4-20 アンゲル クラウス 安い寮
アンゲルはクラウスの部屋に案内された。
ロハンが住んでいるのと同じ、あの古い寮だ。
壁際の本棚には、宗教関係の難しい本が、聖書と一緒にずらっと並んでいた。
……そうとう悩んでるな。
そして部屋を見回す。ロハンの部屋と全く同じ造りだ。
やっぱこっちの寮でよかったのになあ。なんでティッシュファントムの巣窟に住んでソファーで寝てるんだろう、俺は。
「ルームメイトは?」
「同じ管轄区の、コミュニティに入ってる」
「げっ」
アンゲルはあの、不気味な集団を思い出した。
あれと一緒の部屋って……ティッシュファントムの方がよっぽどましだ。
「ということは毎日祈ってるわけ?二人で?」
「当たり前じゃないか」
アンゲルは、クラウスが心の底から気の毒になってきた。
「集会に参加してるから、夜遅くまで帰って来ないよ」
「集会って……」
「聖書を回し読みする会」
「……はてしなく暗いね」
「ほんとに管轄区の人なの?そんなことを言うなんて」クラウスが、非難に満ちた声をあげた「本当はイシュハにずっと住んでいたんじゃないの?」
「違うよ。クレハータウンって知らない?」
「知ってる。ポートタウンの近くだろ」
「そこからさらに10キロほど歩くと、俺の住んでいた町がある」
しばらく二人で管轄区の町の話をしていたのだが、そのうちクラウスが『懲罰室に一週間も閉じ込められた』という話を始めた。
「何やったんだよ?」
「わからない」
「わからない?」
「みんなは僕が、祭壇の飾りを壊したって言う。でも僕にはそんな覚えはないし、第一、祭壇に近づいた記憶もないんだ。でも、みんな、僕がやったのを見たって言うんだよ。友達も両親も、神父様まで」
「変だな」
「でも、神父様がそう言ったら、僕が何を言おうと信じてもらえないだろう?」
「だろうなあ……」
アンゲルは自分の町にいた神父を思い出した。クラウスの話に出てくる神父とは違って、人間的に善良な老人だった。町の人間の手本のような存在だった。
でも台風で行方不明なんだよな……。
「それで、女神が信じられないわけ?」
「それだけじゃないけど……それがきっかけと言えなくもない」
それから二人は、『いかにあの国の影響から逃れるのが難しいか』を話した。せっかくイシュハに来たのに、コミュニティの連中にはつけ回されるし、イシュハ人はあまりにも即物的で、精神性がない……。
「どうしてイシュハ人はあんなに気楽そうなんだろう?」
「さあね。生活に宗教が入ってないみたいだけど」
「でも、信仰なしで人間、生きていけるものなのかな?」
クラウスが深刻な顔でつぶやいた。
「どういう意味?」
「信じるものがなくて、それで精神を平静に保てるものだろうか?」
「……信じないほうが平和な気がするんだけど」アンゲルには、クラウスが何を言っているかよくわからなかった「少なくとも、イライザ信仰は」
クラウスが、何か異質なものを見るような目でアンゲルを見た。
アンゲルはその目つきに見覚えがあった。
あの、狂信的な『管轄区コミュニティ』の連中と同じ目だ。
「アンゲル、やっぱり君は管轄区の人間じゃないだろう?」
「残念ながら、生まれも育ちも管轄区なんだよ。ただ女神が信じられないだけ」
「そんな管轄区人いないよ」
「じゃあお前は何なんだよ!?」
意見が合わなくなってきた。
どうも、アンゲルが抱いている違和感と、クラウスが抱いている違和感では、内容がだいぶ違うらしい。
帰り道、アンゲルは混乱した頭で、クラウスに言われたことを考えた。
『信仰なしで人間、生きていけるものなのかな?』
アンゲルは、そんなことを考えたことがなかった。そもそも、この問いかけの意味が理解できなかった。
どういうことだ?
もともと俺は信じてないぞ?それが何だ?
いきなり死んだりしないだろ?
いや、そういうことじゃない。わからなくはない……でも、何だ?
考え事をしながら歩いていたアンゲルは、自分が反対方向に歩いていることに気がつかず、アルターの駅が視界に入ったところであわてて引き返した。
自分の寮に帰った時には、日付が変わっていた。




