第17話
~ 帝都『シューベル』にて ~
今日も何事も無く一日が始まる筈だった。
少なくとも、帝都に複数設置されている各城門の守衛達にとっては。夜勤の警備連中と明け方に交替して、今日もまたつまらない一日。
毎日毎日、見るのは変わり映えの無い光景。農民と、商人と、各州から一旗揚げようと集まってきたおのぼりさん。
時折無茶を言ってくる"やんごとなき方々"とか、対処に困る連中。
何やら西の叛乱はえらい事になっているそうだが、まだ今の所帝都は平和だ。
「ふぁ~あ」
と、交替するために起きたばかりの、朝勤達はまだ眠気から脱出していない奴ばかり。
ここはこんなものだ。通行人から小遣いをせしめる奴もいるが、出世もさほど見込めないこの仕事のささやかな楽しみと思って欲しい。
そして今日も、一日が始まる予定だった。
ただ、この日は違った。
「やけに静かだなぁ」
大抵、夜の間はかがり火の近くで博打をうつなり何なりしてる奴等ばかりの筈。
だというのに、この日の朝はやけに城門も、城壁上も静まりかえっている。
ふと、起きてきた守衛達の鼻腔を、嫌な臭いがくすぐった。
嗅ぎ慣れてはいないが、よく知っている臭い。
血の臭いである。
面倒事なんて御免被りたいのに、と思いながら守衛達が城壁を昇る階段へと急いだ。
すると、いつもとはまるで違う、悪夢のような光景が目に飛びこんで来る。
「何……だよ、これ」
壮年のベテランが息を呑み、新人が剣を取り落としそうになった。
夜勤の連中が軒並み、無惨な死体になって転がっていたからである。
少し前、都の中で大々的な『遺体盗掘事件』があったばかり。だが城門城壁警護には関係無い。
そう思っていたのに、今度はここで事件が起こったのだ。
誰しもが、声をあげる間も与えられずに、喉元や胸部を切り裂かれ、刺し貫かれている。
「急ぎ部尉様に報こ ――」
ベテラン守衛がそう叫ぼうとした時、異変が始まった。
―― ボッ
と、かがり火に明かりを灯した時とは似て非なる、大きな音がする。
それと同時に、ベテラン守衛の顔が火に包まれた。
「……え?」
呆気にとられた新兵の背後に、ぬらりと影が現れる。まだ夜明けの直前。
城壁の楼閣は暗闇だらけである。
新人は、その影が伸ばしてきた鋭い爪によって喉元を引き裂かれた。
そんな光景が、各城門付近で繰り広げられた。音も無く、たてる間も無く。
―― ギイィ
城門が開かれていく。開くにははるかに早い時間であり、住人達は寝静まっている頃。
帝都の北方に広がっている、夷狄の地との境界線ともなっている森林の中から、どっと大量の影が現れた。
夜目の利く獣人達である。馬に乗る者、獣に騎乗する者、己の足で十分追いつける者。
声も立てず、金属の鎧を着込んだ人間のような足音もさせずに帝都へ近づいてくる。
その数は、その時その場にいる獣人達だけでも二万はいるだろう。
それは北方より来たりし先遣隊だ。
先頭に立っているのは、他の者達より二回りも大きい、赤い鬣の如き髪を揺らす女。
『ローエウェル』が、そこにいる。北方が夷狄を統括する、北の王。
城壁に、赤い旗が立った。それが合図だった。
それを視認したローエウェルは、全部隊に前進の号令を下す。
数千年もの歴史を誇る古都といえども、護る兵士がいなければただの巨大なハリボテである。
「進め! 草原の子よ! 雪の娘よ!」
それは獣なのか、人なのか。
開かれた都の門戸に、ドッと獣人の軍勢が駆け込んで行く。先頭を走るローエウェルの側には、もう一人女がいた。
「単于よ、手勢の選りすぐりは先日お伝えした方角へ」
「うむ、『赤の広場』であったか?
『万騎』を一人行かせよう、確か……『執金吾府』という所を潰せば良いのだな」
「然り。そこさえ抑えてしまえばこの巨大な街の兵権を抑えられます。
今、羽林/虎賁ら親衛隊も大半が征伐軍に同行しておりますれば、残りは私一人で十分」
「まかせたぞ、左骨都侯」
征北大将軍という、帝国北方の大権を任せられながら、抑えるべき夷狄と組んだ女。
ユーフェミア・スハノヴァ。火傷と揺れる金髪に隠れた奥に光る眼には、宮廷を怨めしげに見やる炎が見える。
両名は各々の旗下に下知をおくり、帝都の方々へと散らせていく。
ローエウェルは旗下の隊長・万騎へ指示を出して、執金吾の邸宅兼政庁を攻撃させた。
都内警護の本山と言えども、兵力差は明け方である事からどうしようも無く、狼種や虎種の獣人達になだれ込まれる事となる。
単于の手元に、太った男の首がもたらされるまでに一刻もかからなかった。
「コレが都の警備が長? そんな筈があるまい、こんな豚では家畜のお守りもできんぞ」
ローエウェルはそう言うと、もう興味を失ったのか同行していたユーフェミアの部下にその首を放った。
「そろそろ左骨都侯が宮殿に突っ込んでいる頃だ。余も行かねばな。
万騎の皆に告げておく、家々には決して手を出すな! 腹が減っているだろうが、今日ばかりは我慢しろ!」
そう兵士達に告げた後、この巨大な単于もユーフェミアの後を追って宮殿の方角へ向かった。
家々の窓、カーテンの隙間から数多くの者達が、恐怖の眼差しでこちらをみている事は既に察している。
さすがに、略奪を許せば帝都の長期鎮圧なぞ夢と消える事くらいは、この荒々しい草原の主も理解していた。
「長きにわたり、我らを苦しめてきた"皇帝"とやらが、どんな面をしているのか見てくれようず」
※※※
~ 帝都・宮殿にて ~
「陛下におかれましては、ご壮健なご様子。このスハノヴァ、伏してお祝い申し上げます。
此度、唐突な参内を致しました事はお詫びいたしまする」
「ふむ、伏して、か。それは、床へ這いつくばって行うものと思うておったが、朕の勘違いか?」
玉座の間、広い空間の中にいるのは二人の人間だけである。
一人はユーフェミア。身につけていた鎧の端々に返り血と焦げた肉が着いていた。とてもでは無いが宮廷において礼を失した姿。
たった一人で、宮殿の門からこの玉座の間までいた、禁裏の警護達。
羽林と虎賁の残っていた面子を悉く殺し尽くした女。
そしてもう一人。玉座で彼女を見下ろしている男がいた。
初老にはいっているであろう男が一人。髪はすっかり白くなりはて、両眼は窪みクマもできている。
顔色も悪く、何か大病を患っているのでは、と見る者全てを不安にさせる空気を纏わせた男。
当代の皇帝、『イーヴォ・エルンスト・レーベル』。この大帝国の頂点におわす者。
「北方部族が単于、ローエウェル様をお連れいたした次第。
御前に参上する事をお許しいただきますよう」
皇帝の質問に答える事も、この征北大将軍はしなかった。
「征北大将軍、ユーフェミア・イリイーニチナ・スハノヴァよ。
まつろわぬ民たる北方の夷狄が長を参内させし事については、とやかく問うまい。
が、この間にすら届く喧噪の釈明を聞かせよ」
こんどは、ゆらりと揺れる炎の如き目で、皇帝を見据えながらユーフェミアは答えた。
「同じ官の軍属たるにもかかわらず、部尉共の旗下が都入りを拒みましてね。
あの喧噪は、おそらく執金吾共も同じような事をしたのでしょう」
そして、口元を歪ませつつなお言い放つ。
「各部尉とその旗下は、既に顔の皮を剥いで各門に吊しておりまする」
「……そなたと言う奴は。
あいわかった、その夷狄をここへ通してもかまわぬ」
皇帝に、堂々と"反抗は許さぬ"と恫喝する女。
玉座におわす天下の主、それへ堂々と怒りの眼を向ける女。
今、宮殿の中ですら灰燼と帰するに躊躇もしないであろう女。
意を通さずは、愚策。そう皇帝は判断しなければならなかった。
宮廷に、文武百官はまだ登殿していない。そんな時間ですら無い明け方を、この大将軍は狙った。
それこそ、その武官が頂点の一人なのだ。かような真似をすると考える者もいなかったのである。
「そなたの事だ、既に他の大将軍はおるまい」
「おや、まだかようなご判断が可能とは」
眼に宿る炎には、侮蔑の色も混じっていた。
少しの間の沈黙。ここが天下の中枢とは思えぬ程の、凍てついた空気。
まるで地下牢に押し込められた囚人と看守のような、そういう風景にすら見える。
そして、宮殿の門が方角から、けたたましい足音が聞こえた。
夷狄の王が、此処へやって来る。まだほんの少しだけ、時間がある。
「して、何故このような真似を?」
「これは、解せぬ問いにございますな。何故牙を剥かれぬとお思いで?」
初老の男と、壮年の女が向かい合う。お互い、眼に反射する光を見据えながら。
「官位を売りに出し、賄賂を半ば公然のものとした」
一歩、女が前へ進む。
「それ以前より、気まぐれに文武百官の誰かをある日突然粛正なさるようになった」
さらに一歩、前へ進む。
「賄賂の横行と、それに伴う重課税、それに加え新たな税も増える始末」
さらに、一歩。
「諫める声には、鉄斧を振り下ろしなさった」
そして、一歩。
玉座の前にある階段。その真下にまで女は迫っていた。
「25年前、アリアメス歴3359年。そして20年前の、3364年」
「さて、何があったかな」
「おとぼけになられるとは、余程肝が据わっておいでですな」
女の眼に宿る炎が、山から吹き出す溶岩が如きモノへ変わっていく。
「……忘れようがありますか?
政道を正そうとなさった臣民を獄へ下された。二度も」
階段へ、ユーフェミアは足をかけた。
「3359年、獄へ下されたまま餓死した者は259名。42名を処刑し、公職から300人余も追放処分を受けた」
さらに一歩、階段を上る。
「3364年、また公職を追われる者114名。獄死が36名、14名は絞首刑。
中には官僚や各地の豪族本人のみならず、その子弟や側近も含みましたな」
「……」
皇帝は、沈黙している。
「これで皇家に愛想を尽かせた者達が辿った道をご存じの筈だ。
西の乱のほぼ全てが彼らの家族によるものだという事くらい ――」
皇帝の眼にも、炎が宿るユーフェミアの眼が奥底に、怨嗟が込められている事がようやく映った。
「今の今まで、国が廻っていた事自体がもはや奇跡だった事くらい」
「それは、『剪定』する意思表示と受け取るべきかね?」
今度は、ユーフェミアが階段を降りていく。
「まさか。私はさような"奴隷の椅子"なぞに興味はありませぬので」
「では何だ。あの時の面々が中に、スハノヴァ家ゆかりの者はおらなんだが」
「―― ハッ、やはり覚えておいででしたか」
込められている怨嗟の感情が、声にも乗ってきているのがわかる。
ふと、皇帝は思い出す。この女はアカデミー赤院きっての秀才だった。
【同期の男】と【同期の女】がいた事も。それらも青院、緑院で嘱望された才の持ち主である事も。
その【同期の男】は、"皇帝もよく知っている男"の子であった。
「―― 『ユベール親子』であるか」
焔が、ユーフェミアの全身を覆い隠そうとしている。少なくとも皇帝にはそう見える。
どうやら傷ついた巨虎の尻尾を踏んだようだ。
振り返った顔には、怒りと怨恨、忍耐が滲み出ている。
本当なら、この場で飛びかかって縊り殺したいのであろう。
しかし、そんな時間ではとうになくなった。
足音が、段々と大きくなっていく。
「ご無礼つかまつる、天主に座す"天子"様」
言葉は丁寧だが、声音には少したりとも尊崇の籠もっていない、大音声。
「余は北の地が単于、ローエウェル・レンティ! 北の民を代表し挨拶へ参った!」
内裏の床を踏みならしながら、巨体が宮殿の中を進んでいるのがわかる。
これから、文武百官が何事かと登殿してくるであろう時間でもあった。
そこで彼らも思い知るのだ。
暴力で、国を変えることが出来る世が到来したという事に。




