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『魂を導く紋章師、死者の誓いを継いで世界を救う』  作者: nukoto


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第20話 「記す者と導く者」

白花が、風に揺れていた。

 崩れた石垣の上で、サラは腕を組み、リアンの背中を見つめている。


 リアンは膝をつき、そっと花に手を伸ばした。

 茎を折らず、指先で茎の下をなぞる。

 「……ごめん、少しだけもらう」

 そう言って、一輪を摘み取る。

 花弁の中で、淡い光が小さく瞬いた。


 袋に花を収めたあと、リアンはもう一度同じ場所に手を伸ばす。

 「……こっちは、俺の分」

 花の根元を指で掬うと、細い粒が浮かび上がった。

 透けるような光が、掌の上で揺れる。


 サラが静かに口を開く。

 「……まるで、花じゃなくて“誰か”に触れてるみたいね」


 リアンは短く息を吐き、摘んだ花の跡に指を置いた。

 「ありがとう」

 それだけを残し、立ち上がる。


 風が吹き、白花が波のように揺れる。

 サラはその横顔を見つめながら、

 「……まったく、どこまでも真面目ね」

 と、わずかに笑った。


 陽が傾き、白花の香りを纏った風が街路を抜けていく。

 リアンとサラは布袋を抱え、セラのアトリエへ戻ってきた。


 扉を押し開けた瞬間――室内の空気が、ぴんと張り詰めていた。


 「……あなた、自分が何をしたかわかってるの?」

 柔らかい声だった。けれど、その奥に冷たい刃があった。


 机の前では、セラが小さく肩をすくめている。

 その向かいに立つのは、一人の女性。

 淡い栗色の髪を後ろで束ね、黒い外套の裾を揺らしていた。

 金の瞳はまっすぐで、光の奥に静かな怒りを宿している。


 「旧市街地はまだ整備されていないの。瘴気が残っていて、魔物が出る可能性もある」

 女は淡々と告げる。

 「そんな場所に、名前も知らない人を“素材取り”に行かせるなんて……あなた、何考えてるの?」


 セラはうつむいたまま、しゅんと肩をすくめた。

 「……だって、花は今が季節で。逃したら、また一年先で……」

 「理由にならないわ」

 女の声が重なる。

 「素材より、人の命の方が重い――あなたも、それくらいはわかってるでしょう?」


 張り詰めた空気の中、扉が静かに軋んだ。

 リアンとサラが立っていた。


 セラがはっと顔を上げる。

 「……あ、戻った!」


 女の金の瞳が、二人へ向けられる。

 その視線は冷たくはないが、確かに鋭い。

 「あなたたちが……旧市街へ?」


 リアンは小さく頷き、布袋を差し出した。

 「これが、セラさんの頼んだ花です」


 女は袋を受け取り、指先で中を覗いた。

 白花の香りがわずかに広がる。

 「……無傷。瘴気の影響もない。……本当に、行ったのね」


 彼女はしばらく黙し、それからゆっくりとリアンに視線を戻す。

 金の瞳が、まるで何かを思い出すように細められた。


 「名前を、聞いてもいいかしら」


 「……リアン・アルステッドです」


 その名を聞いた瞬間――

 女のまつげが、かすかに震えた。

 息を呑む音が、静寂の中に落ちる。


 「リアン……? ……導き手の、リアン?」


 セラが思わず声を上げた。

 「え、導き手!? 本物の!?」


 リアンは少し戸惑いながらも頷いた。

 「……はい。でも、そんな大層なものじゃ……」


 女はしばらくリアンを見つめ、それから息を整えてゆっくりと頭を下げた。


 「……さきほどは、失礼しました。そして――セラの件も、私から謝らせてください」


 セラはうつむき、小さく肩をすくめる。

 「……ごめんなさい。危ないって、思わなかったの」

 「危険は、慣れた頃に牙を剥くものよ」

 女の言葉は柔らかいが、芯のある響きを持っていた。


 リアンは首を横に振る。

 「お気になさらず。ちゃんと戻れましたから」


 そう言って、机に白花の袋を置いた。

 淡い香りが空気に溶け、張り詰めていた空気がわずかに和らぐ。


 女はその光を見つめ、少し表情を緩めた。

 「……改めて。私はレイナ・ヴァシュタール。家紋師で、このアトリエの技術顧問をしています」


 セラが慌てて頭を下げる。

 「セラ・リュミナです! ……さっきは、本当にごめんなさい」


 レイナは静かに頷き、次にリアンの隣へと視線を移した。

 「そちらの方は……?」

 サラが軽く顎を上げ、短く名を告げる。

 「サラ。リアンの同行者よ」

 レイナの眉がわずかに動く。

 「……“守り手”、ですか?」

 サラは肩をすくめて笑う。

 「ええ。導き手が無防備なときに剣を振るう。それが私の役目」


 名乗りのあと、リアンはわずかに首を傾げた。

 「……家紋師、というのは?」


 その問いに、レイナは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。

 そして、微笑を浮かべる。

 「珍しいわね。導き手でも知らない人は、あまりいないと思っていたけれど」

 彼女は机の上の花袋をそっと指で押しながら、静かに説明を続けた。


 「“家紋師”は、家に刻まれた紋章――つまり“血統の記録”を扱う職業よ。

  古い家系の紋を再構築したり、新しく家紋を作成したりする。

  教会で言う『記録官』に近いけれど、私たちはより“生きている血”を扱うの」


 サラが腕を組んで聞いていた。

 「つまり、紋章を“繋ぐ”仕事ってわけね」

 「ええ、簡単に言えばそう。記録と再生、そして保護」

 レイナはわずかに目を細め、リアンに視線を戻した。

 「あなたのように“魂そのものを導く”職とは、方向は違うけれど――

  根っこは、きっと同じ場所にあると思うわ」


 リアンは少し目を伏せ、静かに頷いた。

 「……記録と導き、ですか」

 「ええ。人が残す“形”を記す者と、“心”を還す者。

  どちらも、過去と未来をつなぐ仕事」


 彼女の言葉に、セラがそっと息を呑む。

 レイナはその横顔を見て、柔らかく笑った。

 「あなたも、ちゃんと学びなさい。命を預かる仕事の意味を」

 「……うん」

 セラは小さく頷いた。


 部屋の空気がようやく落ち着きを取り戻し、

 外では白花の香りを含んだ風が、静かにカーテンを揺らしていた。


 外の風が止み、白花の香りがゆるやかに室内を流れた。

 レイナは机の端に指を添えたまま、少し逡巡してから口を開く。


 「……失礼を承知で、お願いがあります」


 リアンが顔を上げる。

 金の瞳が、ためらいのない真っ直ぐな光で彼を射抜いていた。


 「あなたの、その……“紋章”を、見せていただけますか」


 セラが思わず声を上げる。

 「えっ、リアンさんの紋章を!?」

 「ええ。導き手の紋章は、家紋師にとっても伝承の域を出ない存在です。

  一度でいい、確かめてみたいの」


 その声音には、職人としての誇りと敬意が同居していた。

 リアンは一瞬迷い、サラと視線を交わす。

 彼女は無言でうなずく。

 その仕草に背を押され、リアンは右手の手袋を外した。


 淡い光が、静かにあふれ出す。

 掌の中心に――一艘の“舟”が刻まれていた。


 舟は上向きに開かれ、左右から細やかな線光が翼のように伸びている。

 一本の流れる線で構築されたそれは、途切れることなく環を描き、

 舟の下には輪の紋が静かに光っていた。

 その輪を取り囲むように、古語の刻印が薄く輝く。

 ――〈還れ、すべての魂〉。

 誰も読めぬ古の言葉が、かすかな呼吸のように明滅していた。


 レイナは息を詰め、言葉を失った。

 「……繋ぎ目が……ない。線が、生きている……」

 指先が震える。

 「こんな構築、ありえない。魂そのものが意匠になっている……」


 セラも見入っていた。

 「……きれい……。でも、あたたかいのに、少し悲しい感じがする」


 リアンは黙って掌を見つめ、

 「舟は……ここにある。――行こう」

 と、静かに呟いた。


 紋章が脈動する。

 淡い光の波が掌から広がり、室内の影をやわらかく押し返す。

 背後の空気がかすかに揺らめき、形なき《箱舟》が光の幻影として浮かんだ。

 それは祈りにも似た静けさで、誰の声も要らなかった。


 光が収まると、舟の紋は再び肌に溶けていく。

 レイナは深く息を吐き、ゆっくりと頭を垂れた。

 「……見せてくださって、ありがとう。

  “導く者”がいる限り、私たちは記す意味を失わずにいられる」


 リアンは穏やかに微笑む。

 「記す者がいるからこそ、導く者は還せるんです」


 その言葉に、レイナは小さく目を伏せた。

 尊敬と、どこか懐かしさが混じったような表情だった。


 ――白花の香りが再び風に乗り、

 窓辺のカーテンを揺らす。


 セラはその光景を胸に刻むように見つめ、

 サラはただ静かに、リアンの横で剣の柄に手を添えた。

 導きの舟と、それを見守る者たちの間に、

 夜の静寂がゆっくりと降りていった。


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