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アンゲルとエレノア  作者: 水島素良
第一章

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1-12 アンゲル ヘイゼル エブニーザ 男子寮の部屋

 男子寮。

 アンゲルとヘイゼル、そしてエブニーザが、一様に疲れ切った表情でソファーに身を投げ出していた。

あれから一時間近く、アンゲルとヘイゼルはボールを奪い合って部屋を駆け回り、エブニーザは止めようとしたが、ヘイゼルの蹴ったボールが顔面を直撃して気を失ってしまい、騒ぎを聞いた他の学生が事務に連絡し、アンゲルとヘイゼルは頭の固い事務員に説教をされ……。

 そして、今、二人揃って視線を宙に浮かせているのだった。エブニーザは眠っている。鼻血を止めるためにティッシュを鼻に詰めたままだ。

「なあ、エンジェル氏」ヘイゼルがわざとアンゲルを別な読み方で呼んだ「あそこで寝ている哀れな鼻血君はな、小さいころに人さらいにさらわれたんだ」

「は?」

 今度は何を演説するつもりだろう?

 アンゲルはこの一時間で、ヘイゼルの話し癖がなんとなくわかりかけていた。すべては大げさに、劇画のように語られるのだ。そして延々と終わらない。

「管轄区じゃ、小さい子供がさらわれる事件が多発してたんだろ?」

「それは確かにそうだけど……」

 アンゲルは小さいころのある事件を思い出した。

 同じ街の端っこに、若い夫婦と小さな女の子が住んでいたのだが、ある日、人さらいに襲われ、夫婦は殺された。

 女の子の姿は消えていた。

 それからしばらく、町の子供たちは家から一歩も出ることを許されなかった。学校も半年近く休校した。当然その間授業は行われず、自学自習で不安を残したまま、次の学年に進級してしまった。

 似たような事件が、管轄区じゅうで起きていた。

 人さらいは必ず、両親や同居の祖父母を殺害していく。だから目撃者もいない。

 何のために子供をさらっていくのか、誰もが不思議に思ったが、誰にも理由がわからなかった。さらわれた子供は誰ひとり発見されていない。管轄区の発表では。

「エブニーザも被害者の一人さ。どこかで強制労働をさせられていたらしい。詳しくは知らないが、おそらく、毎日重いものを運んで、殴られて、犬みたいに床で眠る生活さ」

「本当か?それ」アンゲルが身を乗り出した「本当に人さらいの被害者だとしたら、大ニュースになるはずじゃないか?みんな行方を探しているんだぞ?」

 信じがたい話だった。今目の前で眠っている少年は、見るからに(鼻血を除けば)上品な、恵まれた家の、身分の高い人間のように見えた。

 ヘイゼルより、エブニーザのほうが、育ちがよさそうに見えるけどな……。

「本当なんだ。でも上手く逃げ出した。倒れているところをドゥーシンが、あ、俺の知り合いなんだけど、そいつが見つけた。シュタイナー爺さんに引き取られることになった」

「シュタイナーだって!?」

 アンゲルがその名前を聞いて、驚愕のあまり跳ね起きた。

「おおお、さすが管轄区の教会っ子だ。シュッティファントは知らないくせにシュタイナーは知ってるんだな?」

 ヘイゼルが軽蔑を含んだ口調になった。

 アンゲルにとって、いや、管轄区のすべての人間にとって、シュタイナーは英雄だ。国一番の財閥。イライザ教会のもっとも富める後ろ盾……。

「ほんとうにあのシュタイナーなのか?あの黒い怪盗が?」

『黒い怪盗』というのは、シュタイナーのニックネームである。いつもモノクル(片メガネ)をかけて、黒い帽子、黒いタキシードという格好で、100年戦争時代の馬車に乗って人前に姿を現すため、こう呼ばれている。

 シュタイナーが諸国を馬車で回っていた時に、アンゲルが住んでいた町の近くを通った。町じゅうの人が集まってその馬車を見送った。もちろんアンゲルも両親と一緒に馬車を見た。それからしばらく、町じゅうがその話でもちきりだった。

「そうそう、怪盗シュタイナーがエブニーザを引き取って、ここの学費も出している」

「何で!?」アンゲルはあることを思いついた「そうか、犯人を探すためだな?シュタイナーならそうしようとするはずだ。人さらいを捕まえるためだろ?管轄区の実権はシュタイナーが握ってるんだからそれくらいの権限はあるだろ?」

「そんなことするか?あのシュタイナーが」ヘイゼルがうさんくさい顔をした「お前ら教会っ子が思ってるような人間じゃないぞ、シュタイナーは。したたかで計算高くて策略がお得意だ。そんな面倒なことに自分から関わるとは思えない」

 ヘイゼルが軽蔑のまなざしをアンゲルに向けた。

「イメージ戦略にはまるなよ。趣味で馬車に乗って旅をしてる気のいい爺さんだと思ってるだろ?教会っ子はみんな従順だからね~。女神様シュタイナー様だろ?」

「そんなことはない」

 アンゲルは真っ向から否定した。確かに教会っ子にとってシュタイナーは特別な存在だが、良くない噂も時々入ってくる。敵対している人物を暗殺するとか、教会をビジネスに利用していて、実は女神を信じていないとか……。

「そんなことあるさ。騙されてるよ。うちは取引があるからよーく知ってる。商売相手として実にやっかいだ。そのうち俺が正しいってことが分かるさ。あのじいさんがエブニーザを引き取ったのは、単に、天才だからさ、エブニーザが」

「天才?」

「いずれわかる」

 ヘイゼルが自分の自慢をするように、満足げににんまりと笑った。

「それにしても……信じられない」

 アンゲルが背もたれに倒れこんで天を仰いだ。

あのシュタイナーの関係者に、この外国イシュハで出会うとは!

「じゃあ、エブニーザはシュタイナー本人に会ったのか?」

「会った?そんなもんじゃない。あの豪邸に一緒に住んでいたのさ、先週までな」

「ええっ!?」

 アンゲルは、すぐにでもエブニーザをたたき起こし『本当か!館の中の様子はどうなんだ!?本物のシュタイナーはどんな人間なんだ!?』と質問したい衝動に駆られた。

「可哀相な奴なんだよ。未だにさらわれていた頃の記憶にさいなまれてる。びくびくしている感じがするだろ?しないか?」

「俺はさっき来たばっかだぞ?」

 アンゲルはそう言い返したが、実はさっきから、エブニーザの妙に怯えた態度は気になっていた。

「てっきりお前が怒鳴りまくるから怯えているのかと」

「そんなわけないだろうが。おれはあいつを保護するためにここにいると言っても過言ではないのだぞ」

「それは大いに疑わしい発言だな!」アンゲルはヘイゼルの大げさな話し方をまねて抗議した「追いつめてるようにしか見えないぞ。そういうのは、医者かカウンセラーの仕事だろ?少なくとも、もっと穏やかな人のほうが合ってる」

「そうそう、カウンセラーね。この学校にもいるな。エブニーザは週に一回そいつらに会わないといけないらしい。未だに原因不明の発作やパニックが起こるから、経過を見たいんだと。大いに同情するね。俺はあいつらが嫌いなんだ」

「何で?」

「何にもわかっちゃいないからさ。まあ、そんなことはどうでもいい、俺が言いたいのは……」

「どうでもよくない。俺は心理学をやりにここに来たんだ」

「教会っ子には無理だ。やめとけ」ヘイゼルは有無を言わさない口調だ「俺が言いたいのは……」

「何だよ」アンゲルは悟った。ヘイゼルがしゃべりたいときに口をはさむのは無駄だと「カウンセラーの悪口なら聞かないぞ」

「エブニーザにソファーで寝ろなんて、誰も言っちゃいけないんだよ」ヘイゼルが急に、静かで同情的な、高慢さのない口調になった「監禁されている間、ずっと床で寝かされて」

「ああ、だからさっき『慣れてる』って言ってたのか」

「だから、お前に部屋を取られると困るんだ」

「だから、俺はティッシュファントムの部屋を取るって言っただろ」

「俺に向かって二度とティッシュファントムって言うなよ!」ヘイゼルがすさまじい大声で、唾を飛ばしながら怒鳴った「今度言ったら本気で殴り殺してやる!」

「わかったわかった!どうしてそんなにすぐ怒鳴るんだ!?」

「お前が変なことを言うからだろうが!」

 ヘイゼルの怒鳴り声があまりにも大きいので、アンゲルの耳がひりひりと痛んだ。

「わかった、わかったよ、もう言わない」

 声と唾を防ぐように両手を前に出しながら、アンゲルは後ろに身を引いた。

「とにかく、俺が何を言いたいかというとだな」

 ヘイゼルはまた、昔話のような口調に戻って話し始めた。

「いいから早く言ってくれ」

 アンゲルはうんざりしてきた。この調子だと永遠に話が終わらない!

「ここには、実は、部屋が三つあるだろ」

 ヘイゼルが、まず自分の部屋のドアを指さし、次に、エブニーザの部屋のドアを指さし、最後に、自分が座っているソファーを親指で指した。

「ああ、ここも部屋だな。すっかり忘れてた」

「だから、三人目はここを使えばいい」

「おいおいおい。俺にずっとソファーで寝ろっての?」

「ベッドが欲しいなら買ってやるよ」ヘイゼルが意地悪な目つきをした「男に買ってもらったベッドでぐっすり眠ればいいさ。できるもんならな」

「変な言い方をするなよ」アンゲルは露骨に嫌な顔をした「勝手に毛布でも持ち込んで寝るよ。これ以上ばかばかしい言い争いをしたくない。ここが俺の部屋ってことでいいんだな?あのへんは」

 ソファーの後ろの、何も入っていない棚を指さして、アンゲルが渋い顔をした。

「心理学の本で埋まるぞ?」

「勝手にすりゃいいさ。ほんとは追い出すつもりだったんだがな」ヘイゼルは残念そうな顔で、床に転がっているサッカーボールを拾い上げた「サッカーのできるやつは追い出せない」

「チームに入ってたのか?」

「あいにくチームワークは苦手でね」

「だろうなあ……」アンゲルは横目でエブニーザを見た。まだ眠っている「こいつは?」

「あーダメだ、全然ダメ。恐ろしくトロい。スポーツってものがそもそも嫌いらしい」

「だろうなあ……」

「その『だろうなあ……』は何だ?心理学的推測か?」

「単なる第一印象だよ。最悪だ」アンゲルはヘイゼルに向かって、困惑の交じった笑いを投げかけた「ほんと、最悪だ」


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