
息子の健が言う。
「二月八日の夜だったと思いますけど、ひんぎゃの休ん処で呑んでまして……」
「ひんぎゃ?」猫屋敷が聞く。
「この島に一つだけある居酒屋、兼、定食屋、兼、喫茶店です」と父親の厳が補足した。
「ちょうと、あの兄弟も来てまして、話が盛り上がったんです。刀の話題になったから、俺の親父が名刀を持ってるって話してしまって」
「越前泰継の三ツ筒落です」
「それは凄いですね」
剣崎の目つきが変わった。
「ええ、山田浅右衛門が使ったとも言われている大業物でね、三ツ筒落というのは、人間の胴体を三つ重ねて両断できる切れ味で、二つなら二ツ筒落、一つなら……」
父親の説明に熱が入り始めたが、剣崎は「それは置いておいて」と、健に話を続けさせた。
「そしたら、彼らのうち一人が札束を出して、買わせてくれと言ったから、酔っていい気分だったせいもあって、つい、家から持ち出して売ってしまったんです」
「大切な宝ですよ!」父親が悔しそうに言った。
「次の日に、大目玉をくらいまして」
「当たり前だ。あれをあんな金額で売るとは」と厳は息子を睨む。
「貰ったお金を持って行って、返してもらおうと訪ねたんです」
「何時でしたか」
「九日の、えーと、夜の七時でした。刀を買った長男に札束を返そうとしましたが、まるで取り合って貰えず、刀はもう俺の物だから帰れ、って追い返されました」
「なるほど」剣崎は長男、紅一を思い浮かべる。
「兄弟のうち、一人、感じのいい人がいて、その人は、その次の日に本土に帰って行ったらしいんですけど、自分からも刀を返すように頼んでおくからって、言ってくれました。だから、また次の日もお金を持って訪ねて見たんですけど、あ、時間は夜、七時ころです、明かりは付いているんですけど、呼び鈴を押しても誰も出なくって、しょうがないから帰りました」
「ドアを開けてみませんでしたか?」
「まさか、しませんよ」
「窓から中を覗いたりは?」
「しません」
「その次の日、十一日は尋ねましたか」
「いえ、嵐でしたし、ずっと離れで過ごしていました」
彼は、母屋から別に家を建てて、一人暮らししていた。普段は母屋に行って、家族一緒に食事している。
「では、彼に最後に会ったのは、九日の木曜日、夜七時で間違いありませんね」
剣崎は、警察手帳の向こうから、彼を睨む。
健はびくびくして「はい、そうです」と答えた。
深井緑朗は役所勤めだった。彼が第三の被疑者である。
彼もまた、ひんぎゃの休ん処で、四兄弟と知り合い、長女の浅黄と仲良く話をしていたらしい。
「十日の金曜日、午後一時くらいに、彼女を訪ねたんです。夜に星空観測に誘おうかと思いまして。結構いい天体望遠鏡を持っているんですよ」
「勤務中ですよね」
剣崎が言うと、彼は「外に出る用事があったついでです」と言った。何度も説明しているせいか、そう言うのも慣れたようだった。
「それで、どうでしたか」
「ええ、誰も出ないので、散歩にでも行ったのかと思って、帰りました」
「どうして、そう思ったのですか」
「車がありましたから。この島はどこも絶景スポットですよ。移動が大変ですけどね。車がなければ、近くを散歩でしょう」
「家の明かりはついていましたか」
「そこまでは……」
覚えていないか、確認していないようだった。
「その後は、いかがです」
「ええ、その日から寒波が襲い、夜からは風が強くなりまして、次の日、十一日は、朝から雨が降り始めて、嵐となりました。ヘリも船も欠航が決まりまして、彼ら、帰れなくなったなぁと思いました」
「帰る日を知っていたんですね」
「狭い島ですからね。何でも筒抜けです」
「彼らの家を訪ねましたか?」
「嵐ですよ。土日だし、ずっと自宅にいました」
剣崎と猫屋敷は、ひんぎゃの休ん処に行った。分かっていたことだが、店の主人の証言で、被疑者と被害者がここで会ったことが確かめられた。
「やっぱり分からないすね」猫屋敷は海鮮丼を食べていた。
剣崎は険しい顔で腕を組む。
「もし心中だとすれば、最後の一人は、どうやって自殺をしたのか。現場の血溜まりには、まったく足跡が残されていなかった。もし他殺なら、どうやって密室を作った後、三人の首を切り落とし、足跡をのこさずに、その場を離れることが出来たのか……」
「三密っすよね」
「またか」
「いや、三つの密室っす」
猫屋敷は口をもぐもぐ動かしていた。
「ええと、まず、あの現場の部屋、それから鍵のかかった別荘、嵐で隔絶した島っす。島に出入りすることは出来ないし、別荘に出入りことも出来ないし、あの部屋に出入りすることも出来ないすよね」
剣崎は、ふむ、と猫屋敷を見た。
「正確には違う。別荘の鍵が一つ紛失しているということは、犯人が鍵を持っていた可能性がある。チェーンがされていなかっただろ、別荘の出入りは可能だ。三男の葉三は鍵を持っていたが、死亡推定時刻には、羽田行きの飛行機が欠航し、八丈島のホテルで缶詰になっていた。島の出入りは、公共の連絡手段が止まっていただけで、個人の船では上陸出来た可能性はある、が……、まあ、これは冗談だが」
「へー、先輩でも冗談言うんすね、意外っす。ところで、アジフライ食べないなら、貰っていいすか」
猫屋敷は、箸をのばそうとしたが、剣崎の顔を見て辞めた。
「もう少し聞き込みをしてから、証拠品も調べないとな」
剣崎はアジフライを半分に切ると、猫屋敷の丼の蓋に乗せた。




