3.崖の上の密室
「刑事さんでしたか」
レンタカー屋兼住職の和田龍心はハンドルを握っていた。向かう先は島西端の別荘、殺害現場である。助手席には猫屋敷、その後ろには剣崎が座っていた。
「お仕事中、お手間取らせてすみません」
剣崎は丁寧に言ったが、その風貌はヤクザの若頭。
後ろから静かな圧力を感じ、和田は背中に汗をかいた。
「いえいえ、暇を持て余していますから……」
「和田さんが、第一発見者なんすよね」
「ええ、そうです」
「何度も申し訳ありませんが、詳しくお聞きしてもよろしいですか」
「あ、はい、あれは忘れもしない二月十四日の事でした」
「バレンタインデーすね!」
猫屋敷は嬉しそうに言ったが、後部座席からの殺気を感じ、すぐさま口を噤んだ。
被害者は沼袋紅一、蒼次、浅黄の三人。
四人兄弟のうち三人で、それぞれ、沼袋製作所の社長、副社長、専務であった。彼らは、もう一人の兄弟、三男の葉三(常務)とともに、二月八日、水曜の朝、島に到着し、亡き父が建てた別荘で休暇を過ごした。
葉三は、土曜に仕事があるため十日の朝、ヘリコプターで島を発つ。三人は十一日に発つ予定だったが、前の晩から強風が続き、ヘリは運休となった。その後、雨が酷くなり、嵐は十二日、日曜日の夜まで続いた。
和田龍心が、レンタカーの返却がないのを不審に思い、十三日に車で出向くも、土砂崩れのために通行できず、十四日に道路が回復すると、ふたたび別荘に赴き、午後三時ごろ死体を発見した。
死亡推定時刻は十一日の午前六時から、午後六時の間。
鋭利な刃物で首を切断されたのが死因だった。
現場には血だらけの日本刀が一本残されており、それから三人の指紋が検出されている。
部屋は、倉庫のようで、縦長――奥行五メートル四十センチ・幅一メートル八十センチ――の六畳のフローリング。鉄パイプや板や、ペンキやセメント、工具が置かれていた。海沿いなので、錆びないように屋内に倉庫を設けたと思われる。
内開きの扉を入って左側の壁には、三つのスチールラックがあり、その入り口に近いラックが倒れ、扉を完全に塞いでいた。
警察は扉から入ることが出来ず、窓を破壊して――それも複層強化ガラスだったので大分骨が折れたが――部屋に入った。
「もし刀を使ったのなら、凄まじい手練れですね」
監察医は言った。
「三人中、二人は頸椎の間を狙って、スッパリ切断されてます。もう一人は骨に掠りましたが、骨ごと両断です。犯人は、山田浅右衛門じゃないですかね」
監察医は、江戸時代、首切り浅右衛門と呼ばれた御様御用役の名を出した。
「ええ、生きたままですよ。死後の切断じゃありません。三人の血液からはフルラゼパムが検出されましたが、血中濃度はかなり低く、覚醒していたでしょう。手足に拘束された跡はありませんし、起きていたのなら、普通、激しく抵抗するでしょうが、首の切断面付近に、かるい擦過傷があるくらいで、それ以外に大きな切創や刺創はない。ちょっと考えられない状況ですね」
フルラゼパムは、長女の浅黄が病院から処方されていた睡眠導入薬であり、別荘のキッチンから残りが見つかっていた。
玄関は施錠され、チェーンはされていなかった。鍵は二つあるらしく、一つは葉三が持ち帰り、もう一つは行方不明。別荘を隅々まで捜索したが、出てこなかった。
未舗装の急な小道。
龍心は慣れた手つきで車を走らせた。
「八日に車を貸し出したんですよ。二台です。四人だから一台でもいいかと思いましたが、観光で別行動するかもしれませんし、お一人は先に帰りましたしね。ええ、十日の朝にちゃんと一台返却されました。沼袋葉三さんです。帰る時、ヘリポートまで送りましたから確実です。それから十四日に別荘を訪れまして、あれを発見したという訳です」
「それからは、被害者の三人に会わなかったのですか」と剣崎。
「ええ、まったく、生きている姿を見たのは、貸し出した日だけです。着きましたよ」
三人は別荘の前で車を降りる。海風が強い。別荘の向こうは、どこまでも青い空と海。
彼らはまず屋敷を右に周った。
「ここですよ。この窓から見たんです」
壊された窓は板で打ち付けられている。もう一つの窓は黒い血がそのまま残っており、部屋は事件のあった時のままだった。
「あんな事件がありましたからね。もう使うに使えないし、売るにも売れないでしょう」龍心は言う。
猫屋敷は少し窓から覗いたが、みるみる顔を青くし、絶対に中に入りたくないと思った。
剣崎は捜査報告書の内容を頭に思い浮かべながら、外を見て回った。
別荘の西側が海。壁面から切り立った断崖まで数メートルしかない。所々、簡単な柵が立っていた。半分は壊れて落ちたらしく、なくなっている。
「気を付けてください。足を滑らせたら死にますよ」
龍心に言われ、剣崎と猫屋敷は慎重に崖の下を覗く。
水面まで数百メートル。はるか下の岩場には白い波が叩きつけられている。
猫屋敷は残っていた柵に手をかけたが、ぐらぐらして今にも抜けそうだった。
あたりには使い古しの木板や錆びた鉄パイプ、金具などが散乱していた。
「沼袋さんの亡くなった父親が建てたんですけれど、建築も達者で、時々、自分で改造していたと聞きます。はめ殺しの窓は、台風の時、全部の窓が割れて、中が酷い状態になったり、空き巣に入られたから、付け替えたと聞いています。空き巣は島民ではなく、観光客だと思いますが」
剣崎は、その父親は柵も新たに作ろうと思っていたのでは、と推測する。
現場の部屋、西側には窓がなく、エアコンのスリーブ配管だけある。壁を叩いてみるが、かなり頑丈に作られている。
しかし、手入れされていないためか、他の部屋のエアコン室外機やダクト、雨どいなど、プラスチック製品のものは、あちこち割れたり、ガタがきていた。配管のカバーは、風でカパカパと揺れ動いていた。
玄関の扉を開けると、猛烈な臭気が襲った。剣崎は眉を顰める。玄関はドアストッパーで開けたままにした。
玄関の中には折りたたみ式の台車が立てかけられていた。棚の上には何もない。
剣崎は家に上がると、換気扇を動かそうと思ったが、電気が通ってないだろうと考え、二階へ上がった。思った通り、二階の窓は上下スライド式だったので、全開にする。
猫屋敷はハンカチで口を押さえ、泣きそうな顔で中に入って来た。現場に行くのをためらい、他の部屋を物色したり、キッチンで冷蔵庫を開けたりした。調味料が少し、ビールが一ダース、ウイスキーやジンなどの酒瓶が数本ある。冷凍庫の引き出しを開けると、中は空で塵一つない。野菜室にはパックの中で腐った総菜がいくつか入っていた。
猫屋敷は勇気を振り絞って殺害現場に足を踏み入れる。
真っ黒な呪われた部屋。
剣崎は一足早く観察していたが、部屋に置いてあった物の多くは、証拠品として警察に保管されているので、見るべきものは少ない。
壁や天井に隠し通路などがないことを確認すると、立てられていたスチールラックを、鑑識の撮った写真と同じように倒してみる。窓際にセメント袋やペンキ缶があるので、完全に床まで倒れない。二人は、扉が開かなくなる事を確認した。内側のドアハンドルはなくなっていた。スチールラックが倒れた時に壊れたのだろう。
「ドアの外から紐とか使って、棚を倒せるっすか?」
扉を完全に閉めるとまったく隙間がない。少し隙間を開けてスチールラックを倒そうとすると、扉に引っかかって倒れない。
何度か実験してみて、剣崎と猫屋敷は、それは無理だと結論づけた。
「確かに完全な密室だな」剣崎は唸る。
「じゃあ、中から棚を倒したんすよね」
「そういう事になる。ラックは倒れた状態で血が吹きかけられていた。だから、密室にした後、三人は死んだ、つまり密室を作ったのも、首を切断したのも、被害者三人の中にいると考えられる、だが……」
「何で、そんなことしたんすかね? てか、先にここ出ません?」
猫屋敷は青白い顔で、そわそわしていた。
剣崎は黒い床を踏みしめて、部屋の奥に進む。
「死体は、奥の窓の前あたりに集中していた……、彼らは固まって何をしてたんだ?」
猫屋敷は廊下に出た。
「先輩、俺……」
剣崎が顔を向けると、猫屋敷は口を押さえ、走って出て行った。




