七日目 (3)
やらせない。必ず二人を守り抜いてみせる。
私は走り去る二人を見送って、はづきと対峙した。
「無駄です。力が同じ者同士、決着がつくことはありえません」
「私の目的は貴様ではない。無駄な時間稼ぎは止めるのだな」
再びはづきへ仕掛ける。はづきは大きく刀を振るい、私の突撃を殺す。間髪入れず、はづきが刀を振り抜いて空いた懐へダガーを突き出す。はづきは柄で受け止め、蹴りを放つ。私は後に飛び、距離を置いた。
力も同じ、速さも同じ。本当に、ただの時間稼ぎしかならない。お互いに決め手がないこの状況でどうすればいいのか。はづきが引き下がってくれればいいのだけれど。
「あなたにもわかるでしょう。我々は間違っていることをしているのです!」
「命令。それに従えないのなら消えろ。我々にとって間違っているのは貴様の方だ」
やはり簡単には引き下がらない。だけどそれは私も同じ。あの二人のもとには行かせない。
私とはづきで違うことは、感情があること。それは、この状況ではおそらく私に不利な状況を作らせる。今でもあの二人のことが気になって仕方がない。精神的な疲労が、私にはある。早目に決着をつけなければならない。
「何を焦っている。ゆえに感情は余計なものだというのだ。おとなしく、消えろ」
一瞬の気遅れだった。警戒が散漫になる。はづきが下から振り上げる刀に気を取られ、足払いを受けて倒された。それから振り下ろされる刀を横に転がってかわす。すぐに立ち上がり、追撃に構えた。息が荒々しく漏れる。
「守るものがあるというのは弱さ。今の貴様がそれを証明している。そこの人間二人も、同じように」
その言葉に、振り返る。二人の気配もわからないほどに精神的疲労が溜まっていたのか。
それは間違いだった。振り返った先には、ただの暗闇。
「それが弱さ」
体勢も整えられないまま、力づくで吹き飛ばされる。かろうじてダガーで受け止めたものの、結果として一撃受けてしまった。衝撃が体を突き抜ける。
「そこで自分の弱さを後悔していろ」
はづきが走り去る。目的が優先ということだろう。
今のままでは動けない。一部の〝ゼン〟を刈り取られた。
回復……意識が……。
俺と明日美は線路の通る高架下で体を休めていた。体力的には余裕があるはずなのに、精神的に疲れていたからか、明日美の足が止まってしまった。まだ、そう遠くまでは来ていない。
静かで、虫の声と時折遠くで聞こえる車のクラクションだけが耳に入ってくる音だった。しばらくは俺たちに言葉はなく、俺は月の光に照らされた川の流れを眺めていた。
不意に、明日美が石ころを川に投げた。
「美月ちゃん、大丈夫かな……」
「さぁ。信じるしかないな」
あの二人は剣を振り回し合ってるんだ。俺たちにできることは何もない。殺し合いをしているんだから。
時間を確認してみると午前零時過ぎ。日付が変わってしまっていた。あの二人がやり始めてから、どれくらい時間が経っただろう。十分、二十分、それ以上か。もう決着ついたのかな。それなら、どちらかが俺たちを探しているかもしれない。
「どうなったのかな?」
明日美も気にしていたようで、心配そうに星空を見上げる。もし、美月が負けてしまったら俺と明日美の命もない。一度は生かされた。生への執着が沸いてくる。
「このままでいいのかな? 美月ちゃんはあたしたちを守るために戦ってくれてるのに。それなのにこんなところに隠れててさ。わたしたちの命なのに。それに美月ちゃんが負けちゃったらあたしたちも死んじゃうんでしょ? それならさ、一緒に頑張ろうよ」
頑張ろうって、戦おうって、無理だろ。あいつらの動きだって滅茶苦茶速いのに。足手まといになるだけだ。
「ダメだ。俺たちじゃ役に立たない。邪魔になるだけだよ」
「きっと、何かできることがあるはずだよ。ねぇ、渉……」
……まったく、命知らずというか、困ってる奴をほっとけないのは明日美だから。
俺もここに来る前は躊躇した。放っておけないって思った。助けたいって思った。だけど、美月が行けと言ったから……いや、怖かったのかもしれない。
今は、どうだ。怖いか。そりゃ怖いさ。美月に任せておけば大丈夫。そう思う俺もいれば、不安な俺もいる。だけど、だけどなあ。
生きることを人任せっていうのも、格好悪いよな。明日美の前で少しくらいかっこつけたっていいだろ。
「美月に怒られるかもな。ダメだと思ったらすぐに逃げるぞ?」
「……うんっ!」
何ができるかなんてわからない。少しでも美月の力になれればいい。明日美だけは、何があっても守る。生きることを自分たちで勝ち取るんだ。
「行こう。とりあえず戻ってみよう」
俺は立ち上がり明日美に手を差し伸べた。明日美はその手を取り立ち上がる。
「その必要はない」
不意に、背後から聞こえた美月の、いや、これははづきの声。
ゆっくり振り返ると、白い和服を着たはづきが立っていた。
「お前……! 美月はどうした!?」
「私がここに来た。そういうこと」
「そ、そんな……!」
明日美は力無く崩れ落ち、口元を押さえて嗚咽を漏らし始めた。
「あ、明日美! 立って走れ! 走るんだ!」
俺の言葉は届かず、明日美は「う、嘘……」と目をうつろにして呟いている。肩を揺さぶってみても、目の焦点が定まっていなくて、錯乱しているようだった。
「逃げる気がないのならそいつから始末させてもらう」
「く、くっそー!」
俺ははづきに殴りかかる。人を殴ったことなんかない。ただ無我夢中で右拳を突き出した。はづきはそれに対して刀をただ一振り。それは何の躊躇いもなく、俺の右肘から下を切り落とした……かのように見えた。目の前で確実に俺の腕は切られた。だけど痛みはなく、腕はしっかりと伸びている。
はづきはスッと後ろに下がり、刀を下げた。
「はっ! 何だ、ナマクラか?」
「そうかな」
「だって何とも……あれ?」
たしかに痛みはない。だけど、どんなに右手を動かそうとしても動かせない。自分の右手が自分のものじゃないような飾り物になっていた。
「人間がこの刀で切られても痛みも外傷もない。これは〝ゼン〟を直接切り離すもの」
どうりで力が入らないわけだ。じゃあ、もう元には戻らないってこと?
「幸福か不幸かわからない人生を歩むより、ここで痛みなく死にゆく方が楽では?」
一歩一歩、ゆっくりとはづきが歩み寄って来る。
「わ……わた……る……」
明日美が立ち上がっていた。だけど力なく立っているだけで、今にも倒れそうだ。
そして、タンッと地を蹴る音が聞こえたかと思えば、はづきは明日美の前に現れた。
「一週間、世話になった」
はづきが刀を振り上げる。
「はづきっ! やめろおおおおおおぉぉぉっ!」
俺の叫びは空しく響き、はづきの刀は明日美の左肩から右脇腹までを一閃した。
目を覆いたくなる光景を目の当たりに、動けなかった。
「あっ……ああ……」
目の前で……明日美が死んだ……?
「もう来たか。早い」
明日美の体が崩れ去る場面が訪れるはずだった。だけど、明日美の体は淡い光となって消えた。おかしい。たしか、外傷はないって言っていた。
はづきはこちらに向けて、強烈な威圧感を放つ。
「危ないところでした」
俺の背中から声が聞こえた。振り向くと、明日美を抱えた美月が立っていた。俺は考えるより先に口が動いた。
「美月っ! お前無事だったのか!」
嬉しい。美月が現れたことが躍り出しそうなほど嬉しかった。そして、明日美の無事。
「無事、とまではいきませんが問題はありません」
「よかった! 明日美は?」
「気を失っているだけです。それよりもあなたの腕の方が問題ですね」
「俺は平気だから。もし治せるならあいつを打ち負かしてからにしてくれ」
「まったくあなたは……。明日美さんを頼みます」
と明日美を俺の肩に預けた。
美月は振り返り、ゆっくりとはづきに向かって歩いて行く。
そして短剣を取り出しながら、
「わざわざ待っていてくれたのですか?」
「私が気付かないとでも」
「……失礼しました」
美月が指をパチンと鳴らすと、俺の周りに無数の剣が姿を現した。形は様々で、俺と明日美を守るように空中に浮いている。
「渉、そこを動かないで下さい。それがあなた方を守ってくれます」
美月はこちらを見る事なく、はっきりと俺の名前を呼んだ。
「そんな力を使えば、貴様の力も弱まったことだろうな」
「そうですね」
「ならば諦めて消えろ。私が勝つ」
「そういうわけにはいきません。私はあの二人を守る。大切なものを守り抜くと決めた。どんなことがあっても守り切ってみせます」
美月は決意に満ちた揚々とした声だった。
お前は、認めたくないけど、今じゃ俺にとっても大切な奴だ。消えたりすんなよ。
「我々が人間を守るなど」
「変な話しですか。守りたいものがあるというのは素晴らしいことですよ?」
「理解不能」
はづきは、刀を斜めに、下段の構えを取る。
「我々が〝ゼン〟を守ることと同じです。わからないのですか?」
「命令に従うだけ。何度も言わせるな。それ以外、我々には何もない」
「そうですか……」
美月も短剣を両手に構えた。
「あなたにも、わかって欲しかった」
刹那、風が吹いたかと思えば、二人の距離が縮まっていた。
耳を劈くような刃の重なり合う音が響き、二人は離れた位置に現れた。
良く見ると、美月のスカートの端が切れていて、真っ白い太股が露わになっている。はづきに外傷は見られない。死神同士だと、外傷も見られるようだ。
「やはり、力が落ちているな」
美月は何も言わず、口の端を吊り上げた。余裕があるのか、追い込まれているのか。
そう思う間にもはづきの姿が消え、現れたのは美月の正面。刀を振り下ろし、美月は短剣二本で受け流す。さっきは一本だけで余裕でいなしていた。今はそれもできないのか?
現れては刃を重ね、また消え、それの繰り返しだった。
美月が戦っている姿を見て、ふと、この一週間の出来事が頭に甦ってきた。
美月との出会い、常識外れな美月の行動、美月の泣き顔、怒った顔、笑った顔。あいつの楽しそうな声。からかっている声。……何を考えてるんだ。走馬灯じゃないんだから。美月は消えたりなんかしないんだ。
二人の均衡が崩れたのもその時だった。
美月の動きが一瞬止まり、その隙を狙ってはづきが思いきり刀を振り下ろす。今までで一番大きい金属音が聞こえて、鍔迫り合いが始まった。だけど、これははづきが力で押し切ろうとして、美月がそれに必死で耐えている、明らかな攻めと守りだった。
美月がだんだんと押し込まれていく。
「いい加減に消えろ。貴様を見るのはいい加減うんざりだ」
違和感。感情がないはずのはづきが、明らかな嫌悪を見せていた。
今はそれどころじゃない。このままじゃ美月がやられるだけだ。何か、何か手はないか。かと言って、効き腕も使えないのに飛び出したところでどうにかなるもんじゃないし、こっちは丸腰。
…………いや、武器ならあるじゃないか。
周りに浮いている剣に触れてみると、動く。
これで仕掛ければ刀だって受け止められるかもしれない。
ゴクリ、生唾を飲み込み、二人を見る。形勢は変わらず、どころか、美月は膝をついていた。あれじゃただ押し切られるのを待つばかりだ。
やるしかない。俺がやるしかない。明日美と話したんだ。俺も美月を助ける!
剣を一本握り締めた。不思議と重さは感じない。注意を引きつけられるだけでいい。一撃受け止められればいい。一瞬の隙が作れればいい。
無数に浮かぶ剣の間をくぐり抜け、足音を忍ばせて二人に近付いて行く。二人はお互いのことしか目に入っていないのか、暗闇の助けもあって今のところ気付かれていない。
そのまま、ゆっくりとはづきの背後に回った。
心臓が激しく高鳴る。目眩を起こしてしまいそうなほど体中の血液が熱くなる。
失敗すれば死ぬ。
大丈夫だ、俺はやれる。俺はやれる。俺は、やれる!
自己暗示もかけ終わり、はづきに向かって走り出した。片腕がダラリと下がり走りにくい。でも、俺の足はまっすぐにはづきに向かう。
人間が使う剣の一撃がはづきに通用するのかわからない。近付いて気付かれたら終わりだ。俺が不意の攻撃に反応できるとは思えない。だから、こっちから気付かせる。一つのことだけに集中する。美月のために、俺ができることだ。
「はづき!」
走りながら名前を呼び、左手の剣を引きずるように走る。
はづきは美月を弾き飛ばし、首、肩、胴体の順で振り向く。
「渉!?」
ここまではいい。あとで美月に怒られようと、これで美月は救えた。あとは俺。
剣なんて振るったことはない。
できることがあるならば、一撃を受け止めることだけ。
身構えていた。心構えも十分だった。縦か、横か、この一撃だけに集中するんだ。
「邪魔……」
だけど、
はづきの一撃は……突きっ!?
ま、待て! 突きなんてどうやって受け止めれば……! 弾くなんて無理だ、今からじゃ振れない! よけることだって間に合わない!
その一瞬がスローモーションだった。
はっきりと見えた。
迫るはづき。剣を盾に構える俺。その剣の横を通り過ぎるはづきの刀。
俺の胸を貫く刀。
俺の意識の外で起こった出来事のような、ゆっくりと動く世界だった。
痛みはないけれど、感覚的に嫌な感じがした。体はもう動かない。
冷めた眼差しで俺を見るはづき。
「 !」
美月が何か叫んでやがる。周りの音も聞こえない。
ばかやろう。今のうちにやれってんだ。体、張ったんだぞ?
泣くなよ、俺は大丈夫だ。
だんだんと地面が目の前に迫ってきて、倒れているところだと理解できた。
明日美、ごめんな。
眩い光が辺りを包み込むのが最後に見えて、俺の意識は途絶えた。
何が起こったのかわからなかった。
渉が突然飛び出して来て、私ははづきに突き飛ばされた。
一瞬の目眩が起こり、体勢を整えた時にはもう渉とはづきが接近していた。
体が思うように動かない。
ただ、絶望だけが私を支配した。
はづきの刀は正確に、確実に渉の心臓を貫いていた。
「わたるーーーーーーーーっ!」
ああっ、ダメ、ダメ、ダメッ! 渉の〝ゼン〟が消えていく。
行かなきゃ。まだ間に合う。何とか繋ぎ止める。渉のところに行かないと!
「その涙が、弱き者の照明。所詮、貴様には何も守ることなどできないのだ」
そんなことない。私は助けるんだ。守るんだ。
「うあああああああああっ!」
がむしゃらな特攻は、素手であっさりと防がれた。私の力もほとんど残っていない。
はづきは渉から刀を引き抜く。渉の体が、ゆっくりと崩れ落ちて行く。
ま、待って! い、イヤッ、渉、行ったらダメ。渉……!
私はどうなってもいい。渉は、渉だけは!
渉は話すことの嬉しさを教えてくれた。起こることを教えてくれた。心の底から笑うことを教えてくれた。おいしいものだってたくさん教えてくれた。大切なものがある、暖かい気持ちを教えてくれた。
渉だけが、私をわかってくれた人だった。
私は、私は渉のために何もしていない。
守りたい。渉を。
私の全てを賭してでも、守りたいっ!
「うああああぁぁああぁっ!」
体が熱い。体の奥底から、何かが沸き上がる。
わかる。
渉のために使う、私の力。
私の想いの力。
守りたい、その想いの力。
それからは、光だった。
眩い光が辺りを包み込んで、光が終息を迎えると、全てが終わっていた。
ここは……暗闇だ。
何も見えない。何も聞こえない。そして何も感じない。
自分の体があるのかすらわからない。僅かに、ふわふわと漂っているような感覚だけがある。
気持ちが良い。意識だけが存在するような、闇。
俺はどうしてこういうことになってるんだ?
たしか、美月を助けようとして……。
ああ、そっか。
俺、はづきに胸を貫かれたんだ。
じゃあ、これが死後の世界ってやつなのかな。
いや、違う。
死んだら何もかも消されて生まれ変わるんだ。死後の世界なんて、ありはしない。
なら俺は生きてるのか?
ははっ、そんなわけないか。綺麗に体の中を貫いてたし。
だけど、生きてるのなら戻らないと。
美月を助けなくちゃ。明日美を守らなくちゃ。
行かなくちゃ。行かなくちゃ。行かなくちゃ。
……行かなくちゃ。
「――る! 渉!」
さっきより少し明るい。ここは……?
「渉! 気がついた!?」
あれ、明日美? 明日美の顔が目の前にあって、後ろには夜空。
俺、寝てるのか。
「渉っ! あたしがわかる?」
明日美がさっきから必死に叫んでる。
「明日美……」
「渉……!」
抱き締めてきた。ああ、また真っ暗だ。でも、温かいな。
それにしても俺は……はづきにやられて……。美月が何か叫んでて……。美月……?
「美月は!?」
「ここにいますよ」
起き上がり、声のした方を見ると、美月が微笑んでいた。
「美月……お前……」
けれど、美月の体は透き通っていて、体の向こうの景色までが透けて見える。
「あなたの〝ゼン〟を元通りにするのに力を使い過ぎました」
元通りって。……右腕が動く。はづきにやられた腕が。そうだ、はづき……。
「はづきは?」
「消え去りました。あなたのおかげです。あなたが私と明日美さんを守ってくれました」
「俺のおかげなんて、俺のせいでお前のその体……。戻るのか?」
「……いいえ。私もすぐに消えるでしょう」
「そっ……! ど、どうにかなるだろ? どうにかするんだ! ほ、ほら、お前が俺の体を治すために力を使ったんならまた俺の〝ゼン〟を使えばいい!」
美月はにっこりと優しく笑った。
「あなたは不思議な人です。私なんかのためにそんなに一生懸命になって」
「そ、そんなの当たり前だろ!」
「美月ちゃん、私も同じだよ」
美月は困った顔で、涙を浮かべる。
「あなた方は本当に不思議な人です。一週間前に会ったばかりですよ?」
ああ、たしかに会ったばかりだ。いきなり死ぬだの言われて、パフェ食わせろとか、プリンとか、迷惑極まりなかった。こいつは俺に最大の不幸をもたらした死神。俺のことなんてただの実験対象としか見てなかっただろうな。だけど、だけど……。
「お前はその一週間前に会ったばかりの俺を助けてくれたじゃないか! 明日美を守ってくれたじゃないか! いいから、俺の〝ゼン〟を使ってくれ!」
「それは、できません」
「な、なんでだよ! どんな方法でもいい! さっきの剣で切るんなら切ってくれ!」
「……無理です」
「なら他の方法を探そう! 少しくらい苦しくったっていい! だから――」
「やめてください!」
美月は俺を振り払うように怒鳴った。
「これ以上……私を泣かせないでください……」
本当に、悲しい笑顔だった。
そんな顔するなよ。ほんとにこれっきりみたいじゃないか。
「だ、だから…………だか……ら……」
俺も声が震え、涙で美月がぼやける。
「渉……」
明日美が手を強く握り締めてくれた。
「明日美さん、その人をよろしくお願いします」
「美月ちゃん……」
「ば、ぶぁーか。母親気取りかよ」
美月は俺の前にしゃがみ込んで、俺の頬に優しく触れた。
「はづき――彼女のことを、悪く思わないでください。彷徨う〝ゼン〟をなくそうと試行錯誤した結果なのです。こんな形になりましたが、あの子も命が大切なのですよ」
そして、懐かしむように笑った。
「アイス、結局もらってませんね」
「……しつこい」
「ご実家に行ったときのプリンの味、忘れません」
「食べ過ぎなんだよ……少しは我慢しろ」
「パフェもおいしかったです」
「食いもんのことばっかかよ……」
「じゃあ、あなたのことも忘れません」
「……ついでのように言うな」
「あなたに会ってからのこと、何一つ忘れません。それが、私が美月であった証ですから」
美月はもう一度優しく微笑んだあと、立ち上がり背を向けた。
「お、おい……」
「すみません。もう、笑っていられそうにありません」
そして、美月の体がさらに透けていく。
「ま、待てっ! 美月行くな!」
「そんなに悲しまないでください。私が消えたあと、あなたは私のことは覚えていません。我々との関わりはなかったことになるのです」
覚えてない? 忘れてしまうっていうのか?
お前がいきなり押し掛けてきて、トイレの中にも風呂の中にもくっついてきて、わがままばかり言って、お前は笑って、お前は泣いて、俺たちを助けてくれて……!
「ふっ、ふざけんなっ!」
「あなたと過ごした一週間、とても楽しかったですよ」
美月の姿が微かにしか見えなくなる。
「お、俺だって楽しかった! 忘れない! 絶対忘れないからな! お前みたいな変な奴忘れるわけないだろ! 勝手になかったことにすんじゃねぇよ! マジでふざけんなよっ! 俺は絶対忘れねぇーー!」
少しだけ振り向いた美月の横顔は、笑っていた。
そして、美月の体がぼんやり光り、
「み、美月! おいっ!」
何もなかったかのように、淡い光だけを残して消えた。
『ありがとう。さようなら』
その声だけが、最後に耳元で聞こえた。
「みつき……っ! ……~~~~~~~~ッ!」
大声で泣き叫び、明日美も涙を流しながら無言で俺を抱き締めてくれていた。
「……え?」
「……わ、渉?」
俺、何してんだ? 誰かに抱かれているような……。
目の前にある柔らかな感触から顔を離すと、目に飛び込んできたのは愛しの明日美の顔。
「あ、明日美!?」
「渉、だよね? あたしたち、どうしてこんなとこで抱き合ってるの?」
そう言われて周りを見ると河川敷が広がっていた。時間を確認すると午前二時。
何がどうなってる? 明日美と仲良く夢遊病か?
それに二人ともまだ制服。どうやら家にも帰っていないらしい。ちょっと待て、おかしい、おかし過ぎるだろ。二時だぞ二時。この時間に出歩くことなんて初詣くらいだし。今、夏だよな?
「ねえ渉。これ……」
明日美が首を傾げながら一枚のプリクラを見せてきた。
「プリクラ……だな」
えー……こんなプリクラ撮ったっけな。明日美と一緒なら忘れるはずないんだけど。
「見て」
明日美が眉をひそめてプリクラの中の俺と明日美の後ろを指差した。
「不自然なスペースじゃない? まるでそこに誰かがいるような……」
本当だ。どのプリクラを見ても俺と明日美の周りには不自然な空間があった。
「変なプリクラだね」
「ああ。でも、何か寂しいな」
「うん。あたしもそう思ってた。何だろう、この気持ち。切なくなってくる」
プリクラに、水滴が一粒落ちた。
雨……?
……違う、俺の……涙?
「渉、泣いてる?」
明日美が俺の顔を覗き込む。
「明日美も、泣いてるぞ」
「えっ、あっ、ど、どうして……」
俺も明日美も、知らないうちに泣いていた。
プリクラには楽しそうに笑っている明日美と、少し困った様子の俺が写っていた。
楽しそうなプリクラなのに、何だか寂しくて、何だか切なくて、涙が溢れてくる。
星空の下、俺と明日美はどこから来るかわからない寂しさで、抱き合って泣いていた。
私はどこかでこうなることがわかっていたのかもしれない。
奴のコピーとして生み出されてから、なんとなく、奴の背中を追いかけていた。
私に感情がないことはわかっている。
そんな私が、勝ちたかった。奴よりも優れていることを証明したかったのだ。
羨ましい。そんな感情が、もしかしたらあったのかもしれない。
私は、影だった。
楽しみ、怒り、喜び、悲しみ。
コピーなのに、私には何故それがなかったのだろう。
だが、それももう考えることができない。
私はもう……消え…………………………




