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第五話 一緒に見る星

それから、奇妙な日々が始まった。


 紋章教会〈ヴェルダ・クローネ支部〉やギルド本部に立ち寄れば、なぜかそこにサラがいる。素材依頼を確認すれば、彼女の名も同じ紙に記されている。偶然か、必然か。リアンは問わなかったし、サラも理由を語らなかった。


 ただ、そうして共にいる時間は、確実に積み重なっていった。


 風の精霊が囁く〈シルヴェの森〉、湿地の奥に潜む魔物の巣、そしてヴェルダ近郊に遺る霧に包まれた古代の塔──。二人は様々な地を巡り、戦い、素材を集め、そして魂を還していった。


 焚き火を囲みながら、サラはよく喋った。けれど内容は大抵、どうでもいい話ばかりだった。


「リアン、煮込みの味、前より良くなったよね。やっと“旅ごはん”に慣れてきた?」


「……素材の旨味を引き出すのに風を通してる。蒸発しすぎないようにしてるだけだ」


「いやいや、そのひと手間が大事なの! 紋章師は料理にも応用利くんだね〜」


 最初は受け流すだけだったリアンも、徐々にその軽口に応じるようになっていった。真面目すぎる彼の表情に、ごく稀に苦笑が浮かぶようになるまで、さほど時間はかからなかった。


 夜になると、サラはよく「星を見よう」と言って野営地を抜け出す。リアンも少し遅れて、その背を追うようになっていた。


「……こんなに綺麗な空、見るの久しぶりだよ」


「戦場じゃ、星は見えないからな」


「……うん。見ないようにしてた。綺麗なものは、壊れるから」


 彼女の背中には、静かな痛みがあった。リアンはそれに、言葉で応じることはせず、代わりに小さな風の紋章を起動させた。


 音のない風がそっと吹き、サラの銀髪がゆれる。


「……それ、優しいね」


「風は、ただ通り過ぎるだけだ。過去も、痛みも、少しだけ軽くしていく」


 サラは一言だけ、小さく「……ありがと」と呟いた。


 その夜、彼女は初めて自分の寝床の近くで眠った。

 距離にすれば、三歩。

 けれどその三歩には、確かな意味があった。


  * * *


 翌朝、霧が薄く残る〈シルヴェの森〉の入り口で、リアンはひとつ小さく息を吐いた。朝露に濡れた風紋章の輝きが、霞む光の中で揺れている。


「……リアン、おはよ。昨日よりちょっと寝癖ひどいね」


 振り向けば、サラが草の上に腰を下ろしながら、大きく欠伸をしていた。昨日と同じ黒紅の軽装──けれど、その表情はわずかに柔らかい。


「……寝床が近かったからか。目が覚めるのが早かった」


「へえ、それって私のせい?」


「……責任は、否定しない」


「ふふ。正直だね、あんたは」


 サラは笑い、腰の鞘から黒鋼の大剣をゆっくりと引き抜いた。朝露の光が刀身を淡く照らす。


「今日の相手は『霧喰いの獣』、で合ってたっけ?」


「ああ。霊気に引かれやすく、瘴気を食らう性質がある。魂が膨張して、暴走している」


「なら、導いてやらなきゃね」


 二人は並んで歩き出す。森の奥へ、霧の深い獣の棲み処へ。


 


 戦闘は短く、だが濃密だった。


 霧の獣は空気の層をまとい、姿を変幻させながら飛びかかってきた。リアンの風がそれを裂き、サラの炎が道を作る。息を合わせた連携は、まるであらかじめ決まっていたかのようだった。


 瘴気が晴れた後、リアンが静かに右手をかざす。


 《箱舟の紋章》が淡く燃え、魂を還す光が、霧の中に消えていった。


「……あんたってさ」


 帰り道、サラがぽつりと呟いた。


「どうして、あんなに優しくいられるの? こんな世界で」


 リアンは少しだけ歩を止め、そして答えた。


「優しいとは思わない。……ただ、魂は、置いていくべきじゃない。それだけだ」


「……そっか」


 サラは黙った。そしてしばらくして、言った。


「……でも、優しくされると、わかんなくなるんだよ。どこまでが冗談で、どこからが本気なのか」


 リアンは返せなかった。ただ、その言葉の意味がどこか胸に刺さっていた。


 


 その夜、〈ヴェルダ・クローネ〉近郊の野営地で、焚き火を囲んでいた。


 夕食を終えたあと、サラは不意にリアンの傍へと座る。


 これまでよりも、さらに一歩だけ近く。


 何も言わずに、ただ火を見つめながら肩を並べる。


 彼女の横顔に浮かぶ陰りが、焔にゆれる。その気配を、リアンは風の流れから読み取っていた。


 ──けれど、言葉にはしない。ただ、火に小さな風を与える。


 炎が揺れ、優しく灯る。


「……ねえ、リアン」


 静かな声で、サラが問う。


「もし、私が“壊れかけの何か”だったら……それでも導けるの?」


 彼は、少しだけ目を伏せてから答えた。


「壊れていても、魂は在る。導く価値は、失われない」


 しばしの沈黙。そしてサラは、目を細めて言う。


「そっか。……ずるいね、あんた」


「どういう意味だ」


「ううん。秘密」


 笑って、火を見つめる彼女の頬が、少しだけ赤く見えたのは──焔のせいだけではなかった。


 


 風が、そっと吹いた。


 距離にすれば、あと一歩。


 けれどその一歩を、焦らずに進めることを、リアンはこのとき知ったのだった。

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