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チャプター 21:レジェンド

 その日に受ける講義は午前のみで、たった一言瑞希に断り、菜々は足早にキャンパスを

出た。

 電車を乗り継ぎ、距離が近づく毎に、身体の震えが大きくなる。多くのプレイヤーが知

り、笑い話の域にまで達した伝説のスナイパー〝エイコ〟。見えていれば弾丸を命中させ

られる。岩のような巨大侵略者達を生身で打ち倒した。エイコ指揮の下、たった一分隊で

数百の敵を殲滅した。等、伝説の枚挙に暇が無い。存在が疑われる程の、超人的な技術を

持った五名の戦闘機乗りと並び、戦争を勝利に導いた英雄の一人である。

 菜々は、彼らの存在を信じていなかった。その反面、英雄に憧れ、真実であって欲しい

と願う自分も居た。事の真偽を確かめたい気持ちが歩く菜々の背中を押し、汗ばみながら、

予定より早く目的地へ到着した。

 それは、どこにでもある一般的な一軒家だった。菜々の住む自宅の方が若干大きい程で

ある。表札には畝火の文字。もはや菜々は、エイコが誰の親類なのか確信していた。

 おそるおそる、インターホンのボタンを押下する。当たり前のように呼び出し音が鳴り、

暫くして玄関のドアが開いた。菜々は、開いた音に反応して顔を上げる。

「はあい、どちらさま?」

 家から出てきた女と目が合う。ミッドナイトパープルの長髪に、ピンクのエプロン。絵

に描いたような主婦である。相手は目を丸くして菜々を見つめている。

「あの……霧海、菜々です」

 無反応な相手に痺れを切らし、自分の名前を伝える。はっとした相手は、玄関を大きく

開け、再度菜々を見る。

「ごめんなさい。びっくりしてしまったわ。貴女が、あまりにも千代の若い頃に似ていた

ものだから……ちょっとおばさんくさいかしらね」

「えっと…………え?」

 その言い回しに、菜々は相手が誰であるのか理解した。唯の姉や妹ではなく、母である

千代の若い頃を知っており、畝火の表札がかかるこの家に住み、そして、電話の向こうか

ら聞こえてきた声色を持つ女。

「私が畝火英子よ。あまりおもてなしはできないけれど、上がって頂戴?」

「は、はあ……」

 扉を大きく開け菜々を招き入れる英子。戸惑いながらも、菜々は畝火家へと入っていっ

た。

 通されたリビングは、アンティーク調の家具が並ぶ落ち着いた雰囲気の部屋だった。そ

して、どこからともなく漂ってくる嗅ぎ慣れない匂い。それらが混ざり合い、不思議と心

が落ち着いてゆく。

「どうぞ掛けて?」

「し、失礼します」

 おそるおそる椅子へと腰掛ける。柄にもなくかしこまった菜々に、英子は何がおかしい

のか、立ったまま小さく噴出した。

 ひとしきり笑った英子は、息を整え、菜々を見る。

「可愛い子ね。何か飲む?」

「お茶を、お願いします」

「はあい。ちょっと待ってて」

 のんびりとした足取りでキッチンらしい場所に入っていった英子は、お盆の上に緑茶と

お茶請けらしいものを乗せて戻ってきた。

 英子の一挙手一投足を凝視していた菜々に、見られている本人は苦笑した。

「おばさんだから、あんまり見ないで頂戴? ボロがでちゃう」

 言いながら笑う英子は、衰えなど微塵も感じされない美しさだった。

 出された湯呑みに手もつけず、菜々は英子を観察した。そして、次第に表情が難しくな

ってゆく。

「どうしたの?」

「いや、その」

 菜々は英子から視線を外し、ゆらめく湯気へと視線を落とす。

「なんだか、あまりにも普通で」

「ふふ…………そう。もっと、軍人然とした屈強な女だと思ってた?」

 黙ったまま頷いた菜々は、ショックを受けていた。彼女の今まで見てきた狙撃手とは似

ても似つかないオーラを纏う。どこから見ても英子は普通の主婦。戦場で生死の境を歩い

てきた人間にはとても見えなかった。

「菜々ちゃん。今、期待はずれだったな……って思ったでしょ?」

 身体は硬直したまま、心臓が飛び上がった。

「い、いや、そんな」

「そうね。貴女ぐらいの経験があれば、そう見えるのかもしれない」

 あたかも、自分の実力を見透かしているかのような含みのある物言いに、菜々の視線が

一瞬で鋭くきらめいた。

「それは、実際そうではない、と言いたいんですか?」

「そうね」

 瞼を閉じ、楽しげな表情で自分のお茶をすする。英子の笑いを嘲りと取った菜々は、怪

訝な表情で相手をにらみつけた。

 手に持つ湯呑みをテーブルに下ろした英子が、菜々へと視線を返す。

「本当はね? どうしようもないような子が来ちゃったら、追い返そうと思っていたんだ

けど…………」

 言い回しから、自分の能力が英子のボーダーラインを上回っていると捉え、菜々の視線

から若干の険が取れる。しかし、英子の実力を見ていない以上、上からの発言は無視する

事ができなかった。

「ごめんなさい。私では、貴女に教えられる事は殆ど無いわ」

「…………今のあたしじゃ、教えるに値しないと言いたいんですか」

 辛うじて丁寧語を保った菜々だが、その声は喉を鳴らす猛獣を髣髴とさせる。英子に対

する敵意をむき出しにしていた。

 しかし、菜々の威嚇すらそよ風のように受け流した英子は、微笑のまま首を左右に振っ

た。

「そうじゃないわ。技術面で言えば貴女はもう……昔の私を超えてる。見た限りではね」

 英子の評価に、菜々は大げさに鼻で笑った。

「おいおいおい。何だよ。伝説も蓋を開けてみりゃ……」

 肩を落とし、大きくため息をつく。憧れていた人間が幻だった事は、菜々を落胆させる

に十分な理由だった。

「こんな事なら知りたくなかった。あたしは――」

「ただし」

 菜々の言葉を遮った英子は、目を細め微笑を浮かべたままだった。

「貴女では、今の私に敵わない。絶対にね」

「それをどうやって証明できるんですか? 見たところ、電脳化しているようにも見えま

せんが。まさか……行きつけの射撃場があるとでも?」

 菜々はもはや、目の前の人間が英子である事を忘れていた。彼女にとって序列を決める

要素は実力のみであり、強者の威厳も感じられない英子に対して、敬意を払う必要は無い

と判断した。

 菜々の吐き出した嫌味としか考えられない台詞に、英子は苦笑で応えた。

「まさかも何も、その通りよ。道端で撃つわけにもいかないから」

 にやりと笑み、何度か小さく頷く菜々。それでも、英子に向ける視線は、未だ疑いを帯

びている。

「だけど……とても気になるの」

 背筋を伸ばし、綺麗に座っていた英子が、菜々へと顔を寄せる。

「唯の話から推察するなら、貴方はその年齢で相当なものを手にしている。けれど、それ

でも貴女は満足していない。馬鹿にしているわけじゃないけれど……仮想空間での勝ち負

けに何故そこまでこだわるのかしら? 貴女は何故、上手になりたいと望むの? 私を訪

ねてくる程に」

 怒りを爆発させる寸前で、後に続いた問いかけに頭が冷える。改めて問われ、菜々は、

思案している自分に驚いていた。それは菜々にとって当たり前の事で、自分自身が何故強

者になろうとしているのか、考えた事も無かった。

 しかし菜々には、自信を持って口に出来る答えを、すぐに見つける事ができた。脳裏に

よぎるのは、満面の笑みで自分を見る瑞希。声にする前に、英子へと視線を返した。

「自分が最も信頼する戦友に…………いや、親友と並び立つ為に。あたしはもっと上へ行

きたいんです」

 菜々の返答に、顎に人差し指の第二間接を当て、目を閉じて何度も頷く英子。口元には、

満足げな笑みが見えた。

「なるほど。とても、面白い理由ね。誰にも想いを押し付けない……他の誰でもない、自

分を満足させる為に、か」

 英子が湯のみを置き、ソファから立ち上がった。

「気に入ったわ、菜々ちゃん。ついてきて」

「あ、ああ……はい」

 英子は相変わらずのんびりとした足取りでリビングを出ると、廊下の突き当たりにある

エレベーターらしき扉を開く。後に続いてきた菜々も、英子の手招きによりのりこむ。

 エレベーターのコントロールパネルは簡素で、B、1Fと開閉ボタンのみ。英子は扉を閉

じると、Bのボタンを押し込んだ。駆動音と共に、菜々の身体がふわりと浮き上がり、エ

レベーターは下降を始める。

 耳が僅かに痛くなる程下降した所で、到着のベルと共に扉が開く。眼前に現れた光景に、

菜々は目を見開いた。

 そこには、菜々が居慣れた射撃場があった。アバターではない、生身の身体で初めて見

る光景。

「なっ……これって!?」

 そこは、菜々が毎日のように訓練している射撃訓練場と瓜二つの部屋だった。無数に並

ぶガンラック、間仕切りで分かれた射撃レーン。

 そして、中央の台には一人の男が座り、フライパンで何かを炒めていた。気配を消して

いるわけでもない二人の入室にも反応が無い。

「珍しいな、ここへ客がくるのは。あー……はじめまし――」

 振り向いた男は、菜々を見るなり目を見開く。手元が止まった事で、炒っていた珈琲豆

がぷつぷつと弾けた。

「……驚くわよね。本当にそっくりなんだもの」

 男も菜々も、お互いが何もわからない状況の中、英子だけが状況を楽しんでいた。

「ああ、ごめんなさい。紹介するわ。旦那のケビンよ」

 紹介を受けたケビンは、数秒の硬直を経て英子へ視線を移す。

「千代の子か?」

 小さく頷いた英子が、菜々を見る。

「こいつは驚いた。俺はてっきり、タイムマシンにでも乗ってきたかのと思ったよ。千代

は……ああそうだ。本当に似てる」

 菜々を検分するケビンは、シャツとスキニージーンズを着合わせた細身の男だった。逆

立てた黒髪も含め、全身黒尽くめの格好である。しかし、爽やかなマスクのせいか、不思

議と違和感は無かった。

 そして、ケビンに見つめられる菜々も、相手の顔に既視感を抱き、誰なのかと頭の引き

出しをかき回していた。菜々の疑問を感じ取ったのか、英子は小さく笑い声を漏らした。

「ケビン・ブルームフィールド。HTMIの代表取締役、と言った方がわかりやすいかし

ら?」

「あ、ああ……そうだ!」

 菜々は咄嗟に大声を上げ、その後少なくない眩暈を覚えた。この部屋には、大物などと

言う表現ではとても片付けられないような人間が二人も居る。驚くに十分すぎる状況であ

る。

 だが、ただの主婦にしか見えない英子とは対照的に、一般企業の役員である筈のケビン

からは、強烈な強者の雰囲気が滲み出していた。飄々とした喋り方も、いつでも、どうに

でもできると言わんばかりのプレッシャーを含み、菜々は敵意を向けられていない事に無

意識の内に安堵していた。

「社長なんて柄じゃないのにな。お飾りでいいと言うから座ってるだけさ」

「ふふふ…………よく言うわ」

 夫婦会話を楽しむ二人を、呆然と眺める菜々。だが、取り残している事に気がついたの

か、英子の視線が菜々へ向いた。

「さて、菜々ちゃん。そろそろ本題に移りましょうか。貴女が見たかったもの……見せて

あげるわ」

 菜々は生唾を飲み込んだ。英子が日本最高峰の狙撃手であるか、遂に確かめる時が来た。

菜々の興奮が次第に高まってゆく。

 相変わらず英子はのんびりと歩き、ガンラックに立て掛けられている狙撃銃を見渡した。

そして、一通り確認すると再度菜々を見る。

「菜々ちゃん。この中で貴女が使っているか、使った事のあるものはあるかしら?」

 英子の意図が読めた菜々は、ガンラックを見渡した。残念ながらワルサーは無く、辛う

じてM21だけが一挺確認できた。

「これは、少しだけ」

 実物の狙撃銃を触るわけにもいかず、菜々が指で指し示したM21。それを取り上げ、

慣れた手つきで検分してゆく英子。一通り触ると、ケビンへ顔を向ける。

「308の弱装弾って、あったかしら?」

「ウインマグしか無いが、大丈夫だろう。そうそうイカレる事なんてないさ。おまけにそ

いつは、つい最近オーバーホールしたばかりでね」

 英子は納得した様子で頷き、次に、部屋の端に置かれた大きなチェストへ近づき、蓋を

開けた。中には、あらゆる口径の弾丸が乱暴に詰め込まれており、各銃器のマガジンも収

められていた。その中から、M21用のマガジンと弾丸を取り出し、弾丸をマガジンへ手

早く詰めて行く。菜々はその様を、緊張した面持ちで見守った。

「それじゃあ、撃ちましょうか。あまり……おもしろいものでもないけれど、ね」

 頷いて応える菜々を確認し、英子は射撃台へと近づいた。そこは、菜々が愛用している

最奥の第六レーン。台の上には、大きな画面のノート型コンピュータが置かれ、そこから

数本の線があちらこちらへ伸びている。肝心の画面には、赤で縁取られたマンターゲット

が表示されていた。

「説明するまでもないと思うけれど……このモニターに表示されているのは、およそ五百

メートル先、レーザーポインタで投影されてるターゲットよ。センサーで検知した着弾位

置をこの画面に表示する仕組みになっているから」

 菜々の返答を待たず、立ったまま、狙撃銃の銃床を肩へ当てる英子。

 しかし菜々の視線は画面ではなく、射手に釘付けになっていた。英子がさらりと言い放

った距離は五百メートル。菜々が二脚を用い、狙撃銃をしっかりと固定した状態でようや

く命中させられる距離である。ベテランであればある程、匍匐か、それに準ずる姿勢で撃

つ事が常識だった。

 まるで、キッチンで食事の支度を始めるかのような柔らかな表情で、再度M21を構え

直し、英子の右目が照準器を覗き込む。

 何の躊躇もなくトリガーが引かれ、発砲音が菜々の肌へ叩きつけられた。

「うっ…………」

 発砲のショックに慣れているつもりだった菜々も、あまりの衝撃に身体を強張らせる。

アバターの感覚伝達率は九十五パーセントを超えており、その差は五パーセントにも満た

ない。だが、当の菜々は数字以上の生々しさを感じていた。

 初弾から間をおいて、リズミカルにトリガーを引き絞る英子。その度に、銃口から炎が

噴出した。

 装弾されている十発はあっという間に無くなり、熱によって周りが揺らめく銃身を下ろ

し、菜々を見る英子。

 そして、視線を受けた菜々は、着弾位置を確認する為にコンピューターの画面へと近づ

いた。

「な、なんだそりゃ…………」

 思わず漏れた台詞に、英子が苦笑する。

 モニターに表示されたターゲット、その頭部には、白い着弾マーカーによってスマイル

マークが描かれていた。とても立ち姿勢で叩き出された精度とは思えない、寸分の狂いな

く当てて見せた英子に、菜々はただ慄くばかりだ。

 生ける伝説、畝火英子。まごうことなき、究極の狙撃手である。

 肌寒い程の室内で、菜々の背筋を冷たい汗が滑り落ちてゆく。

「どう? これで少しは信じてもらえたかしら?」

 延々と頷き続ける菜々の目は、宝物を見つけた少女のように輝いていた。

「ずっと疑ってました。でも」

 菜々が英子に一歩近づく。その眼差しは、一遍の疑いもない尊敬の念に満ちていた。

「貴女が…………貴女こそが本物だ! あの"エイコ"は、幻じゃなかった!」

 尊敬と興奮。菜々の心は、感動で満たされていた。疑いが晴れた為か、英子も微笑で応

える。

「それじゃあ…………」

「……えっ?」

 英子がM21にセーフティを掛け、菜々へ差し出した。反射的に受け取ってしまった菜

々は困惑の表情を浮かべる。

「次は、貴女が撃つ番よ」

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