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理の翻訳(ワールド・コンパイル)〜無能職の翻訳士、古代の理を読み取ったら神話レベルの仲間ができたのだが〜  作者: さくらば
2章

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12話(前編)竜を縛る枷(前編)

 ネロを縛る結界を解く。

 そんな大それた事を、安易に約束してよいものか。


 だが、カインは確信していた。

 出入口を閉ざしていた結界。

 何故、わざと「鍵」を残しておいたのか。その理由は分からない。

 ただ、解除を必要としないのなら、わざわざ解錠のヒントなど残しておくはずがない。そう考えるのが普通だろう。

 

 そして、その事実からたどり着くのは、ネロを縛るこの結界にも、解除方法を記した何かがあるはずということだ。


 岩肌を奔る幾何学模様。

 翻訳士の能力で、その模様へと全集中する。


 何か、ヒントがあるはずだ。

 

 ……だが、そこに何も感じなかった。


 そもそもこれは、文字ではない。

 魔力発生装置の配線のようなものだ。


 何度も模様に触れ、そこに宿る意図を探る。

 何度も、何度も、何度も。


 何も得られるものはない。装置としての機能はあっても「意志」がなかった。

 結界解除のヒントなど、この模様には含まれていないようだ。

 ネロの「どうじゃ? まだか?」という催促が、背中を突く。


 「もう少し………ですかね」

 適当にそう答えながら、時間を稼ぐ。


 結界解除の方法を示す鍵は、この周辺のどこかにある。絶対に。

 カインが、そう確信するに至る理由は、もうひとつあった。

 もしかすると、こちらのほうが、より確信に近づくものかもしれない。

 

 出入口の結界。

 その古代語を読み取った際の事を思い出していた。

 

 この文には続きがある、と。

 文末に添えられた、とある記号。それは、「まえがきから、本文へと繋げる」ことを意味する、古代の特殊な記号だった。


 まえがきを残しているのだから、本文はこの中に残されているはずだ。

 翻訳士として、確信をもってその答えにたどり着いた。

 

 カインは、思考を巡らせた。

 考え、考え、考え抜いた。

 そして、ひとつの推測にたどり着く。


 幾何学模様は、魔法発生装置の配線。そう解釈すると、その配線が収束する場所に、発生装置があるはず。結界解除のヒントは、そこにあるはずだ。

 カインは、幾何学模様を辿り、その場所を突き止める。

「……やっぱり」


 その通りだった。岩の死角となった場所。そこには、ぎっしりと文字が敷き詰められた、結界の本体というべき小さな石碑が、ひっそりと佇んでいた。


 石碑の前に立ち、呼吸を整える。

 さて、ここからが翻訳士の本領発揮だ。


 結界を解く。その作業に全集中する。


 ――。


 ……が、高らかに掲げていた意気込みは、三秒で地に落ちた。


(……なに、この意味不明な文字)


 刻まれた文字が、読めない。


 翻訳士の能力は、目に映った文字を自動的に解析する。古代語でも、暗号じみた記述でも、これまで解読できなかったものはなかった。なのに、この文字たちは能力の手が届かない場所に存在しているようで、静かに、頑なに、沈黙したままだった。


 無能と呼ばれた翻訳士。その力は、古代の言葉を読めるのみ。その力さえも、神から否定されたかのようだ。


 膝から力が抜けそうになる。

 だが、ここで諦めたら死ぬ。自分が死ぬ。竜の餌になる。もしくは、一生を洞窟で暮らし、精神が死ぬ。外に出たとしても、魔物に食われて死ぬ。とにかく、死ぬ。


 カインは首を大きく振った。悪夢を振り払うように。思考の暗い部分を追い出すように。


「……参考になるかは分からんが」


 ネロの声がした。


「同じ文字で書かれた古書を持っておるぞ」


 カインは振り返る。

 ネロは少し迷うような素振りを見せた後、口を開いた。文字通り、口を。

 ぐちゃ、という湿った音と共に、何かが石の床に落ちた。


 涎のついた本……。いや、本にまとわりついた涎か。どちらが主体かわからないほどの状態だが、めくれば文字が顔を出すのだろう。多分。


 積極的に触れたいとは思わない。

 かつて本だったもの……という表現が正しいか。表紙らしき部分はほとんど原型をとどめておらず、ページの端は溶けかけていて、全体が涎でドロドロに濡れていた。竜の口の中に千年いたのだから当然だが、消化されていないのが不思議でならない。それ以上に、触りたくない。


「どうだ? 参考になりそうか?」


 ネロが期待の眼差しを向けてくる。

 カインは古書と、自分の手と、古書を、交互に見た。


「……」

「なんだ、その顔は」

「いえ、何でも」


 意を決して、指先でつまんだ。ぬちゃ、という感触が指を伝って全身を駆け抜ける。鼻の奥に、獣の体内のような生温かい匂いが絡みついてきた。カインは呼吸を口に切り替えながら、慎重にページをめくる。


 一ページ目。インクが滲んでぼやける。

 目を凝らしてみると、文字らしき……いや、記号か? 何か書かれているのは理解できる。が、やはり翻訳はできない。


 二ページ目。先ほどと同じく、翻訳できない。

 三ページ目。同じく。

 だが、諦めなかった。


 それから、カインは散らばる意識の破片をかき集めつつ、なんとか事を運ばせた。


 ――。


 空腹の感覚は、三段階ある。最初は痛い。次第に痛みが引いて、ただ空っぽになったような感覚だけが残る。そして最後に、その空っぽさえ感じなくなる。カインは二段階目のどこかを行き来しながら、古書と向き合い続けた。


 ページの中で何度も繰り返される単語。文脈は読めないのに、その音だけが頭の中で響く。


 挿絵があった。山と川と、果物の木。人が笑っている絵。

 何だろう、これ。


 本のことを考えた。本だけを考えた。文字の形と、挿絵の構図と、ページの順番と。食べ物のことを考えると死にそうだったから、考えなかった。眠いことも考えなかった。ネロが「腹が減った」と言っていた気がするが、聞こえなかったことにした。


 ネロは最初のうち、頻繁に声をかけてきた。

 だが、いつの頃からか、静かになった。カインが顔も上げずに文字と睨み合っているのを見て、邪魔をしないようにしてくれているのだと、曖昧な意識のどこかで感じた。ネロなりの、気遣いだったかもしれない。

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