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七日目 (1)

「起きて下さい」

 体を揺さぶられていた。どうやらあのまま寝てしまっていたらしい。

 美月の声に反応して目を開けると周りは真っ暗。曇りにしても、暗すぎる。

「美月……」

 パチッと音がして部屋の中が明るくなり、軽く目眩を起こす。目が慣れて体を起こすと、横にはロードを手にした美月が立っていた。無表情で、俺を見下ろしている。

「二十四時間を切りました」

 俺の前にロードを突き出す。盤面の数字は『7』。時刻は午前一時。

 美月の声にも感情が籠っていなかった。それはロードを押した時と同じ。

 ついに一週間。短かった。こんなに短い一週間もこれまでなかったかもしれない。

「だからって、何もこんな夜中に起こすことないだろ」

 俺は不思議と落ち着いていた。しっかりと、美月とロードを見つめる。

「まったく」

 美月は表情を崩して、

「いまさらながらあなたが自分の死を自覚しているのか疑います」

 とロードを髪の裏にしまった。

 再びベッドに横になる。肌がべたついて気持ち悪い。昨日は帰ってきてそのままだったからな。腹も少し減った。

「美月、メシは食ったか? コンビニでも行こうか」

 美月は笑って頷いた。

 普段はこんな時間に出歩かないからどこか新鮮な気分だった。外はとても静かで、夏の湿気が容赦なく肌にまとわりつく。綺麗な満月が柔らかな光で辺りを照らしていた。

 美月が満月を指差して、「あれは美月ですね」と呟く。「残念ながら湖はないけどな」なんて、そんなことを話しながら歩いた。

 最後だから、どうせ使うことのできない金だと思って、生活費の大半を使い弁当やらお菓子やら飲み物を大量に買った。店員の兄さんは面倒臭そうだ。売上貢献だぞ、笑えよ。

 両手に持ちきれない荷物も美月の四次元ヘアーに入れて帰り楽々。

 アパートに着いて荷物を取り出しさっそく食事にする。俺は弁当とビール。もちろん未成年なんだけど、飲んでみたかったんだ。最後くらいいいだろ?

 プシュッと心地良い音でアルコールの匂いが広がる。飲むのを少し躊躇して、一気に一口喉の奥に流し込む。

「ぶはぉっ! な、なんだこれ、にげぇ……」

「苦い? 辛口と書いてあるから辛いんじゃないんですか?」

「飲んでみろよ」

 缶ビールを美月に手渡す。「では……」と受け取る美月。

 さぁて、甘いものが大好きな美月はどんな反応を見せるのかな。

「あの……」

「なんだ? やっぱりやめるってか?」

「間接キスですよね」

「返せっ!」

「いろんな意味でいただきます」

 と美月はビールを一気飲み。喉を鳴らして、何ともうまそうに飲みやがる。

「ぷはぁっ! おいしいじゃないですか。もう一本!」

 と人差し指を立てる。酔っぱらうなんてこともないのかな、死神は。

 自分で飲むもんじゃないと思って、残りを渡す。すると美月はまた一気飲み。

「なんつーか、お前の格好とビールが不釣り合いだよ」

 それから俺はお茶を飲み、弁当を食べたあとはスナック菓子を食べた。美月は買ってきたデザートの類を際限なく食べる。見ていたらこっちが胸やけしそうだった。

 美月は膨れてもいない腹をぽんぽん叩き、俺はゴミを片付けてベッドに横になった。

「いつもの時間に起こしていいのですか?」

「いや、今日はこのまま起きてるよ。最後の一日だし、風呂にも入ってないし。もしこのまま寝てしまったらいつもの時間に起こしてくれ」

 軽く返事をした美月はベッドの横に座り、背中を預ける。

「この一週間、俺はどうだったんだ? 実験とやらには役立ちそうなのか?」

「私にはわかりません、全て上が決めることですから」

 上ね。上の世界か。いまさら興味のない話しかな。死んだら無になるんだし。

「大体どうやって記録してたんだ? お前ずっと遊んでいただけじゃないか」

「遊んでいたとは失礼な。私の記憶が記録です。だからあなたのそばを離れるわけにはいかなかった」

「俺が寝てる時はどっか行ってたろ」

「そんな記憶はありません」

「都合のいい記憶だなぁ」

 美月は顔だけこちらに向けてぷくっと頬を膨らませた。そんな仕草は小夜みたいだ。

「でもま、お前との一週間は悪くなかったぞ」

 美月は小さく「えっ」と漏らして大きな目で俺を見た。

 世界一の不幸をもたらした美月だったけど、こいつ自信は悪くないんだ。普通に人間として出会っていれば友達になっていたと思う。

「ど、どんなふうに?」

 わくわく、そんな期待の眼差しを向けて来る。

「少なくとも退屈はしなかったかな」

「……それは喜んでいいのですか?」

「はははっ」

 それから美月といろんなことを話した。出会った時のこと。甘いものや、萌えについても。学校のことや家族のこと。気を遣っていたのか、美月の方から話題を振ってくる。そして笑い合った。たった一週間のことだったけど、話題が尽きることはなかった。ただ、何気なく出た明日美の話題。これだけは笑えなかった。必死に話題を探す美月に少し申し訳なかった。

 そしてだんだんと外が明るくなってきて、午前六時半。

「さて、そろそろシャワーでも浴びるかな」

「最後くらい私も一緒に……」

「そうだな。一緒に風呂にすっか」

 美月はいままでにないオーバーリアクションで驚き、固まった。

「じゃ、そこで待ってろよ?」

 うまく固まってくれたのでいつものようにシャワーを浴び始める。汗べっとりだった。

「私のリアクションを無視しないで下さい」

 美月はシャワーを浴びていた俺の背後に音もなく忍び寄っていた。

「せめてドアを開けて入ってきてくれ。心臓に悪い」

「もうすぐ止まりますからご安心を」

 笑えねぇ。

 そんな美月を蹴飛ばしシャワーを済ませ、時刻は午前七時。

 寝ぐせを直す代わりにドライヤーで髪を乾かし、歯磨きをして制服に着替える。

 今日でこの制服を着るのも最後。この制服にもいくつかの思い出がある。袖に腕を通しながら、ズボンに足を通しながら、少しだけ思い返していた。

 準備完了。さぁ、最後の登校だ。



 とてつもなく、普通の一日の始まりだった。コンビニでパンを買い、それを店先ですぐに食べる。学校に着くとお馴染みの顔ぶれ。大体同じ時間に教室に入ってくるクラスメイト。俺以外の時間は全て普通に過ぎ去っていくんだ。

「よう渉。おはよ」

 池田だ。こいつには世話になった。この高校に来て、一番最初に話しかけてきた奴だった。初めは馴れ馴れしい奴なんて思っていたけど、俺の仲の良い友達は大体池田の友達。池田のおかげでこの高校でうまくやってこれたと言っても過言じゃないかもな。

「よっ。わりい。この前のタオル忘れたわ」

「あー、あれな。別にまた今度でもいーよ」

 悪いな、それ、ないわ。

「ほんと。悪いな、返しそびれて」

「だからいつでもいいって。んだよ、なーんか、らしくないじゃんよ」

「悪いなって思ってるだけさ」

 何だかんだで感謝してるんだぜ、結構。

「なぁ、俺はお前と友達になれてよかったよ」

「はぁっ!? 気持ち悪っ! 渉殿はついに男に気が……」

「違うっ!」

 まったくこいつは……。でも、楽しかったよ、池田。今までありがとうな。

 いままで、明日美の姿は見かけなかった。正直、俺はほっとしていた。

 最後の一日も、ごくごく普通に過ぎて行く。



 昼休み、屋上でカリカリピザトーストを食べていた。隣で美月も同じものを食べている。ここなら誰にも見られないしな。

「おいしいですね、これ」

「ははっ、悪かったな。今まで食べさせなくて。こんなうまいもん」

 これが食べられなくなることも少し残念だ。卒業できていたら、その時も同じこと思ったろうな。

「あっ……」

 小窓の方から声が聞こえた。目をやると、そこにいたのは明日美だった。複雑そうな表情をしている。

「お邪魔かな?」

「い、いや……」

 ん? やばい! 美月が今パンを食べているところ――だったんだが、口をもごもごさせ、両手を開いて何も持っていないジェスチャー。でも、美月の目線は俺に向けられているものではなく、追って見ると明日美でもない。何を見ているのかわからないけど、その目には明らかな敵意が滲み出ていた。

 明日美が窓から飛び降りて、俺の隣にちょこんと座った。

「メール、してたんだよ」

「あ……悪ぃ、見てなかったわ。き、昨日は悪かったな。急に帰ったりして」

「ううん。実は私もドキドキ限界だったからナイスタイミングだったよ」

 嘘つけ。気を遣ってるんだろ?

「……な、何か照れ臭いね」

 明日美ははにかんで、空を仰ぐ。

「ま、まぁ、今までが今までだったからな」

「ふふ……ねぇ、ちょっと聞いていい?」

「ん、ああ」

「渉はさ、いつからあたしのこと好きだったの? もちろん、受験前からだよね?」

 か、カップルみたいな会話だな。いや、カップルなのか? でも付き合おうって言ったわけじゃないし。でも両想いなわけなんだし。

「……忘れた」

「忘れたってなに? ひどいなぁ。あっ、ひょっとして照れてる?」

「う、うるさい!」

「やっぱり可愛いなぁ。渉は」

 そう言って、明日美は俺に体重を預けてきた。肩に、明日美の可愛らしい微笑みが乗っかる。

「お、おい……」

「今だけでいいから。少しだけこのままでいさせて」

 その声は照れているわけでも、からかっているわけでもなく、かすれるほど弱々しいものだった。俺は何も言えず、明日美を見ることもできず、流れる雲をただただ眺めていた。お互いに言葉はなく、静かで、時間が止まったかのような、二人だけの世界。空しか見えない屋上は、空に浮かぶ城のようだった。

 その静寂も、昼休みの終わりの鐘の音で破られた。

「あたし、渉に会えてよかった」

 明日美はそんな言葉を残して戻って行った。それにどんな意味が込められていたのかわからない。一人残された屋上で「俺もそう思う」と小さく呟いた。

「明日美さんは強い人です」

 美月は明日美が出て行った小窓を見て、優しく微笑んだ。

「強いって、何が?」

「あなたは不思議な人です」

 は? 久しぶりにその言葉を聞いた気がする。わけもわからず美月を見ていたが、「授業に遅れますよ」と言われて教室に急いだ。

 午後の授業も何も変わらない。先生がもうすぐ行われる期末試験について話していた。池田と「どうだった?」と言い合うこともなくなるんだ。明日美と試験勉強なんて、全然勉強にならないハッピーイベントもあったかもしれないのにな。いや、絶対実行してた。でもそんなことをぐちぐち言ってももう仕方がない。

 俺の命は、もう半日も残っていない。



 放課後、みんなといつものように別れの挨拶を交わした。「また明日」という言葉が当たり前のように飛び交い、俺も「また明日」と当たり前のように言う。

『みんな、さようなら』

 心の中でそう呟き、もう二度と来ることのない教室をあとにした。

 そして、昇降口まで来たところで、腕を掴まれた。

 掴んでいたのは、美月だった。

「明日美さんには会わないのですか?」

 どこか納得のいかない顔だ。

「いい」

「会いたくないのですか? 最後なのですよ?」

「そりゃ会いたい。できるなら最後まで一緒にいたい。でも期待させるようなことしたくないんだ。これから先のこと。一緒に笑ったり、遊んだり、ケンカしたり、そんなありもしないことを、これ以上期待させたくない」

 美月の腕を振り解き、帰宅する生徒に紛れて校門まで足を進めた。一度学校の方を振り返り、また歩き始める。アパートには戻らない。どこか違う、一人になれる場所に行きたかった。

「待って下さい」

 突然、俺の目の前に美月が立ち塞がった。すごく悲しい目で俺を見上げている。

「呼び止めておいてなんですが、少し時間を下さい」

 美月は目を閉じて、深く深く深呼吸する。「なんなんだよ」と俺の声にも答えず、深呼吸を繰り返す。そして、何かを決心したかのように、力強い瞳を向けた。

「話すことは禁じられています。話すべきかどうかもわかりません」

「そんなわからないことを話そうとしてるのか?」

「あなたには話さないといけないような気がするのです」

「……聞こうか」

 とても真剣な眼差しだった。真面目な話しなんだろう。

 生徒たちが多く行き交う校門を避け、近くの空き地のフェンスに寄り掛かる。何もない、草だけが無造作に生えている空き地。ここには滅多に人は立ち寄らない。腕を組む俺の前には、美月がまっすぐに立っていた。

「で、何なんだ? 実はドッキリでしたとかそういうオチか? そんなんなら大歓迎だ」

 鼻を鳴らして言う俺を、美月は大きな溜息をついて睨む。

「あー、わかったわかった。ちゃんと聞くから話せよ」

 何となくだけど、良い話しじゃないだろうと予感していた。死ぬのが早まったとか、ひどい死に方するとか、そんな話しだろうか。少しだけ怖くて、身震いする。

「これから話すことに嘘、偽りはありません。全て真実です。私も初めは知らなかった」

 美月も知らなかったこと……? どういうことだ。

「もったいぶるなよ。さっさと言え」

「……あなたは今夜、正確には明日、午前零時四十二分に死ぬことになっています」

 正確な時間の知らせか? その間に考えて行動しろとでも?

 美月は罪の告白でもするように、辛そうに顔を歪め、小さく呟いた。


「その時刻とほぼ同時刻、明日美さんも死にます」


 一瞬、全身の血が止まったかのような感覚に襲われた。

「…………は?」

 次いで出た俺の言葉、この一週間で何度この疑問符を口にしただろう。今回は、本当に意味がわからない。何を言ったのか、理解できない。

「明日美さんも……死ぬのです……」

 美月は辛そうに視線を落とす。震えているようにも見えた。いや、俺が震えている?

 何だ、何を言ったんだ美月は? 明日美が、死ぬ? 死ぬだって?

 そんなこと……。ははっ、やっぱり嘘だ。こいつお得意の冗談だ。いつものことじゃないか。だけど、タチの悪い冗談だ。

「くだらない。笑えない冗談だ。そんなことだけなら俺は行くからな」

 悪夢を振り払うように背筋を伸ばし、美月の横を通り過ぎようとする。

「事実です」

 すれ違い際、美月がはっきりそう言った。

「お前、いい加減にしないと……!」

 頭に血が上るのがわかる。冷静じゃない。

 美月の胸倉を掴み、弱々しい瞳を睨む。

「事実なのです!」

「ふ、ふざけんな!」

 我を忘れ、美月を払い飛ばす。美月は尻もちをつき、そのままうつむいた。

「ど、どうして明日美が死ぬんだよ! あいつは病気なんてしたことないし、襲われたり、事故に遭ったりもするもんか! 明日美が、明日美が死ぬなんてないんだよ!」

 自分でも何を言っているのかわからなかった。ただ否定したいだけの自分がいた。

 美月はゆっくりと起き上がり、申し訳なさそうに俺を見た。

「たしかに、明日美さんの寿命は今夜尽きるものではありませんでした。しかし……これを使えば寿命は変えられます」

 そう言いながら、ロードを取り出した。

「おま、お前! まさか明日美にも!」

 美月はふるふると首を横に振る。

「私が持つロードはこれだけです」

 な、何だ、わけがわからない。明日美が寿命を短くされて、でも美月が持つロードは俺に使ったやつだけで……。

「わかりませんか?」

「まどろっこしい言い方しないではっきり言え!」

 美月はロードをしまい、自分の手を胸に当てた。

「明日美さんのそばには私と同等の存在がいます。そしてその存在が明日美さんに対してロードを起動させました」

「なっ……!」

 明日美にも死神がついてるって、そういうことか?

「お、俺が唯一お前らに干渉できる人間じゃなかったのかよ!」

「私も知らなかったのです。知ったのは二日前の、私が倒れた時、頭に流れ込んできました」

 あの、苦しんでた時か。

「……明日美は俺が死ぬことを知ってるのか?」

「おそらくは知らないでしょう。話すことは禁じられていますから。向こうの者も例外ではないはずです」

「なら、お前はどうして話したんだ」

「……それは……」

「どうしていまさら話した?」

 美月はしばらく黙りこんで、細々と口にした。

「あ、あなたと明日美さんが……可哀想だと思って。お互いに心配させまいといつも通りに振る舞う姿が。明日美さんが屋上であなたに寄り添っていたのも唯一のわがままだったのでしょう。そして、あなたは明日美さんとそれきりで死のうとしている。生きる明日美さんを悲しませないようにと。私は、私はそんなあなたと明日美さんを見ていられなかったのです。お互いに、最後に会いたいと思っているはずなのです。そう……でしょう?」

 …………くそっ!

 明日美はもう帰ったのか? いや、俺は早目に学校を出てきた。まだ残っているかもしれない。でも、ここにいる間に出ていたとしたら……。くそっ、考える前に動けよ俺っ!

 空き地を飛び出し、学校に向かって走り出した。残っててくれと願いながら。



 学校の中には、明日美の姿は見当たらなかった。古川さんを見つけて聞いてみたけど、明日美の行方はわからない。携帯も繋がらなかった。だけど、電源は入っていて、電波の届く範囲にもいるようだった。着信が残っているのを見ればかけ直してくるはず。そう思い携帯をしまって、学校を飛び出した。

 向かう先は駅前の『ルブラン』。昨日、お互いの気持ちを打ち明けた場所だ。もしかしたら、期待と不安を募らせ走る。

 明日美、明日美、明日美……!

 心の中で何度も明日美の名前を叫びながら走った。

『明日美さんは強い人です』

 美月の言葉が思い返される。全然気がつかなかった。明日美はどんな気持ちで過ごしてきたんだろう。悩んでる素振りなんてまるで見せないで、いつも通りに明るく笑って話していた。今はもしかしたら泣いているのかもしれない。震えているのかもしれない。

 俺の足は止まらなかった。

 学生らで賑わう『ルブラン』は、外から覗く限り明日美の姿はなかった。俺は何を考える間もなく店内に入り、中を見渡す。

「い、いらっしゃいませ」

 昨日と同じ店員さん。最近はちょくちょく来ていたから顔も覚えられているかもしれない。昨日の告白劇もあるし。

「あ、あの! 昨日俺がここで告白した女の子なんですけど、来てないですか?」

「あ、昨日の……。いえ、今日はいらっしゃってませんが……」

 お客の視線が突き刺さる。「告白だって」「うわぁ」「大胆だよね~」「あたしは嫌だな」「えーっ、素敵だと思うよ」「恥ずっ」さすが女性九割の店。

 店員さんもみるみるうちに顔が赤くなる。俺が告白しているように見えているらしい。

「か、勘違いさせてすみません! また来ますから!」

『ルブラン』を飛び出し、辺りを見回す。駅前はさすがに人がごった返していて、こんな中から女子高生一人を見つけるなんて到底無理だ。携帯を見ても明日美からの連絡はない。そのまま電話をかけてもやっぱり取らない。

 一体どこにいるんだよ! 手当たり次第探すしかないのか……!

「連絡がつかないのですか?」

「ああっ! そうだよっ!」

 イライラして、美月に当たってしまう。とにかく探す! 次は明日美の家!

「少しだけ待っていただけますか?」

 そう言って、その場に目を閉じて立ち尽くす。

「何やってんだよ! 明日美の家に行く! 時間がないことくらいわかるだろ!」

「待って下さい!」

 美月は目を閉じ怒鳴りつける。俺は思わず気圧されてしまう。

「……すみません。明日美さんと共にいる者の気配が探れるかもしれません。私にはまだ明日美さんの気配はわかりませんので。少し時間をいただけますか?」

 申し訳なさそうに、静かに言った。

「……頼む」

 何でもいい。明日美の居場所がわかるのなら。

 美月はもう一度目を閉じて、そのまま数分経った。俺のイラつきは収まらず、落ちていた空き缶を乱暴に踏みつけた。

「すみません。ここにはいろんな雑念が飛び交い気が散って。もっと静かな場所なら」

 目を開けた美月は悔しそうに言う。俺は大きく嘆息して、空き缶を踏みにじった。

 静かな場所……。ここは駅前で人が自然に集まる場所だ。周りは店の並び。ここを離れるしかない。明日美の家も大通りに面していて静かな場所とは言えない。

 ――仕方ない。静かといえば、近くならあそこだ。

「ついてきてくれ、美月」

 時間が惜しい時に明日美の家から離れたくはなかったけど、ちょうど駅を中心に明日美の家と反対方向に河川敷がある。そこなら人も多くない。明日美の居場所がわかるというのなら連れていく価値はあるだろう。

 俺は走る。この一週間、走りっぱなしだ。

 河川敷に着く頃には俺の息も上がっていた。精神的にもきつかった。

 河川敷の土手は滅多に車は通らない。両端に川が流れていて、近くに線路が通る橋がかかっている。土手は一キロ強はあるだろうか。長い河川敷だ。

 美月はすでに目を閉じて気配を探っているようだった。俺はその様子を一瞥して、その場に腰を下ろした。待つ間、少しだけ休憩。

「あそこです」

 一息ついた矢先、美月が指差した。その先は、線路が通る橋の下。

「あそこって、まさかここに明日美がいるのか!?」

「少なくとも、私と同じ存在はあそこにいます」

 結果、美月に任せて正解だった。俺なら、やみくもに走って結局見つけられなかったかもしれない。疲れた足に鞭を打ち、ふらふらと立ち上がる。

「これを……」

 俺の目の前に、美月が何かを差し出した。それは小さい赤い宝石が下げられたペンダント。うっすらと、淡い光を放っている。

「お守りです」

 疑問符を浮かべながらも、それを受け取る。美月は懇願するような目で、俺は断る理由も見つからなかった。俺はそれを首にかけ、制服の内側に宝石を垂らした。

 軽く息を吐いて、橋の下へ急ぐ。

 明日美、こんなところで何やってるんだ。

 土手から橋の下を見下ろすと、膝を抱えてうずくまっている明日美を見つけた。

 この瞬間、安堵の気持ちと同時に緊張が駆け巡る。明日美がどんな顔をしているのか、何を話せばいいのか、どんな顔して会えばいいのか。戸惑いながらも一歩を踏み出し、

「明日美!」

 叫んだ。

 明日美は肩をぴくりと反応させてゆっくりと、悪いことをして隠れていた子供が恐る恐る振り返るように体を捻った。その表情は普段とまるで違う。弱々しく、脆く、物悲しいもので、俺の心にもちくりと痛みが走る。

 ダメだ、ちゃんと笑って、明日美と向き合うんだ。

「おーい! 何やってんだー! こんなところでー!」

 明日美は無理に小さく笑う。

「渉こそ何してんのー? もしかしたらあたしのこと探してたとか?」

 その明日美らしい口振りに、僅かながらも安心できた。

「電話してたんだぞ?」

 そう言いながら、土手から下りて行く。

 そこで思わぬものが目に飛び込んできた。いや、予想はできていたはずだ。

 明日美の隣に立つひとりの少女。

 死神。

 そいつがいたこと自体は驚くことはなかった。何より驚いたことはそいつの顔が美月と瓜二つだったこと。ただ、美月と対照的だったのが、真っ白で長い髪。そして透き通るような碧眼。真っ白い和服。美月が黒なら、そいつは白だった。俺は立ち止まり、死神を凝視する。

「貴様、私が見えているのか?」

 その死神は呟くように言った。声まで美月と同じだ。いや、違う? 何一つ感情が込められていないような、まるで無機質な声。美月と同じ声なのに、同じ声じゃない。

 明日美もその死神の声に反応して、俺と死神を交互に見る。

「ああ、しっかり見えているよ」

 どうしていまさら見えるようになったのかわからないけど、しっかりと見えている。その死神は、表情はおろか、眉ひとつぴくりともさせずに美月に視線を移動させた。

「どういうつもりだ」

「あなたに説明する義務はありません」

 美月は明らかな敵意を込めて睨みつけていた。昼休みの時と同じ眼差し。あの時も、明日美の隣にはこいつがいたってことだ。

 明日美は不安そうに死神の腕に振れた。頭の中で会話してるんだろうな。

「普通に話していいぞ。その白い髪の死神のことは見えているから」

 明日美は目を大きく見開いて手を離した。その様子だと、明日美には美月のことは見えていないらしい。見えているならそんなに驚かないはずだからな。

「ど、どうして!?」

「俺の横にもそいつとそっくりな奴がいるんだ。瓜二つだぞ。見えたらもっと驚くかもな」

「な、何? わけわかんないよ!」

 明日美は頭を抱えてうずくまる。俺はしゃがみ込み、明日美の両肩に手を置いた。

「落ち着いてよく聞いてくれ。いいか?」

 明日美は少し涙を浮かべて、小さく何度か頷いた。

「俺も……明日美と同じなんだ。もうすぐ死ぬらしい」

「どっ、どうして!? あ、あの、あの子はあたしっ、あたしだけっ、あたしだけがっ!」

 手に力を入れ、取り乱した明日美を押さえ込む。強く明日美の名前を呼ぶと、ビクッと肩が反応して体が小刻みに震え出した。

「俺も知ったのはさっきなんだよ。それまでは俺だけだと思ってた。明日美にも同じことが起きてたなんて知らなかったんだ。その死神も今初めて見た」

 明日美は震えたまま、うっすらと涙を流して俺を見つめる。

「本当はもう会うつもりなんてなかった。明日美にこれからのことを期待させたくなくて。でも、明日美も同じ状況にあるって知って、それで探し回った。もしかしたら同じこと考えてるのかもしれないと思って。だから携帯取らなかったんじゃないのか?」

 明日美は声にならない声を上げて、胸に飛び込んできた。俺は不思議と落ち着いていて、その小さな肩を、そっと抱く。

「あ、あたし、こ、こわかった……! あ、あたし、がっ、しんだ、あと、の、わた、わたるの、こと、か、かん、かんがえ、ると……!」

 激しく泣いて、嗚咽混じりで明日美は言う。目の前でこんなに泣く明日美を初めて見た。やっぱり、俺のことを考えてくれて泣いてるんだ。明日美は、やっぱり明日美だから。

 その後ろで、死神二人の話し声が聞こえてきた。

「理解不能。なぜ話した」

「この二人を見てもわからないのなら、あなたに話しても意味がありません」

「情」

「そうです」

「不必要」

「そうですね」

「……たしかに、話しても無駄のようだ」

「私は、私であることがよかったと思います」

「どういう意味だ」

「言葉通りの意味です」

「……貴様とは相容れないな」

「同感です。気が合いますね」

 死神様お二人は何やらいがみ合っているようだ。仲間じゃないのだろうか。この間に明日美は少し落ち着きを取り戻し、「渉……」と小さく呟いた。

 明日美は俺の胸を離れ、顔を見合わせた。まだ泣いていて、鼻をぐずっている。

「ははっ、なっさけない顔だなぁ」

「そ、そんなこと、言わないでよ……」

 明日美は恥ずかしそうにうつむいた。

「明日美……会えてよかった」

「えっ…………うん、あたしもっ!」

 やっといつもの笑顔を見せてくれた。俺だって少し泣きそうだったんだ。でももう大丈夫。明日美が笑ってくれるなら、俺も笑っていられると思う。

 さて、明日美とも会えたけど、これからどうしようか。携帯で時間を確認すると午後七時過ぎ。死ぬまで、もう六時間も残っていない。

「ご飯、食べよっか」

 明日美はニカッと笑ってそう言った。

「ご、ご飯?」

「そうっ! お腹空かない?」

 もう行く気満々の明日美。立ち上がり、背伸びをして手を差し出してきた。

「あーあ、やっぱり明日美のペースか。何食べる?」

 俺は笑って、明日美の手を取った。

「ファミレスでいいよ」

「最後の晩餐がファミレスかぁ。なんだかなぁ」

「お金持ってるの?」

「うっ……。今月の生活費はもう……」

 ほとんど美月の胃の中に。

「仕方ないよねぇ」

「……そうだな。じゃ、行くか」

 土手から見える夕陽はだんだんとその姿を隠そうとしていた。明日美の髪は夕焼けに染まり、金色に輝いて見えた。

「手、繋ごっか?」

 ハプニングッ!

「い、いや、それは恥ずかしいというか、その、心の準備というものが……」

「わーたーるー!」

 んん……。俺は口籠って、そっぽを向いて左手を突き出した。

「うんしょ……」

 明日美は俺の指を開いて、その間に無理矢理右手の指をねじ込んでくる。

「お、おい」「手を繋ぐっていうのはこういうことなの!」明日美も照れ臭いことを隠すように捲し立てる。俺もまともに明日美の顔を見ることができないでいた。

 そりゃあボディーアタックなんて嬉しい触れ合いもあったけど、こういうのは、ねぇ。

「こうしてると恋人っぽいよね」

 こっ……恋人かぁ。いい響きだよなぁ。

「やらしい顔」

「へ?」

「あーあ、あたしったら罪な女」

「自分で言うなよ」

 俺たちは歩きながら声を出して笑い合った。

 楽しかった。

 そして――寂しかった。



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