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アンゲルとエレノア  作者: 水島素良
第一章

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1-11 エレノア フランシス 女子寮の部屋

「エレノア!エレノア!」

 眠っていたエレノアは、誰かのヒステリックな叫び声で目が覚めた。

「夕食よ!出てきなさい!まさかもう寝てるんじゃないでしょうね!」

 怒鳴り声と、ドアを乱暴に蹴る音が耳と頭に響く。

 エレノアはしばしぼんやりと宙を見たのち、自分が今アルターの学校の女子寮にいて、同室の誰かさんがものすごくヒステリックだということを思い出した。

「旅で疲れて寝てたのよ。そんなに怒鳴らなくても……!」

 ドアを開けたエレノアは、目の前の光景に驚き、息がとまるかと思った。

 テーブルの上には氷で冷やされているワインと、芸術品のような、綺麗な彫刻の入ったワイングラスが二つ。絵画に描かれるようなフルーツが山盛りになった大皿が一つ。赤い、宝石のようにつやつやとしたロブスターを使った料理がふた皿。

 他にもたくさんの料理が並んでいる。

 細かい装飾の入ったろうそくが、料理と、頬づえをついて笑っているフランシスの顔を照らしていた。

 あまりに幻想的で、まるで、何世紀も前の絵画の世界に迷い込んだようだ。

「言っとくけど、いいものは今日だけよ」フランシスが、フォークを手元で弄びながら言った「特別にうちの料理人に作らせたの。明日の朝から、寮の食堂よ。あそこのビュッフェは最悪。ここの料理人は味覚がないのよ」

 そりゃあ、こんなものを普通に食べてたら、なんでもまずく感じるでしょうよ。

 エレノアは、ためらいがちにテーブルに近づきながら、フランシスの家のすごさを、そのテーブルから感じ取っていた。まるで、豪勢な料理がオーラを放ち、ふさわしくない客を遠のけようとしているようだ。

 フランシスは、エレノアが席に着くのを待たずに、ロブスターをつっつき始めた。

「あなたの家って、お金持ち?」

「あら?ご存じないの?」フランシスが気取った、見下した目つきでエレノアを見た「イシュハでは、シュッティファントの次にお金持ちなのよ」

「シュッティファントは聞いたことがあるわ」エレノアは、どこから料理に手をつければいいのか迷っていた「これって食べていいのよね」

「当たり前でしょ?食べないでどうするの?まさか絵でも描く気じゃないでしょうね」

「私も今、絵画みたいって思ってたの、このテーブルも、あなたもね」

「私?やめてよ、古臭い絵になんか閉じ込められたくないわ」

「絵画がみんな古臭いわけじゃないでしょ」

「古臭いわよ。今は映像とイラストの時代なの」フランシスが鼻にかけたような声で笑った「私、デザインもやっているのよ。趣味だけど」

「デザイン?」

「広告とか、ポスターよ。今はそういう時代なの」

 エレノアはフランシスの会話の受け答えから、今まで会ってきた『お嬢様』とは何かが違うなと思った。にこにこ笑い、愛想を取ることしかしない女性を、エレノアはどこの国でもたくさん見てきた。特に、大きな家のご令嬢は、あたりさわりのないことしか話したがらない。相手が旅芸人ならなおさらだ。

 でも、フランシスは違いそうだ。

「あなた、ここに来る前はどこにいたの?」

「最近は、セカンドヴィラとレハルノーサ」

「レハルノーサ?」フランシスが馬鹿にしたような声を出した「あんなところで芸をやったって、だれも見ないじゃないの。田舎でしょ?おじいさんしか住んでない」

「そんなことないわ。独特な伝統があって……確かにお父さんの曲芸は反応が薄かったけど(すごく落ち込んでたのよ!)みんな歌は好きよ」

「歌うの?」

「私は歌手よ」

「へええ」フランシスが試すような目つきになって、両手をあごにあてて肘をテーブルにつけ、見下すように目を細めた「歌ってよ」

「えっ?」

「何でもいいから、聞かせてよ」

 エレノアはしばし、頭の中で知っている曲を反芻して、どれを選ぶべきか考えた。

 そして、立ち上がり、歌い始めた。

 澄んだ、力強い歌声が、部屋いっぱいに響き渡る。

 その声は独特の流れを持っていて、部屋の中の空気を別な世界に塗り替えていった。

 戦争に行った男を待っている女。

 でも男は帰ってこない。

 女は一人で街に出かける。

 昔を思い出して泣きたくなる……。

 さびれた町の飲み屋をさまよう女の姿が、フランシスの意識にはっきりと映った。それほど、エレノアの歌の力は大きかった。

 歌が終わった時、フランシスの顔から、さきほどまで浮かんでいた、試すような顔も、見下したような態度も、消えていた。

「どう?これ、ロンハルトの歌を翻訳したものよ」

 フランシスは何も答えず、無言で立ちあがり、自分の部屋に入っていった。

「フランシス?」

「食べてて!」

 怒鳴り声が聞こえた。

 気に入らなかったのだろうか?

 エレノアは不安になったが、まだ手をつけていないロブスターを見て、早めに食べたほうがいいなと思った。フランシスがまたヒステリーを起こす前に。

 フランシスは、自分の部屋の電話を取り、直通のダイヤルを回した。

「今年のフェスティバルに出る歌手が決まったわ」フランシスは、相手が出るなりこんなことを言った「エレノア・フィリ・ノルタよ。ポスターに大きく名前を出すわ。あと、彼女が私のルームメイトだってことを忘れないでよ!」


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