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第三話 ──冒険者──

村を後にしてから、森の小道を南へ抜ける途中、空気がまた変わった。


 冷たい風が頬をかすめる。だが、それは自然な風ではなかった。微かに鉄と腐臭が混ざっている。瘴気だ。


 


 リアンは歩を止め、周囲に意識を向けた。


 風の流れがおかしい。草の揺れ方に規則がなく、小さな虫たちの気配も消えている。


 ――静寂。獣すら身を潜めた空間。


 


 「……出てこい」


 


 言葉が終わるより先に、茂みの奥から黒い影が飛び出してきた。


 


 ――ガウッ!!


 


 狼に似た獣。だがその姿は異形だった。


 毛並みは煤けた灰に染まり、目は濁り、口からのぞく牙は異様なほど伸びている。身体の輪郭はわずかに揺らめき、まるで影そのものが形を成しているようだった。


 


 「やはり……瘴気に取り憑かれたか」


 


 リアンはすぐに紋章書を開いた。左手に視線を落とし、呼びかける。


 


 「風よ、来たれ。俺が紡いだ“名”に応えよ――」


 


 その手の甲に、風の精霊を模した紋章が淡く光を帯びて浮かび上がる。


 《風の紋章》。


 リアンが旅の中で鍛え上げてきた、自らの魂と同調する紋章だ。


 


 魔物の群れが、吠えながら一斉に襲いかかってくる。


 数は少なくない。既に五、六体はいる。


 


 リアンは地を蹴り、風を纏う。


 


 「――旋風せんぷう


 


 風が刃と化し、前方へ奔る。


 草を刈り、枝を斬り、獣の一体が風に切り裂かれて宙を舞った。だが他の魔物は怯まず、次々に牙を剥いてくる。


 


 「……妬みか」


 


 リアンは静かに呟く。


 これらの魔物は、ただの獣ではない。瘴気によって変質した、憎しみの残滓。――かつてここで死んだ人々の、無念。


 戦争の傷痕が癒えぬまま、この土地に染み付き、魂を蝕み、化け物へと成り果てた姿。


 


 「なら、せめて……終わらせてやる」


 


 もう一度風を呼び、次の斬撃を放とうとしたそのときだった。


 


 背後から声が響いた。


 


 「援護する!」


 


 ――バチィッ!


 


 空気が焼ける音と共に、上空から稲妻が落ちた。


 魔物の一体が直撃を受け、火花と共に爆ぜる。直後、別方向からは草を巻き込むような蔦が這い出し、魔物の足元を絡め取った。


 


 「回復組は下がってろ! 前衛、右から回る!」


 


 声が飛ぶ。熟練された布陣が、一瞬で形成されていく。


 


 リアンは一歩引き、周囲を見渡した。


 そこには、複数人の集団が現れていた。


 黒髪の騎士のような男が、前線で剣を構え、ドワーフの戦士が重たい斧を振るう。空には稲妻を操る女性の姿。森の陰からは、小柄な影がすばやく動き、敵の背後に回っていた。


 


 「――冒険者か」


 


 リアンは息を整える。明らかに、ただの旅人ではない。戦い慣れた者たち。結束も指示も明確。全員が、何かの使命を持って動いていた。


 


 「おい、大丈夫か?」


 


 戦闘の終盤、黒髪の男がリアンの元へ駆け寄り、声をかける。リアンはわずかに頷いた。


 


 「……助かった。礼を言う」


 


 「無茶するなよ。ここらの瘴気は濃い。あんた一人じゃ無事じゃ済まなかった」


 


 言葉とは裏腹に、男の声はどこか柔らかかった。


 その後方で、稲妻の魔法を操っていた女性がこちらを見ていたが、声はかけてこない。ただ、興味深そうな視線だけが残っている。


 


 「隊長、全て掃討完了。瘴気の反応も消失」


 


 草陰から戻ってきた小柄な男が報告する。仲間の一人が地面に手を当て、草木の揺れを観察しながら小さく頷いた。


 


 「傷人は?」


 


 「そちらも確認済み。軽傷者のみ」


 


 「よし、じゃあ一旦退いて、拠点に戻る」


 


 リアンは、再び彼らの様子を見つめた。


 誰一人として名乗らなかったが、その動き、呼吸、指示。どれも隙がなかった。


 


 ――まるで、一つの“紋章”のように。


 


 それぞれが異なる力を持ちながら、ひとつに繋がり、戦場で機能している。


 


 リアンはそっと拳を握る。


 右手の《箱舟の紋章》が、微かに熱を帯びていた。


 


 (……あの魔物の中に、まだ魂が残っていたか)


 


 しかし今は、それを浄化する時間も余裕もない。


 リアンは彼らの背中を見つめながら、静かに歩き出した。


瘴気に侵された魔物との戦いが終わり、森の中に静寂が戻る。


 黒髪の男――先ほど指示を飛ばしていた騎士風の人物が、改めてリアンの前に立った。彼は腰の剣を下ろし、軽く顎を上げて言う。


 


 「カイ・ヴァルドだ。俺たちは《ヴェイルガード》。この辺りを拠点に活動している冒険者団だ」


 


 「……《ヴェイルガード》?」


 


 リアンはその名に聞き覚えがあった。


 北辺で名を馳せる精鋭集団。特に瘴気地帯や遺跡調査など、高危険度の任務に長けた集団として知られる。情報の中には、帝国や教会が特例で協力を打診したという噂すらある。


 


 「そっちは?」


 


 カイに促され、リアンはわずかに躊躇


 「……リアン。紋章使いだ」


 リアンはそう名乗った後、左手の甲に刻まれた紋章を僅かに持ち上げて見せた。淡く風の気配が揺れる。


 「“風”か。いい切れ味だったな」


 そう言って微笑んだのは、先ほど稲妻を操っていた女性――長い銀髪を肩に流した魔術師だ。


 「リゼ・アルマリナ。高等魔術師よ。……さっきの魔物、あれだけの瘴気で暴走してなかったのは珍しいわ」


 


 続いて、小柄な男がぴょんと地面に降りて一礼した。


 「ニコ・フェリン。斥候やってます。さっき、魔物の背後でちょろちょろ動いてたやつです」


 


 「ミーナ・サリエルです。回復と補助魔法を担当しています。リアンさん、お怪我はありませんか?」


 柔らかな声と共に、ハーフエルフの女性が控えめに微笑む。その背には生い茂る樹木を模した緑の紋章が浮かんでいた。


 


 最後に、ずしんと重い足音と共に現れたのは、丸太のような腕を持つドワーフの戦士だった。


 「ブラム・アイアンアクス。見ての通り、盾と斧担当だ。ま、よろしく頼む」


 


 こうして、彼ら《ヴェイルガード》全員が名を告げ終えると、カイが改めて言う。


 「お前もこれから街に向かうんだろう? 一人で動くには瘴気が濃すぎる。良ければ、街まで同行するか?」


 


 リアンは一瞬だけ考えた。だが、周囲の空気に宿る名残の瘴気を感じ取り、頷く。


 「……助かる。よろしく頼む」


 


 ◆ ◆ ◆


 


 ノルト=ベリア辺境領。城壁都市ヴェルダ・クローネ


 日が傾きかける頃、彼らは街の北門から入った。灰と銀に彩られた高い石壁。その上には瘴気の侵入を警戒する監視兵たちが目を光らせていた。


 


 「ようこそ、自由都市へ」


 ミーナが柔らかく告げる。彼女の声に、どこかこの地への誇りが滲んでいた。


 


 城門を抜ければ、活気に満ちた街の音と匂いが押し寄せてくる。


 行き交う冒険者、紋章師の呼び込み、鍛冶場の火花、ベリア麦酒の匂い。これが《ヴェルダ・クローネ》――瘴気に最も近く、最も自由な都市。


 


 彼らがまず足を運んだのは、《灰鷹亭》。黒い羽根飾りが目印の、冒険者御用達の酒場だった。


 


 中に入ると、焚き火の香りと喧騒が混じり合う。


 「さあ、疲れただろう。まずは一杯やっていけよ」


 ブラムがそう言って席を取り、全員が囲むように腰を下ろした。


 


 「……改めて、礼を言う」


 リアンは席に着くと同時に頭を下げた。


 「もし君たちが来なければ、今頃……俺は風と共に消えてたかもしれない」


 


 「礼なんていいさ」


 カイが苦笑しながら肩をすくめる。


 「俺たちはああいうのを放っておけないだけだ」


 


 「でも、今夜はせめて《黒鷹シチュー》くらいは奢ってもらうわよ?」


 リゼが冗談めかして言い、ニコがすかさず乗った。


 「あとベリア麦酒も! これは街の名物だからな! 絶対飲むべき!」


 


 リアンは、どこか懐かしさのようなものを覚えながら、小さく笑った。


 


 やがて、店の奥から宿の案内がなされる。


 「リアン、お前の分も手配してある。《銀のともし火亭》だ。瘴気結界付きの部屋がある。ひと晩は安心して眠れるだろう」


 


 ミーナが優しく言い添える。


 「癒し草の香浴室もあるわ。少しでも、疲れを取って」


 


 リアンは深く頭を下げた。


 「……ありがとう。本当に」


 


 そしてその夜、彼は初めて瘴気に満ちた北の地で、安らかな眠りについた。


 風の紋章が静かに揺らめく――夢の中でも。


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