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『魂を導く紋章師』  作者: nukoto


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第33話 「強くなる理由」

 教会を出たあとも、リアンの胸の奥では、鈍い痛みが消えなかった。

 石畳を渡る風はやわらかく、鐘楼の音がいつも通りに街へと響いていく。

 けれど、あの夜の残響だけが、まだ耳の奥でくすぶっていた。


 ――霧の中で、何もできなかった。

 もし、あの時もっと速く動けていれば。

 サラが血を流すことも、傷つくこともなかったはずだ。


 導き手である自分は、本来“守られる側”だ。

けれど――あの時、何もできずにサラにすべてを背負わせてしまった。

その無力さが、心に深い影を落としていた。

もし自分がもう少し強ければ、彼女の負担を減らせたはずだ。



 (……守られるだけの導き手、なんて)


 拳を握る。

 手の甲に刻まれた《箱舟の紋章》が、微かに光を放つ。

 だがその輝きは、今の彼には遠い。

 届かない場所で、誰かの光が揺れているように感じた。


 サラの剣が、風と炎を纏って立ちはだかったあの瞬間。

 その背中を見つめることしかできなかった自分。

 焼けた霧の匂いも、落ちた血の色も、まだ消えてはいなかった。


 胸の奥で、形のない棘がゆっくりと疼く。


 「リアン」


 静かな声がして、彼は顔を上げた。

 白い石畳の上、風を受けて銀の髪が流れる。

 サラがそこに立っていた。

 光の粒が髪に散り、彼女の金の瞳が柔らかく揺れる。


 「どうしたの?」


 「……いや」


 答えようとしても、言葉が出ない。

 見つめ返した瞬間、胸の奥で軋むような音がした。

 息を吸い、そして吐く。


 「サラ」

 「なに?」

 「――俺を、強くしてほしい」


 その一言に、サラの目がわずかに見開かれた。

 冗談でも、慰めでもない。

 リアンの声には、焦燥と決意が同時に宿っていた。


 「強く……って?」


 「戦い方を教えてほしい。紋章の扱いも、身体の動かし方も。

  ……守るための力を、全部知りたい」


 サラの表情がわずかに変わる。

 彼の声に宿る熱に、ほんの少し息をのむ。


 「理由は?」


 リアンは視線を落とし、開いた手のひらを見つめた。

 「導くことはできても、守れなかった。

  あの時、俺がもっと強ければ――サラを、あんなふうには……」


 その言葉を遮るように、サラが一歩踏み出した。

 指先が伸び、リアンの額を軽く小突く。


 「バカね」


 「え?」


 「私は“守り手”よ。導き手を守るのが私の役目。

  あんたが無理して倒れたら、誰が魂を導くの?」


 その声は冷たく聞こえたが、瞳は優しかった。

 リアンは言葉を失い、ただ見つめ返す。


 サラは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。

 「でも……いいわ。その言葉、嘘じゃないみたいだし」


 「じゃあ……」

 「教えてあげる」


 リアンの瞳が、わずかに光を帯びた。

 サラは片手を腰に当て、いつものように少し得意げに笑う。


 「ただし、覚悟してよ? 私の訓練、普通じゃないから」

 「……分かってる」

 「いい返事」


 朝の光が二人を包み込む。

 教会の尖塔の影が長く伸び、風が頬をなでていく。

 リアンは拳を握り直した。


 (もう、あの時のようには――ならない)


 その決意が、胸の奥で静かに燃える。

 やがて、二人の足音が並んだ。

 新しい一歩が、白い石畳の上に確かに響いた。


 広場を抜けると、街はいつになく賑わっていた。

 木枠を運ぶ職人の掛け声、布飾りを張る子どもたちの笑い声、風に乗って舞う白と金の紙片。

 陽光を受けた通りはまるで、灰を振り払うように明るかった。


 「……何かあるのかな?」リアンがつぶやく。

 「祭りの準備っぽいわね」サラが腕を組む。

 「でも、こんな規模は初めて見た」


 そのとき、通りの先に見覚えのある工房が目に入った。

 扉の前では、セラが脚立に登り、花飾りを結わえている。

 その下でレイナが腕を組み、少し離れた位置から位置を指示していた。


 「もう少し右――そう、そのあたりで固定して」

 「了解ですっ!」セラの明るい声が響く。


 リアンたちが近づくと、レイナがふと顔を上げた。

 「……あら、いいところに来たわね」

 セラが振り返り、ぱっと笑顔になる。

 「リアンさん、サラさん! ちょうどお祭りの飾りつけ中なんです!」


 「祭り?」リアンが首を傾げる。

 セラは手にした花飾りを揺らして答える。

 「はい、“風祭り”です! この街の風が戻った日を祝う行事なんですよ」

 レイナも頷く。

 「戦で荒れた街に最初の風が吹いた日――人々はそれを“再生の日”と呼ぶの。

  だから、毎年この季節になると皆がこうして街を飾るのよ」


 サラは空を見上げ、ひらひら舞う紙飾りを目で追った。

 「なるほど。たしかに風が似合う街ね」


 その穏やかな空気の中で、レイナがリアンへ視線を向けた。

 「そういえば――あなた、紋章師でもあるのよね?」

 リアンは少し驚いて目を瞬かせた。

 「……話しましたっけ?」

 「導き手としての報告書に“製紋技術あり”と記録があったわ。珍しい組み合わせね」

 「まあ……人に頼らず生きていけるように、師匠に教わっただけで」

 リアンは少し照れたように笑った。


  レイナは花飾りの結び目を整えながら、ふと笑みを浮かべた。

 「それなら、無関係じゃいられないわね」


 リアンが首を傾げる。

 「……何かあるの?」

 「うん、あるのよ」

 レイナは通りの向こうを見やりながら、ゆっくりと言葉を継ぐ。


 「この街にはね、王都のように大きくはないけど“闘技場”があるの。

  年に一度の祭りの日には、そこを使って“試合”が開かれるのよ」


 「試合……?」

 「そう。腕に覚えのある戦士たちが集まって、正々堂々と力を試すの。

  その頂点に立った者に、“紋章”が授けられるのよ」


 リアンは驚いたように目を見開いた。

 「紋章が……賞品?」

 「ええ。それも、選ばれた紋章師が作った“勝者のための紋章”。

  誰でも作れるわけじゃないし、紋章師たちも事前に選考を受ける必要があるわ」


 「選考まで……?」

 「当然よ。だってそれは“戦士のために与えられる紋章”なんだから」

 レイナの声に、職人としての誇りが滲む。


 セラが花飾りを抱えたまま、目を輝かせる。

 「でもそれって、ただの記念品ってわけじゃないんですよ!

  紋章師にとっては、強い戦士に自分の紋章を使ってもらえるのは名誉だし、宣伝にもなる。

  戦士にとっては、その紋章が力になるんです」


 レイナが笑ってうなずいた。

 「そう。お互いに悪い話じゃないのよ。紋章師にとっては――名を広める絶好の機会だから」


 リアンは黙ってその話を聞いていたが、やがてゆっくりと首を振った。

 「……俺は、そういうのはいいかな」


 「ん? どうして?」

 レイナが不思議そうに尋ねる。

 リアンは少しだけ言い淀みながら答えた。


 「俺が紋章師になったのは……もともと、一人でも生きていけるように、師匠から教わっただけで。

  名誉とか、競うために何かをするのは……なんか、違う気がするんです」


 「ふうん……なるほどね」

 レイナは腕を組み、どこか納得したように頷いた。

 「まあ、それも悪くないわ。紋章師の形なんて人それぞれ。

  派手に名を売る必要なんて、どこにもないしね」


 サラは何も言わずにそのやり取りを見ていたが、どこかリアンの肩越しに小さく微笑んでいた。


 風が通り抜け、花弁が舞う。

 遠くで祭りの準備を知らせる鐘の音が響く。


 その音に重なるように、リアンがふいに口を開いた。

 「……紋章を作るより、闘技場に出てみたいかもしれません」


 レイナとサラの動きが止まった。

 「は?」

 セラまでが目を丸くしてこちらを見上げる。


 「……本気で言ってるの?」レイナの声が低くなる。

 リアンは真剣な表情で頷いた。

 「はい。正直、戦うのは得意じゃないけど……でも、自分が今どこまで通用するのか、知りたいんです」


 リアンの言葉は穏やかだったが、そこには確かな決意があった。

 「もっと強くなるためには、必要なことだと思うから」


 「それって、“試しに出てみよう”って軽い話じゃないよね」

 サラの声は低く、どこか緊張を孕んでいた。

 「強くするって言ったからって、闘技場って遊びじゃない。いくら祭りの試合でも、あんたみたいな“導き手”が出たら、どうなるか分かってる?」


 「分かってるつもりだよ。

  でも……いざというとき、自分の力を信じられなかったら、それこそ意味がない」


 リアンの目はまっすぐだった。

 誰かを倒すためでも、名を上げるためでもない。

 ただ、今の自分がどこまで戦えるのか――それを確かめたかった。


 「……バカ」

 サラはそう言って、目を逸らした。

 「そういうの、あたしは……好きじゃない」

 その声はかすかに震えていた。


 リアンは少しだけ息を詰め、静かに言葉を返す。

 「……ごめん。でも、どうしてもやってみたいんだ」


 サラはしばらく黙っていたが、やがて肩を落とし、小さく息を吐いた。

 「……あんたがどうしてもって言うなら、止めないよ。

  でも、絶対に無茶はしないで」


 リアンはうなずいた。

 「約束する。戦うにしても、“導く者”として……俺のやり方で、ちゃんとやるよ」


 レイナはそのやり取りを見守りながら、少し呆れたように、それでいて悪くないという顔で微笑んだ。

 「まったく……あんたたち、来るたびに風を巻き起こすのね」


 セラが花飾りを両手に抱えたまま、笑いながら言った。

 「じゃあ、わたし……応援用の花を作っておきます!」


 街の喧騒が風に流れ、通りの上で白い紙飾りが舞った。

 鐘の音が遠くで鳴り響き、リアンは静かに空を見上げる。


 ――導く者として。

 今度は、自ら立つために。


戦う力がなければ、導くことすらできないと、あの日に思い知らされた。


 その瞳に、確かな光が宿っていた。


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