第十一話 白紙が鳴るんよ
昼の音の殿は、薄朱の床が光を跳ね返し、
黒檀の柱の影が短く切り揃えられたように整っていた。
絹の垂れ幕は昼風を受けてゆるやかに揺れ、
奥の水盤は細かい光を散らしながら、殿の空気を静かに締めていた。
殿全体が、音を待つ“張り詰めた静”になっていた。
その静けさの中心に――
琴雪が座っていた。
琴雪「……ふふ……昼の音は……静が張るほど澄むのですよ……」
天華「ほいじゃけぇ、待っとったら自然に鳴るんよ!」
兵卒「鳴らんのんよ!! 自然に鳴るんは風鈴だけなんよ!! 鳴らすんは人のほうなんよ!!」
琴雪は微笑んだまま、弦にそっと触れた。
ポロロロン……
一音が殿の空気を震わせ、絹の垂れ幕が昼光をまとってふわりと揺れ、水盤の光が柱の影を細かく揺らした。
蘭花はその揺れを見て、息を呑んだ。
蘭花「琴雪様の音……白紙の白と響き合っております……これは“天音白紙の理”でございますか……? ふふふ……流石姫様……」
兵卒「そんな理ないんよ!! 白紙と音が響き合わんのんよ!! 紙は耳ないんよ!!」
薄花は殿の隅に置かれた白紙を見つめた。
薄花「白紙……自然に美しゅうございます……琴雪様の音に導かれておられるのでは……?」
兵卒「導かれとらんのんよ!! 紙は歩かんのんよ!! 動くんは人のほうなんよ!!」
剛明は腕を組んで白紙を見た。
剛明「音の殿にも白紙が出たなら、警戒が必要じゃ。音に反応する紙なんぞ、軍でも扱いづらいんよ。」
兵卒「軍の話じゃないんよ!! 紙一枚なんよ!! 脅威でもなんでもないんよ!!」
文靖は白紙を見て、袖を震わせた。
文靖「い、いえ……あの……白紙が音に反応するなら……記録が……混乱します……政務殿の配置を……再検討せねば……」
兵卒「再検討するほど増えとらんのんよ!! まだ一枚なんよ!! 混乱するんは文靖殿のほうなんよ!!」
紫苑は静かに白紙を見つめた。白紙の縁が、昼光を受けて淡く揺れていた。
紫苑「……白紙は……静を乱す。……昼の殿に置くものではない。」
兵卒「乱しとらんのんよ!! ただ置かれとるだけなんよ!! 乱れとるんは紫苑殿の心なんよ!!」
紫苑の心は静かに揺れた。
(……音……静……白紙……張り詰めた静が……揺れる……?)
その揺れは、殿の空気に溶けて誰にも届かないほど小さかった。
そこへ理策が、足音もなく滑り込んできた。
理策「補足いたします。音波振動による紙片の物理的変位は、12%の確率で発生します。ただし、天音の理とは何の関係もありません。」
兵卒「物理の話を急にぶち込まんでいいんよ!! 一番冷めて脱力するんよ!!」
琴雪がさらにもう一音、弦を撫でる。
ポロン……
澄んだ音が殿の柱を抜け、床を滑り、天井の龍紋をかすめた。
すると、何もない空間から“ポロン”と微かな余韻が跳ね返ってきた。
兵卒「今、壁が返答したんよ!? 音の殿が音の反抗期なんよ!!」
天華「ほいじゃけぇ! 殿も自然に返事したくなったんよ!」
太后「返事せんよ!! 殿は建物なんよ!!」
剛明「音の殿が自然応答を開始したとなれば……防衛陣形を見直す必要が……」
兵卒「だから軍事演習に持ち込むなと言っとるんよ!!」
天華は白紙を見て、ぱっと手を叩いた。
天華「ほいじゃけん、白紙も自然に音が聞こえるんよ!」
兵卒「聞こえんのんよ!! 紙は耳ないんよ!! 聞くんは人のほうなんよ!!」
琴雪は静かに弦を弾いた。
ポロロロン……
その一音が殿の空気をさらに震わせた瞬間――白紙が、風もないのに、はっきりと揺れた。
紙の影が床に二重に伸び、まるで“音に呼応した”ように見えた。
蘭花「……白紙が……音に反応しております……これは……“天音の呼応”……ふふふ……流石姫様……」
薄花「自然に揺れておられます……琴雪様の音と調和しております……」
剛明「やはり警戒が必要じゃ……」
文靖「記録が……混乱します……」
紫苑「……昼の静が……割れる。」
天華「ほい、自然に揺れたんよ!」
兵卒「自然に揺れんのんよ!! なんで音で揺れとるんよ!! 紙は楽器じゃないんよ!!」
白紙がゆらりと揺れるたび、影が床の上で不思議な図形を描いた。
蘭花「ご覧ください……! 影が文字の形を成そうとしております……! これぞ無字の聖典……!」
文靖「も、文字が勝手に成形されたら……私の筆写の仕事が……無に……!!(血の涙)」
兵卒「成形されとらんのんよ!! ただの影の屈折なんよ!! 文靖殿はすぐ被害者ヅラするんよ!!」
理策「補足。影のパターン認識は観察者の脳の錯誤です。」
太后「……錯誤じゃろうが何じゃろうが、あの子の『ほい!』のせいで話がデカくなるのは間違いナイんよ。」
天華「ほいじゃけぇ! 白紙も歌いたがっとるんよ!」
兵卒「紙が歌ったらホラーなんよ!!」
琴雪「……ふふ……歌う白紙……素敵ですね……」
兵卒「琴雪様もノリノリで静を乗っけんでいいんよ!!」
音の殿の張り詰めた静は、白紙の揺れを中心に、ゆっくりと崩れ始めていた。
白紙はまだ増えん。ただ一枚が音に揺れただけ――
それだけなのに、官吏たちの噂は一気に広がった。
「白紙は音を聞いておる」
「昼の静が破られたんじゃ」
「政務殿の別室にも置かれたらしい」
音の殿の昼の静は、白紙の前兆によって確かに揺れた。
琴雪は揺れる白紙を見つめ、静かに弦を弾いた。
ポロロロン……
その一音が、白紙の揺れと殿の空気を結びつけるように響いた。
音の殿は今日も静かすぎて騒がしい。




