表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/119

第5話 「月下の邂逅」

 街道を北へ戻る足を進めていたリアンは、ふいに立ち止まった。

 ――冷たい風に混じって、かすかな気配が胸を掠めたのだ。


(……またか。魂の声)


 視線を巡らせる。崩れた石垣の影、折れた槍が突き刺さる草原。荒れ果てた戦の残滓の中に、淡い光の揺らめきが漂っていた。

 人影のようで、人影ではない。けれど確かに「助けを求めている」ことが伝わってくる。


 リアンは唇を引き結び、ゆるりと歩み寄った。

(やはり、瘴気の影響……。還れずに彷徨う魂が増えている)


 足を止め、耳を澄ます。

 風の流れは穏やか。草を渡る虫の音が途切れず続く。――重い気配はない。魔物の影も見えない。


 短く息を吐き、心を決める。

「……見過ごすわけにはいかない」


 岩壁を背に取り、退路を確保する。短剣を左に置き、右手を静かに掲げる。

 ――《箱舟の紋章》が淡く光り、夜明けの残滓のようなひと筋の輝きが広がった。


 寄り集まる灯。

 叫び、呻き、絶望、懺悔。

 生きた証が、胸に雪崩れ込んでくる。


 喉を焼く血の味。

 振り下ろす刃の重み。

 誰かの名を呼ぶ声は途切れ、ただ泥に沈んでいく。


(……これが、この人の最後……)


 リアンの背筋を戦慄が走る。心臓が握り潰されるように痛む。

 それでも、彼は目を逸らさなかった。


「……この痛みも、恐怖も、すべて“生きた証”だ。

 忘れない。俺が導く限り、誰一人として――無駄にはしない」


 言葉に呼応するように、魂は安らぎの光となり、舟の中へと吸い込まれていった。


 ――その時だった。


 空気が裂けた。

 鋭い瘴気の匂いが、肺を焼くように広がる。


 影が飛びかかる。朽ちた鎧の残骸をまとい、四肢だけが獣と化した魔物――戦で斃れた兵が歪んだ姿のまま蘇ったような化け物が、視界を覆った。


「――っ!」


 反応が遅れる。右手はまだ光に塞がれている。逃げ場は――ない。


 瞬間。


 銀光が奔った。

 羽音すらなく、夜気を切り裂く閃光。

 魔物の巨体が断ち割られ、瘴気の塵となって四散した。


 リアンの瞳に映ったのは――翼。


 月光を纏うように現れた一羽のツバメ。

 銀糸のような羽根を広げ、残滓を切り刻みながら舞う。

 幻想的なその姿は、まるで現実と夢の境界から零れ落ちた存在のようだった。


「……銀の、ツバメ……?」


 リアンは息を呑む。

 ツバメはただ一度、空を旋回し、瘴気を払うように羽ばたくと――静かに消えていった。


 足もとに落ちた銀の羽根が、光の粒となって霧散する。

 彼はしばしその場に立ち尽くし、震えの残る右手を見下ろした。


(……銀のツバメ。あれは――何だったんだ)


 風が揺れる。

 その中に、異質な足音が混じった。草を踏みしめる確かな重み。ためらいのない歩調。


 リアンが顔を上げると、月明かりを背に一つの影が立っていた。

 銀糸のような髪が風にほどけ、炎を閉じ込めたような金の瞳が、まっすぐ彼を射抜く。


「……危なっかしいわね、あんた」


 低く、しかしよく通る声。

 肩に担がれた大剣が月を反射し、刃に冷たい光を宿していた。

 その女――サラは、わずかに口元を歪めて笑みを浮かべた。


 リアンは息を呑む。足もとでは、残り香のように銀の羽根が舞い、夜気へ溶けていった。


「魂を導くのは立派よ。でも――」

 サラは一歩近づき、大剣の切っ先を地に突き立てる。硬い音が静寂を破り、緊張を張り詰めた。

「導き手が死んだら、誰があんたを還してやるの?」


 その声音には皮肉が混じっていたが、瞳に宿る光は揺るがない強さだった。


 リアンは静かに吐息を落とし、サラを正面から見据える。

「……なんで、ここにいる」


 問いかけは低く抑えられていたが、その声音には戸惑いと苛立ちが混じっていた。


 サラは片眉を上げ、肩をすくめる。

「それはこっちのセリフよ。昨日だって危なっかしいとこ助けたばかりじゃない」


 鋭い金の瞳が、真っ直ぐにリアンを射抜く。

「なのに……また一人で危ない真似して。守り手がいない導き手が、こんな場所で何してるの?」


 リアンは言葉を失い、拳を強く握りしめた。

 沈黙を見て取ったサラは、溜息混じりに首を振る。

「まぁ、詳しく聞くつもりはないけど……せめて冒険者ぐらい雇いなさいよ。そうすれば、あんたが死にかけることも少しは減るでしょ」


 彼女の声音は皮肉めいていたが、その奥底には確かな憂慮が滲んでいた。


 リアンは目を伏せ、小さく呟く。

「……いらない。俺は、一人でやる」


 その即答に、サラの口元が冷ややかに歪んだ。

「ほんと、頑固。強がりもここまできたら病気ね」


 夜風が吹き抜け、二人の間にわずかな沈黙が落ちる。

 しかしその沈黙は、剣よりも鋭い緊張を孕んでいた。


 サラは肩に担いだ大剣を軽く叩き、空を見上げた。

「……そんなに一人で抱え込んで、どこまで持つつもりなの」


 声は淡々としていたが、月光に照らされた横顔には、ほんの一瞬だけ影が走った。

 胸の奥にあるのは、呆れでも嘲りでもなく――放っておけば本当に消えてしまいそうな導き手を前にした、言葉にならない苛立ちと不安。


 サラは小さく首を振り、再び彼を見据える。

「まぁいいわ。あんたがそう言うなら勝手にしなさい。ただし――」

 金の瞳が細められ、鋭さを帯びる。

「次に死にかけたら、今度は飯じゃ済まないからね」


 リアンは短く息を吐き、視線を街道の先へ戻した。

「……もう戻る。魂の声も、今は収まった」


 その声音には疲労と決意が混じっていた。

 サラは肩をすくめ、大剣を担ぎ直す。

「へえ。じゃあ、あたしもついでに街まで行くわ」


 リアンは振り返り、淡々と返す。

「……好きにしろ」


「最初からそのつもり」

サラはあっけらかんと答え、靴音も軽やかに彼の隣へ歩みを揃えた。


  街道を進む二人の頭上に、月が冷たく光を落とす。

 踏みしめる土の音と、風に混じる虫の声――静かな夜気の中に、張り詰めた沈黙が漂っていた。


 その空気を破ったのは、隣を歩く女の軽やかな声だった。


「それと――助けてあげたんだから、ご飯くらい奢りなさいよ」


 にやりと月明かりに照らされた口元が歪む。金の瞳には、半ば冗談めいた光が揺れている。


 リアンは一瞬だけ彼女を見やり、静かに吐息をこぼした。

「……またそれか」


 だが声には苛立ちではなく、かすかな諦めと――わずかな温もりが滲んでいた。


「わかったよ。どうせ一人で食べるよりは、誰かと分けた方が……少しはましだからな」


 サラは愉快そうに肩を揺らし、笑みを深める。

「ふふ、そうこなくちゃ。期待してるわよ、“導き手さん”」


 軽口の裏に潜む緊張は消えてはいない。

 それでも夜道を並んで歩く二人の影は、月光の下で重なり合い、静かに街へと延びていった。


 やがて遠くに浮かび上がる、灰色の石壁。

 ヴェルダ・クローネ――瘴気のただ中で人が暮らす街。

 その存在は、人々にとって避けられぬ場所だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ