2-10 アンゲル バイト面接
次の日、アンゲルは列車でポートタウンに行き、バイトを募集していたレストランに行ってみた。
最初にやってきたときと同じように、人と車の量に圧倒された。やたらに目に着く広告と、派手な格好(というより『下着姿同然』)の女性たち、異常に早足で、ぶつかったら何メートルかふっとばされそうなほど勢いよく歩いている人の群れ……。
アルバイト広告を見ながら歩いていたアンゲルは、だんだん気分が悪くなってきた。
……だめだ、早く見つけないと。
それからさらに数十分ほど迷った末、目的の店はなんと、ポートタウン駅のすぐ裏にあることが分かった。
無駄に歩き回った疲労でぐったりしながら店のドアを開けると、中は客でいっぱいだった。かなり繁盛しているようだ。
「あのー」
「何名様ですか?」
「いえ、アルバイトの募集を見て来たんですが」
「ああ、アルターの学生?」
「はい」
「奥に店長がいるから、ヒゲの」ウェイトレスがカウンターの隣のドアを指さした「その人に話して、たぶんあっという間に決まるから」
「はあ……」
あっという間に決まる?どういうことだろう?
疑問に思いながらドアの中に入っていくと、そこには驚くほど大量の食器(しかも使われた後らしく、汚れている)が積まれていて、シンクには、必死で食器を洗っているヒゲの生えた太った男と、隣で食器をふいているかわいらしい女の子がいた。
「あのー」
ヒゲの生えた男がアンゲルの方を見た……かなり殺気立った目つきで。
「アルバイトの広告を見て来たんですが……うわっ」
アンゲルが話し終えるのを待たずに、ヒゲがアンゲルをつかんで、シンクの前まで引っぱって行った。
「洗ってくれ!客が多くて追いつかない!」
「えっ?」
「俺はディナーの準備をする!」
ヒゲはそう叫ぶや否や、ドアの外に飛び出して行った。
「ちょっと待ってください!面接は……」
「面接、ないわよ」
隣で皿を拭いている女の子がそう言って笑った。
「ない?」
「そんな時間ないの。人が足りないのね。だから早く皿洗った方がいいわよ。こうしている間にも……」
ドアが開き、ウェイターがまた『洗いもの』を大量に持ってきた。
「ね?」
呆然としているアンゲルに向かって、女の子がウインクした。
それから夜中まで、アンゲルは延々と皿を洗い続ける羽目になった。給料はどうなってるんだとか、契約はどうなってるんだとか、そんなことを考える余裕が全くなかった。そうとう繁盛している店らしい、洗っても洗っても、食器の山は減ることがなかった。
それでも、皿を拭いている女の子とはいろいろ話ができた。ソレア・アークという綺麗な名前で、実は彼女も管轄区出身だった。
「ここに来る前に、すごいことがあったのよ」
「すごいこと?」
「入学金を振り込みに銀行に行った時、3人組の男につかみかかられて『金をよこせ』って」
「えっ?」アンゲルは驚いて手元の皿を落としそうになった「まさか一人で大金持って歩いてたんじゃないよね?」
「それが……父が仕事で手が離せないって言うから、一人で歩いていたの」
「そりゃ、襲われるだろ」
管轄区は治安が悪い。夕方6時を過ぎると自主的に外出を控える。『襲われる可能性が高い』からだ。昼間でも、女の子に大金を持たせて一人で歩かせるなんてありえない。
「でもね、通りがかりの、黒髪で怖い目の男の人が、三人を追い払ってくれたの!」
「へー」
アンゲルは白けた返答をしたが、ソレアはあまり気にしていないようで、興奮気味に話は続いた。
「しかもね、『あなたは誰?』って聞いたら『家に帰って、最近大きな強盗のニュースが入ってなかったか聞いてみろ。財閥の金庫を破った奴の話が聞けるだろ。それが俺だよ』なんて言うのよ?それでうちに帰ってから母に聞いてみたら」
「金庫破りの犯人だったの?」
「そう!」
「警察に通報したよね?」
「しないわ」
「えっ?」
洗剤の容器を強く握りすぎて、緑色の液体が天高く跳ねあがった。
「だって助けてもらったのよ?それに、金庫の持ち主は前から評判の悪いいやな人だったし。いいじゃない」
ソレアはそこで言葉を切って、飛び散った洗剤を吹くと、両手を組んでうっとりしたような顔をして、こう言った。
「きっと、私が毎日女神様にきちんと祈っていたから、助けを呼んでいただけたのよ」
……ほんとに女神様がいたら、そもそも道で襲われないし、金庫破りなんてものがこの世に存在してないと思うけど。
アンゲルはそう言いたかったのだが、黙っていた。
相手はごく普通の(あくまで『管轄区での』普通だが)女神の信徒なのだ。本人が『女神が助けてくれた』と信じているのだから、何を言っても無駄だろう。
アンゲルは急に疲れを感じ始めた。それまで全く気にしていなかったのに、洗っても洗っても一向に減らない皿やカップが異常に憎らしく思えてきた。
どうしてイシュハに来てまで、管轄区の奴に出会わなきゃいけないんだろう……。
時々後ろの調理場から、シェフたちの会話が聞こえたが、その内容はこうだ。
「シュッティファントがまた企業買収を始めたらしい」
「またシュッティファントか!」
「何でも一人占めしやがって」
「いや、あれがイシュハだよ。シュッティファントはまるでイシュハそのものさ。欲望のままに奪い取る……」
どうやら『シュッティファント』という単語には良い印象がないらしいな。それにしても『欲望のままに奪い取る』ってすごいな……そんなに悪い奴らなのか?
皿を洗いながらアンゲルはそんなことを考えた。
ようやく閉店の時間になり、客が帰った後、ヒゲの店主と掃除をしながら時給と契約内容を確認した。学校が終わった後、夕方から、週4日の勤務で寮の費用は賄える。しかし店主が『忙しいから週5で着てくれないと困る』と言ったので、結局、土曜日を含めて5日ということになった。
やっと帰れる……。
疲れ果てたアンゲルが店を出ようとすると、ソレア・アークが、
「女神のご加護を!」
と言いながら手を振って去って行った。死ぬほどかわいらしい笑顔で。
もちろん彼女は悪意があってそんなことを言っているのではない、ただのあいさつだ。しかし、アンゲルはますます疲れ果てて、足元がふらついた。
「いないだろ、女神なんか……」弱々しくつぶやく「しかもここは、イシュハだぞ」
イシュハ。そうだ。ここはイシュハなんだ。自由の国のはずだ。なのにこっちに来て以来、ろくな目にあっていない気がする。ルームメイトはティッシュファントムだし、管轄区のコミュニティは異様だし、異教の女神様は脱いでるし、バイトの女の子まで『女神のご加護』とか言ってるし。
そして時計を見ると、終電の10分前だった。
あわてて駅まで走る。なんとか間に合った。列車に乗り込んですぐ疲れで眠り込んでしまい、あやうくアルターを寝過ごすところだった。




